晩年 ㊶

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プレイ回数499難易度(4.5) 3838打 長文
太宰 治

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問題文

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(「ごじぶんがよくないことをしているから、ひとのよいところがわからないんだわ)

「ご自分がよくないことをしているから、ひとのよいところがわからないんだわ

(うわさですけれど、ふちょうさんはいんちょうさんのおめかけなんですって。」)

噂ですけれど、婦長さんは院長さんのおめかけなんですって。」

(「そうか。いいところがある。」こすがはおおよろこびであった。かれらはひとのしゅうぶんを)

「そうか。いいところがある。」小菅は大喜びであった。彼等はひとの醜聞を

(びとくのようにかんがえる。たのもしいとおもうのである。「くんしょうがめかけをもったか。)

美徳のように考える。たのもしいと思うのである。「勲章がめかけを持ったか。

(いいところがあるよ。」「ほんとうに、みなさん、つみのないことを)

いいところがあるよ。」「ほんとうに、みなさん、罪のないことを

(おっしゃっては、おわらいになっていらっしゃるのに、わからないのかしら。)

おっしゃっては、お笑いになっていらっしゃるのに、判らないのかしら。

(おきになさらず、うんとおさわぎになったほうが、ようございますわ。)

お気になさらず、うんとおさわぎになったほうが、ようございますわ。

(かまいませんとも。きょういちにちですものねえ。ほんとうにだれだっておしかられに)

かまいませんとも。きょう一日ですものねえ。ほんとうに誰だってお叱られに

(なったことのない、よいそだちのかたばかりなのに。」かたてをかおへあててきゅうに)

なったことのない、よい育ちのかたばかりなのに。」片手を顔へあてて急に

(ひくくなきだした。なきながらどあをあけた。ひだはひきとめてささやいた。)

ひくく泣き出した。泣きながらドアをあけた。飛騨はひきとめて囁いた。

(「ふちょうのとこへいったってだめだよ。よしたまえ。なんでもないじゃないか。」)

「婦長のとこへ行ったって駄目だよ。よし給え。なんでもないじゃないか。」

(かおをりょうてでおおったまま、にさんどつづけさまにうなずいてろうかへでた。)

顔を両手で覆ったまま、ニ三度つづけさまにうなずいて廊下へ出た。

(「せいぎはだ。」まのがさってから、こすがはにやにやわらってそふぁへすわった。)

「正義派だ。」真野が去ってから、小菅はにやにや笑ってソファへ坐った。

(「なきだしちゃった。じぶんのことばによってしまったんだよ。ふだんはおとなくさい)

「泣き出しちゃった。自分の言葉に酔ってしまったんだよ。ふだんは大人くさい

(ことをいっていても、やっぱりおんなだな。」「かわってるよ。」ひだは、せまい)

ことを言っていても、やっぱり女だな。」「変ってるよ。」飛騨は、せまい

(びょうしつをのしのしあるきまわった。「はじめからぼく、かわってるとおもっていたんだよ。)

病室をのしのし歩きまわった。「はじめから僕、変ってると思っていたんだよ。

(おかしいなあ。ないてとびだそうとするんだから、おどろいたよ。まさかふちょうの)

おかしいなあ。泣いて飛び出そうとするんだから、おどろいたよ。まさか婦長の

(とこへいったんじゃないだろうな。」「そんなことはないよ。」ようぞうはへいきな)

とこへ行ったんじゃないだろうな。」「そんなことはないよ。」葉蔵は平気な

(おももちをよそおってそうこたえ、らくがきしたもくたんしをこすがのほうへなげてやった。)

おももちを装ってそう答え、落書きした木炭紙を小菅のほうへ投げてやった。

(「ふちょうのしょうぞうがか。」こすがはげらげらわらいこけた。「どれどれ。」ひだも)

「婦長の肖像画か。」小菅はげらげら笑いこけた。「どれどれ。」飛騨も

など

(たったままでもくたんしをのぞきこんだ。「じょかいだね。けっさくだよ。これあ。)

立ったままで木炭紙を覗きこんだ。「女怪だね。けっさくだよ。これあ。

(にているのか。」「そっくりだ。いちどいんちょうについて、このびょうしつへもきたことが)

似ているのか。」「そっくりだ。いちど院長について、この病室へも来たことが

(あるんだ。うまいもんだなあ。えんぴつをかせよ。」こすがは、ようぞうからえんぴつをかりて)

あるんだ。うまいもんだなあ。鉛筆を貸せよ。」小菅は、葉蔵から鉛筆を借りて

(もくたんしへかきくわえた。「これへこうつのをはやすのだ。いよいよにてきたな。)

木炭紙へ書き加えた。「これへこう角を生やすのだ。いよいよ似て来たな。

(ふちょうしつのどあへはってやろうか。」「そとへさんぽにでてみようよ。」ようぞうは)

婦長室のドアへ貼ってやろうか。」「そとへ散歩に出てみようよ。」葉蔵は

(べっどからおりてせのびした。せのびしながら、こっそりつぶやいてみた。)

ベッドから降りて脊のびした。脊のびしながら、こっそり呟いてみた。

(「ぽんちがのおおや。」)

「ポンチ画の大家。」

(ぽんちがのおおや。そろそろぼくもあきてきた。これはつうぞくしょうせつでなかろうか。)

ポンチ画の大家。そろそろ僕も厭きて来た。これは通俗小説でなかろうか。

(ともすればこうちょくしたがるぼくのしんけいにたいしても、また、おそらくはおなじような)

ともすれば硬直したがる僕の神経に対しても、また、おそらくはおなじような

(しょくんのしんけいにたいしても、いささかどくけしのいぎあれかし、ととりかかったひとこまで)

諸君の神経に対しても、いささか毒消しの意義あれかし、と取りかかった一齣で

(あったが、どうやら、これはあますぎた。ぼくのしょうせつがこてんになれば、ああ、ぼくは)

あったが、どうやら、これは甘すぎた。僕の小説が古典になれば、ああ、僕は

(きがくるったのかしら、しょくんは、かえってぼくのこんなちゅうしゃくをじゃまにするだろう。)

気が狂ったのかしら、諸君は、かえって僕のこんな註釈を邪魔にするだろう。

(さっかのおもいもおよばなかったところにまで、かってなすいさつをしてあげて、)

作家の思いも及ばなかったところにまで、勝手な推察をしてあげて、

(そのけっさくであるゆえんをおおごえでさけぶだろう。ああ、しんだだいさっかはしあわせだ。)

その傑作である所以を大声で叫ぶだろう。ああ、死んだ大作家は仕合せだ。

(いきながらえているぐさくしゃは、おのれのさくひんをひとりでもおおくのひとに)

生きながらえている愚作者は、おのれの作品をひとりでも多くのひとに

(あいされようと、あせをながしてけんとうはずれのちゅうしゃくばかりつけている。)

愛されようと、汗を流して見当はずれの註釈ばかりつけている。

(そして、まずまずちゅうしゃくだらけのうるさいださくをつくるのだ。かってにしろ、と)

そして、まずまず註釈だらけのうるさい駄作をつくるのだ。勝手にしろ、と

(つっぱなす、そんなごうきなせいしんがぼくにはないのだ。よいさっかになれないな。)

つっぱなす、そんな剛毅な精神が僕にはないのだ。よい作家になれないな。

(やっぱりあまちゃんだ。そうだ。だいはっけんしたわい。しんそこからのあまちゃんだ。)

やっぱり甘ちゃんだ。そうだ。大発見したわい。しん底からの甘ちゃんだ。

(あまさのなかでこそ、ぼくはぎんじのいこいをしている。ああ、もうどうでもよい。)

甘さのなかでこそ、僕は暫時の憩いをしている。ああ、もうどうでもよい。

(ほっておいてくれ。どうけのはなとやらも、どうやらここでしぼんだようだ。)

ほって置いて呉れ。道化の華とやらも、どうやらここでしぼんだようだ。

(しかも、さもしくみにくくきたなくしぼんだ。かんぺきへのあこがれ。けっさくへのさそい。)

しかも、さもしく醜くきたなくしぼんだ。完璧へのあこがれ。傑作へのさそい。

(「もうたくさんだ。きせきのつくりぬし。おのれ!」)

「もう沢山だ。奇蹟の創造主。おのれ!」

(まのはせんめんじょへしのびこんだ。こころゆくまでなこうとおもった。しかし、そんなにも)

真野は洗面所へ忍びこんだ。心ゆくまで泣こうと思った。しかし、そんなにも

(なけなかったのである。せんめんじょのかがみをのぞいて、なみだをふき、かみをなおしてから、)

泣けなかったのである。洗面所の鏡をのぞいて、涙を拭き、髪をなおしてから、

(しょくどうへおそいちょうしょくをとりにでかけた。しょくどうのいりぐちちかくのてえぶるにへごうしつの)

食堂へおそい朝食をとりに出掛けた。食堂の入口ちかくのテエブルにへ号室の

(だいがくせいが、からになったすうぷのさらをまえにおき、ひとりくったくげに)

大学生が、からになったスウプの皿をまえに置き、ひとりくったくげに

(すわっていた。まのをみてほほえみかけた。「かんじゃさんは、おげんきのようですね。」)

坐っていた。真野を見て微笑みかけた。「患者さんは、お元気のようですね。」

(まのはたちどまって、そのてえぶるのはしをかたくつかまえながらこたえた。)

真野は立ちどまって、そのテエブルの端を固くつかまえながら答えた。

(「ええ、もうつみのないことばかりおっしゃって、わたしたちをわらわせて)

「ええ、もう罪のないことばかりおっしゃって、私たちを笑わせて

(いらっしゃいます。」「それならいい。がかですって?」「ええ。りっぱなえを)

いらっしゃいます。」「それならいい。画家ですって?」「ええ。立派な画を

(かきたいって、しょっちゅうおっしゃっておられますの。」いいかけてみみまで)

かきたいって、しょっちゅうおっしゃって居られますの。」言いかけて耳まで

(あかくした。「まじめなんですのよ。まじめでございますから、まじめで)

赤くした。「真面目なんですのよ。真面目でございますから、真面目で

(ございますからおくるしいこともおこるわけね。」「そうです。そうです。」)

ございますからお苦しいこともおこるわけね。」「そうです。そうです。」

(だいがくせいはちかくたいいんできることにきまったので、いよいよかんだいになって)

大学生はちかく退院できることにきまったので、いよいよ寛大になって

(いたのである。このあまさはどうだ。しょくんは、このようなおんなをきらいであろうか。)

いたのである。この甘さはどうだ。諸君は、このような女をきらいであろうか。

(ちくしょう!ふるめかしいとわらいたまえ。ああ、もはやいこいも、ぼくにはてれくさく)

畜生!古めかしいと笑い給え。ああ、もはや憩いも、僕にはてれくさく

(なっている。ぼくは、ひとりのおんなをさえ、ちゅうしゃくなしにはあいすることができぬのだ。)

なっている。僕は、ひとりの女をさえ、註釈なしには愛することができぬのだ。

(おろかなおとこは、やすむのにさえ、へまをする。)

おろかな男は、やすむのにさえ、へまをする。

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