黒死館事件22
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問題文
(に、かりりよんのあんせむで・・・・・・)
二、鐘鳴器の讃詠歌で……
(ないわくせいきどうはんけい!?このあまりにとっぴなひとことにげんわくされて、しんさいはとっさに)
「内惑星軌道半径!?」このあまりに突飛な一言に眩惑されて、真斎は咄嗟に
(こたえるすべをうしなってしまった。のりみずはげんしゅくなちょうしでつづけた。そうです。)
答える術を失ってしまった。法水は厳粛な調子で続けた。「そうです。
(むろんしかであるあなたは、ちゅうせいうぇーるすをふうびしたばるだすしんぎょうを)
無論史家である貴方は、中世ウェールスを風靡したバルダス信経を
(ごぞんじでしょう。あのどるいで きゅうせいきれげんすぶるぐのそうじょうまほうし の)
御存じでしょう。あのドルイデ(九世紀レゲンスブルグの僧正魔法師)の
(をくんだ、じゅほうきょうてんのしんじょうはなんでしたろうか うちゅうにはあらゆるしょうちょうびまんす。)
を汲んだ、呪法経典の信条は何でしたろうか(宇宙にはあらゆる象徴瀰漫す。
(しかして、そのしんぴてきなほうそくとはいれつのみょうぎは、かくれたるじしょうをひとにつげ、)
しかして、その神秘的な法則と配列の妙義は、隠れたる事象を人に告げ、
(あるいはあらかじめつげしらしむ。しかし、それが つまり、そのぶんせきそうごうの)
あるいは予め告げ知らしむ。)」「しかし、それが」「つまり、その分析綜合の
(ことわりをいうのです。わたしはあるにくむべきじんぶつが、はかせをころしたびみょうなほうほうを)
理を云うのです。私はある憎むべき人物が、博士を殺した微妙な方法を
(しるとどうじに、はじめて、あすとろろじいやれんあるけみいのみょうみをしることができました。)
知ると同時に、初めて、占星術や錬金術の妙味を知ることが出来ました。
(たしかはかせは、へやのちゅうおうであしをとびらのほうにむけ、しんぞうにつきたてたたんけんのたばを)
確か博士は、室の中央で足を扉の方に向け、心臓に突き立てた短剣の束を
(かたくにぎりしめてたおれていたのでしたね。しかし、いりぐちのとびらをちゅうしんにして、すいせいと)
固く握り締めて倒れていたのでしたね。しかし、入口の扉を中心にして、水星と
(きんせいのきどうはんけいをえがくと、そのなかでは、たさつのあらゆるしょうせきが)
金星の軌道半径を描くと、その中では、他殺のあらゆる証跡が
(きえてしまうのです とのりみずはへやのみとりずに、べつずのようなにじゅうのはんえんを)
消えてしまうのです」と法水は室の見取図に、別図のような二重の半円を
(えがいてから、ところで、そのまえにぜひしっておかねばならないのは、)
描いてから、「ところで、その前にぜひ知っておかねばならないのは、
(わくせいのきごうがあるかがくきごうにそうとうするということなんです。venusが)
惑星の記号が或る化学記号に相当するという事なんです。Venusが
(きんせいであることはごしょうちでしょうが、そのかたわらどうをあらわしています。また、)
金星であることは御承知でしょうが、その傍ら銅を表わしています。また、
(mercuryは、すいせいであるとどうじに、すいぎんのなにもなっているのです。)
Mercuryは、水星であると同時に、水銀の名にもなっているのです。
(しかし、こだいのかがみは、せいどうのはくまくのうらにすいぎんをぬってつくられていたのですよ。)
しかし、古代の鏡は、青銅の薄膜の裏に水銀を塗って作られていたのですよ。
(そうすると、そのきょうめんに つまり、このずではきんせいのこうほうにあたるのですが、)
そうすると、その鏡面に――つまり、この図では金星の後方に当るのですが、
(それにはとうぜん、とばりのこうほうからすすんでくるはんにんのかおがうつることになりましょう。)
それには当然、帷幕の後方から進んで来る犯人の顔が映ることになりましょう。
(なぜなら、きんせいのはんけいをすいせいのいちにまでちぢめるということは、)
何故なら、金星の半径を水星の位置にまで縮めるということは、
(すばらしいさつじんぎこうであったとどうじに、はんこうがおこなわれてゆくほうこうも、またはかせと)
素晴らしい殺人技巧であったと同時に、犯行が行われてゆく方向も、また博士と
(はんにんのうごきさえもどうじにあらわしているからなんです。そして、しだいにはんにんは、)
犯人の動きさえも同時に表わしているからなんです。そして、しだいに犯人は、
(それをちゅうおうのたいようのいちにまでちぢめてゆきました。たいようは、とうじさんてつはかせが)
それを中央の太陽の位置にまで縮めてゆきました。太陽は、当時算哲博士が
(しゅうえんをとげたいちだったのです。しかし、はいめんのすいぎんがたいようとまじわったさいに)
終焉を遂げた位置だったのです。しかし、背面の水銀が太陽と交わった際に
(いったいなにがおこったとおもいますか?ああ、ないわくせいきどうはんけいしゅくしょうをひゆにして、)
いったい何が起ったと思いますか?」ああ、内惑星軌道半径縮小を比喩にして、
(のりみずはなにをかたろうとするのであろうか。けんじもくましろも、きんだいかがくのせいをつくした)
法水は何を語ろうとするのであろうか。検事も熊城も、近代科学の精を尽くした
(のりみずのすいりのなかへ、まさかにれんきんどうしのそうあんたるせかいが、ぜんきかがくとくゆうの)
法水の推理の中へ、まさかに錬金同士の蒼暗たる世界が、前期化学特有の
(げんりとともに、あらわれでようとはおもわなかった。ところでたごうさん、sいちじで)
原理とともに、現われ出ようとは思わなかった。「ところで田郷さん、S一字で
(どういうものがあらわされているでしょうか とのりみずは、ちょうしをゆるめずにつづけた。)
どういうものが表わされているでしょうか」と法水は、調子を弛めずに続けた。
(だいいちにたいよう、それからいおうですよ。ところが、すいぎんといおうとのかごうぶつは、)
「第一に太陽、それから硫黄ですよ。ところが、水銀と硫黄との化合物は、
(しゅではありまんか。しゅはたいようであり、またちのいろです。つまり、とびらのさいでさんてつの)
朱ではありまんか。朱は太陽であり、また血の色です。つまり、扉の際で算哲の
(しんぞうがほころびたのです なに、とびらのきわで・・・・・・。これはこっけいなほうげんじゃ としんさいは)
心臓が綻びたのです」「なに、扉の際で……。これは滑稽な放言じゃ」と真斎は
(くるったように、ひじかけをたたきたてて、あんたはゆめをみておる。まさにじつじょうを)
狂ったように、肱掛を叩き立てて、「貴方は夢を見ておる。まさに実状を
(てんとうしたはなしじゃ。あのときちは、はかせがたおれているしゅういにしかながれて)
顛倒した話じゃ。あの時血は、博士が倒れている周囲にしか流れて
(おらなかったのです それは、いったんちぢめたはんけいを、はんにんがすぐもとどおりの)
おらなかったのです」「それは、いったん縮めた半径を、犯人がすぐ旧どおりの
(いちにもどしたからですよ。それから、もういちどsのじをみるのです。)
位置に戻したからですよ。それから、もう一度Sの字を見るのです。
(まだあるでしょう。さばすでー、すくらいぶ・・・・・・。そうです、まさしく)
まだあるでしょう。悪魔会議日、立法者……。そうです、まさしく
(すくらいぶなんです。はんにんはあのぞうのように・・・・・・とのりみずは、そこでいったんくちびるを)
立法者なんです。犯人はあの像のように……」と法水は、そこでいったん唇を
(とじ、じいっとしんさいをみつめながら、つぎにはくことばとのまのじかんを、むねのなかで)
閉じ、じいっと真斎を瞶めながら、次に吐く言葉との間の時間を、胸の中で
(ひそかにけいそくしているかのようすだった。ところが、いきなりころあいをはかって、)
秘かに計測しているかの様子だった。ところが、突然頃合を計って、
(あのように、たってあるくことのできないにんげん それがはんにんなんです と)
「あのように、立って歩くことの出来ない人間――それが犯人なんです」と
(するどいこえでいうと、ふしぎなことには、それとともに げしがたいいじょうが、)
鋭い声で云うと、不思議な事には、それとともに――解し難い異状が、
(しんさいにおこった。それが、はじめじょうたいにしょうどうがたったとみるまに、りょうめをみひらき)
真斎に起った。それが、始め上体に衝動が起ったと見る間に、両眼をみひらき
(くちをらっぱがたにひらいて、ちょうどむんくのろうばにみるようなむざんなかたちとなった。)
口を喇叭形に開いて、ちょうどムンクの老婆に見るような無残な形となった。
(そして、たえずつばをのみくだそうとするもののようなくもんのさまをつづけていたが、)
そして、絶えず唾を嚥み下そうとするもののような苦悶の状を続けていたが、
(そのうちようやく、おお、わしのからだをみるがいい。こんなふぐしゃが)
そのうちようやく、「おお、儂の身体を見るがいい。こんな不具者が
(どうして・・・・・・とつらくもしゃがれごえをしぼりだした。が、しんさいにはたしかいんこうぶになにか)
どうして……」と辛くも嗄れ声を絞り出した。が、真斎には確か咽喉部に何か
(いじょうがおこったとみえて、そのあともひきつづきこきゅうのこんなんになやみ、)
異常が起ったとみえて、その後も引き続き呼吸の困難に悩み、
(いようなきつおんとともにはげしいくもんがあらわれるのだった。そのありさまを、のりみずは)
異様な吃音とともに激しい苦悶が現われるのだった。その有様を、法水は
(いじょうなひやかさでみやりながらいいつづけたが、そのたいどには、あいかわらず)
異常な冷やかさで見やりながら云い続けたが、その態度には、相変らず
(けいそくてきなものがあらわれていて、かれはじぶんのことばのてんぽに、しゅうとうなちゅういを)
計測的なものが現われていて、彼は自分の言の速度に、周到な注意を
(はらっているらしい。いや、そのふぐなぶぶんをまってこそ、さつじんをおかすことが)
払っているらしい。「いや、その不具な部分を俟ってこそ、殺人を犯すことが
(できたのですよ。ぼくはあなたのにくたいでなく、そのしゅどうよんりんしゃとかーぺっとだけを)
出来たのですよ。僕は貴方の肉体でなく、その手働四輪車と敷物だけを
(みているのです。たぶんヴぇんヴぇぬーと・ちぇりに ぶんげいふっこうきのたいきんこうで)
見ているのです。たぶんヴェンヴェヌート・チェリニ(文芸復興期の大金工で
(おどろくべきさつじんしゃ が、かるどなつぉけのぱるみえり ろむばるじやだいいちの)
驚くべき殺人者)が、カルドナツォ家のパルミエリ(ロムバルジヤ第一の
(だいけんかく をたおしたというじせきをごぞんじでしょうが、うででおとったちぇりには、)
大剣客)を斃したという事蹟を御存じでしょうが、腕で劣ったチェリニは、
(さいしょかーぺっとをたゆえうませておいて、ちゅうとでそれをぴいんとはらせ、ぱるみえりがあしもとを)
最初敷物を弛ませて置いて、中途でそれをピインと張らせ、パルミエリが足許を
(うばわれてよろめくところをさしころしたのでした。しかし、さんてつをたおすためには、)
奪われてよろめくところを刺殺したのでした。しかし、算哲を斃巣ためには、
(そのかーぺっとをおうようしたるねさんすのけんぎが、けっしていちじょうのろまーんでは)
その敷物を応用した文芸復興期の剣技が、けっして一場の伝奇では
(なかったのです。つまり、ないわくせいきどうはんけいのしゅくしんというのは、ようするに)
なかったのです。つまり、内惑星軌道半径の縮伸というのは、要するに
(あなたがいった、かーぺっとのそれにすぎなかったのですよ。さて、はんこうのじっさいを)
貴方が行った、敷物のそれにすぎなかったのですよ。さて、犯行の実際を
(せつめいしますかな といってから、のりみずはけんじとくましろにきっせきぎみなしせんをむけた。)
説明しますかな」と云ってから、法水は検事と熊城に詰責気味な視線を向けた。