晩年 ⑰

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投稿者投稿者Sawajiいいね1お気に入り登録
プレイ回数664難易度(4.2) 3371打 長文 かな
太宰 治

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問題文

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(そのひのごごに、わたしは、ちかごろまちからあたらしくかよいだしたはいいろのほろの)

その日の午後に、私は、近ごろまちからあたらしく通い出した灰色の幌の

(かかってあるそまつなのりあいじどうしゃにゆすぶられながら、こきょうをさった。)

かかってあるそまつな乗合自動車にゆすぶられながら、故郷を去った。

(うちのひとたちはばしゃでいけ、といったのだが、じょうもんのついてくろく)

うちの人たちは馬車で行け、と言ったのだが、定紋のついて黒く

(てかてかひかったうちのはこばしゃは、とのさまくさくてわたしにはいやだったのである。)

てかてか光ったうちの箱馬車は、殿様くさくて私にはいやだったのである。

(わたしは、みよとふたりしてつみとったひとかごのぶどうをひざのうえにのせて、)

私は、みよとふたりして摘みとった一籠の葡萄を膝の上にのせて、

(らくようのしきつめたいなかみちをいみふかくながめた。わたしはまんぞくしていた。)

落葉のしきつめた田舎道を意味ふかく眺めた。私は満足していた。

(あれだけのおもいででもみよにうえつけてやったのはわたしとしてせいいっぱいの)

あれだけの思い出でもみよに植えつけてやったのは私として精いっぱいの

(ことである、とおもった。みよはもうわたしのものにきまった、とあんしんした。)

ことである、と思った。みよはもう私のものにきまった、と安心した。

(そのとしのふゆやすみは、ちゅうがくせいとしてのさいごのきゅうかであったのである。)

そのとしの冬やすみは、中学生としての最後の休暇であったのである。

(ききょうのひのちかくなるにつれて、わたしとおとうとはいくぶんのきまずさをおたがいにかんじていた)

帰郷の日のちかくなるにつれて、私と弟は幾分の気まずさをお互いに感じていた

(いよいよともにふるさとのいえへかえってきて、わたしたちはまずだいどころのいしのろばたに)

いよいよ共にふるさとの家へ帰って来て、私たちは先ず台所の石の炉ばたに

(むかいあってあぐらをかいて、それからきょろきょろとうちのなかを)

向かいあってあぐらをかいて、それからきょろきょろとうちの中を

(みわたしたのである。みよがいないのだ。わたしたちはにどもさんどもふあんなひとみを)

見わたしたのである。みよがいないのだ。私たちは二度も三度も不安な瞳を

(ぶっつけあった。そのひ、ゆうはんをすませてから、わたしたちはじけいにさそわれて)

ぶっつけ合った。その日、夕飯をすませてから、私たちは次兄に誘われて

(かれのへやへいき、さんにんしてこたつにはいりながらとらんぷをしてあそんだ。)

彼の部屋へ行き、三人して火燵にはいりながらトランプをして遊んだ。

(わたしにはとらんぷのどのふだもただまっくろにみえていた。)

私にはトランプのどの札もただまっくろに見えていた。

(はなしのなにかいいついでがあったから、おもいきってじけいにたずねた。)

話の何かいいついでがあったから、思い切って次兄に尋ねた。

(じょちゅうがひとりたりなくなったようだが、とてにもっているごろくまいのとらんぷで)

女中がひとりたりなくなったようだが、と手に持っている五六枚のトランプで

(かおをおおうようにしつつ、よねんなさそうなくちょうでいった。もしじけいがつっこんで)

顔を被うようにしつつ、余念なさそうな口調で言った。もし次兄が突っ込んで

(きたら、さいわいおとうともいあわせていることだし、はっきりいってしまおうと)

来たら、さいわい弟も居合わせていることだし、はっきり言ってしまおうと

など

(こころにきめていた。じけいは、じぶんのてのふだをくびかしげかしげしてあれこれと)

心にきめていた。次兄は、自分の手の札を首かしげかしげしてあれこれと

(だしまよいながら、みよか、みよはばあさまとけんかしてさとさもどった、)

出し迷いながら、みよか、みよは婆様と喧嘩して里さ戻った、

(あれはいじっぱりだぜえ、とつぶやいて、ひらっといちまいすてた。わたしもいちまいなげた。)

あれは意地っぱりだぜえ、と呟いて、ひらっと一枚捨てた。私も一枚投げた。

(おとうともだまっていちまいすてた。それからしごにちして、わたしはけいしゃのばんごやをおとずれ、)

弟も黙って一枚捨てた。それから四五日して、私は鶏舎の番小屋を訪れ、

(そこのばんにんであるしょうせつのすきなせいねんから、もっとくわしいはなしをきいた。)

そこの番人である小説の好きな青年から、もっとくわしい話を聞いた。

(みよは、あるげなんにたったいちどよごされたのを、ほかのじょちゅうたちにしられて、)

みよは、ある下男にたったいちどよごされたのを、ほかの女中たちに知られて、

(わたしのうちにいたたまらなくなったのだ。おとこは、ほかにもいろいろわるいことを)

私のうちにいたたまらなくなったのだ。男は、他にもいろいろ悪いことを

(したので、そのときはすでにわたしのうちからだされていた。それにしても、せいねんは)

したので、そのときは既に私のうちから出されていた。それにしても、青年は

(すこしいいすぎた。みよは、やめせ、やめせ、とあとでささやいた、と)

すこし言い過ぎた。みよは、やめせ、やめせ、とあとで囁いた、と

(そのおとこのてがらばなしまでそえて。)

その男の手柄話まで添えて。

(しょうがつがすぎて、ふゆやすみもおわりにちかづいたころ、わたしはおとうととふたりで、)

正月がすぎて、冬やすみも終わりに近づいた頃、私は弟とふたりで、

(ぶんこぐらへはいってさまざまなぞうしょやじくものをみてあそんでいた。たかいあかりまどから)

文庫蔵へはいってさまざまな蔵書や軸物を見てあそんでいた。高いあかり窓から

(ゆきのふっているのがちらちらみえた。ちちのだいからちょうけいのだいにうつると、)

雪の降っているのがちらちら見えた。父の代から長兄の代にうつると、

(うちのへやべやのかざりつけから、こういうぞうしょやじくもののたぐいまで、ひたひたと)

うちの部屋部屋の飾りつけから、こういう蔵書や軸物の類まで、ひたひたと

(かわっていくのを、わたしはききょうのたびごとに、きょうふかくながめていた。)

変って行くのを、私は帰郷の度毎に、興深く眺めていた。

(わたしはちょうけいがちかごろあたらしくもとめたらしいいっぽんのじくものをひろげてみていた。)

私は長兄がちかごろあたらしく求めたらしい一本の軸物をひろげて見ていた。

(やまぶきがみずにちっているえであった。おとうとはわたしのそばへ、おおきなしゃしんばこを)

山吹が水に散っている絵であった。弟は私の傍へ、大きな写真箱を

(もちだしてきて、なんびゃくまいものしゃしんを、つめたくなるゆびさきへときどきしろいいきを)

持ち出して来て、何百枚もの写真を、冷たくなる指先へときどき白い息を

(はきかけながら、せっせとみていた。しばらくして、おとうとはわたしのほうへ、まだだいしの)

吐きかけながら、せっせと見ていた。しばらくして、弟は私の方へ、まだ台紙の

(あたらしいてふだがたのしゃしんをいちまいのべてよこした。みると、みよがさいきんわたしのははの)

新しい手札型の写真をいちまいのべて寄こした。見ると、みよが最近私の母の

(ともをして、おばのいえへでもいったらしく、そのとき、おばとさんにんしてうつした)

供をして、叔母の家へでも行ったらしく、そのとき、叔母と三人してうつした

(しゃしんのようであった。ははがひとりひくいそふぁにすわって、そのうしろにおばと)

写真のようであった。母がひとり低いソファに坐って、そのうしろに叔母と

(みよがおなじせたけぐらいでならんでたっていた。はいけいはばらのさきみだれた)

みよが同じ脊たけぐらいで並んで立っていた。背景は薔薇の咲き乱れた

(はなぞのであった。わたしたちは、おたがいのあたまをよせつつ、なおちょっとのあいだそのしゃしんに)

花園であった。私たちは、お互いの頭をよせつつ、なお鳥渡の間その写真に

(めをそそいだ。わたしは、こころのなかでとっくにおとうととわかいをしていたのだし、)

眼をそそいだ。私は、こころの中でとっくに弟と和解をしていたのだし、

(みよのあのことも、ぐずぐずしておとうとにはまだしらせてなかったし、)

みよのあのことも、ぐずぐずして弟にはまだ知らせてなかったし、

(わりにおちつきをよそおうてそのしゃしんをながめることができたのである。)

わりにおちつきを装うてその写真を眺めることができたのである。

(みよは、うごいたらしくかおからむねにかけてりんかくがぼっとしていた。おばはりょうてを)

みよは、動いたらしく顔から胸にかけて輪郭がぼっとしていた。叔母は両手を

(おびのうえにくんでまぶしそうにしていた。わたしは、にているとおもった。)

帯の上に組んでまぶしそうにしていた。私は、似ていると思った。

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