黒死館事件103

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小栗虫太郎の作品です。
句読点以外の記号は省いています。

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問題文

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(ああ、てる・てーる・しむぼる。 とはなんであろうか。そのほぐれきれない)

ああ、もの云う表象。ーーとは何であろうか。その解れきれない

(きりのようなものは、みょうにきんにくがこわばり、ちがこおりつくようなくうきを)

霧のようなものは、妙に筋肉が硬ばり、血が凍りつくような空気を

(くうきをつくってしまった。ところが、そのうちせれなふじんのめがいように)

空気を作ってしまった。ところが、そのうちセレナ夫人の眼が異様に

(またたかれたかとおもうと、さいしょのりみずをみ、それから、のぶこににくにくしげな)

瞬かれたかと思うと、最初法水を見、それから、伸子に憎々しげな

(いちべつをくれたが、すぐにそのしせんは、だんかのいってんにおちて)

一瞥をくれたが、すぐにその視線は、壇下の一点に落ちて

(うごかなくなってしまった。そこには、いいようのないふきつなしょめいがあった。)

動かなくなってしまった。そこには、云いようのない不吉な署名があった。

(のりみずが、みぎからひだりへというものいうてる・てーる・しむぼる ちょうどそれにあたるものが、)

法水が、右から左へというもの云う表象ーーちょうどそれに当るものが、

(くりヴぉふふじんのせにあらわれていたのだ。そのゆびさししているてのかたちをした)

クリヴォフ夫人の背に現われていたのだ。その指差している手の形をした

(ちのたまりが、あろうことかしとうのほうこうを、うほうのだんじょう すなわちのぶこのいちに)

血の溜りが、あろうことか指頭の方向を、右方の壇上ーーすなわち伸子の位置に

(むけていたからである。のみならず、あるいはきのせいかはしらないけれども、)

向けていたからである。のみならず、あるいは気のせいかは知らないけれども、

(なんとなくそのかたちが、はーぷにもにているようにおもわれるのだった。いちどうは)

なんとなくその形が、竪琴にも似ているように思われるのだった。一同は

(いいしれぬおそろしいちからをかんじて、しばらくそのふごうにくぎづけされてしまった。)

云いしれぬ恐ろしい力を感じて、しばらくその符号に釘づけされてしまった。

(やがて、のぶこははーぷにかおをかくして、かたをふるわせはげしいいきづかいをはじめたが、)

やがて、伸子は竪琴に顔を隠して、肩を顫わせ激しい息使いを始めたが、

(のりみずは、それなりじんもんをうちきってしまった。さんにんがでていってしまうと、)

法水は、それなり訊問を打ち切ってしまった。三人が出て行ってしまうと、

(くましろはねつのあるようなめをのりみずにむけて、やれやれ、こいつもまたけっこうな)

熊城は熱のあるような眼を法水に向けて、「やれやれ、此奴もまた結構な

(ほとけさまだ。どうだい、このぜんだてのねんいりさかげんは とふぁうすとはかせの)

仏様だ。どうだい、この膳立ての念入りさ加減は」とファウスト博士の

(まほうのようなのみのあとに、おもわずわくらんぎみなたんそくをもらすのだった。けんじは)

魔法のような彫刀の跡に、思わず惑乱気味な嘆息を洩らすのだった。検事は

(たまらなくなったようないきつきをして、のりみずにいった。すると、けっきょくきみは、)

たまらなくなったような息付きをして、法水に云った。「すると、結局君は、

(このあんごうを、えっけ・ほも とかいしゃくするのかね いやどうして、)

この暗合を、この人を見よーーと解釈するのかね」「いやどうして、

(ひっく・えすと・なつーら・えと・あくわ さ とのりみずはあっけなく)

それは自然のままにして、しかも流動体なりーーさ」と法水はあっけなく

など

(いいはなって、そのとつぜんのへんせつがけんじをおどろかせてしまった。むろんそうなると、)

云い放って、その突然の変説が検事を驚かせてしまった。「無論そうなると、

(あのさんにんは、かんぜんにぼくのぎにょーるになってしまうのだよ。いまにみたまえ、)

あの三人は、完全に僕の指人形になってしまうのだよ。いまに見給え、

(あのさんびきのしんかいぎょは、きっとじぶんのいぶくろを、ぼくのまえへはきだしにくるに)

あの三匹の深海魚は、きっと自分の胃腑を、僕の前へ吐き出しにくるに

(そういないのだから とそれからのりみずは、かれがえんしゅつしようとするしんりげきが、)

相違ないのだから」とそれから法水は、彼が演出しようとする心理劇が、

(いかにすばらしいかをしらせるのだった。そこで、ぼくがでしるほうをひゆにした)

いかに素晴らしいかを知らせるのだった。「そこで、僕がデシル法を譬喩にした

(ほんとうのいみをいうと、それが、はたたろうとヴぁいおりんとのかんけいにあったのだよ。)

本当の意味を云うと、それが、旗太郎と提琴との関係にあったのだよ。

(きみはきがつかなかったかね。あのおとこはひだりききにもかかわらず、げんざいゆみをみぎに、)

君は気がつかなかったかね。あの男は左利にもかかわらず、現在弓を右に、

(ヴぁいおりんをひだりにもっていたじゃないか。つまり、それがでしるほうの、)

提琴を左に持っていたじゃないか。つまり、それがデシル法の、

(ひだりからみぎへ のほんたいなんだよ。しかしはぜくらくん、まさかにそのこんすたんとが、ぐうぜんの)

左から右へーーの本体なんだよ。しかし支倉君、まさかにその恒数が、偶然の

(じこじゃあるまいね そのとき、くりヴぉふふじんのしたいがはこびだされ、)

事故じゃあるまいね」その時、クリヴォフ夫人の屍体が運び出され、

(それといれかわって、ひとりのしふくがはいってきた。もちろんぜんかんにわたるそうさが)

それと入れ代って、一人の私服が入って来た。勿論全館にわたる捜査が

(おわったのであったが、そのもたらせられたほうこくには、おもわずおどろきのめを)

終ったのであったが、そのもたらせられた報告には、思わず驚きの眼を

(みはるものがあった。というのは、もちゅありー・るーむのかぎはもちろんのことで、)

みはるものがあった。と云うのは、殯室の鍵は勿論のことで、

(それにあろうことかれヴぇずのすがたが、きょくもくのだいいちをおわってきゅうけいにはいると、どうじに)

それにあろうことかレヴェズの姿が、曲目の第一を終って休憩に入ると、同時に

(きえてしまったというのだった。なおそれにともなって、ちょうどさんじがはっせいした)

消えてしまったというのだった。なおそれに伴って、ちょうど惨事が発生した

(じこくには、しんさいはびょうがちゅう、しずこはとしょしつのなかで、ちょさくのこうを)

時刻には、真斎は病臥中、鎮子は図書室の中で、著作の稿を

(つづけていたということもわかった。しかし、それをきくと、のりみずのかおには)

続けていたということも判った。しかし、それを聴くと、法水の顔には

(ただならぬあんえいがただよいはじめた。かれはもはやじっとしていられなくなったように)

ただならぬ暗影が漂いはじめた。彼はもはや凝然としていられなくなったように

(もどかしげなあしどりでしつないをあるきはじめたが、とつぜんたちどまって、すうびょうかん)

焦かしげな足取りで室内を歩きはじめたが、突然立ち止って、数秒間

(つったったままでかんがえはじめた。そのうち、かれのめにいじょうなこうぼうが)

突っ立ったままで考えはじめた。そのうち、彼の眼に異常な光芒が

(あらわれたかとおもうと、ぽんとゆかをけって、そのたかいこだまのなかから、)

現われたかと思うと、ポンと床を蹴って、その高い反響の中から、

(あげたかんせいがあった。うんそうだ。れヴぇずのしっそうが、ぼくにえいこうを)

挙げた歓声があった。「うんそうだ。レヴェズの失踪が、僕に栄光を

(あたえてくれたよ。げんざいぼくらのじゅなんたるや、あのおとこのものすごいゆーもあを)

与えてくれたよ。現在僕等の受難たるや、あの男の物凄い諧謔を

(ほぐせなかったにある。ねえくましろくん、あのかぎはもちゅありー・るーむのなかにあるのだよ。ろうかのどあは)

解せなかったにある。ねえ熊城君、あの鍵は殯室の中にあるのだよ。廊下の扉は

(うちがわからとざされたんだ。そして、れヴぇずはおくのししつのなかにすがたをけしたのだよ)

内側から鎖されたんだ。そして、レヴェズは奥の屍室の中に姿を消したのだよ」

(な、なにをいうんだ。きみはきでもくるったのか!?とくましろはびっくりして、のりみずを)

な、何を云うんだ。君は気でも狂ったのか!?」と熊城は吃驚して、法水を

(みつめだした。なるほど、もちゅありー・るーむのなかべやのゆかには、あしあとらしいかすれひとつ)

瞶め出した。なるほど、殯室の中室の床には、足跡らしい掠れ一つ

(なかったのだ。また、よころうかのししつのまどには、ないぶからかたくかぎがねが)

なかったのだ。また、横廊下の屍室の窓には、内部から固く鍵金が

(おろされていた。しかし、ついにのりみずは、れヴぇずにふらいんぐ・かーぺっとを)

下されていた。しかし、ついに法水は、レヴェズに飛行絨毯を

(あたえてしまったのである。すると、ぜんしつのゆたきをつくったのは、なんのためだい。)

与えてしまったのである。「すると、前室の湯滝を作ったのは、何のためだい。

(そして、なかべやのゆかにうつくしいまぼろしのせかいをつくって、そのうえのあしあとを)

そして、中室の床に美しい幻の世界を作って、その上の足跡を

(けしてしまったのは?ときょうねつてきなくちょうでやりかえして、さいごに、えんそうだいのはしを)

消してしまったのは?」と狂熱的な口調でやり返して、最後に、演奏台の端を

(がんとたたいた。そして、かれのせんめいは、あのげんかいきわまるぶれぞんりーをして、ついに)

ガンと叩いた。そして、彼の闡明は、あの幻怪きわまる紋章模様をして、ついに

(れヴぇずのおりたらしめたのだった。ところでくましろくん、きみはよく、たばこのけむりを)

レヴェズの檻たらしめたのだった。「ところで熊城君、君はよく、莨の烟を

(ぱっぱとわにはくけれども、それをきたいのりずむうんどうというのだよ。ところが、)

パッパと輪に吐くけれども、それを気体のリズム運動と云うのだよ。ところが、

(それとおなじげんしょうが、りょうたんのおんどとあつりょくにへだたりがあるばあい、ちゅうおうにふくらみのある)

それと同じ現象が、両端の温度と圧力に差異がある場合、中央に膨みのある

(らむぷのほやや、かぎあななどにもあらわれるのだ。それから、あのばあいもうひとつちゅういを)

洋燈のホヤや、鍵孔などにも現われるのだ。それから、あの場合もう一つ注意を

(ようするのは、なかべやのしゅうへきをなしているせきしつなんだ。それが、ばしりかふうの)

要するのは、中室の周壁をなしている石質なんだ。それが、バシリカ風の

(そういんけんちくなどによくつかわれるせっかいせきなんだが、とうぜんながいねんげつのあいだに)

僧院建築などによく使われる石灰石なんだが、当然永い年月の間に

(ふうかされているだろうからね。したがって、たいじんのなかには、みずにようかいする)

風化されているだろうからね。したがって、堆塵の中には、水に溶解する

(せっかいぶんがまじっているとみてさしつかえないのだ。そこで、れヴぇずはまず、ぜんしつに)

石灰分が混っていると見て差支えないのだ。そこで、レヴェズはまず、前室に

(ゆたきをつくってもうきをはっせいさせたのだ。すると、じかんがたつにつれて、しだいに)

湯滝を作って濛気を発生させたのだ。すると、時間が経つにつれて、しだいに

(ぜんごふたつのへやの、おんどとあつりょくにへだたりができてくるのだから、そこに、)

前後二つの室の、温度と圧力に隔りが出来てくるのだから、そこに、

(ちょうどかっこうなじょうたいがつくられる。そして、かぎあなからはきだされるりんけいのもうきが、)

ちょうど恰好な状態が作られる。そして、鍵孔から吐き出される輪形の濛気が、

(なかべやのてんじょうをめがけてじょうしょうしていったのだよ なるほど、りんけいのじょうきと)

中室の天井を目がけて上昇して行ったのだよ」「なるほど、輪形の蒸気と

(せっかいぶんとでか けんじはわかったようにうなずいたが、そのあいだもかすかに)

石灰分とでか」検事は判ったように頷いたが、その間も微かに

(みをふるわせていた。)

身を顫わせていた。

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