黒死館事件75

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小栗虫太郎の作品です。
句読点以外の記号は省いています。

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問題文

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(いや、そういうもふくなら、きっとすぐにひつようでなくなりますよ。もしあなたが)

「いや、そういう喪服なら、きっとすぐに必要でなくなりますよ。もし貴女が

(かりりよんしつでみたじんぶつのながいえるのでしたら すると、それは・・・・・・)

鐘鳴器室で見た人物の名が云えるのでしたら」「すると、それは……

(だれのことなんでしょうか とのぶこはそしらぬげなかおで、おうむがえしにといかえした。)

誰のことなんでしょうか」と伸子は素知らぬ気な顔で、鸚鵡返しに問い返した。

(しかし、そのあとのようすは、ふしんけげんなぞというよりも、なにかせんざいしている)

しかし、その後の様子は、不審怪訝なぞというよりも、何か潜在している――

(きょうふめいたいしきにそそられているようだった。けれども、きばやなくましろはもはや)

恐怖めいた意識に唆られているようだった。けれども、気早な熊城はもはや

(じっとしてはいられなくなったとみえて、さっそくかのじょがもうろうじょうたいちゅうにしたためた、)

凝っとしてはいられなくなったと見えて、さっそく彼女が朦朧状態中に認めた、

(じしょのくだり ぐってんべるがーじけんにせんれいのあるせんざいいしきてきしょめい をもちだした。)

自署の件(グッテンベルガー事件に先例のある潜在意識的署名)を持ち出した。

(そして、それをてみじかにかたりおえるとひらきなおって、きびしくのぶこのかいこうを)

そして、それを手短に語り終えると開き直って、厳しく伸子の開口を

(せまるのだった。いいですかな。ぼくらがききたいのは、たったそれだけです。)

迫るのだった。「いいですかな。僕等が訊きたいのは、僅ったそれだけです。

(どんなにあなたを、はんにんにけっていしたくなくも、つまるところは、けつろんが)

どんなに貴女を、犯人に決定したくなくも、つまるところは、結論が

(ぎゃくてんしないかぎりやむをえません。つまり、ようてんはそのふたつだけで、それいがいの)

逆転しない限りやむを得ません。つまり、要点はその二つだけで、それ以外の

(おおくをたずねるひつようはないのです。これこそ、あなたにとればいっしょうふちんの)

多くを訊ねる必要はないのです。これこそ、貴女にとれば一生浮沈の

(せとぎわでしょう。じゅうだいなけいこくといういみをわすれんように・・・・・・とちんつうなかおで、)

瀬戸際でしょう。重大な警告と云う意味を忘れんように……」と沈痛な顔で、

(まずくましろがきゅうはくぎみにだめをおすと、そのあとをひきとって、けんじが)

まず熊城が急迫気味に駄目を押すと、その後を引き取って、検事が

(さとすようなこえでいった。もちろんああいうばあいには、どんなにせんてんてきな)

諭すような声で云った。「勿論ああいう場合には、どんなに先天的な

(うそつきでも、じょがいするわけにはゆきません。それでさえ、せいしんてきにはかんぜんな)

虚妄者でも、除外する訳にはゆきません。それでさえ、精神的には完全な

(けんこうになってしまうのが、つまりあのしゅんかんにあるのですからね。さあ、そのxの)

健康になってしまうのが、つまりあの瞬間にあるのですからね。サア、そのXの

(じっすうをいってください。ふりやぎはたたろう・・・・・・たしかに。いや、いったいそれは)

実数を云って下さい。降矢木旗太郎……たしかに。いや、いったいそれは

(だれのことなんです?ふりやぎ・・・・・・さあ とかすかにつぶやいただけで、のぶこのかおが)

誰のことなんです?」「降矢木……サア」と幽かに呟いただけで、伸子の顔が

(みるみるそうはくになっていった。それは、たましいのそこであいうっているものでも)

みるみる蒼白になっていった。それは、魂の底で相打っているものでも

など

(あるかのような、みるもむざんなくとうだった。しかし、ご、ろくどなまつばを)

あるかのような、見るも無残な苦闘だった。しかし、五、六度生唾を

(のみくだしているうちに、さっとちてきなものがひらめいたかとおもうと、のぶこは)

嚥み下しているうちに、サッと智的なものが閃いたかと思うと、伸子は

(たかいふるえをおびたこえでいった。ああ、あのかたにごようがおありなのでしょうか。)

高い顫えを帯びた声で云った。「ああ、あの方に御用がおありなのでしょうか。

(それでしたら、きいのあるくりこみのてんじょうには、とうみんしているこうもりが)

それでしたら、鍵盤のある刳り込みの天井には、冬眠している蝙蝠が

(ぶらさがっておりました。また、おおきなしろいがが、まだいち、にひき)

ぶら下っておりました。また、大きな白い蛾が、まだ一、二匹

(いきのこっていたのもしっておりますわ。ですから、とうみんどうぶつのとろぴずむさえ)

生き残っていたのも知っておりますわ。ですから、冬眠動物の応光性さえ

(ごしょうちでいらっしゃいますのなら・・・・・・。そうしてひかりさえおむけになれば、)

御承知でいらっしゃいますのなら……。そうして光さえお向けになれば、

(あのどうぶつどもはそのほうへかおをむけて、なにもかもしゃべってくれるでしょうからね。)

あの動物どもはその方へ顔を向けて、何もかも喋ってくれるでしょうからね。

(それとも、このじけんのこうしきどおりに、それがさんてつさまだった とでも)

それとも、この事件の公式どおりに、それが算哲様だった――とでも

(もうしあげましょうか のぶこは、きぜんたるけついをあきらかにした。かのじょはじしんの)

申し上げましょうか」伸子は、毅然たる決意を明らかにした。彼女は自身の

(うんめいをぎせいにしてまでも、あるいちじにかんもくをまもろうとするらしい。しかし、)

運命を犠牲にしてまでも、或る一事に緘黙を守ろうとするらしい。しかし、

(いいおわるとなぜであろうか、まるでおそろしいことばでもまちもうけているように、)

云い終ると何故であろうか、まるで恐ろしい言葉でも待ち設けているように、

(かたくなってしまった。おそらく、かのじょじしんでさえも、あざけりのかぎりをつくしている)

堅くなってしまった。恐らく、彼女自身でさえも、嘲侮の限りを尽している

(じぶんのことばには、おもわずみみをおおいたいようなしょうどうにかられたことであろう。)

自分の言葉には、思わず耳を覆いたいような衝動に駆られたことであろう。

(くましろはくちびるをぐいとかみしめて、にくにくしげにあいてをみすえていたが、)

熊城は唇をグイと噛み締めて、憎々しげに相手を見据えていたが、

(そのときのりみずのめにあやしいひかりがあらわれて、うでをくんだままずしんとたくじょうにおいた。)

その時法水の眼に怪しい光が現われて、腕を組んだままズシンと卓上に置いた。

(そして、いかにもかれらしいきもんをはなった。ああ、さんてつ・・・・・・。あのきょうちょうの)

そして、いかにも彼らしい奇問を放った。「ああ、算哲……。あの凶兆の

(すき すぺーどのきんぐをですか いいえ、さんてつさまなら、はーとの)

鋤――スペードの王様をですか」「いいえ、算哲様なら、ハートの

(きんぐでございますわ とのぶこははんしゃてきにそういったあとで、ひとつおおきな)

王様でございますわ」と伸子は反射的にそう云った後で、一つ大きな

(ためいきをした。なるほど、はーとなら、あいぶとしんらいでしょうが としゅんかん)

溜息をした。「なるほど、ハートなら、愛撫と信頼でしょうが」と瞬間

(のりみずのめがかびんそうにまたたいたが、ところで、そのつげぐちをするという)

法水の眼が過敏そうに瞬いたが、「ところで、その告げ口をするという

(こうもりですが、いったいそれは、どっちのはしにいたのですか それが、きいの)

蝙蝠ですが、いったいそれは、どっちの端にいたのですか」「それが、鍵盤の

(ちゅうおうからみますと、ちょうどそのまうえでございましたわ とのぶこはためらわずに、)

中央から見ますと、ちょうどその真上でございましたわ」と伸子は躊らわずに、

(じせいのあるちょうしでこたえた。しかし、そのかたわらには、こうぶつのががいたのです。)

自制のある調子で答えた。「しかし、その側には、好物の蛾がいたのです。

(けれどもそのがが、あくまでちんもくをまもっているかぎりは、よもやざんにんなこうもりだって)

けれどもその蛾が、あくまで沈黙を守っている限りは、よもや残忍な蝙蝠だって

(むだにきずつけようとはいたすまいとおもいますわ。ところが、そのあれごりーは、)

むだに傷つけようとはいたすまいと思いますわ。ところが、その寓喩は、

(じっさいとははんたいなのでございました いや、そういうどうわめいたゆめならば、)

実際とは反対なのでございました」「いや、そういう童話めいた夢ならば、

(あらためてゆっくりとみてもらうことにしよう こんどはかんぼうのなかでだ とくましろが)

改めてゆっくりと見てもらうことにしよう――今度は監房の中でだ」と熊城が

(どくどくしげにうそぶくと、のりみずはそれをたしなめるようにみてから、のぶこにいった。)

毒々しげに嘯くと、法水はそれを窘めるように見てから、伸子に云った。

(おかまいなくつづけてください。がんらいぼくは、しぇれいのつまぎみ めりー・ごどういん)

「お構いなく続けて下さい。元来僕は、シェレイの妻君(メリー・ゴドウイン

(しじんしぇれいのごさい ふらんけんしゅたいん のさくしゃ みたいなさくひんは)

――詩人シェレイの後妻「フランケンシュタイン」の作者)みたいな作品は

(だいきらいなのです。ああいうないぞうのぶんぴつをうながすようなかんかくには、)

大嫌いなのです。ああいう内臓の分泌を促すような感覚には、

(もうあきあきしているのですからね。ところで、そのしらはのぼあがゆらいだのは?)

もう飽き飽きしているのですからね。ところで、その白羽のボアが揺いだのは?

(それがかりりよんしつのどんなばめんで、あなたにかぜをおくりましたね じっさいをもうしますと)

それが鐘鳴器室のどんな場面で、貴女に風を送りましたね」「実際を申しますと

(そのがはとうとう、こうもりのえじきになってしまったのでございます。なぜなら、わたしに)

その蛾は遂々、蝙蝠の餌食になってしまったのでございます。何故なら、私に

(あのなんぎょうをおめいじになったのが、くりヴぉふさまなんでございますものね。)

あの難行をお命じになったのが、クリヴォフ様なんでございますものね。

(それも、ひとりでぷちんとーろをこげって としゅんかん、つめたいふんぬがのぶこのつらを)

――それも、独りで三十櫓楼船を漕げって」と瞬間、冷たい憤怒が伸子の面を

(かすめたけれども、それはすぐに、あとかたもなくきえうせてしまった。)

掠めたけれども、それはすぐに、跡方もなく消え失せてしまった。

(そしてつづけた。だって、いつもなられヴぇずさまがおひきになるあのおもい)

そして続けた。「だって、いつもならレヴェズ様がお弾きになるあの重い

(かりりよんを、おんなのわたしに、しかもさんかいずつくりかえせよとおっしゃったのです。ですから、)

鐘鳴器を、女の私に、しかも三回ずつ繰り返せよと仰言ったのです。ですから、

(さいしょひいたもてっとのなかごろになると、もうてもあしもなえきってしまって、)

最初弾いた経文歌の中頃になると、もう手も足も萎えきってしまって、

(しかいがしだいにもうろうとなってまいりました。そのしょうじょうを、くがさんはびじゃくな)

視界がしだいに朦朧となってまいりました。その症状を、久我さんは微弱な

(きょうもう とおっしゃいます。びょうりてきなじょうねつのはせんじょうたいだといいます。そのときは、)

狂妄――と仰言います。病理的な情熱の破船状態だと云います。その時は、

(かならずきょくたんにりんりてきなものが、まるでぐんばのようにみみをそばだてながらみを)

必ず極端に倫理的なものが、まるで軍馬のように耳をそばだてながら身を

(おこしてくる ともうされます。しかもそれが、さいこうじょうふくのしゅんかんだそうですけども)

起してくる――と申されます。しかもそれが、最高浄福の瞬間だそうですけども

(けっしてえーてぃっしゅではあるかわりにもらりっしゅではなく、そこにまた、さつじんのしょうどうを)

けっして倫理的ではある代りに道徳的ではなく、そこにまた、殺人の衝動を

(いなむことはできぬ とあのかたはおっしゃいました。ああ、これでも、あなたが)

否むことは出来ぬ――とあの方は仰言いました。ああ、これでも、貴方が

(おかんがえになるような、してきなこくはくなのでございましょうか とくましろに)

お考えになるような、詩的な告白なのでございましょうか」と熊城に

(つめたいべっしをおくってから、とうじのきおくをひきだした。)

冷たい蔑視を送ってから、当時の記憶を引き出した。

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