黒死館事件89

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小栗虫太郎の作品です。
句読点以外の記号は省いています。

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問題文

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(ですから、それが、きょうのぶこににじをおくったしんりであり、またそれいぜんには、)

「ですから、それが、今日伸子に虹を送った心理であり、またそれ以前には、

(あなたとだんねべるぐふじんとのひみつなれんあいかんけいなのでした ああ、れヴぇずと)

貴方とダンネベルグ夫人との秘密な恋愛関係なのでした」ああ、レヴェズと

(だんねべるぐふじんとのかんけい それは、よしかみなりともしるよしは)

ダンネベルグ夫人との関係ーーそれは、よし神なりとも知る由は

(なかったであろう。まったくそのしゅんかん、れヴぇずはしにんのように)

なかったであろう。まったくその瞬間、レヴェズは死人のように

(あおざめてしまった。のどがしょうどうてきにけいれんしたとみえて、こえもよういにでぬらしい。)

蒼ざめてしまった。咽喉が衝動的に痙攣したと見えて、声も容易に出ぬらしい。

(そして、くびすじのじんたいをむちつなのようにくねらせながら、まるでちょうぞうのよう、)

そして、頸筋の靱帯を鞭繩のようにくねらせながら、まるで彫像のよう、

(あらぬほうをみつめているのだった。それが、じつにながいちんもくだった。まどごしに)

あらぬ方を瞶めているのだった。それが、実に長い沈黙だった。窓越しに

(はつらつとふんせんのほとばしるおとがきこえ、そのしぶきが、ほしをまたいでうすじろく)

ハツラツと噴泉の迸る音が聞え、その飛沫が、星を跨いで薄白く

(ひかっているのだ。じじつ、さいしょはのりみずのよくやるて とおもい、)

光っているのだ。事実、最初は法水のよくやる手ーーと思い、

(じゅうぶんけいかいしていたにもかかわらず、ついにいひょうにたやしたかれのとうしが、そのかきを)

十分警戒していたにもかかわらず、ついに意表に絶した彼の透視が、その墻を

(のりこえてしまった。そうして、しょうはいのきびを、このいっきょに)

乗り越えてしまった。そうして、勝敗の機微を、この一挙に

(けっていしてしまったのだった。やがて、れヴぇずはちからなくかおをあげたが、それには)

決定してしまったのだった。やがて、レヴェズは力なく顔を上げたが、それには

(しずかなあきらめのいろがうかんでいた。のりみずさん、わしはがんらいひげんそうてきなどうぶつです。)

静かな諦めの色が泛んでいた。「法水さん、儂は元来非幻想的な動物です。

(しかし、だいたいあなたというかたには、どうもゆうぎてきなしょうどうがおおい。いかにも、)

しかし、だいたい貴方という方には、どうも遊戯的な衝動が多い。いかにも、

(にじをおくったことだけはこうていしましょう。しかし、わしはぜったいにはんにんではない。)

虹を送ったことだけは肯定しましょう。しかし、儂は絶対に犯人ではない。

(だんねべるぐふじんとのかんけいなどは、じつにおどろくべきひぼうです いや、)

ダンネベルグ夫人との関係などは、実に驚くべき誹謗です」「いや、

(ごあんしんください。これがにじかんまえならばともかく、げんざいでは、あのきんせいがあっても)

御安心下さい。これが二時間前ならばともかく、現在では、あの禁制があっても

(すでにむこうです。もうなんぴとといえども、あなたのもちぶんそうぞくをさまたげることは)

すでに無効です。もう何人といえども、貴方の持ち分相続を妨げることは

(ふかのうなのですから。それよりもんだいというのは、あのにじとまどに)

不可能なのですから。それより問題と云うのは、あの虹と窓に

(あるのですが・・・・・・するとれヴぇずはこんぱいのなかにもひしゅうなひょうじょうをみせていった。)

あるのですが」するとレヴェズは困憊の中にも悲愁な表情を見せて云った。

など

(いかにも、あのとうじのぶこがまどぎわにみえたので、やはりぶぐしつにいるとおもい、)

「いかにも、あの当時伸子が窓際に見えたので、やはり武具室にいると思い、

(わしはにじをおくりました。しかし、てんくうのにじはぱらぼりっく、ろてきのみずははいぱーぼりっくです。)

儂は虹を送りました。しかし、天空の虹は抛物線、露滴の水は双曲線です。

(ですから、にじがいりぷてぃっくでないかぎり、のぶこはわしのふところにとびこんでは)

ですから、虹が楕円形でない限り、伸子は儂の懐に飛び込んでは

(こないのですよ ですが、ここにきみょうなふごうがありましてな。というのは、)

来ないのですよ」「ですが、ここに奇妙な符合がありましてな。と云うのは、

(あのおにやですが、それがくりヴぉふふじんをつるしあげてとっしんし、さてそれから)

あの鬼箭ですが、それがクリヴォフ夫人を吊し上げて突進し、さてそれから

(つきささったばしょといえば、やはり、あのおなじもんでした。つまり、あなたのにじも)

突き刺った場所と云えば、やはり、あの同じ門でした。つまり、貴方の虹も

(そこからはいりこんでいった よろいどのさんだったのです。ねえれヴぇずさん、)

そこから入り込んでいったーー鎧扉の棧だったのです。ねえレヴェズさん、

(いんがおうほうのことわりというものは、あながち、ねめしすがさだめたにんげんのうんめいにばかりでは)

因果応報の理というものは、あながち、復讐神が定めた人間の運命にばかりでは

(ないのですからね となんとはなしにぶきみなこうふんをもらして、)

ないのですからね」となんとはなしに不気味な口吻を洩らして、

(じりじりせまってゆくと、いったんれヴぇずは、そうみをすくめてよわよわしいたんそくを)

ジリジリ迫ってゆくと、いったんレヴェズは、総身を竦めて弱々しい嘆息を

(はいた。が、すぐはんぜいてきなたいどにでた。はははは、くだらぬほうげんは)

吐いた。が、すぐ反噬的な態度に出た。「ハハハハ、下らぬ放言は

(やめにしてください。のりみずさん、わしならあのぼーるが、うらにわのくさびらさいえんから)

やめにして下さい。法水さん、儂ならあの三叉箭が、裏庭の蔬菜園から

(はなたれたのだといいますがな。なぜなら、いまはかぶらのまっさかりですよ。)

放たれたのだと云いますがな。何故なら、今は蕪菁の真盛りですよ。

(やはずはかぶら、やがらはあし というひなうたを、たぶんあなたごぞんじでしょうが)

矢筈は蕪菁、矢柄は葭ーーという鄙歌を、たぶん貴方御存じでしょうが」

(さよう、このじけんでもそうです。かぶらははんざいげんしょう、あしはどうきなのです。)

「さよう、この事件でもそうです。蕪菁は犯罪現象、葭は動機なのです。

(れヴぇずさん、そのふたつをかねそなえたものといえば、まずあなたいがいには)

レヴェズさん、その二つを兼ね具えたものと云えば、まず貴方以外には

(ないのですよ とにわかにこくれつなちょうしとなって、のりみずのぜんしんが、)

ないのですよ」とにわかに酷烈な調子となって、法水の全身が、

(めらめらたちあがるほのおのようなものにつつまれてしまった。)

メラメラ立ち上る焔のようなものに包まれてしまった。

(もちろんだんねべるぐふじんはたかいのひとですし、のぶこもそれをくちにだすどうりは)

「勿論ダンネベルグ夫人は他界の人ですし、伸子もそれを口に出す道理は

(ありません。しかし、じけんのさいしょのよる、のぶこがかびんをこわしたさいに、たしかあなたは)

ありません。しかし、事件の最初の夜、伸子が花瓶を壊した際に、たしか貴方は

(あのへやにおいでになりましたね れヴぇずはおもわずがくっとして、ひじかけをにぎった)

あの室にお出でになりましたね」レヴェズは思わず愕然として、肱掛を握った

(かたてがけしくもふるえだした。それでは、わしがのぶこにあいをもとめたのを)

片手が怪しくも慄え出した。「それでは、儂が伸子に愛を求めたのを

(はっけんされたために、もちぶんをうしなうまいとして、ぐれーてさんをころしたのだ と。)

発見されたために、持分を失うまいとして、グレーテさんを殺したのだーーと。

(ばかな、それはあんたのじぶんかってなこのみだ。あんたは、ゆがんだくうそうのために、)

莫迦な、それは貴方の自分勝手な好尚だ。貴方は、歪んだ空想のために、

(じょうきをいっしとるのです ところがれヴぇずさん、そのかいしきというのは、あなたが)

常軌を逸しとるのです」「ところがレヴェズさん、その解式と云うのは、貴方が

(さいさんぶつかってごぞんじのはずですがね。)

再三打衝って御存じのはずですがね。

(どっほ・ろーぜん・じんです・うぉばい・かいん・りーど・めーる・ふれーてっと つまり、れなうの)

そこにあるは薔薇なりその辺りに鳥の声は絶えて響かずつまり、レナウの

(へるぷすとげふゅーる のいっせつなんですから とのりみずは、しずかなせんれんされたちょうしで、)

『秋の心』の一節なんですから」と法水は、静かな洗煉された調子で、

(かれのじっしょうほうをのべるのだった。ところで、いまとなればおきづきでしょうが、)

彼の実証法を述べるのだった。「ところで、今となれば御気づきでしょうが、

(ぼくはじけんのかんけいしゃをうつすしんぞうきょうとして、じつはしをもちいました。そして、おおくの)

僕は事件の関係者を映す心像鏡として、実は詩を用いました。そして、数多の

(しょうちょうをぶちまけておいたのです。つまり、それにあわしたふごうなりしょうおうなりを、)

象徴を打ち撒けておいたのです。つまり、それに合した符号なり照応なりを、

(ちょうこうてきにかいしゃくして、それでこころのおくそこをしろうとしました。さて、あのれなうの)

徴候的に解釈して、それで心の奥底を知ろうとしました。さて、あのレナウの

(しですが、それをもちいて、ぼくがいっしゅのどくしんじゅつにせいこうしたのです。というのは、)

詩ですが、それを用いて、僕が一種の読心術に成功したのです。と云うのは、

(しんりがくじょうのじゅつごでれんそうぶんせきといって、それを、らいへるとなどのしんぱほうしんりしゃたちは)

心理学上の術語で聯想分析と云って、それを、ライヘルト等の新派法心理者達は

(よしんはんじのじんもんちゅうにももちいよ とかんこくしているのです。なぜなら、ここに)

予審判事の訊問中にも用いよーーと勧告しているのです。何故なら、ここに

(つぎのような、みゅんすたーべるひのしんりじっけんがあるからで・・・・・・。)

次のような、ミュンスターベルヒの心理実験があるからで。

(さいしょてゅーまると tumult とかいたかみをひけんしゃにしめして、そのちょくご、)

最初喧騒(Tumult)と書いた紙を被験者に示して、その直後、

(れいるろーど railroad とみみもとでささやくと、そのしへんのもじのことを、)

鉄路(Railroad)と耳元で囁くと、その紙片の文字のことを、

(ひけんしゃはたんねるとこたえたというのですよ。つまり、われわれのれんそうちゅうに、ほかから)

被験者は隧道と答えたと云うのですよ。つまり、吾々の聯想中に、他から

(ゆうきてきなちからがはたらくと、そこにいっしゅのさっかくがおこらねばならないからです。けれども)

有機的な力が働くと、そこに一種の錯覚が起らねばならないからです。けれども

(ぼくは、それにどくじのかいしゃくをくわえて、そのこうしき つまり、)

僕は、それに独自の解釈を加えて、その公式ーーつまり、

(tumult ぷらす railroad いこーる tunnel をぎゃくにおうようして、)

Tumult + Railroad = Tunnel を逆に応用して、

(まず1をあいてのしんぞうとし、そのみちすうを2と3とでびょうはしようと)

まず1を相手の心像とし、その未知数を2と3とで描破しようと

(くわだてたのでした。そこでまず、どっほ・ろーぜん・じんです といったあとで、あなたの)

企てたのでした。そこでまず、そこにあるは薔薇なりと云った後で、貴方の

(のべるいっくいっくをけんとうしてみました。すると、あなたはぼくのかおいろをうかがうような)

述べる一句一句を検討してみました。すると、貴方は僕の顔色を窺うような

(たいどになって、ではろーぜん・ヴぁいらうふをたいたのでは といわれましたね。)

態度になって、では薔薇乳香を焚いたのではーーと云われましたね。

(ぼくはそこで、ずきんとしんけいにつきあげてくるものをかんじたのです。なぜなら、)

僕はそこで、ズキンと神経に衝き上げてくるものを感じたのです。何故なら、

(かとりっくでもゆだやきょうでも、にゅうこうにはぼすうぇりあしゅとてゅりふぇらのにしゅしか)

公教でも猶太教でも、乳香にはボスウェリア種とテュリフェラの二種しか

(ないからで、もちろんこんしゅのこうりょうはしゅうぎじょうゆるされていないからです。つまり、)

ないからで、勿論混種の香料は宗儀上許されていないからです。つまり、

(ろーぜん・ヴぁいらうふというひとことは、あなたのしんちゅう、おくふかくにひそんでいるものがあって、)

薔薇乳香という一言は、貴方の心中、奥深くに潜んでいるものがあって、

(そのゆうきてきなえいきょうに、ちがいないとけつろんするにいたりました。あきらかにそのいちごは、)

その有機的な影響に、違いないと結論するに至りました。明らかにその一語は、

(なにかひとつのしんじつをものがたろうとしています。しかし、それがなんであるかは、)

何か一つの真実を物語ろうとしています。しかし、それが何であるかは、

(ついいましがたのぶこのるすちゅうをねらって、あのへやをふたたびちょうさするまではしるすべも)

つい今しがた伸子の留守中を狙って、あの室を再び調査するまでは知る術も

(ありませんでした とのりみずはおもむろにたばこにひをつけ、ひといきすうとつづけた。)

ありませんでした」と法水はおもむろに莨に火を点け、一息吸うと続けた。

(ところでれヴぇずさん、あのへやのしょしつのなかには、りょうがわにしょだなが)

「ところでレヴェズさん、あの室の書室の中には、両側に書棚が

(ならんでいましたね。そして、のぶこがよろめいてかびんにぶっつけたという)

並んでいましたね。そして、伸子が蹌踉いて花瓶に打衝たと云う

(せんとうるすらき は、いりぐちのすぐわきにある、しょだなのじょうだんにあったのです。)

『聖ウルスラ記』は、入口のすぐ脇にある、書棚の上段にあったのです。

(しかし、そのしょもつは、それがためじゅうしんをうしなうというほどのじゅうりょうではありません。)

しかし、その書物は、それがため重心を失うと云うほどの重量ではありません。

(もんだいはかえって、それととなりあっている、はんす・しぇーんすぺるがーの)

問題はかえって、それと隣り合っている、ハンス・シェーンスペルガーの

(ヴぁいすざーげんと・らうふ にあったのですよ。それをはっけんしてぼくは、そのぐうぜんのてきちゅうに、)

『予言の薫烟』にあったのですよ。それを発見して僕は、その偶然の的中に、

(おもわずうすきみわるさをおぼえたほどでした。なぜなら、その ヴぁいすざーげんと・らうふ)

思わず薄気味悪さを覚えたほどでした。何故なら、その『予言の薫烟』

(weissagend rauch には、ちょうどみゅんすたーべるひの)

(Weissagend rauch)には、ちょうどミュンスターベルヒの

(じっけんと、どういつのかいしきがふくまれているからです。)

実験と、同一の解式が含まれているからです。

(tumult ぷらす railroad いこーる tunnel のこうしきが、かっきり、)

Tumult+Railroad=Tunnelの公式が、かっきり、

(weissagend rauch ぷらす rosen いこーる)

Weissagend rauch+Rosen=

(rosen weihrauch にてきおうされるからです。つまり、)

Rosen Weihrauchに適応されるからです。つまり、

(ヴぁいすざーげんと・らうふといって、とうじあなたののうりにふどうしていたひとつのかんねんが、ろーぜんに)

予言の薫烟と云って、当時貴方の脳裡に浮動していた一つの観念が、薔薇に

(ゆうどうされ、そこで、ろーぜん・ヴぁいらうふといういちごとなっていひょうめんにあらわれたのでした。)

誘導され、そこで、薔薇乳香と云う一語となって意表面に現われたのでした。

(こうして、ぼくのれんそうぶんせきはかんせいされ、それとどうじに、あなたがそのいっさつのなを、)

こうして、僕の聯想分析は完成され、それと同時に、貴方がその一冊の名を、

(たえずのうりからはなせないりゆうをしることができたのです。なぜなら、さらに)

絶えず脳裡から離せない理由を知ることが出来たのです。何故なら、さらに

(あのへやのじょうきょうをしさいにかんさつしてゆくと、のぶこがかびんをたおすまでのしんそうが)

あの室の状況を仔細に観察してゆくと、伸子が花瓶を倒すまでの真相が

(あきらかになって、そこに、あなたのかおがあらわれでたからですよ と、まずかれが)

明らかになって、そこに、貴方の顔が現われ出たからですよ」と、まず彼が

(しつらえた、きょうげんのせかいをかたりおわってから、もんだいをのぶこのどうさにうつした。そして、)

設えた、狂言の世界を語り終ってから、問題を伸子の動作に移した。そして、

(のりみずどくとくのびみょうなせいりてきかいせきをのべるのだった。)

法水独特の微妙な生理的解析を述べるのだった。

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