吸血鬼46

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明智小五郎シリーズ
江戸川乱歩の作品です。句読点以外の記号は省いています。

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問題文

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(ろうじんのほうでは、いまにげられてはと、いっこくにおしもどす。おしもどしたのが)

老人の方では、今逃げられてはと、一こくに押し戻す。押し戻したのが

(しずこにしては、ひどくつきとばされたようにかんじる。まあ、しゅじんにむかって、)

倭文子にしては、ひどく突き飛ばされた様に感じる。「マア、主人に向って、

(なにをするの?かっとのぼせあがって、めのまえがまっくらになって、もうなにがなんだか)

何をするの?」カッとのぼせ上って、目の前が真っ暗になって、もう何が何だか

(わからなかった。きぜつするほどはらがたったのだ。むちゅうで、ろうじんにむしゃぶりついた)

分らなかった。気絶する程腹が立ったのだ。夢中で、老人にむしゃぶりついた

(ようにもおもう。またなにかをもって、あいてをたたきつけたようにもおもう。あとになって)

様にも思う。また何かを持って、相手をたたきつけた様にも思う。あとになって

(かんがえてみてもげきこうのきょく、めがくらんでしまって、なにをしたのかはっきりは)

考えて見ても激昂の極、目がくらんでしまって、何をしたのかハッキリは

(おぼえていない。きがつくと、ろうじんはかのじょのまえにながながとよこたわっていた。そのむねに)

覚えていない。気がつくと、老人は彼女の前に長々と横たわっていた。その胸に

(まっかなはながさいて、ぐさっとつきたったたんけんのえ。あらっ!しずこは、)

真赤な花が咲いて、グサッと突立った短剣の柄。「アラッ!」倭文子は、

(さけんだまま、あしがすくんで、うごけなくなった。おぼえはない。けっしておぼえはない。)

叫んだまま、足がすくんで、動けなくなった。覚えはない。決して覚えはない。

(だが、あいてがむねをさされてたおれているのは、うごかしがたいじじつだ。じぶんが)

だが、相手が胸を刺されて倒れているのは、動かし難い事実だ。自分が

(ころしたのではなくて、ほかにだれがこんなことをするものか。あたし、きが)

殺したのではなくて、外に誰がこんなことをするものか。「あたし、気が

(ちがったのかしら あまりのことにしんじかねて、きょうきのまぼろしではあるまいかと、)

違ったのかしら」あまりのことに信じ兼ねて、狂気の幻ではあるまいかと、

(りょうてでめをこすりながら、へたへたとしがいのそばへうずくまった。まあ、)

両手で目をこすりながら、ヘタヘタと死骸の側へうずくまった。「マア、

(かわいそうに、さぞいたかったでしょう と、みょうなきちがいめいたことをくちばしりながら、)

可哀相に、さぞ痛かったでしょう」と、妙な気違いめいたことを口走りながら、

(おもわずたんけんのえをにぎって、きずぐちからひきぬいた。しょせいのひとりが、どあをひらいて、)

思わず短剣の柄を握って、傷口から引き抜いた。書生の一人が、ドアを開いて、

(しつないをのぞきこんだのは、ちょうどそのときであった。しずこが、むちゅうでうわごとを)

室内をのぞき込んだのは、丁度その時であった。倭文子が、夢中で譫言を

(くちばしっているところへ、しょせいのしらせで、めしつかいたちが、かおいろをかえて、どやどやと)

口走っている処へ、書生の知らせで、召使達が、顔色を変えて、ドヤドヤと

(はいってきた。たくさんのかおのうしろに、みたにせいねんのめが、かのじょをせめるように)

入って来た。沢山の顔のうしろに、三谷青年の目が、彼女を責めるように

(ひかっているのをみたとき、しずこははじめて、わっとこえをあげてなきだした。)

光っているのを見た時、倭文子は初めて、ワッと声を上げて泣き出した。

(とりかえしのつかぬげんじつだと、はっきりわかったからである。ひとびとはかのじょのてから、)

取返しのつかぬ現実だと、ハッキリ分ったからである。人々は彼女の手から、

など

(ちみどろのたんとうをもぎはなした。こしのきんにくがきかなくなっているかのじょを、)

血みどろの短刀をもぎ離した。腰の筋肉が効かなくなっている彼女を、

(だきかかえて、かいかのいまへはこんだ。そのあいだ、かのじょはただ、どくどく、どくどく)

抱きかかえて、階下の居間へ運んだ。その間、彼女はただ、ドクドク、ドクドク

(だんまつまのようにうちつづける、しんぞうのおとばかりみみにしていた。がやがやと)

断末魔の様にうちつづける、心臓の音ばかり耳にしていた。ガヤガヤと

(さわぎたてるひとごえは、じぶんにはなんのかんけいもない、むいみなそうおんとしか)

騒ぎ立てる人声は、自分には何の関係もない、無意味な騒音としか

(きこえなかった。なきにないて、やっとしょうきにかえったときには、しげるしょうねんが、)

聞こえなかった。泣きに泣いて、やっと正気に返った時には、茂少年が、

(わけはわからぬながら、やっぱりなきがおになって、かのじょのそばに、しょんぼりと)

訳は分らぬながら、やっぱり泣き顔になって、彼女の側に、ションボリと

(すわっているのに、きづいた。しげるちゃん、かあさまはね・・・・・・しずこは、)

坐っているのに、気づいた。「茂ちゃん、母さまはね・・・・・・」倭文子は、

(いとしごをだきしめて、なきじゃくりながらささやいた。とんでもないことを)

いとし子を抱きしめて、泣きじゃくりながらささやいた。「飛んでもないことを

(してしまったのよ。しげるちゃん、おまえはね、かわいそうに、かわいそうに、もうこれっきり)

してしまったのよ。茂ちゃん、お前はね、可哀相に、可哀相に、もうこれっきり

(かあさまとおわかれなのよ。ひとりぼっちでくらさなければならないのよ かあさま、)

母さまとお別れなのよ。一人ぼっちで暮らさなければならないのよ」「母さま、

(いっちゃいや。どこへいくの?え、なぜなくの?ろくさいのしょうねんには、ことのしだいが)

行っちゃいや。どこへ行くの?エ、なぜ泣くの?」六歳の少年には、事の次第が

(よくのみこめぬのもむりではない。ああ、このこともえいきゅうのおわかれだ。いまにも、)

よく呑みこめぬのも無理ではない。アア、この子とも永久のお別れだ。今にも、

(いまにも、けいさつのひとたちがきたならば、このばからひきたてられるにきまっている。)

今にも、警察の人達が来たならば、この場から引立てられるにきまっている。

(そして、こうしゅだいはのがれられぬうんめいだ。でも、これっきり、わがことわかれてしまう)

そして、絞首台はのがれられぬ運命だ。でも、これっ切り、我子と別れてしまう

(なんて、そんなむごたらしいことが、ほんとうにおこるのだろうか。わかれるのは)

なんて、そんなむごたらしいことが、本当に起るのだろうか。別れるのは

(いやだ。こどもも、こいびとも、なにもかもあとにのこして、ひとりぼっちでしんでいくのは)

いやだ。子供も、恋人も、何もかもあとに残して、一人ぼっちで死んで行くのは

(たまらない。さいとうのおじちゃん、どうしたの?しんでしまったの?しげるしょうねんの)

耐らない。「斎藤のおじちゃん、どうしたの?死んでしまったの?」茂少年の

(むじゃきなしつもんが、このちいさなものにさえ、せめられているようで、ぞっとするほど)

無邪気な質問が、この小さなものにさえ、責められている様で、ゾッとする程

(おそろしい。ねえ、どうしたの?かあさまがころしたの?しずこはぎょっとして、)

恐ろしい。「ねエ、どうしたの?母さまが殺したの?」倭文子はギョッとして、

(おもわずわがこのかおをみつめた。ああ、なんということだ。このいたいけなしょうねんが、)

思わず我子の顔を見つめた。アア、何ということだ。このいたいけな少年が、

(そらおそろしいちょっかくで、もうそれをかんづいていようとは。かあさまがころしたのよ。)

空恐ろしい直覚で、もうそれを感づいていようとは。「母さまが殺したのよ。

(で、かあさまもころされるのよ しずこはなきごえをかみころした。だれが?しげるは)

で、母さまも殺されるのよ」倭文子は泣き声をかみ殺した。「誰が?」茂は

(びっくりして、なきぬれためをまんまるにした。だれがかあさまをころしにくるの。)

びっくりして、泣きぬれた目をまん丸にした。「誰が母さまを殺しに来るの。

(ころしちゃいやだあ、ねえ、はやく、はやく、にげようよ。かあさま、にげようよ)

殺しちゃいやだア、ねエ、早く、早く、逃げようよ。母さま、逃げようよ」

(はははそれをきくと、のどのおくで ぐっ というようなおとをたてて、はらはらと)

母はそれを聞くと、喉の奥で「グッ」というような音を立てて、ハラハラと

(なみだをこぼした。おまえ、ひとごろしのかあさまといっしょににげてくれるの?まあ、)

涙をこぼした。「お前、人殺しの母さまと一緒に逃げてくれるの?マア、

(にげてくれるの?・・・・・・でもねだめなのよ。にげてもにげても、)

逃げてくれるの?・・・・・・でもね駄目なのよ。逃げても逃げても、

(にげられはしないの。にほんじゅうのなんぜんなんまんというひとが、みんなかあさまを、)

逃げられはしないの。日本中の何千何万という人が、みんな母さまを、

(つかまえようとして、しほうはっぽうから、めをぎょろぎょろさせているんだもの)

つかまえようとして、四方八方から、目をギョロギョロさせているんだもの」

(かわいそうね。・・・・・・でも、しげるちゃんが、かあさまをたすけてやるよ。そのひと)

「可哀相ね。・・・・・・でも、茂ちゃんが、母さまを助けてやるよ。その人

(ひどいめにあわせてやるよ ぎゅっとだきしめられた、ははのふところのなかで、)

ひどい目に合わせてやるよ」ギュッと抱きしめられた、母のふところの中で、

(しげるしょうねんは、ほおをまっかにして、りきんでみせるのであった。まもなく、しずこは)

茂少年は、頬を真赤にして、力んでみせるのであった。間もなく、倭文子は

(よしんはんじのまえによびだされて、しつもんをうけたけれど、うまくべんかいするちえもちからも)

予審判事の前に呼び出されて、質問を受けたけれど、うまく弁解する智恵も力も

(なかった。ただ、わかりません、わかりませんとくりかえすばかりだ。とりしらべがすんで、)

なかった。ただ、分りません、分りませんと繰返すばかりだ。取調べが済んで、

(またもとのいまにもどり、しげるしょうねんとなきあっているところへ、ひとめをしのんでみたにせいねんが)

また元の居間に戻り、茂少年と泣き合っている所へ、人目を忍んで三谷青年が

(はいってきた。ふたりはじっとめをみあわせたまま、しばらくそのあいだ、)

入って来た。二人はじっと目を見合わせたまま、しばらくその間、

(だまっていたが、やがてせいねんが、こいびとのそばへちかぢかとかおをよせて、ささやきごえで)

だまっていたが、やがて青年が、恋人のそばへ近々と顔をよせて、ささやき声で

(しかしちからをこめていった。ぼくはしんじませんよ。きみがやったなんて、けっして)

しかし力をこめていった。「僕は信じませんよ。君がやったなんて、決して

(しんじませんよ あたし、どうしましょう。どうしましょう しずこは)

信じませんよ」「あたし、どうしましょう。どうしましょう」倭文子は

(こいびとみたにのやさしいことばに、いまさらのように、こみあげてくるかなしみをかくそうとも)

恋人三谷のやさしい言葉に、今更の様に、こみ上げて来る悲しみを隠そうとも

(しなかった。しっかりしなさい。しつぼうしてはいけません みたには、だれか)

しなかった。「しっかりしなさい。失望してはいけません」三谷は、誰か

(きくひとがありはしないかと、あたりをみまわしながら、やっぱりささやきごえで)

聞く人がありはしないかと、あたりを見廻しながら、やっぱりささやき声で

(つづけた。ぼくはあなたのむじつをしんじます。あなたがそんなおんなでないことを)

続けた。「僕はあなたの無実を信じます。あなたがそんな女でないことを

(しりぬいています。しかし、どうかんがえてもべんかいのよちがない、あのへやには)

知り抜いています。しかし、どう考えても弁解の余地がない、あの部屋には

(ひがいしゃとあなたのほかに、だれもいなかった。しかも、あなたはちまみれのたんけんを)

被害者とあなたの外に、誰もいなかった。しかも、あなたは血まみれの短剣を

(にぎっていた。じけんのおこるすぐまえには、あなたはひがいしゃとひどくいいあらそっていた。)

握っていた。事件の起るすぐ前には、あなたは被害者とひどくいい争っていた。

(すべてのじじょうが、みなあなたをゆびさしています。よしんはんじも、けいさつしょちょうも、)

すべての事情が、皆あなたを指さしています。予審判事も、警察署長も、

(あなたをげしにんときめているようにみえます。かんがえてみてください。あのとき、だれか)

あなたを下手人ときめている様に見えます。考えて見て下さい。あの時、誰か

(へやへしのびこんだやつはなかったのですか。なんとかいいひらきのみちはありませんか)

部屋へ忍び込んだ奴はなかったのですか。何とかいい開きの道はありませんか」

(みたにのねっしんなくちょうをきいていると、ひろいせかいにみかたとたのむのは、このひと)

三谷の熱心な口調を聞いていると、広い世界に味方と頼むのは、この人

(たったひとりだと、かんしゃのなみだがあふれてきた。)

たった一人だと、感謝の涙があふれて来た。

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