晩年 ㉒

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プレイ回数797難易度(4.2) 4635打 長文 かな
太宰 治

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問題文

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(そのひのことである。やくしまのこいどまりむらのとうべえというひとが、まつしたというところで)

その日のことである。屋久島の恋泊村の藤兵衛という人が、松下というところで

(すみをやくためのきをきっていると、うしろのほうでひとのこえがした。ふりむくと、)

炭を焼くための木を伐っていると、うしろの方で人の声がした。ふりむくと、

(かたなをさしたさむらいが、なつこだちのあおいひかげをあびてたっていた。)

刀をさしたさむらいが、夏木立の青い日陰を浴びて立っていた。

(しろおてである。かみをそってさかやいをこしらえていた。あのあさぎいろのきものを)

シロオテである。髪を剃ってさかやいをこしらえていた。あの浅黄色の着物を

(きて、かたなをおび、かなしいめをしてたっていた。しろおてはかたてをあげて)

着て、刀を帯、かなしい眼をして立っていた。シロオテは片手をあげて

(おいでおいでをしつつ、できしょなありよむでおぼえたにほんのことばを)

おいでおいでをしつつ、デキショナアリヨムで覚えた日本の言葉を

(ふたつみっつうたった。しかし、それはふしぎなことばであった。できしょなありよむが)

二つ三つ歌った。しかし、それは不思議な言葉であった。デキショナアリヨムが

(ふかんぜんだったのである。とうべえはいくどとなくくびをふってかんがえた。ことばよりどうさが)

不完全だったのである。藤兵衛は幾度となく首を振って考えた。言葉より動作が

(やくにたった。しろおてはりょうてでみずをすくってのむまねを、はげしくくりかえした。)

役に立った。シロオテは両手で水を掬って呑む真似を、烈しく繰り返した。

(とうべえはもちあわせのうつわにみずをくんで、そうげんのうえにさしおき、いそいで)

藤兵衛は持ち合わせの器に水を汲んで、草原の上にさし置き、いそいで

(あとずさりした。しろおてはそのみずをいっきにのんでしまって、)

後ずさりした。シロオテはその水を一気に呑んでしまって、

(またおいでおいでをした。とうべえはしろおてのかたなをおそれてちかよらなかった。)

またおいでおいでをした。藤兵衛はシロオテの刀をおそれて近よらなかった。

(しろおてはとうべえのこころをさとったとみえて、やがてかたなをさやながらぬいてさしだし)

シロオテは藤兵衛の心をさとったと見えて、やがて刀を鞘ながら抜いて差し出し

(また、あやしいことばをさけぶのであった。とうべえはみをひるがえしてにげた。)

また、あやしい言葉を叫ぶのであった。藤兵衛は身をひるがえして逃げた。

(きのうのおおぶねのものにちがいない、ときづいたのである。)

きのうの大船のものにちがいない、と気附いたのである。

(いそべにでて、かなたこなたをみまわしたが、あのほかけぶねのかげもみえず、また、)

磯辺に出て、かなたこなたを見廻したが、あの帆掛船の影も見えず、また、

(ほかのひとのいるけはいもなかった。ひきかえしてむらへかけこんで、やすべえというひとに)

他の人のいるけはいもなかった。引返して村へ駆けこんで、安兵衛という人に

(たのみ、きたいなものをみつけたゆえ、まいりくれるよう、むらじゅうへふれさせた。)

たのみ、奇態なものを見つけたゆえ、参り呉れるよう、村中へ触れさせた。

(こうしてしろおては、やあぱんにあのつちをふむふまぬかのうちに、そのへんそうを)

こうしてシロオテは、ヤアパンニアの土を踏む踏まぬかのうちに、その変装を

(みやぶられ、しまのやくにんにとらえらた。ろおまんでさんねんのとしつきにほんのしゅうぞくと)

見破られ、島の役人に捕らえらた。ロオマンで三年のとしつき日本の習俗と

など

(ことばをべんきょうしたことが、なんのたしにもならなかったのである。)

言葉を勉強したことが、なんのたしにもならなかったのである。

(しろおては、ながさきへごそうされた。ばてれんらしきものとしてながさきのごくしゃに)

シロオテは、長崎へ護送された。伴天連らしきものとして長崎の獄舎に

(おかれたのである。しかし、ながさきのぶぎょうたちは、しろおてをもてあまして)

置かれたのである。しかし、長崎の奉行たちは、シロオテを持てあまして

(しまった。おらんだのつうじたちに、しろおてのにほんへわたってきたわけを)

しまった。阿蘭陀の通事たちに、シロオテの日本へ渡って来たわけを

(しらべさせたけれど、しろおてのことばがにほんごのようではありながらはつおんや)

調べさせたけれど、シロオテの言葉が日本語のようではありながら発音や

(あくせんとのちがうせいか、えど、ながさき、きりしたん、などのことばしか)

アクセントの違うせいか、エド、ナガサキ、キリシタン、などの言葉しか

(ききわけることができなかったのである。おらんだじんをはいきょうしゃのゆえをもってか、)

聞きわけることができなかったのである。阿蘭陀人を背教者の故をもってか、

(ずいぶんにくがっているようなそぶりもみえるので、おらんだじんをしてちょくせつ)

ずいぶん憎がっているような素振りも見えるので、阿蘭陀人をして直接

(しろおてとたいだんさせることもならず、ぶぎょうたちはたいへんこまった。)

シロオテと対談させることもならず、奉行たちはたいへん困った。

(ひとりのぶぎょうは、いっさくとして、ほうていのうしろのしょうじのかげにふとったおらんだじんを)

ひとりの奉行は、一策として、法廷のうしろの障子の蔭にふとった阿蘭陀人を

(ひそませておいて、しろおてをじんもんしてみた。ほかのぶぎょうたちも、)

ひそませて置いて、シロオテを訊問してみた。ほかの奉行たちも、

(これをいいおもいつきであるとしてきたいした。さて、ぶぎょうとしろおてとは、)

これをいい思いつきであるとして期待した。さて、奉行とシロオテとは、

(わけのわからぬもんどうをはじめた。しろおては、いかにもしてそのおもうところを)

わけの判らぬ問答をはじめた。シロオテは、いかにもしてその思うところを

(いいあらわしじぶんのしめいをりょうかいさせたいとむなしいくもんをしているようであった)

言いあらわし自分の使命を了解させたいとむなしい苦悶をしているようであった

(よいかげんのところでじんもんをきりあげてから、ぶぎょうたちはしょうじのかげのおらんだじんに)

よい加減のところで訊問を切りあげてから、奉行たちは障子のかげの阿蘭陀人に

(どうだ、とたずねた。おらんだじんは、とんとわからぬ、とこたえた。)

どうだ、と尋ねた。阿蘭陀人は、とんとわからぬ、と答えた。

(だいいちおらんだじんには、ろおまんのことばがわからぬうえに、まして、)

だいいち阿蘭陀人には、ロオマンの言葉がわからぬうえに、まして、

(そのいうところはなかばにほんのことばもまじっているのであるから、なおなお、)

その言うところは半ば日本の言葉もまじっているのであるから、猶々、

(ききわけることがむずかしかったのであろう。ながさきでは、とうとうじんもんに)

聞きわけることがむずかしかったのであろう。長崎では、とうとう訊問に

(ぜつぼうして、このことをえどへじょうそした。えどでこのとりしらべにあたったのは、)

絶望して、このことを江戸へ上訴した。江戸でこの取調べに当たったのは、

(あらいはくせきである。ながさきのぶぎょうたちがしろおてをきゅうもんしてしっぱいしたのはほうえいごねんの)

新井白石である。長崎の奉行たちがシロオテを糾問して失敗したのは宝永五年の

(ふゆのことであるが、そのうちにとしもくれて、あくるほうえいろくねんのしょうがつに)

冬のことであるが、そのうちに年も暮れて、あくる宝永六年の正月に

(しょうぐんがしに、あたらしいしょうぐんがかわってなった。そういうおおきなさわぎのために)

将軍が死に、あたらしい将軍が代わってなった。そういう大きなさわぎのために

(しろおてはわすれられていた。ようようそのとしのじゅういちがつのはじめになって、)

シロオテは忘れられていた。ようようその年の十一月のはじめになって、

(しろおてはえどへしょうかんされた。しろおてはながさきからえどまでのちょうとをかごに)

シロオテは江戸へ召喚された。シロオテは長崎から江戸までの長途を駕籠に

(ゆられながらやってきた。たびのあいだは、くるひもくるひも、やきぐりよっつ、)

ゆられながらやって来た。旅のあいだは、来る日も来る日も、焼栗四つ、

(みかんふたつ、ほしがきいつつ、まるがきふたつ、ぱんひとつをやくにんからあたえられて、)

蜜柑二つ、干柿五つ、丸柿二つ、パン一つを役人から与えられて、

(わびしげにたべていた。あらいはくせきは、しろおてとのかいけんをこころまちにしていた。)

わびしげに食べていた。新井白石は、シロオテとの会見を心待ちにしていた。

(しらいしはことばについてしんぱいをした。とりわけ、ちめいやじんめいまたはきりしたんのきょうほうじょうの)

白石は言葉について心配をした。とりわけ、地名や人名または切支丹の教法上の

(じゅつごなどには、きっとなやまされるであろうとかんがえた。しらいしは、えどこひなたに)

術語などには、きっとなやまされるであろうと考えた。白石は、江戸小日向に

(あるきりしたんやしきからばんごにかんするぶんけんをとりよせて、したしらべをした。)

ある切支丹屋敷から蛮語に関する文献を取り寄せて、下調べをした。

(しろおては、ほどなくえどにとうちゃくしてきりしたんやしきにはいった。)

シロオテは、程なく江戸に到着して切支丹屋敷にはいった。

(じゅういちがつにじゅうににちをもってじんもんをかいしするようにきめた。ときのきりしたんぶぎょうは)

十一月二十二日をもって訊問を開始するようにきめた。ときの切支丹奉行は

(よこたびっちゅうのかみとやなぎさわはちろうえもんのふたりであった。)

横田備中守と柳沢八郎右衛門のふたりであった。

(しらいしは、まえもってこのひとたちとうちあわせをしておいて、とうじつはあさはやくから)

白石は、まえもってこの人たちと打ち合わせをして置いて、当日は朝はやくから

(きりしたんやしきにでかけていき、ぶぎょうたちとともに、しろおてのたずさえてきたほうえや)

切支丹屋敷に出掛けて行き、奉行たちと共に、シロオテの携えて来た法衣や

(かへいやかたなやそのほかのしなものをけんさし、また、ながさきからしろおてにつきそうてきた)

貨幣や刀やその他の品物を検査し、また、長崎からシロオテに附き添うてきた

(つうじたちをまねきよせて、たとえばいま、ながさきのひとをしてむつのほうげんを)

通事たちを招き寄せて、たとえばいま、長崎のひとをして陸奥の方言を

(きかせたとしても、とおにしちはちはつうじるであろう、ましていたりやとおらんだとは、)

聴かせたとしても、十に七八は通じるであろう、ましてイタリヤと阿蘭陀とは、

(わたしがばんこくのずをみてしらべたところによると、ながさきむつのあいだよりは)

私が万国の図を見てしらべたところに依ると、長崎陸奥のあいだよりは

(あいさることちかいのであるから、おらんだのことばでもっていたりやのことばを)

相さること近いのであるから、阿蘭陀の言葉でもってイタリヤの言葉を

(おしはかることもさほどむずかしいとはおもわれぬ、わたしもそのこころして)

押しはかることもさほどむずかしいとは思われぬ、私もそのこころして

(きこうゆえ、かたがたもめいめいのこころにおしはかり、おもうところをわたしに)

聞こう故、かたがたもめいめいの心に推しはかり、思うところを私に

(もうしてくれ、たちえかたがたのすいりょうにひがごとがあっても、)

申して呉れ、たちえかたがたの推量にひがごとがあっても、

(それはとがむべきでない、ぶぎょうのひとたちもつうじのごやくをばっせぬよう、とさとした。)

それは咎むべきでない、奉行の人たちも通事の誤訳を罰せぬよう、と諭した。

(ひとびとは、しょうちした、とこたえてしんもんのせきにのぞんだ。そのときのだいつうじは)

人々は、承知した、と答えて審問の席に臨んだ。そのときの大通事は

(いまむらげんえもん。けいこつうじはしながわへいじろう、かふくよしぞう。)

今村源右衛門。稽古通事は品川兵次郎、加福喜蔵。

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