晩年 74

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プレイ回数589難易度(4.2) 4660打 長文 かな
太宰 治

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問題文

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(がんぐ)

玩 具

(どうにかなる。どうにかなろうといちにちいちにちをむかえてそのままおくっていって)

どうにかなる。どうにかなろうと一日一日を迎えてそのまま送っていって

(くらしているのであるが、それでも、なんとしても、どうにもならなくなって)

暮らしているのであるが、それでも、なんとしても、どうにもならなくなって

(しまうばあいがある。そんなばあいになってしまうと、わたしはいとのきれたたこのように)

しまう場合がある。そんな場合になってしまうと、私は糸の切れた紙凧のように

(ふわふわせいかへふきもどされる。ふだんぎのままぼうしもかぶらずとうきょうからにひゃくり)

ふわふわ生家へ吹きもどされる。普段着のまま帽子もかぶらず東京から二百里

(はなれたせいかのげんかんへふところでしてしずかにはいるのである。りょうしんのいまのふすまを)

はなれた生家の玄関へ懐手して静かにはいるのである。両親の居間の襖を

(するするあけて、しきいのうえにちょりつすると、むしめがねでしんぶんのせいじめんをひくく)

するするあけて、敷居のうえに佇立すると、虫眼鏡で新聞の政治面を低く

(おんどくしているちちも、そのかたわらでさいほうをしているははも、かおつきをかえて)

音読している父も、そのかたわらで裁縫をしている母も、顔つきを変えて

(たちあがる。ときによっては、はははひいというけんぷをひきさくようなさけびを)

立ちあがる。ときに依っては、母はひいという絹布を引き裂くような叫びを

(あげる。しばらくわたしのすがたをみつめているうちに、わたしにはにきびもあり、)

あげる。しばらく私のすがたを見つめているうちに、私には面皰もあり、

(あしもあり、ゆうれいでないということがわかって、ちちはふんぬのおにとかし、はははなきふす)

足もあり、幽霊でないということが判って、父は憤怒の鬼と化し、母は泣き伏す

(もとよりわたしは、とうきょうをはなれたしゅんかんから、しんだふりをしているのである。)

もとより私は、東京を離れた瞬間から、死んだふりをしているのである。

(どのようなあくばをちちからうけても、どのようなあいそをははからうけても、)

どのような悪罵を父から受けても、どのような哀訴を母から受けても、

(わたしはただふかかいなびしょうでもっておうずるだけなのである。はりのむしろにすわったおもいと)

私はただ不可解な微笑でもって応ずるだけなのである。針の筵に坐った思いと

(よくひとはいうけれども、わたしはうんむのむしろにすわったおもいで、ただぼんやり)

よく人は言うけれども、私は雲霧の筵に坐った思いで、ただぼんやり

(しているのである。ことしのなつも、おなじことであった。わたしにはさんびゃくえん、)

しているのである。ことしの夏も、同じことであった。私には三百円、

(それだけがひつようであったのである。わたしはびんぼうがきらいなのである。いきている)

それだけが必要であったのである。私は貧乏が嫌いなのである。生きている

(かぎりは、ひとにごちそうをし、だてなきものをきていたいのである。せいかには)

限りは、ひとに御馳走をし、伊達な着物を着ていたいのである。生家には

(ごじゅうえんとげんきんがない。それもしっている。けれどもわたしはせいかのどぞうのおくすみに)

五十円と現金がない。それも知っている。けれども私は生家の土蔵の奥隅に

(なおにさんじゅっこのたからもののあることをもしっている。わたしはそれを)

なおニ三十個のたからもののあることをも知っている。わたしはそれを

など

(ぬすむのである。わたしはすでにさんど、ぬすみをくりかえし、ことしのなつでよんどめである。)

盗むのである。私は既に三度、盗みを繰り返し、ことしの夏で四度目である。

(ここまでのぶんしょうにはわたしはゆるがぬじふをもつ。こまったのは、ここからわたしの)

ここまでの文章には私はゆるがぬ自負を持つ。困ったのは、ここから私の

(しせいである。わたしはこのがんぐというだいもくのしょうせつにおいて、しせいのかんぺきをしめそうか、)

姿勢である。私はこの玩具という題目の小説に於いて、姿勢の完璧を示そうか、

(じょうねんのもはんをしめそうか。けれどもわたしはちゅうしょうてきなもののいいかたをあたうかぎり、)

情念の模範を示そうか。けれども私は抽象的なものの言いかたを能う限り、

(ぎりぎりにつつしまなければいけない。なんとも、はたしがつかないからである。)

ぎりぎりにつつしまなければいけない。なんとも、果しがつかないからである。

(ひとことりくつをいいだしたらさいご、あとからあとから、まだまだとぜんげんを)

一こと理屈を言いだしたら最後、あとからあとから、まだまだと前言を

(おいかけていって、とうとうせんまんごとのちゅうしゃく。そうしてあとにのこるものは、)

追いかけていって、とうとう千万言の註釈。そうして跡にのこるものは、

(ずつうとはつねつと、ああばかなことをいったというじせき。つづいてくそがめにおちて)

頭痛と発熱と、ああ莫迦なことを言ったという自責。つづいて糞甕に落ちて

(できししたいというほっさ。わたしをしんじなさい。わたしはいまこんなしょうせつをかこうと)

溺死したいという発作。私を信じなさい。私はいまこんな小説を書こうと

(おもっているのである。わたしというひとりのおとこがいて、それがあるなんでもない)

思っているのである。私というひとりの男がいて、それが或るなんでもない

(ほうほうによって、おのれのさんさいにさいいっさいのときのきおくをよみがえらす。わたしはそのおとこの)

方法によって、おのれの三歳二歳一歳のときの記憶を甦らす。私はその男の

(さんさいにさいいっさいのおもいでをじょじゅつするのであるが、これはかならずしもかいきしょうせつでない。)

三歳二歳一歳の思い出を叙述するのであるが、これは必ずしも怪奇小説でない。

(あかごのなんかいにたしょうのきょうをおぼえ、こちつをひとつとおもってげんこうようしをひろげた)

赤児の難解に多少の興を覚え、こちつをひとつと思って原稿用紙をひろげた

(だけのことである。それゆえこのしょうせつのぞうふといえば、あるひとりのおとこの)

だけのことである。それゆえこの小説の臓腑といえば、あるひとりの男の

(さんさいにさいいっさいのおもいでなのである。そのよのことはかかずともよい。)

三歳二歳一歳の思い出なのである。その余のことは書かずともよい。

(おもいだせばわたしがみっつのとき、というようなかきだしから、だらだらとおもいでばなしを)

思い出せば私が三つのとき、というような書きだしから、だらだらと思い出話を

(かきつづっていって、にさいいっさい、しまいにはおのれのたんじょうのときのおもいでをじょじゅつし)

書き綴っていって、二歳一歳、しまいにはおのれの誕生のときの思い出を叙述し

(それからおもむろにふでをおいたら、それでよいのである。けれどもここに、)

それからおもむろに筆を擱いたら、それでよいのである。けれどもここに、

(しせいのかんぺきをしめそうか、じょうねんのもはんをしめそうか、というもんだいがすでにたっている)

姿勢の完璧を示そうか、情念の模範を示そうか、という問題がすでに起っている

(しせいのかんぺきというのは、てくだのことである。あいてをすかしたり、なだめたり、)

姿勢の完璧というのは、手管のことである。相手をすかしたり、なだめたり、

(もちろんちょいちょいおどしたりしながらはなしをすすめ、ああよいころおいだなと)

もちろんちょいちょい威したりしながら話をすすめ、ああよい頃おいだなと

(みてとったなら、なにかしらいみふかげなひとこととともにふっとおのがすがたをかきけす)

見てとったなら、何かしら意味ふかげな一言とともにふっとおのが姿を掻き消す

(いや、まったくかきけしてしまうわけではない。すばやくしょうじのかげにみをひそめて)

いや、全く掻き消してしまうわけではない。素早く障子のかげに身をひそめて

(みるだけなのである。やがてしょうじのかげからむじゃきなえがおをあらわしたときには、)

みるだけなのである。やがて障子のかげから無邪気な笑顔を表したときには、

(あいてのからだはいのままになるじょうたいにあるであろう。てくだというのは、たとえば)

相手のからだは意のままになる状態に在るであろう。手管というのは、たとえば

(こんなぐあいのじゅつのことであって、ひとりのさっかのしんしなしょうじんのたいしょうである。)

こんな工合いの術のことであって、ひとりの作家の真摯な精進の対象である。

(わたしもまた、そのようなてくだはいやでなく、このあかごのおもいでばなしにひとつたくみな)

私もまた、そのような手管はいやでなく、この赤児の思い出話にひとつ巧みな

(てくだをもちいようとくわだてたのである。ここらでわたしは、わたしのたいどをはっきりきめて)

手管を用いようと企てたのである。ここらで私は、私の態度をはっきりきめて

(しまうひつようがある。わたしのうそがそろそろくずれかけてきたのをかんじるからである。)

しまう必要がある。私の嘘がそろそろ崩れかけて来たのを感じるからである。

(わたしはしせいのかんぺきからだんだんはなれていっているようにみせつけながら、)

私は姿勢の完璧からだんだん離れていっているように見せつけながら、

(いつまたそれにかえっていってもけがのないようにようじんにようじんをかさねながらふでを)

いつまたそれに返っていっても怪我のないように用心に用心を重ねながら筆を

(はこんできたのである。かきだしのすうぎょうをそのままけさずにおいたところから)

運んで来たのである。書きだしの数行をそのまま消さずに置いたところから

(みても、すぐにそれとさっしがつくはずである。しかもそのすうぎょうを、ゆるがぬじふを)

見ても、すぐにそれと察しがつく筈である。しかもその数行を、ゆるがぬ自負を

(もつなどというきんいろのくさりでもってどくしゃのむねにむすびつけておいたことは、)

持つなどという金色の鎖でもって読者の胸にむすびつけて置いたことは、

(これこそなかなかのてくだでもあろう。じじつ、わたしはかえるつもりでいた。)

これこそなかなかの手管でもあろう。事実、私は返るつもりでいた。

(はじめにすこしかきかけておいたあのようなひとりのおとこが、どうしておのれの)

はじめに少し書きかけて置いたあのようなひとりの男が、どうしておのれの

(さんさいにさいいっさいのときのきおくをとりもどそうとおもいたったか、どうしてきおくを)

三歳二歳一歳のときの記憶を取り戻そうと思いたったか、どうして記憶を

(とりもどしえたか、なお、そのきおくをとりもどしたばかりにおとこはどんなめに)

取り戻し得たか、なお、その記憶を取り戻したばかりに男はどんな目に

(あったか、わたしはそれらすべてよういしていた。それらをあかごのおもいでばなしの)

逢ったか、私はそれらすべて用意していた。それらを赤児の思い出話の

(あとさきにつけくわえて、そうしてしせいのかんぺきと、じょうねんのもはんと、ふたつながら)

あとさきに附け加えて、そうして姿勢の完璧と、情念の模範と、二つながら

(かねそなえたものがたりをせいさくするつもりでいた。)

兼ね具えた物語を制作するつもりでいた。

(もはやわたしをけいかいするひつようはあるまい。 わたしはかきたくないのである。)

もはや私を警戒する必要はあるまい。 私は書きたくないのである。

(かこうか。わたしのあかごのときのおもいでだけでもよいのなら、いちにちにたった)

書こうか。私の赤児のときの思い出だけでもよいのなら、一日にたった

(ごろくぎょうずつかいていってもよいのなら、きみだけでもていねいにていねいによんで)

五六行ずつ書いていってもよいのなら、君だけでも丁寧に丁寧に読んで

(くれるというのなら。よし。いつなるともわからぬこのやくざなしごとの)

呉れるというのなら。よし。いつ成るとも判らぬこのやくざな仕事の

(かどでをいわい、きみとふたりでつつましくかんぱいしよう。しごとはそれからである。)

首途を祝い、君とふたりでつつましく乾杯しよう。仕事はそれからである。

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