黒死館事件74

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小栗虫太郎の作品です。
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問題文

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(だいろくへん さんてつまいそうのよる)

第六篇 算哲埋葬の夜

(いち、あのわんだー・ふぉーげる・・・・・・ふたつにわれたにじ)

一、あの渡り鳥……二つに割れた虹

(かみたにのぶこのとうじょう それが、このじけんのうるとら・くらいまっくすだった。とどうじに、)

紙谷伸子の登場――それが、この事件の超頂点だった。と同時に、

(ようきしんきのせかいとにんげんのげんかいとをくぎっている、さいごのいっせんでもあったのだ。)

妖気しん気の世界と人間の限界とを区切っている、最後の一線でもあったのだ。

(なぜならじけんちゅうのじんぶつは、くりヴぉふふじんをさいしゅうにしてことごとく)

何故なら事件中の人物は、クリヴォフ夫人を最終にしてことごとく

(ふるいつくされてしまい、ついにのぶこだけが、のこされたひとつぶのきぼうになって)

篩い尽されてしまい、ついに伸子だけが、残された一粒の希望になって

(しまったからだ。しかも、かつてかりりよんしつでかのじょがえんじたところのものは、)

しまったからだ。しかも、かつて鐘鳴器室で彼女が演じたところのものは、

(とうていあいまいもことしたにんげんのひょうじょうではない。いかなるききょうへんそくをもってしても)

とうてい曖昧模糊とした人間の表情ではない。いかなる畸矯変則をもってしても

(りっしようのない・・・・・・かんげんすれば、さつじんはんにんのしょうぐてきひょうげんをもっともきょうれつに)

律しようのない……換言すれば、殺人犯人の生具的表現を最も強烈に

(ひょうしょうしている、いっこのますくにそういないのである。それゆえ、ここでもし)

表象している、一個の演劇用仮面に相違ないのである。それゆえ、ここでもし

(のりみずが、のぶこのしょうりょうをきかいにてんかいをはかることができなかったあかつきには、おそらく)

法水が、伸子の秤量を機会に転回を計ることが出来なかった暁には、恐らく

(あのあんこくきょうあくなかーてんが、じけんのしゅうまくにははんにんのてによっておろされるであろう。)

あの暗黒凶悪な緞帳が、事件の終幕には犯人の手によって下されるであろう。

(いなそうなることは、このじけんのはんざいげんしょうをいっかんしているみずちようなかいぶつ、)

否そうなることは、この事件の犯罪現象を一貫しているみずちような怪物、

(すなわちじけんのすいいけいかがあからさまにそれへむかってしゅうそくされてゆこうとしても、)

――すなわち事件の推移経過が明白にそれへ向って集束されてゆこうとしても、

(のりみずでさえどうにもふせぎようのない、あのでもーねん・がいすとのちょうしぜんりょくをかくにんするに)

法水でさえどうにも防ぎようのない、あの大魔霊の超自然力を確認するに

(ほかならないのである。それゆえ、のぶこのそうはくなかおがどあのかげからあらわれると)

ほかならないのである。それゆえ、伸子の蒼白な顔が扉の蔭から現われると

(どうじに、しつないのくうきがいじょうにひきつってきた。のりみずにさえ、おさえようとしても)

同時に、室内の空気が異常に引き緊ってきた。法水にさえ、抑えようとしても

(おおせない、みょうにしんけいてきなしょうどうがこみあげてくる。そして、ぜんしんをつめたいつめで、)

果せない、妙に神経的な衝動が込み上げてくる。そして、全身を冷たい爪で、

(かきあげられるようないらだたしさを、そのときはどうすることもできないのであった。)

掻き上げられるような焦慮を、その時はどうすることも出来ないのであった。

(のぶこはとしのころにじゅうさん、しであろうけれども、どちらかといえばだんりょくてきなふとりかたで、)

伸子は年齢二十三、四であろうけれども、どちらかと云えば弾力的な肥り方で、

など

(かおといいたいくのせんといい、そのりんかくがふらんどるはのにょにんをほうふつとさせる。)

顔と云い体躯の線と云い、その輪廓がフランドル派の女人を髣髴とさせる。

(けれども、そのかおはにほんじんにはめずらしいくらいさいこくてきないんえいにとんでいて、)

けれども、その顔は日本人には稀らしいくらい細刻的な陰影に富んでいて、

(それがにょじつにかのじょのないめんてきなふかさをものがたるようにおもわれた。のみならず、)

それが如実に彼女の内面的な深さを物語るように思われた。のみならず、

(もっともいんしょうてきなのは、そのくりくりしたぶどうのみみたいなそうのひとみである。)

最も印象的なのは、そのクリクリした葡萄の果みたいな双の瞳である。

(そこからはちてきなねつじょうが、まるでかもしかのようなすばしこさで)

そこからは智的な熱情が、まるで羚羊のような敏しこさで

(はしりだしてくるのだけれども、それにはまた、かのじょのせいしんせかいのなかに)

迸出してくるのだけれども、それにはまた、彼女の精神世界の中に

(うずくまっているらしい、いようにびょうてきなひかりもあった。そうたいとしてかのじょには、)

うずくまっているらしい、異様に病的な光もあった。総体として彼女には、

(こくしかんじんとくゆうの、みょうにくらいねんえきしつてきなところはなかったのである。しかし、)

黒死館人特有の、妙に暗い粘液質的なところはなかったのである。しかし、

(みっかにわたってぜつぼうとたたかいせいさんなくのうをつづけたためか、のぶこはみるかげもなく)

三日にわたって絶望と闘い凄惨な苦悩を続けたためか、伸子は見る影もなく

(しょうすいしている。すでにあゆむきりょくもつきはてたようにおもわれ、そのあえぐような)

憔悴している。すでに歩む気力も尽き果てたように思われ、そのあえぐような

(はげしいこきゅうが さこつやいんこうのなんこつがせわしげにじょうげしているのさえ、さんにんの)

激しい呼吸が――鎖骨や咽喉の軟骨が急し気に上下しているのさえ、三人の

(ざしょからはっきりとみえる。しかし、ふらふらあゆんできてざにつくと、かのじょはこうふんを)

座所から明瞭と見える。しかし、フラフラ歩んで来て座に着くと、彼女は昂奮を

(しずめるかのようにりょうめをとじ、もろのうででむねをかたくしめつけていて、しばらく)

鎮めるかのように両眼を閉じ、双の腕で胸を固く締めつけていて、しばらく

(じいっとうごかなかった。それに、くろじのついへおおきくうきだしているちがやもようのさきが)

凝然と動かなかった。それに、黒地の対へ大きく浮き出している茅萱模様の尖が

(まるではりつけやりみたいなかたちでかのじょのくびをとりかこんでいる。それなので、)

まるで磔刑槍みたいな形で彼女の頸を取り囲んでいる。それなので、

(ぐうぜんにつくられてしまったそのいようなこうずからは、みょうにちゅうせいめいたもんざいてきな)

偶然に作られてしまったその異様な構図からは、妙に中世めいた問罪的な

(ふんいきがかもしだされてくる。そして、かしとかくいしとでつつまれたちんうつなしのへやの)

雰囲気が醸し出されてくる。そして、樫と角石とで包まれた沈鬱な死の室の

(ぐるりへ、それがうずのようにゆらぎひろがってゆくのだった。やがて、のりみずのくちびるが)

周囲へ、それが渦のように揺ぎ拡がってゆくのだった。やがて、法水の唇が

(かすかにうごきかけてちんもくをはろうとしたとき、あるいはせんてを)

微かに動きかけて沈黙を破ろうとしたとき、あるいは先手を

(うとうとしたのだろうか、とつじょのぶこのりょうめがぱちりとみひらかれた。そして、)

打とうとしたのだろうか、突如伸子の両眼がパチリと見開かれた。そして、

(かのじょのくちからいきなりついてでたものがあった。わたし、こくはくいたしますわ。)

彼女の口からいきなり衝いて出たものがあった。「私、告白いたしますわ。

(いかにもかりりよんしつできをうしないましたさいには、よろいどおしをにぎっておりました。)

いかにも鐘鳴器室で気を失いました際には、鎧通しを握っておりました。

(また、えきすけさんがころされたぜんごにも、きょうのくりヴぉふさまのできごととうじにだって)

また、易介さんが殺された前後にも、今日のクリヴォフ様の出来事当時にだって

(きみょうなことに、わたしだけにはありばいというものがめぐまれておりませんでした。)

奇妙なことに、私だけには不在証明と云うものが恵まれておりませんでした。

(いいえ、わたしはさいしょから、このじけんのしゅうてんにおかれているんですわ。ですから、)

いいえ、私は最初から、この事件の終点におかれているんですわ。ですから、

(ここでいくらばかもんどうをつづけたところで、けっきょくこのしちゅえーしょんにはひひょうの)

ここで幾ら莫迦問答を続けたところで、結局この局状には批評の

(よちはございませんでしょう とのぶこはなんどもつかえながら、おおきくいきを)

余地はございませんでしょう」と伸子は何度も逼えながら、大きく呼吸を

(すいこんでから、それに、わたしにはこゆうのせいしんしょうがいがあって、ときおりひすてりーの)

吸い込んでから、「それに、私には固有の精神障礙があって、時折ヒステリーの

(ほっさがおこります。ねえそうでございましょう。これはくがしずこさんから)

発作が起ります。ねえそうでございましょう。これは久我鎮子さんから

(うかがったことですけども、はんざいせいしんびょうりがくしゃのくらふとえーヴぃんぐは、)

伺ったことですけども、犯罪精神病理学者のクラフトエーヴィングは、

(にいちぇのことばをひいて、てんさいのはいとくりゃくだつせいをきょうちょうしております。)

ニイチェの言葉を引いて、天才の悖徳掠奪性を強調しております。

(ちゅうせいきぜんたいをつうじてもっともたかいにんげんせいのとくちょうとみなされていたのは、)

中世紀全体を通じて最も高い人間性の特徴とみなされていたのは、

(げんかくをおこす いいかえれば、ふかいせいしんてきじょうらんののうりょくをもつにあり)

幻覚を起す――云い換えれば、深い精神的擾乱の能力を持つにあり――

(ですと。ほほほほほ、これでございますものね。すべてがそろいもそろって、)

ですと。ホホホホホ、これでございますものね。すべてがそろいもそろって、

(それも、めいりょうすぎるくらいにめいりょうなんですわ、もうわたしには、じぶんがはんにんでないと)

それも、明瞭過ぎるくらいに明瞭なんですわ、もう私には、自分が犯人でないと

(しゅちょうするのがいやになりました それは、どこかかのじょのものでないような)

主張するのが厭になりました」それは、どこか彼女のものでないような

(こわねだった。 ほとんどじきてきなたいどである。しかし、そのなかにはみょうに)

声音だった。――ほとんど自棄的な態度である。しかし、その中には妙に

(こどもっぽいじいがあるようにおもわれて、そこに、ぜつぼうからもがきあがろうとする)

小児っぽい示威があるように思われて、そこに、絶望からもがき上がろうとする

(せいさんなどりょくが、すかしみえるのだった。いいおわると、のぶこのぜんしんをこわばらせていた)

凄惨な努力が、透し見えるのだった。云い終ると、伸子の全身を硬張らせていた

(じんたいがきゅうにしかんしたようにみえ、そのかおにぐったりとしたひろうのいろがあらわれた。)

靱帯が急に弛緩したように見え、その顔にグッタリとした疲労の色が現われた。

(そこへ、のりみずはなごやかなこえでたずねた。)

そこへ、法水は和やかな声で訊ねた。

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