晩年 ㉔

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太宰 治

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問題文

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(それからとおかたってじゅうにがつのよっかに、しらいしはまたしろおてをめしいだし、)

それから十日経って十二月の四日に、白石はまたシロオテを召し出し、

(にほんにわたってきたことのよしをもとい、いかなるほうをにほんにひろめようと)

日本に渡って来たことの由をも問い、いかなる法を日本にひろめようと

(おもうのか、とたずねたのである。そのひはあさからゆきがふっていた。)

思うのか、とたずねたのである。その日は朝から雪が降っていた。

(しろおてはふりしきるゆきのなかで、よろこびにたえぬかおをして、わたしがろくねんさきに)

シロオテは降りしきる雪の中で、悦びに堪えぬ貌をして、私が六年さきに

(やあぱんにあにつかいするようほんしよりいいつけられ、うけたまわってばんりのふうろうを)

ヤアパンニアに使するよう本師より言いつけられ、承って万里の風浪を

(そのぎきて、ついにこくとへついた。しかるに、きょうしもほんごくにあっては)

そのぎ来て、ついに国都へついた。しかるに、きょうしも本国にあっては

(しんねんのはじめのひとして、ひと、みな、あいがするのである、このよきひにわがほうを)

新年の初めの日として、人、皆、相賀するのである、このよき日にわが法を

(かたがたにとくとは、なんというしあわせなことであろう、とみをふるわせて)

かたがたに説くとは、なんという仕合せなことであろう、と身をふるわせて

(そのよろこびをのべ、めんめんとしゅうもんのたいいをときつくしたのであった。)

そのよろこびを述べ、めんめんと宗門の大意を説きつくしたのであった。

(でうすがはらいそをつくってむりょうむすうのあんぜるすをおいたことか、)

デウスがハライソを作って無量無数のアンゼルスを置いたことか、

(あだん、えわのしゅっしょうとだらくについて。のえのはこぶねのことや、もいせすの)

アダン、エワの出生と堕落について。ノエの箱舟のことや、モイセスの

(じっかいのこと。そうしてえいずすきりすとのこうたん、じゅなん、ふっかつのてんまつ。)

十戒のこと。そうしてエイズス・キリストの降誕、受難、復活のてんまつ。

(しろおてのものがたりは、つきるところなかった。しらいしは、ときどきわきみをしていた。)

シロオテの物語は、尽きるところなかった。白石は、ときどき傍見をしていた。

(はじめからきょうみがなかったのである。すべてぶっきょうのやきなおしであると)

はじめから興味がなかったのである。すべて仏教の焼き直しであると

(どくだんしていた。しらいしのしろおてじんもんは、そのひをもっておしまいにした。)

独断していた。白石のシロオテ訊問は、その日を以っておしまいにした。

(しらいしはしろおてのさいだんについてしょうぐんへいけんをごんじょうした。)

白石はシロオテの裁断について将軍へ意見を言上した。

(このたびのいじんはばんりのそとからきたがいこくじんであるし、また、このものとどうじに)

このたびの偉人は万里のそとから来た外国人であるし、また、この者と同時に

(からへおもむいたものもあるよしなれば、からでもさいだんをすることであろうし、)

唐へ赴いたものもある由なれば、唐でも裁断をすることであろうし、

(わがくにのさいだんをもしんちょうにしなければならぬ、といってみっつのさくをけんげんした。)

我が国の裁断をも慎重にしなければならぬ、と言って三つの策を建言した。

(だいいちにかれをほんごくへかえさるることはじょうさくなり(このことかたきににてやすきか))

第一にかれを本国へ返さるる事は上策也(此事難きに似て易き歟)

など

(だいににかれをとりことなしてたすけおきるることはちゅうさくなり(このことやすきににてもっともむずかし))

第二にかれを囚となしてたすけ置るる事は中策也(此事易きに似て尤 難し)

(だいさんにかれをちゅうせらるることはげさくなり(このことやすくしてえきかるべし))

第三にかれを誅せらるる事は下策也(此事易くして易かるべし)

(しょうぐんはちゅうさくをとって、しろおてをそののちながくきりしたんやしきのごくしゃに)

将軍は中策を採って、シロオテをそののち永く切支丹屋敷の獄舎に

(つないでおいた。しかし、やがてしろおてはやしきのぬひ、ちょうすけはるふさいに)

つないで置いた。しかし、やがてシロオテは屋敷の奴婢、長助はる夫妻に

(ほうをさずけたというわけで、たいへんいじめられた。しろおてはせっかんされながらも)

法を授けたというわけで、たいへんいじめられた。シロオテは折檻されながらも

(にちや、ちょうすけはるのなをよび、そのしんをかたくしてしぬるともこころざしをかえるでない、と)

日夜、長助はるの名を呼び、その信を固くして死ぬるとも志を変えるでない、と

(おおきなこえでさけんでいた。それからまもなくろうしした。)

大きな声で叫んでいた。それから間もなく牢死した。

(げさくをもちいたもおなじことであった。)

下策をもちいたもおなじことであった。

(さるがしま)

猿ヶ島

(はるばるとうみをこえて、このしまについたときのわたしのゆうしゅうをおもいたまえ。)

はるばると海を越えて、この島に着いたときの私の憂愁を思い給え。

(よるなのかひるなのか、しまはふかいきりにつつまれてねむっていた。わたしはめをしばたたいて、)

夜なのか昼なのか、島は深い霧に包まれて眠っていた。私は眼をしばたたいて、

(しまのぜんぼうをみすかそうとつとめたのである。はだかのおおきいいわがきゅうなこうばいをつくって)

島の全貌を見すかそうと努めたのである。裸の大きい岩が急な勾配を作って

(いくつもいくつもつみかさなり、ところどころにどうくつのくろいくちの)

いくつもいくつも積みかさなり、ところどころに洞窟のくろい口の

(あいているのがおぼろにみえた。これはやまであろうか。いっぽんのあおくさもない。)

あいているのがおぼろに見えた。これは山であろうか。一本の青草もない。

(わたしはいわやまのきしにそうてよろよろとあるいた。あやしいよびごえがときどききこえる。)

私は岩山の岸に沿うてよろよろと歩いた。あやしい呼び声がときどき聞える。

(さほどとおくからでもない。おおかみであろうか。くまであろうか。しかし、ながいたびじの)

さほど遠くからでもない。狼であろうか。熊であろうか。しかし、ながい旅路の

(つかれから、わたしはかえってだいたんになっていた。わたしはこういうほうこうをさえきにかけず)

疲れから、私はかえって大胆になっていた。私はこういう咆哮をさえ気にかけず

(しまをめぐりあるいたのである。わたしはしまのたんちょうさにおどろいた。あるいてもあるいても、)

島をめぐり歩いたのである。私は島の単調さに驚いた。歩いても歩いても、

(こつこつのかたいみちである。みぎてはいわやまであって、すぐひだりてにはあらいごまいしが)

こつこつの固い道である。右手は岩山であって、すぐ左手には粗い胡麻石が

(ほとんどすいちょくにそそりたっているのだ。そのあいだに、いまわたしのあるいているこのみちが)

殆ど垂直にそそり立っているのだ。そのあいだに、いま私の歩いている此の道が

(ろくしゃくほどのはばで、たんたんとつづいている。みちのつきるところまであるこう。)

六尺ほどの幅で、坦々とつづいている。道のつきるところまで歩こう。

(いうすべもないこんらんとひろうから、なにものもおそれぬゆうきをえていたのである。)

言うすべもない混乱と疲労から、なにものも恐れぬ勇気を得ていたのである。

(もののはんりもあるいたろうか。わたしは、ふたたびもとのしゅっぱつてんにたっていた。)

ものの半里も歩いたろうか。私は、再びもとの出発点に立っていた。

(わたしはみちがいわやまをくるっとめぐってついてあるのをりょうかいした。)

私は道が岩山をくるっとめぐってついてあるのを了解した。

(おそらく、わたしはおなじみちをにどほどめぐったにちがいない。)

おそらく、私はおなじ道を二度ほどめぐったにちがいない。

(わたしはしまがおもいのほかにちいさいのをしった。きりはしだいにうすらぎ、やまのいただきが)

私は島が思いのほかに小さいのを知った。霧は次第にうすらぎ、山のいただきが

(わたしのすぐひたいのうえにのしかかってみえだした。みねがみっつ。)

私のすぐ額のうえにのしかかって見えだした。峯が三つ。

(まんなかのえんのみねは、たかさがさんよんじょうもあるであろうか。)

まんなかの円の峯は、高さが三四丈もあるであろうか。

(もようのいろをしたひらたいいわでたたまれ、そのかたがわのけいしゃがゆるくながれて)

模様の色をしたひらたい岩で畳まれ、その片側の傾斜がゆるく流れて

(となりのちいさくとがったみねへのび、もういっぽうのがわのけいしゃは、けわしいだんがいをなして)

隣の小さくとがった峯へ伸び、もう一方の側の傾斜は、けわしい断崖をなして

(そのみねのちゅうふくあたりにまですべりおち、それからまたふくらみがむくむくたって、)

その峯の中腹あたりにまで滑り落ち、それからまたふくらみがむくむく起って、

(ひろいおかになっている。だんがいとおかのはざまから、ほそいたきがひとすじながれでていた。)

ひろい丘になっている。断崖と丘の硲から、細い滝がひとすじ流れ出ていた。

(たきのふきんのいわはもちろん、しまぜんたいがこいきりのためにあおぐろくぬれているのである。)

滝の附近の岩は勿論、島全体が濃い霧のために黝く濡れているのである。

(きがにほんみえる。たきぐちに、いっぽん。かしににたのが。おかのうえにも、いっぽん。)

木が二本見える。滝口に、一本。樫に似たのが。丘の上にも、一本。

(えたいのしれぬふといきが。そうして、いずれもかれている。)

えたいの知れぬふとい木が。そうして、いずれも枯れている。

(わたしはこのこうりょうのふうけいをながめて、しばらくぼんやりしていた。きりはいよいようすらいで)

私はこの荒涼の風景を眺めて、暫くぼんやりしていた。霧はいよいようすらいで

(ひのひかりがまんなかのみねにさしはじめた。きりにぬれたみねは、かがやいた。あさひだ。)

日の光がまんなかの峯にさし始めた。霧にぬれた峯は、かがやいた。朝日だ。

(それがあさひであるか、ゆうひであるか、わたしにはそのこうきでもってしきべつすることが)

それが朝日であるか、夕日であるか、私にはその香気でもって識別することが

(できるのだ。それでは、いまはよあけなのか。わたしは、いくぶんすがすがしい)

できるのだ。それでは、いまは夜明けなのか。私は、いくぶんすがすがしい

(きもちになって、やまをよじのぼったのである。みためには、けわしそうでもあるが、)

気持になって、山をよじ登ったのである。見た眼には、けわしそうでもあるが、

(こうしてのぼってみると、きちんきちんとあしだまりができていて、)

こうして登ってみると、きちんきちんと足だまりができていて、

(さほどなんじゅうでない。とうとうたきぐちにまではいのぼった。)

さほど難渋でない。とうとう滝口にまで這いのぼった。

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