黒死館事件36

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小栗虫太郎の作品です。
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問題文

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(そのがらんとしたとしょしつをよこぎって、つきあたりのあかりがさしているとびらをひらくと、)

その空んとした図書室を横切って、突当りの明りが差している扉を開くと、

(そこには、こうずかにすいぜんのおもいをさせている、ふりやぎのしょこになっていた。)

そこには、好事家に垂涎の思いをさせている、降矢木の書庫になっていた。

(にじゅうそうあまりにくぎられている、しょかのおくにじむづくえがあって、そこには、)

二十層あまりに区切られている、書架の奥に事務机があって、そこには、

(くがしずこのひにくなしたがまちかまえいていた。おや、このへやに)

久我鎮子の皮肉な舌が待ち構えいていた。「オヤ、この室に

(おいでになるようじゃ、たいしたこともなかったとみえますね)

お出でになるようじゃ、たいした事もなかったと見えますね」

(じじつそのとおりなんです。あれいごにんぎょうがでないかわりに、おばけはれんぞくてきに)

「事実そのとおりなんです。あれ以後人形が出ない代りに、死霊は連続的に

(しゅつぼつしていますよ とのりみずはさきをうたれて、くしょうした。そうでしょう。さっきは)

出没していますよ」と法水は先を打たれて、苦笑した。「そうでしょう。先刻は

(またみょうなばいおんがきこえましたわ。でも、まさかのぶこさんをはんにんになさりゃ)

また妙な倍音が聴えましたわ。でも、まさか伸子さんを犯人になさりゃ

(しないでしょうね ああ、あのばいおんをごぞんじでしたか とのりみずはまぶたをかすかに)

しないでしょうね」「ああ、あの倍音を御存じでしたか」と法水は瞼を微かに

(おののかせたが、かえってさぐるようなまなざしであいてをみて、しかし、このじけんぜんたいの)

戦かせたが、かえって探るような眼差で相手を見て、「しかし、この事件全体の

(こうせいだけはわかりましたよ。それが、あなたのいわれたみんこふすきーの)

構成だけは判りましたよ。それが、貴女の云われたミンコフスキーの

(よじげんせかいなんです といっこうどうじたいろもみせず、つづいてほんだいをきりだした。)

四次元世界なんです」といっこう動じた色も見せず、続いて本題を切り出した。

(ところで、そのかこけんをしらべにまいったのですが、たしか、れきえむのげんぷは)

「ところで、その過去圏を調べにまいったのですが、たしか、鎮魂楽の原譜は

(あるでしょうな れきえむ!?としずこはけげんなかおをして、だが、あれをみて)

あるでしょうな」「鎮魂楽!?」と鎮子は怪訝な顔をして、「だが、あれを見て

(いったいどうなさるのです?それでは、まだごぞんじないのですか のりみずは)

いったいどうなさるのです?」「それでは、まだ御存じないのですか」法水は

(ちょっとおどろいたすぶりをみせたが、げんしゅくなちょうしでいった。じつは、ふぃなーれちかくで、)

ちょっと驚いた素振を見せたが、厳粛な調子で云った。「実は、終曲近くで、

(ふたつのヴぁいおりんがじゃくおんきをつけたのですよ。ですから、かえってわたしは、)

二つの堤琴が弱音器を付けたのですよ。ですから、かえって私は、

(べるりおーずのしんふぉにか・ふぁんたじあでもきくこころもちがしました。たしかにあれは、)

ベルリオーズの幻想交響楽でも聴く心持がしました。たしかにあれは、

(こうしゅだいにあがったざいにんがじごくにおちる そのときのらいめいをきかせるというところに)

絞首台に上った罪人が地獄に堕ちる――その時の雷鳴を聴かせるというところに

(ひょうのようなてぃむぱにーのそろがありましたっけね。そこにわたしは、さんてつはかせのこえを)

雹のような椀太鼓の独奏がありましたっけね。そこに私は、算哲博士の声を

など

(きいたようなきがしたのです まあ、とんでもないごさんですわ としずこは)

聴いたような気がしたのです」「マア、とんでもない誤算ですわ」と鎮子は

(びんしょうをたたえて、あれは、さんてつさまのおさくではございません。うぇるしゅのけんちくぎし)

憫笑を湛えて、「あれは、算哲様の御作ではございません。威人の建築技師

(くろーど・でぃぐすびいじさくものなのです。とにかく、あんなものを)

クロード・ディグスビイ自作ものなのです。とにかく、あんなものを

(おきになさるようじゃ、もうひとりおばけがふえたわけですわね。ですが、あなたの)

お気になさるようじゃ、もう一人死霊がふえた訳ですわね。ですが、貴方の

(たいいほうてきすいりにぜひひつようなものなら、なんとかさがしだしてまいりましょう)

対位法的推理にぜひ必要なものなら、なんとか捜し出してまいりましょう」

(のりみずがしばらくじこをうしなっていたのも、けっしてむりではなかった。かれが)

法水がしばらく自己を失っていたのも、けっして無理ではなかった。彼が

(じゅん・すてーなー こんせいきのとうしょびょうぼつした おっくすふぉーど の)

ジュン・ステーナー(今世紀の当初病歿した牛津(オックスフォード)の

(おんがくかきょうじゅ のさくとすいそくし、それにさんてつが、なにかのいしでふでをくわえたものと)

音楽科教授)の作と推測し、それに算哲が、何かの意志で筆を加えたものと

(しんじていたれきえむが、ひともあろうに、このやかたのせっけいしゃでぃぐすびいの)

信じていた鎮魂楽が、人もあろうに、この館の設計者ディグスビイの

(さくだったのだ。きこくのせんちゅうらんぐーんでとうしんしたといわれるうぇるしゅのけんちくぎしが、)

作だったのだ。帰国の船中蘭貢で投身したと云われる威人の建築技師が、

(このふしぎなじけんにもなにかかかわりをもっているのではないのだろうか。)

この不思議な事件にも何か関係を持っているのではないのだろうか。

(しかしのりみずが、さいしょからししゃのせかいにも、せんさくをおこたらなかったことは、さすがに)

しかし法水が、最初から死者の世界にも、詮索を怠らなかったことは、さすがに

(けいがんであるといえよう。しずこがげんぷをさがしているあいだ、のりみずはしょかにめをはせて、)

烱眼であると云えよう。鎮子が原譜を探している間、法水は書架に眼を馳せて、

(ふりやぎのきょうたんすべきしゅうぞうしょをいちいちきおくにとめることができた。それが、)

降矢木の驚嘆すべき収蔵書を一々記憶に止めることが出来た。それが、

(こくしかんにおいてせいしんせいかつのぜんぶをしめるものでることはいうまでもないが、)

黒死館において精神生活の全部を占めるものでることは云うまでもないが、

(あるいはこのしょこのどこかに、そこしれないしんぴてきなじけんの、こんげんをなすものが)

あるいはこの書庫のどこかに、底知れない神秘的な事件の、根源をなすものが

(ひそんでないともかぎらないのである。のりみずはせもじをすばやくおうていって、)

潜んでないとも限らないのである。法水は背文字を敏速く追うていって、

(しばらくのあいだ、かみとかわのいきれるようなにおいのなかでとうすいしていた。)

しばらくの間、紙と革のいきれるような匂いの中で陶酔していた。

(1676ねん すとらすぶるぐ ばんのぷりにうす なとうらりす・ひすとりあ のさんじゅっさつと、)

一六七六年(ストラスブルグ)版のプリニウス「万有史」の三十冊と、

(こだいひゃっかじてんのついとして らいでんぱぴるす が、まずのりみずにたんせいをはっせしめた。)

古代百科辞典の対として「ライデン古文書」が、まず法水に嘆声を発せしめた。

(つづいてそらぬすの かでゅせうす をはじめ、うるぶりっじ、ろすりん、)

続いてソラヌスの「使者神指杖」をはじめ、ウルブリッジ、ロスリン、

(ろんどれいなどのちゅうせいいしょから、ばーこー、あるのう、あぐりっぱなどの)

ロンドレイ等の中世医書から、バーコー、アルノウ、アグリッパ等の

(きごうごしようのれんきんやくがくしょ、ほんぽうでは、ながたちそくさい、すぎたげんぱく、みなみようげんなどの)

記号語使用の錬金薬学書、本邦では、永田知足斎、杉田玄伯、南洋原等の

(らんしょしゃっこくをはじめ、こだいしなでは、ずいの けいせきし、ぎょくぼうしよう、)

蘭書釈刻をはじめ、古代支那では、隋の「経籍志」、「玉房指要」、

(かばくずきょう、せんきょう などのぼうじゅつしょいほう。そのた、)

「蝦墓図経」、「仙経」等の房術書医方。その他、

(susrta, charaka samhita などのばらもんいしょ、)

Susrta, Charaka Samhita 等の婆羅門医書、

(あうふれひとの かーま・すーとら ぼんごげんぽん。それから、こんせいきにじゅうねんだいの)

アウフレヒトの「愛経」梵語原本。それから、今世紀二十年代の

(げんていしゅっぱんとしてゆうめいなヴぃヴぃせくしょん、はるとまんの)

限定出版として有名な「生体解剖要綱」、ハルトマンの

(でぃ・じんぷとまとろぎい・でる・くらいんひるん・えるくらんくんげんなどのぶるいにいたるまで、)

「小脳疾患者の徴候学」等の部類に至るまで、

(まさに1500さつになんなんとするいがくしてきなせいれつだった。つぎに、しんぴしゅうきょうにかんする)

まさに千五百冊に垂々とする医学史的な整列だった。次に、神秘宗教に関する

(しゅうせきもかなりなかずにあがっている。ろんどんあじあかいの くじゃくおうじゅきょう しょはん、)

集積もかなりな数に上っている。倫敦亜細亜会の「孔雀王呪経」初版、

(しゃむこうていちょっかんの あたなていきょう、ぶるーむふぃーるどの)

暹羅皇帝勅刊の「阿陀曩胝経」、ブルームフィールドの

(くりしゅな・やじゅる・ヴぇーだをはじめ、しゅらぎんとヴぁい、ちるだーすなどの)

「黒夜珠吠陀」をはじめ、シュラギントヴァイ、チルダース等の

(ぼんじみっきょうきょうてんのたぐい。それに、ゆだやきょうあぽくりふぁの、あぽかりぷす、)

梵字密教経典の類。それに、猶太教の非経聖書、黙示録、

(こへれっとのなかで、とくにのりみずのめをひいたのは、ゆだやきょうかいおんがくのちんせきとして)

伝道書類の中で、特に法水の眼を引いたのは、猶太教会音楽の珍籍として

(ふろうべるがーの ふぇるでぃなんどよんせいのしにたいするひたん のげんぷと、)

フロウベルガーの「フェルディナンド四世の死に対する悲嘆」の原譜と、

(せんとぶらじおしゅうどういんからいっしゅつをつたえられているしゅしゃぼんちゅうのきしょ、ヴぇざりおの)

聖ブラジオ修道院から逸出を伝えられている手写本中の稀書、ヴェザリオの

(べねえ・えろひいむ が、ひそかにうみをわたってふりやぎのしょこにおさまっていることだった。)

「神人混婚」が、秘かに海を渡って降矢木の書庫に収まっていることだった。

(それか、らいつぇんしゅたいんの みすてりえん・れりぎおねん のたいちょからで・るうじぇの)

それか、ライツェンシュタインの「密儀宗教」の大著からデ・ルウジェの

(りちゅえる・ふゅねれいる。また、ほうぼくしの からんへん ひちょうぼうの れきだいさんぼうき)

「葬祭儀式」。また、抱朴子の「遐覧篇」費長房の「歴代三宝記」

(ろうしけこきょう などのせんじゅつしんしょにかんするものもみうけられた。しかし、まほうぼんでは)

「老子化胡経」等の仙術神書に関するものも見受けられた。しかし、魔法本では

(きいぜるヴぇたーの すふぃんくす、うぇるなーだいそうじょうの)

キイゼルヴェターの「スフィンクス」、ウェルナー大僧正の

(いんぐるはいむじゅじゅつ などななじゅうあまりにおよぶけれども、だいぶぶんはひるどの)

「イングルハイム呪術」など七十余りに及ぶけれども、大部分はヒルドの

(えちゅーど・する・れ・でもんのようなけんきゅうしょで、ほんしつてきなものはさんてつのふんしょにあったものと)

「悪魔の研究」のような研究書で、本質的なものは算哲の焚書に遇ったものと

(おもわれた。さらに、しんりがくにぞくするぶるいでは、はんざいがく、びょうてきしんりがくしんれいがくに)

思われた。さらに、心理学に属する部類では、犯罪学、病的心理学心霊学に

(かんするちょじゅつがおおくて、こるっちの れ・ぐらふぃけ・しむらつおね りーぶまんの)

関する著述が多くて、コルッチの「擬佯の記録」リーブマンの

(でぃ・しゅぷらへ・です・がいすてすくらんけん 、ぱてぃにの ふれしびりた・ちぇれあ など)

「精神病者の言語」、パティニの「蝋質撓拗性」等

(びょうてきしんりがくのほかに、ふらんしすの えんさいくろぺじあ・おヴ・でっす 、)

病的心理学の外に、フランシスの「死の百科辞典」、

(しゅれんく・のっちんぐの くりみなるさいころじい・あんど・さいこぱそろじっく・すたでぃ 、)

シュレンク・ノッチングの「犯罪心理及精神病理的研究」、

(ぐありのの ふぁきす・なぽれおにか 、かりえの)

グアリノの「ナポレオン的面相」、カリエの

(こんとりびゅしょんあれちゅーどでぞぷせっしよんえでざむぷるしよんあろみしいどえおーすいしいど、)

「憑着及殺人自殺の衝動の研究」、

(くらふと・えーヴぃんぐの れーるぶっふ・でる・ゆりすてぃっしぇん・ぷしひょぱとろぎい 、)

クラフト・エーヴィングの「裁判精神病学教科書」、

(ぼーでんの でぃ・ぷしひょろぎい・でる・もらりっしぇ・いでぃおちい などのはんざいがくしょ。なお、)

ボーデンの「道徳的癡患の心理」等の犯罪学書。なお、

(しんれいがくでも、まいあーずのたいちょ)

心霊学でも、マイアーズの大著

(ひゅーまん・ぱーそなりちー・えんど・さーヴぁいヴぁる・おヴ・ぼでぃすりー・でっす)

「人格及びその後の存在」

(さヴぇじの きゃん・てれぱしい・えきすぷれいん げるりんぐの)

サヴェジの「遠隔術は可能なりや」ゲルリングの

(はんどぶっふ・ひぷのちっしぇん・すげすちよん しゅたるけのきしょ)

「催眠的暗示」シュタルケの奇書

(とらでゅちあにすむす までもふくむぼうだいなしゅうせいだった。そして、いがく、しんぴしゅうきょう、)

「霊魂生殖説」までも含む尨大な集成だった。そして、医学、神秘宗教、

(しんりがくのぶもんをすぎて、こだいぶんけんがくのしょかのまえにたち、ふぃんらんどこし)

心理学の部門を過ぎて、古代文献学の書架の前に立ち、フィンランド古詩

(かんてれたる のげんぽん、ばらもんおんりじしょ さんぎーた・らとなーから 、)

「カンテレタル」の原本、婆羅門音理字書「サンギータ・ラトナーカラ」、

(ぐーとるーんしへん さくそ・ぐらむまちくすの ひすとりあ・だにか などに)

「グートルーン詩編」サクソ・グラムマチクスの「丁抹史」等に

(めをうつしたときだった。しずこがようやく、れきえむのげんぷをたずさえてあらわれた。)

眼を移した時だった。鎮子がようやく、鎮魂楽の原譜を携えて現われた。

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