晩年 ㉞

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太宰 治

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問題文

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(ようぞうとまのとがあとにのこされた。ようぞうは、べっどにもぐり、)

葉蔵と真野とがあとに残された。葉蔵は、ベッドにもぐり、

(めをぱちぱちさせつつかんがえごとをしていた。まのはそふぁにすわって、)

眼をぱちぱちさせつつ考えごとをしていた。真野はソファに坐って、

(とらんぷをかたづけていた。とらんぷのふだをむらさきのかみばこにおさめてから、いった。)

トランプを片づけていた。トランプの札を紫の紙箱におさめてから、言った。

(「おにいさまでございますね。」「ああ、」たかいてんじょうのしらかべをみつめながら)

「お兄さまでございますね。」「ああ、」たかい天井の白壁を見つめながら

(こたえた。「にているかな。」さっかがそのびょうしゃのたいしょうにあいじょうをうしなうと、てきめんに)

答えた。「似ているかな。」作家がその描写の対象に愛情を失うと、てきめんに

(こんなだらしないぶんしょうをつくる。いや、もういうまい。なかなかおつなぶんしょうだよ。)

こんなだらしない文章をつくる。いや、もう言うまい。なかなか乙な文章だよ。

(「ええ。はなが。」ようぞうは、こえをたててわらった。ようぞうのうちのものは、そぼににて)

「ええ。鼻が。」葉蔵は、声をたてて笑った。葉蔵のうちのものは、祖母に似て

(みんなはながながかったのである。「おいくつでいらっしゃいます。」)

みんな鼻が長かったのである。「おいくつでいらっしゃいます。」

(まのもすこしわらって、そうたずねた。「あにきか?」まののほうへかおをむけた。)

真野も少し笑って、そう尋ねた。「兄貴か?」真野のほうへ顔をむけた。

(「わかいのだよ。さんじゅうよんさ。おおきくかまえて、いいきになっていやがる。」)

「若いのだよ。三十四さ。おおきく構えて、いい気になっていやがる。」

(まのは、ふっとようぞうのかおをみあげた。まゆをひそめてはなしているのだ。)

真野は、ふっと葉蔵の顔を見あげた。眉をひそめて話しているのだ。

(あわててめをふせた。「あにきは、まだあれでいいのだ。おやじが。」)

あわてて眼を伏せた。「兄貴は、まだあれでいいのだ。親爺が。」

(いいかけてくちをつぐんだ。ようぞうはおとなしくしている。ぼくのみがわりになって、)

言いかけて口を噤んだ。葉蔵はおとなしくしている。僕の身代わりになって、

(だきょうしているのである。まのはたちあがって、びょうしつのすみのとだなへあみもののどうぐを)

妥協しているのである。真野は立ちあがって、病室の隅の戸棚へ編物の道具を

(とりにいった。もとのように、またようぞうのまくらもとのいすにすわり、)

とりに行った。もとのように、また葉蔵の枕元の椅子に坐り、

(あみものをはじめながら、まのもまたかんがえていた。しそうでもない、れんあいでもない、)

編物をはじめながら、真野もまた考えていた。思想でもない、恋愛でもない、

(それよりいっぽてまえのげんいんをかんがえていた。)

それより一歩てまえの原因を考えていた。

(ぼくはもうなにもいうまい。いえばいうほど、ぼくはなんにもいっていない。)

僕はもう何も言うまい。言えば言うほど、僕はなんにも言っていない。

(ほんとうにたいせつなことがらには、ぼくはまだちっともふれていないようなきがする)

ほんとうに大切なことがらには、僕はまだちっとも触れていないような気がする

(それはあたりまえであろう。たくさんのことをいいおとしている。それもあたりまえであろう。)

それは当前であろう。たくさんのことを言い落している。それも当前であろう。

など

(さっかにはそのさくひんのかちがわからぬというのがしょうせつどうのじょうしきである。)

作家にはその作品の価値がわからぬというのが小説道の常識である。

(ぼくは、くやしいがそれをみとめなければいけない。じぶんでじぶんのさくひんのこうかを)

僕は、くやしいがそれを認めなければいけない。自分で自分の作品の効果を

(きたいしたぼくはばかであった。ことにそのこうかをくちにだしてなど)

期待した僕は馬鹿であった。ことにその効果を口に出してなど

(いうべきでなかった。くちにだしていったとたんに、またべつのまるっきりちがった)

言うべきでなかった。口に出していったとたんに、また別のまるっきり違った

(こうかがうまれる。そのこうかをおよそこうであろうとすいさつしたとたんに、)

効果が生れる。その効果を凡そこうであろうと推察したとたんに、

(またあたらしいこうかがとびだす。ぼくはえいえんにそれをついきゅうしてばかりいなければならぬ)

また新しい効果が飛び出す。僕は永遠にそれを追求してばかりいなければならぬ

(ぐをえんずる。ださくかそれともまんざらでないできばえか、ぼくはそれをさえしろうと)

愚を演ずる。駄作かそれともまんざらでない出来栄か、僕はそれをさえ知ろうと

(おもうまい。おそらくは、ぼくはひとからきいてえたものである。ぼくのにくたいから)

思うまい。おそらくは、僕はひとから聞いて得たものである。僕の肉体から

(にじみでたことばでない。それだからまた、たよりたいきになるのであろう。)

にじみ出た言葉でない。それだからまた、たよりたい気になるのであろう。

(はっきりいえば、ぼくはじしんをうしなっている。)

はっきり言えば、僕は自身をうしなっている。

(でんきがついてから、こすががひとりでびょうしつへやってきた。はいるとすぐ、ねている)

電気がついてから、小菅がひとりで病室へやってきた。はいるとすぐ、寝ている

(ようぞうのかおへおっかぶさるようにしてささやいた。)

葉蔵の顔へおっかぶさるようにして囁いた。

(「のんできたんだ。まのへないしょだよ。」それから、はっといきをようぞうのかおへつよく)

「飲んで来たんだ。真野へ内緒だよ。」それから、はっと息を葉蔵の顔へつよく

(はきつけた。さけをのんでびょうしつへではいりすることはきんぜられていた。)

吐きつけた。酒を飲んで病室へ出はいりすることは禁ぜられていた。

(うしろのそふぁであみものをつづけているまのをちらとよこめつかってみてから、)

うしろのソファで編物をつづけている真野をちらと横眼つかって見てから、

(こすがはさけぶようにしていった。「えのしまをけんぶつしてきたよ。)

小菅は叫ぶようにして言った。「江の島をけんぶつして来たよ。

(よかったなあ。」そしてすぐまたこえをひくめてささやいた。「うそだよ。」)

よかったなあ。」そしてすぐまた声をひくめてささやいた。「嘘だよ。」

(ようぞうはおきあがってべっどにこしかけた。「いままで、ただのんでいたのか。)

葉蔵は起きあがってベッドに腰かけた。「いままで、ただ飲んでいたのか。

(いや、かまわんよ。まのさん、いいでしょう。」まのはあみもののてをやすめずに、)

いや、構わんよ。真野さん、いいでしょう。」真野は編物の手をやすめずに、

(わらいながらこたえた。「よくもないんですけれど。」こすがはべっどのうえへあおむけに)

笑いながら答えた。「よくもないんですけれど。」小菅はベッドの上へ仰向に

(ころがった。「いんちょうとよにんしてそうだんさ。きみ、にいさんはさくしだなあ。あんがいの)

ころがった。「院長と四人して相談さ。君、兄さんは策士だなあ。案外の

(やりてだよ。」ようぞうはだまっていた。「あす、にいさんとひだがけいさつへいくんだ。)

やりてだよ。」葉蔵はだまっていた。「あす、兄さんと飛騨が警察へ行くんだ。

(すっかりかたをつけてしまうんだって。ひだはばかだなあ。こうふんしていやがった)

すっかりかたをつけてしまうんだって。飛騨は馬鹿だなあ。昂奮していやがった

(ひだは、きょうむこうへとまるよ。ぼくは、いやだからかえった。」)

飛騨は、きょうむこうへ泊るよ。僕は、いやだから帰った。」

(「ぼくのわるぐちをいっていたろう。」「うん。いっていたよ。おおばかだといってる。)

「僕の悪口を言っていたろう。」「うん。言っていたよ。大馬鹿だと言ってる。

(このあとも、なにをしでかすか、わかったものじゃないといってた。しかしおやじも)

此の後も、なにをしでかすか、判ったものじゃないと言ってた。しかし親爺も

(よくない、とつけくわえた。まのさん、たばこをすってもいい?」「ええ。」)

よくない、と附け加えた。真野さん、煙草を吸ってもいい?」「ええ。」

(なみだがでそうなのでそれだけこたえた。「なみのおとがきこえるね。よきびょういんだな。」)

涙が出そうなのでそれだけ答えた。「浪の音が聞えるね。よき病院だな。」

(こすがはひのついてないたばこをくわえ、よっぱらいらしくあらいいきをしながら)

小菅は火のついてない煙草をくわえ、酔っぱらいらしくあらい息をしながら

(しばらくめをつぶっていた。やがて、じょうたいをむっくりおこした。)

しばらく眼をつぶっていた。やがて、上体をむっくり起こした。

(「そうだ。きものをもってきたんだ。そこへおいたよ。」あごでどあのほうを)

「そうだ。着物を持って来たんだ。そこへ置いたよ。」顎でドアの方を

(しゃくった。ようぞうは、どあのそばにおかれてあるからくさのもようがついたおおきい)

しゃくった。葉蔵は、ドアの傍に置かれてある唐草の模様がついた大きい

(ふろしきづつみにめをおとし、やはりまゆをひそめた。かれらはにくしんのことをかたるときには、)

風呂敷包に眼を落し、やはり眉をひそめた。彼等は肉親のことを語るときには、

(いささかかんしょうてきなめんぼうをつくる。けれども、これはただしゅうかんにすぎない。)

いささか感傷的な面貌をつくる。けれども、これはただ習慣にすぎない。

(おさないときからのきょういくが、そのめんぼうをつくりあげただけのことである。)

幼いときからの教育が、その面貌をつくりあげただけのことである。

(にくしんといえばざいさんというたんごをおもいだすのにはかわりがないようだ。)

肉親と言えば財産という単語を思い出すのには変わりがないようだ。

(「おふくろには、かなわん。」「うん。にいさんもそういってる。おかあさんが)

「おふくろには、かなわん。」「うん。兄さんもそう言ってる。お母さんが

(いちばんかわいそうだって。こうしてきもののしんぱいまでしてくれるのだからな。)

いちばん可愛そうだって。こうして着物の心配までして呉れるのだからな。

(ほんとうだよ、きみ。まのさん、まっちない?」まのからまっちをうけとり、)

ほんとうだよ、君。真野さん、マッチない?」真野からマッチを受け取り、

(そのはこにえがかれてあるうまのかおをほおふくらませてながめた。)

その箱に描かれてある馬の顔を頬ふくらませて眺めた。

(「きみのいまきているのは、いんちょうからかりたきものだってね。」)

「君のいま着ているのは、院長から借りた着物だってね。」

(「これか?そうだよ。いんちょうのむすこのきものさ。あにきは、そのほかにもなにか)

「これか?そうだよ。院長の息子の着物さ。兄貴は、その他にも何か

(いったろうな。ぼくのわるぐちを。」「ひねくれるなよ。」たばこへひをてんじた。)

言ったろうな。僕の悪口を。」「ひねくれるなよ。」煙草へ火を点じた。

(「にいさんは、わりにあたらしいよ。きみをわかっているんだ。いや、そうでもないかな。)

「兄さんは、わりに新しいよ。君を判っているんだ。いや、そうでもないかな。

(くろうにんぶるよ、なかなか。きみの、こんどのことのげんいんを、みんなでいい)

苦労人ぶるよ、なかなか。君の、こんどのことの原因を、みんなで言い

(あったんだが、そのときにね、おおわらいさ。」けむりのわをはいた。)

合ったんだが、そのときにね、おお笑いさ。」けむりの輪を吐いた。

(「にいさんのすいそくとしてはだよ、これはようぞうがほうとうをしてかねにきゅうしたからだ。)

「兄さんの推測としてはだよ、これは葉蔵が放蕩をして金に窮したからだ。

(おおまじめでいうんだよ。それとも、これはあにとしていいにくいことだが、)

大真面目で言うんだよ。それとも、これは兄として言いにくいことだが、

(きっとはずかしいびょうきにでもかかって、やけくそになったのだろう。」)

きっと恥ずかしい病気にでもかかって、やけくそになったのだろう。」

(さけでどろんとにごっためをようぞうにむけた。どうだい。いや、あんがいこいつ。」)

酒でどろんと濁った眼を葉蔵にむけた。どうだい。いや、案外こいつ。」

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