怪人二十面相33 江戸川乱歩
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問題文
(どくしゃしょくん、かくしてにじゅうめんそうとこばやししょうねんのたたかいは、ざんねんながらけっきょく)
読者諸君、かくして二十面相と小林少年の戦いは、残念ながら結局
(かいとうのしょうりにおわりました。しかもにじゅうめんそうは、はしばけのほうこをひんじゃくとあざけり、)
怪盗の勝利に終わりました。しかも二十面相は、羽柴家の宝庫を貧弱と嘲り、
(だいじぎょうにてをそめているといばっています。かれのだいじぎょうとはいったいなにを)
大事業に手を染めていると威張っています。彼の大事業とは一体何を
(いみするのでしょうか。こんどこそ、もうこばやししょうねんなどのてにおえないかも)
意味するのでしょうか。今度こそ、もう小林少年などの手に負えないかも
(しれません。またれるのは、あけちこごろうのきこくです。それもあまりとおいことでは)
しれません。待たれるのは、明智小五郎の帰国です。それもあまり遠い事では
(ありますまい。 ああ、めいたんていあけちこごろうとかいじんにじゅうめんそうのたいりつ、)
ありますまい。 ああ、名探偵明智小五郎と怪人二十面相の対立、
(ちえとちえとのいっきうち、そのひがまちどおしいではありませんか。)
知恵と知恵との一騎打ち、その日が待ち遠しいではありませんか。
(びじゅつじょう いずはんとうのしゅぜんじおんせんから4きろほどみなみ、しもだかいどうにそった)
【美術城】 伊豆半島の修善寺温泉から四キロほど南、下田街道に沿った
(やまのなかに、たにぐちむらというごくさびしいむらがあります。そのむらはずれのもりのなかに、)
山の中に、谷口村というごく寂しい村があります。その村外れの森の中に、
(みょうなおしろのようないかめしいやしきがたっているのです。 まわりにはたかいどべいを)
妙なお城のような厳めしい屋敷が建っているのです。 まわりには高い土塀を
(きずき、どべいのうえにはずっとさきのするどくとがったてつぼうを、まるではりのやまみたいに)
築き、土塀の上にはずっと先の鋭く尖った鉄棒を、まるで針の山みたいに
(うえつけ、どべいのうちがわには、4めーとるはばほどのみぞがぐるっととりまいていて、)
植え付け、土塀の内側には、四メートル幅程の溝がぐるっと取り巻いていて、
(あおあおとしたみずがながれています。ふかさもせがたたぬほどふかいのです。これはみなひとを)
青々とした水が流れています。深さも背が立たぬ程深いのです。これはみな人を
(よせつけぬためのようじんです。たといはりのやまのどべいをのりこえても、そのなかに、)
寄せ付けぬ為の用心です。例い針の山の土塀を乗り越えても、その中に、
(とてもとびこすことのできないおほりが、ほりめぐらしてあるというわけです。)
とても飛び越す事の出来ないお堀が、堀り巡らしてあるという訳です。
(そして、そのまんなかには、てんしゅかくこそありませんが、ぜんたいにあついしらかべづくりの)
そして、その真ん中には、天守閣こそありませんが、全体に厚い白壁造りの
(まどのちいさい、まるでどぞうをいくつもよせあつめたような、おおきなたてものがたっています)
窓の小さい、まるで土蔵を幾つも寄せ集めたような、大きな建物が建っています
(そのふきんのひとたちは、このたてものを「くさかべのおしろ」とよんでいますが、)
その付近の人達は、この建物を「日下部のお城」と呼んでいますが、
(むろんほんとうのおしろではありません。こんなちいさなむらにおしろなどあるはずはないのです)
無論本当のお城ではありません。こんな小さな村にお城などある筈はないのです
(では、このばかばかしくようじんけんごなたてものは、いったいなにもののすまいでしょう。)
では、この馬鹿馬鹿しく用心堅固な建物は、一体何者の住まいでしょう。
(けいさつのなかったせんごくじだいならばしらぬこと、いまのよに、どんなおかねもちだって、)
警察のなかった戦国時代ならば知らぬ事、今の世に、どんなお金持だって、
(これほどようじんぶかいていたくにすんでいるものはありますまい。 「あすこには、)
これ程用心深い邸宅に住んでいる者はありますまい。 「あすこには、
(いったいどういうひとがすんでいるのですか」 たびのものなどがたずねますと、)
一体どういう人が住んでいるのですか」 旅の者などが尋ねますと、
(むらびとはきまったように、こんなふうにこたえます。 「あれですかい。ありゃ、)
村人は決まったように、こんな風に答えます。 「あれですかい。ありゃ、
(くさかべのきちがいだんなのおしろだよ。たからものをぬすまれるのがこわいといってね、)
日下部の気違い旦那のお城だよ。宝物を盗まれるのが怖いと言ってね、
(むらともつきあいをしねえかわりものですよ」 くさかべけは、せんぞだいだいこのちほうの)
村とも付き合いをしねえ変わり者ですよ」 日下部家は、先祖代々この地方の
(おおじぬしだったのですが、いまのさもんしのだいになって、こうだいなじしょもすっかりひとでに)
大地主だったのですが、今の左門氏の代になって、広大な地所もすっかり人手に
(わたってしまって、のこるのはおしろのようなていたくと、そのなかにしょぞうされている)
渡ってしまって、残るのはお城のような邸宅と、その中に所蔵されている
(おびただしいこめいがばかりになってしまいました。 さもんろうじんはきちがいのような)
夥しい古名画ばかりになってしまいました。 左門老人は気違いのような
(びじゅつしゅうしゅうかだったのです。びじゅつといってもおもにこだいのめいがで、せっしゅうとかたんゆうとか)
美術収集家だったのです。美術といっても主に古代の名画で、雪舟とか探幽とか
(しょうがっこうのほんにさえなのでている、こらいのだいめいじんのさくは、ほとんどもれなく)
小学校の本にさえ名の出ている、古来の大名人の作は、殆ど漏れなく
(あつまっているといってもいいほどでした。なんびゃっぷくというえのだいぶぶんが、こくほうにも)
集まっていると言ってもいい程でした。何百幅という絵の大部分が、国宝にも
(なるべきけっさくばかり、かかくにしたらすうじゅうおくえんにもなろうといううわさでした。)
なるべき傑作ばかり、価格にしたら数十億円にもなろうという噂でした。
(これで、くさかべけのやしきが、おしろのようにようじんけんごにできているわけが)
これで、日下部家の屋敷が、お城のように用心堅固に出来ている訳が
(おわかりでしょう。さもんろうじんは、それらのめいがをいのちよりもだいじがっていたのです)
お分かりでしょう。左門老人は、それらの名画を命よりも大事がっていたのです
(もしやどろぼうにぬすまれはしないかと、そればかりが、ねてもさめてもわすれられない)
もしや泥棒に盗まれはしないかと、そればかりが、寝ても覚めても忘れられない
(しんぱいでした。 ほりをほっても、へいのうえにはりをうえつけても、まだあんしんが)
心配でした。 堀を掘っても、塀の上に針を植え付けても、まだ安心が
(できません。しまいには、ほうもんしゃのかおをみれば、えをぬすみにきたのではないかと)
出来ません。終いには、訪問者の顔を見れば、絵を盗みに来たのではないかと
(うたがいだして、しょうじきなむらのひとたちとも、こうさいをしないようになってしまいました。)
疑いだして、正直な村の人達とも、交際をしないようになってしまいました。
(そして、さもんろうじんは、ねんじゅうおしろのなかにとじこもって、あつめためいがをながめながら、)
そして、左門老人は、年中お城の中に閉じ籠って、集めた名画を眺めながら、
(ほとんどがいしゅつもしないのです。びじゅつにねっちゅうするあまり、およめさんももらわず、)
殆ど外出もしないのです。美術に熱中する余り、お嫁さんも貰わず、
(したがってこどももなく、ただめいがのばんにんにうまれてきたようなせいかつが)
従って子どももなく、ただ名画の番人に生まれてきたような生活が
(ずっとつづいて、いつしか60のさかをこしてしまったのでした。)
ずっと続いて、何時しか六十の坂を越してしまったのでした。