吸血鬼49

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明智小五郎シリーズ
江戸川乱歩の作品です。句読点以外の記号は省いています。

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問題文

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(こころがしずまるにつれて、まひしていたまっしょうのしんけいがはたらきはじめた。そして、まずはなを)

心が静まるにつれて、麻痺していた末梢の神経が働き始めた。そして、まず鼻を

(うつのは、ほのかなししゅうであった。ああ、いまのさきまで、このなかにあのろうじんの)

うつのは、ほのかな屍臭であった。「アア、今の先まで、この中にあの老人の

(しがいがはいっていたのだ。しかも、そのろうじんは、このわたしがてにかけて、)

死骸が入っていたのだ。しかも、その老人は、この私が手にかけて、

(むごたらしくころしたのだ いまさらのように、かのじょはそれを、はっきりといしきした。)

むごたらしく殺したのだ」今更の様に、彼女はそれを、ハッキリと意識した。

(いま、かのじょのほおにさわっているいたの、おなじぶぶんに、さっきまで、しにんのほおがあたって)

今、彼女の頬にさわっている板の、同じ部分に、さっきまで、死人の頬が当って

(いたのかもしれない。かのじょはそうして、かんせつに、かのじょのころしたろうじんと、)

いたのかも知れない。彼女はそうして、間接に、彼女の殺した老人と、

(ほおずりしているのかもしれない。とおもうと、なんともいえぬおそろしさに、ぞーっと)

頬ずりしているのかも知れない。と思うと、何ともいえぬ恐ろしさに、ゾーッと

(えりもとのけあながたった。もうもくのような、しんのくらやみのなかで、しにんのおんりょうが、かのじょの)

襟元の毛穴が立った。盲目の様な、真の暗闇の中で、死人の怨霊が、彼女の

(からだをしめつけているようなきがする。かのじょは、きゃーっ とさけんで、ひつぎのふたを)

身体をしめつけている様な気がする。彼女は、「キャーッ」と叫んで、棺の蓋を

(はねのけ、いきなりにげだしたいしょうどうにかられた。だが、さけぼうものなら、)

はねのけ、いきなり逃げ出したい衝動にかられた。だが、叫ぼうものなら、

(たちどころにみのはめつだ。かのじょははをくいしばって、がまんしなければならなかった。)

立所に身の破滅だ。彼女は歯を食いしばって、我慢しなければならなかった。

(ぶきみなししゅうは、ますますつよくはなにしみて、たえがたいほどになった。しんけいというしんけいが)

不気味な屍臭は、益々強く鼻にしみて、耐え難い程になった。神経という神経が

(きゅうかくばかりになってしまったようなきがする。と、とつぜん、いようなきおくが、)

きゅう覚ばかりになってしまったような気がする。と、突然、異様な記憶が、

(かのじょのはなによみがえってきた。おや!このにおいはいまがはじめてではない。)

彼女の鼻によみがえって来た。オヤ! この匂いは今が初めてではない。

(ついさっきまで、これとまったくおなじにおいをかいでいたようなきがする。へんだな。)

ついさっきまで、これと全く同じ匂いをかいでいた様な気がする。変だな。

(いったいどこで、そんなにおいがしたのかしら。・・・・・・ああ、そうだ。いどのなかだ。)

一体どこで、そんな匂いがしたのかしら。……アア、そうだ。井戸の中だ。

(さっきまでみをひそめていたふるいどのなかだ。いどのなかにいるあいだは、こうふんのあまり)

さっきまで身をひそめていた古井戸の中だ。井戸の中にいる間は、興奮のあまり

(それをいしきしなかったけれど、おもいだしてみると、においばかりではない、)

それを意識しなかったけれど、思い出して見ると、匂いばかりではない、

(あのあついふとんのしたは、けっしてたいらないどのそこではなかった。なにかしらだんりょくのある、)

あの厚い蒲団の下は、決して平な井戸の底ではなかった。何かしら弾力のある、

(しかしわたよりはずっとかたい、でこぼこしたものが、あしのしたにかんじられた。)

しかし綿よりはずっとかたい、でこぼこしたものが、足の下に感じられた。

など

(あれはいったいなんであったのか、いまよみがえったししゅうのきおくとむすびあわせてかんがえると)

あれは一体何であったのか、今よみがえった屍臭の記憶とむすび合せて考えると

(ぎょっとしないではいられなかった。でも、まさかあのいどのなかに・・・・・・)

ギョッとしないではいられなかった。「でも、まさかあの井戸の中に……

(さっかくだわ。わたしのしんけいがどうかしているのだわ しずこは、しいても、)

錯覚だわ。私の神経がどうかしているのだわ」倭文子は、強いても、

(そのおそろしいそうぞうをうちけそうとした。そんなことがあるべきどうりはないと)

その恐ろしい想像を打消そうとした。そんなことがあるべき道理はないと

(おもった。やがて、ししゅうとばかりおもっていたのが、とつぜんほのかなばらのかおりと)

思った。やがて、屍臭とばかり思っていたのが、突然ほのかなバラのかおりと

(なった。とおもうあいだに、こんどは、だれかしらのみだらなたいしゅうがにおってくる。)

なった。と思う間に、今度は、誰かしらのみだらな体臭がにおって来る。

(かびんになったかのじょのはなが、げんかくをおこしたのだ。そのたいしゅうはだれのものであったか。)

過敏になった彼女の鼻が、幻覚を起したのだ。その体臭は誰のものであったか。

(ふとじょうよくをそそるようなそのにおいは、まぎれもなく、わがみたにせいねんのものだ。)

ふと情慾をそそる様なその匂いは、まぎれもなく、我が三谷青年のものだ。

(しかし、ああ、またしても、そのにおいが、とつぜんかのじょのきゅうかくのふるいきおくを)

併し、アア、またしても、その匂いが、突然彼女の嗅覚の古い記憶を

(よびおこした。それはみたにのたいしゅうであるとどうじに、どこかしらの、もうひとりのおとこの)

呼び起した。それは三谷の体臭であると同時に、どこかしらの、もう一人の男の

(たいしゅうでもあるようなきがした。だれだったかしら。だれだったかしら。)

体臭でもある様な気がした。誰だったかしら。誰だったかしら。

(おお、そうだ。あいつのにおいだ。まああいつのにおいだわ しずこは、)

「オオ、そうだ。あいつの匂いだ。マアあいつの匂いだわ」倭文子は、

(このおそろしいいっちに、とほうにくれてしまった。あれから、ながいあいだ、わたしは)

この恐ろしい一致に、途方に暮れてしまった。「あれから、長い間、私は

(どうして、そこへきがつかなかったのでしょう なんねんもなんねんもどわすれしていた)

どうして、そこへ気がつかなかったのでしょう」何年も何年も胴忘れしていた

(ことを、ぽっかりおもいだしたかんじだ。ひつぎのなかのやみとせいじゃくとが、かのじょのこころに、)

ことを、ポッカリ思い出した感じだ。棺の中の闇と静寂とが、彼女の心に、

(ふしぎなさようをおよぼしたのだ。みたにとまったくおなじたいしゅうの、もうひとりのおとことは、)

不思議な作用を及ぼしたのだ。三谷と全く同じ体臭の、もう一人の男とは、

(いったいだれのことか。どくしゃは、このものがたりのはじめに、しずこがあおやまのかいやに)

一体誰のことか。読者は、この物語りの初めに、倭文子が青山の怪屋に

(とじこめられたことをきおくされるであろう。そこのちかしつで、くちびるのないおとこに)

とじこめられたことを記憶されるであろう。そこの地下室で、唇のない男に

(おそわれたとき、かのじょがあいてのからだから、まったくはじめてではない、よくしっている)

襲われた時、彼女が相手の身体から、全く初めてではない、よく知っている

(だれかのたいしゅうをかんじた。というじじつをもきおくせられるであろう。しずこはとうにんと)

誰かの体臭を感じた。という事実をも記憶せられるであろう。倭文子は当人と

(たびたびあいながらも、たじにまぎれて、いまのいままでそのことをわすれはてて)

度々会いながらも、他事にまぎれて、今の今までそのことを忘れ果てて

(いたのだ。それを、いま、いじょうにするどくなったきゅうかくが、ふとおもいだしたのだ。)

いたのだ。それを、今、異常に鋭くなった嗅覚が、ふと思い出したのだ。

(あれはみたにのたいしゅうであった。くちびるのないかいぶつは、みたにせいねんとまったくおなじたいしゅうをもって)

あれは三谷の体臭であった。唇のない怪物は、三谷青年と全く同じ体臭を持って

(いたのだ。まあ、なんてばかばかしいあんごうでしょう。ほんとうにほんとうに、わたしのはなは)

いたのだ。「マア、なんて馬鹿馬鹿しい暗合でしょう。本当に本当に、私の鼻は

(きがちがってしまったのだわ はなばかりではなく、あたままでもくるってしまったのでは)

気が違ってしまったのだわ」鼻ばかりではなく、頭までも狂ってしまったのでは

(ないかと、あまりのことに、しずこはそらおそろしくなった。だが、どくしゃしょくん、)

ないかと、あまりのことに、倭文子は空恐ろしくなった。だが、読者諸君、

(このふたつのふしぎなにおいのいっちは、ししゅうといどのなかのにおい、みたにのたいしゅうと)

この二つの不思議な匂いの一致は、屍臭と井戸の中の匂い、三谷の体臭と

(くちびるのないおとこのそれとのにじゅうのふごうは、はたしてしずこのさっかくにすぎなかった)

唇のない男のそれとの二重の符合は、果して倭文子の錯覚に過ぎなかった

(であろうか。もしや、そこに、なにかしらおそろしいひみつがふくざいするのでは)

であろうか。若しや、そこに、何かしら恐ろしい秘密が伏在するのでは

(あるまいか。とりとめもないもうそうと、きょうふのうちによるがあけた。ほそいすきまから、)

あるまいか。取りとめもない妄想と、恐怖の内に夜が明けた。細い隙間から、

(ひつぎないにしのびこむうすあかり。やがて、ひとのあしおと、はなしごえ。しずこは、ああまだ)

棺内に忍び込む薄明り。やがて、人の足音、話し声。倭文子は、アアまだ

(このよにいたのかと、はっときをひきしめた。みうごきをしてはいけない。おとを)

この世にいたのかと、ハッと気を引しめた。身動きをしてはいけない。音を

(たててはならぬ。いきをするにもきをかね、わがしんぞうのこどうにさえびくびくした。)

立ててはならぬ。息をするにも気を兼ね、我が心臓の鼓動にさえビクビクした。

(それからしゅっかんまでのすうじかんが、かのじょにとって、どれほどのじごくであったか。まるで)

それから出棺までの数時間が、彼女にとって、どれ程の地獄であったか。まるで

(ながいながいいっしょうのようにさえかんじられた。だが、やっと、どきょうがすんで、しゅっかんの)

長い長い一生の様にさえ感じられた。だが、やっと、読経が済んで、出棺の

(じこくがきた。ひつぎをはこぶために、にんぷのあしおとがちかづいて、よっこらしょと、)

時刻が来た。棺を運ぶ為に、人夫の足音が近づいて、ヨッコラショと、

(しずこたちのからだははげしくゆれた。そのひょうしに、ああどうしよう。しげるしょうねんがめを)

倭文子達の体ははげしく揺れた。その拍子に、アアどうしよう。茂少年が目を

(さましたのだ。しげるにこえをたてられたら、なにもかもおしまいだとおもうと、しずこは)

覚ましたのだ。茂に声を立てられたら、何もかもおしまいだと思うと、倭文子は

(ぞっとした。しげるちゃん、かあさまはここにいますよ。こわくはないのよ。)

ゾッとした。「茂ちゃん、母さまはここにいますよ。怖くはないのよ。

(こわくはないのよ くちをきくわけにはいかぬので、りょうてをのばして、したのほうにいる)

怖くはないのよ」口を利く訳には行かぬので、両手を伸ばして、下の方にいる

(わがこのほおをかるくたたき、そのこころをつたえた。ちょうどそのとき、ひつぎがまたひとつおおきくゆれた)

我子の頬を軽く叩き、その心を伝えた。丁度その時、棺がまた一つ大きくゆれた

(かとおもうと、にんぷのどらごえが、こいつあ、おもいほとけさまだぞ とりきむのが、)

かと思うと、人夫のドラ声が、「こいつあ、重い仏様だぞ」と力むのが、

(きこえてきた。しずこは、もしやしがいのみがわりが、ばれはしないかと、)

聞こえて来た。倭文子は、若しや死骸の身代りが、ばれはしないかと、

(ぎょっとして、みをすくめたが、にんぷたちはふかくもうたがうようすはなく、ひつぎはそのまま)

ギョッとして、身をすくめたが、人夫達は深くも疑う様子はなく、棺はそのまま

(おもてへかつぎだされた。)

表へ担ぎ出された。

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