黒死館事件108

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小栗虫太郎の作品です。
句読点以外の記号は省いています。

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問題文

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(わたくしどもははっきりしたしょうげんをしにまいりました。じつは、のぶこをきつもんして)

「私どもは明瞭した証言をしにまいりました。実は、伸子を詰問して

(いただきたいのですが なにかみたにのぶこを!?とのりみずは、ちょっとおどろいたような)

頂きたいのですが」「なに紙谷伸子を!?」と法水は、ちょっと驚いたような

(そぶりをみせたけれども、そのかおには、かくそうとしてもかくしえようのない、)

素振を見せたけれども、その顔には、隠そうとしても隠し得ようのない、

(かいしんのえみがうかんできた。そうすると、あのかたが、あなたがたをころすとでも)

会心の笑が浮んできた。「そうすると、あの方が、貴女がたをころすとでも

(いいましたかな。いや、じじつだれかれにも、とうていうちこわすことのできない)

云いましたかな。いや、事実誰かれにも、とうてい打ち壊すことの出来ない

(しょうへきがあるのですよ それに、はたたろうがわってはいった。そして、あいかわらず)

障壁があるのですよ」それに、旗太郎が割って入った。そして、相変らず

(このいじょうなそうじゅくじは、みょうにろうせいしたおとなのような、やわらかみのあるちょうしでいった。)

この異常な早熟児は、妙に老成した大人のような、柔か味のある調子で云った。

(のりみずさん、そのしょうへきというのが、いままでぼくらには、しんりてきに)

「法水さん、その障壁と云うのが、今まで僕等には、心理的に

(きずかれておりましてね。げんにつたこさんが、さいぜんれつのはしにいられたのを)

築かれておりましてね。現に津多子さんが、最前列の端にいられたのを

(ごぞんじでしょう。ところが、そのしょうへきを、いまここにいられるかたがたが)

御存じでしょう。ところが、その障壁を、いまここにいられる方々が

(うちこわしてくれたのでした わたしは、しゃんでりやがきえるとすぐに、はーぷのほうから)

打ち壊してくれたのでした」「私は、装飾灯が消えるとすぐに、竪琴の方から

(ひとのちかづいてくるけはいをかんじました とそういいながら、たぶんひょうろんかの)

人の近づいて来る気配を感じました」とそう云いながら、たぶん評論家の

(しかつねみつるとおもわれる そのひたいのぬけあがったしじゅうおとこは、さゆうをふりむいてしゅういの)

鹿常充と思われるーーその額の抜け上った四十男は、左右を振り向いて周囲の

(どういをもとめた。そしてつづけた。さあ、それはきどうとでもいうのでしょうかな。)

同意を求めた。そして続けた。「サア、それは気動とでも云うのでしょうかな。

(それより、きぬがすれあうとうなりがおこりますから、たぶんそれではないかとも)

それより、絹が摺れ合うと唸りが起りますから、たぶんそれではないかとも

(おもうのです。しかしいずれにしても、そのおとはしだいにひろがりを)

思うのです。しかしいずれにしても、その音はしだいに拡がりを

(ましてまいりました。そして、それがぱったりとだえたかとおもうと、どうじに)

増してまいりました。そして、それがパッタリ杜絶えたかと思うと、同時に

(だんじょうで、あのひつうなうめきごえがはっせられたのです なるほどあなたのぺんには、)

壇上で、あの悲痛な呻き声が発せられたのです」「なるほど貴方の筆鋒には、

(じゅうぶんどくさつこうかはあるでしょう とのりみずは、むしろひにくなびしょうをもらし)

充分毒さつ効果はあるでしょう」と法水は、むしろ皮肉な微笑を洩らし

(うなずいた。ですが、こういうはっくすれいをごぞんじですか。 しょうこいじょうに)

頷いた。「ですが、こういうハックスレイを御存じですか。ーー証拠以上に

など

(でただんていは、ごびゅうというだけではすまされない、むしろくらいむである と。)

出た断定は、誤謬と云うだけでは済まされない、むしろ犯罪であるーーと。

(ははははは、どうせみゅーずのいとのおとまでもきけるのでしたら、そんなふうに、)

ハハハハハ、どうせ音楽の神の絃の音までも聴けるのでしたら、そんな風に、

(とりのこえでいびゅこすのしをつげるというのはどうですかな。かえってぼくは、)

鶏の声でイビュコスの死を告げると云うのはどうですかな。かえって僕は、

(ありおんをすくったほうが、おんがくずきのいるかのぎむではないかとおもうのですよ)

アリオンを救った方が、音楽好きの海豚の義務ではないかと思うのですよ」

(なに、おんがくずきのいるかですって!?いならんでいるひとりがふんげきしてさけんだ。)

「なに、音楽好きの海豚ですって!?」居並んでいる一人が憤激して叫んだ。

(そのおとこはさたんにちかいはたたろうのちょっかにいた、おおたわらすえおという)

その男は左端に近い旗太郎の直下にいた、大田原末雄という

(ほるんそうしゃであった。よろしい、ありおんはとうにすくわれているんですぞ。)

ホルン奏者であった。「よろしい、アリオンは既に救われているんですぞ。

(しかし、ぼくのいちがいちだったので、しかつねくんのいうそのけはいというのは)

しかし、僕の位置が位置だったので、鹿常君の云うその気配というの

(きこえませんでした。けれども、かえってこのおふたりにちかかっただけに、かんぜんな)

聴えませんでした。けれども、かえってこのお二人に近かっただけに、完全な

(どうせいをにぎっているといってもかごんではないのですよ。のりみずさん、ぼくもやはり)

動静を握っていると云っても過言ではないのですよ。法水さん、僕もやはり

(いようなうなりをききました。それは、うめきごえがおこるとどうじにとだえましたが・・・・・・、)

異様な唸りを聴きました。それは、呻き声が起ると同時に杜絶えましたが、

(しかしそのおとは、はたたろうさんがひだりききで、せれなふじんがみぎききであるかぎり、きゅーのいとが)

しかしその音は、旗太郎さんが左利で、セレナ夫人が右利である限り、弓の弦が

(ななめにすれあっておこったものにそういないのですよ そのときせれなふじんは、)

斜めに擦れ合って起ったものに相違ないのですよ」その時セレナ夫人は、

(ひにくなあきらめのいろをあらわしてのりみずをみた。とにかく、このたいしょうのいみがひじょうに)

皮肉な諦めの色を現わして法水を見た。「とにかく、この対照の意味が非常に

(たんじゅんなだけに、かえってひにくなあなたには、ひょうかがこんなんなのでございましょう。)

単純なだけに、かえって皮肉な貴方には、評価が困難なのでございましょう。

(けれども、ごじぶんのかんせいいがいのしんけいで、もしはんだんしていただけるのでしたら、きっと)

けれども、御自分の慣性以外の神経で、もし判断して頂けるのでしたら、きっと

(あのちごいねるに、くらかう でんせつにおけるふぁうすとはかせが、まじゅつしゅぎょうのとち の)

あの賤民に、クラカウ(伝説におけるファウスト博士が、魔術修行の土地)の

(おもいでがかがやくにそういございませんわ そうして、いちどうがでていってしまうと、)

想い出が輝くに相違ございませんわ」そうして、一同が出て行ってしまうと、

(くましろはなんしょくをあらわして、のりみずにどくづいた。いやどうもあきれたことだ、むしろ)

熊城は難色を現わして、法水に毒づいた。「いやどうも呆れたことだ、むしろ

(あたえられたものをすなおにとるほうが、きみにふさわしいこうしょうなせいしんだとおもうんだがね。)

与えられたものを素直に取る方が、君に適わしい高尚な精神だと思うんだがね。

(それよりのりみずくん、いまのしょうげんで、きみがさっきいったぶぐしつのほうていしきを)

それより法水君、今の証言で、君が先刻云った武具室の方程式を

(おもいだしてもらいたいんだ。あのとききみは、2ひく1はくりヴぉふだといったね。)

憶い出してもらいたいんだ。あの時君は、2-1=クリヴォフだと云ったね。

(しかし、そのかいとうのくりヴぉふがころされたとしたら・・・・・・じょうだんじゃない。)

しかし、その解答のクリヴォフがころされたとしたら」「冗談じゃない。

(あんなのちごいねる・ゆんぐふらうが、どうして、このきゅうていいんぼうのたてやくしゃなもんか とのりみずは)

あんな賤民の娘が、どうして、この宮廷陰謀の立役者なもんか」と法水は

(ちからをこめていいかえした。なるほど、のぶこというおんなはすこぶるきみょうなそんざいで、)

力を罩めて云い返した。「なるほど、伸子という女はすこぶる奇妙な存在で、

(だんねべるぐじけんとかりりよんしつをのぞいたいがいは、かんぜんにじょうきょうしょうこのあみのなかに)

ダンネベルグ事件と鐘鳴器室を除いた以外は、完全に情況証拠の網の中に

(あるのだ。しかし、あのひょうほんてきなひとみごくうがあるがために、ふぁうすとはかせは、)

あるのだ。しかし、あの標本的な人身御供があるがために、ファウスト博士は、

(ようきなごきげんをつづけていられるんだぜ。だいいちのぶこには、どうきもしょうどうもない。)

陽気な御機嫌を続けていられるんだぜ。第一伸子には、動機も衝動もない。

(たとえばどんなさでぃすとでさえも、そういったびょうてきしんりを、ひきだすにいたる)

例えばどんな作虐せい犯罪者でさえも、そういった病的心理を、引き出すに至る

(どういんが、かならずあるものなんだよ。げんに、いまもあのふぃるはーもにっく・どるふぃんずが・・・・・・)

動因が、必ずあるものなんだよ。現に、いまもあの好楽の海豚どもが」

(とのりみずがなにごとかにふれようとしたとき、さっきちょうさをめいじておいたぼしこんのほうこくが)

と法水が何事かに触れようとした時、先刻調査を命じておいた拇指痕の報告が

(もたらされた。しかし、けっかはとろうにおわって、それにがいとうするものは、ついに)

もたらされた。しかし、結果は徒労に終って、それに該当するものは、ついに

(あらわれでてこなかった。のりみずはつかれたようなめをして、しばらくかんがえていたが、)

現われ出て来なかった。法水は疲れたような眼をして、しばらく考えていたが、

(ふとなんとおもったか、さろんのまんとるぴーすにならんでいる、ぽっつ・おぶ・めもりーをじさんするように)

ふと何と思ったか、広間の煖炉棚に並んでいる、忘れな壺を持参するように

(めいじた。それはそうけいにじゅうあまりもあって、すでにこじんとなり、)

命じた。それは総計二十あまりもあって、すでに故人となり、

(はなれさったひとたちのもあるけれど、このやかたにじゅうようなかんけいをもったひとたちには、)

離れ去った人達のもあるけれど、この館に重要な関係を持った人達には、

(あまねくつくらせて、かいそうをえいえんにとめんがためのものであった。ひょうめんには、)

あまねく作らせて、回想を永遠に止めんがためのものであった。表面には、

(すぺいんふうのびれいなゆうやくがほどこされていて、しろうとのてづくりのせいか、どこかかたちに)

西班牙風の美麗な釉薬が施されていて、素人の手作りのせいか、どこか形に

(こせつなところがあった。のりみずはそれをずらりとたくじょうにならべていった。)

古拙なところがあった。法水はそれをずらりと卓上に並べて云った。

(あるいは、ぼくのしんけいがかびんすぎるのかもしれないがね。しかし、)

「あるいは、僕の神経が過敏すぎるのかもしれないがね。しかし、

(このやかたのような、せいしんびょうりてきじんぶつのおおいところでは、おうなつしたゆびあとなどというものに)

この館のような、精神病理的人物の多い所では、押捺した指痕などというものに

(しんらいをおくと、それがそもそものまちがいになるのだよ。なぜなら、ときたま)

信頼を置くと、それがそもそもの間違いになるのだよ。何故なら、ときたま

(がいけんにあらわれないほっさがあるからね。そのとききょうちょくなりるいそうなりがおこったばあいに、)

外見に現われない発作があるからね。その時強直なり羸痩なりが起った場合に、

(ぼくらはとんでもないさくごをまねかんけりゃならんのだ。しかし、このつぼのうちがわには)

僕等はとんでもない錯誤を招かんけりゃならんのだ。しかし、この壺の内側には

(かならずへいせいなじょうたいのとき、おされたぼしこんがあるにそういない。くましろくん、きみは、)

必ず平静な状態の時、捺された拇指痕があるに相違ない。熊城君、君は、

(ここにあるつぼをうまくわってくれたまえ そうしていとぞこのせいめいとたいしょうして)

ここにある壺を巧く割ってくれ給え」そうして糸底の姓名と対照して

(わってゆくうちに、とうとうふたつがのこされてしまった。)

割ってゆくうちに、とうとう二つが残されてしまった。

(くろーど・でぃぐすびい・・・・・・わられたが、しかし、)

「クロード・ディグスビイ・・・・・・」割られたが、しかし、

(あのうぇーるずじゅうのものとはことなっていた。つぎに、ふりやぎさんてつ・・・・・・)

あのウェールズ猶太のものとは異なっていた。次に、降矢木算哲

(くましろのもったきづちがかるくうちおろされて、どうたいにじぐざぐのひびがはいった。)

熊城の持った木槌が軽く打ち下されて、胴体にジグザグの罅が入った。

(そうして、それがふたつにひらかれたつぎのしゅんかん、さんにんはまったくあくむのようなものを)

そうして、それが二つに開かれた次の瞬間、三人は全く悪夢のようなものを

(つかまされてしまった。ちょうどへりからいくぶんかほうにあたるところに、うたがうべくもない)

掴まされてしまった。ちょうど縁から幾分下方に当る所に、疑うべくもない

(ぼしこんが、れヴぇずののどにしるされたのとどういつのかたちであらわれた。さすがにけんじも)

拇指痕が、レヴェズの咽喉に印されたのと同一の形で現われた。さすがに検事も

(くましろも、このしょうげきにはことばをはっするきりょくさえうせてしまったらしい。)

熊城も、この衝撃には言葉を発する気力さえ失せてしまったらしい。

(そうしているうちに、くましろはねむりからさめたようなかたちで、あわててたばこのはいを)

そうしているうちに、熊城は眠りから醒めたような形で、慌てて莨の灰を

(おとしたが、のりみずくん、もんだいは、これできれいさっぱりわりきれてしまったのだ。)

落したが、「法水君、問題は、これで綺麗さっぱり割り切れてしまったのだ。

(もうゆうよするところはない。さんてつのぼこうをはっくつするんだ いや、ぼくはあくまで)

もう猶予するところはない。算哲の墓宕を発掘するんだ」「いや、僕はあくまで

(おーそどきしいをまもろう とのりみずはいようなじょうねつをこめてさけんだ。あのぎしんあんきに)

正統性を護ろう」と法水は異様な情熱を罩めて叫んだ。「あの疑心暗鬼に

(まどわされて、さんてつのせいぞんをしんずるというのなら、きみはかってにこうれいかいでも)

惑わされて、算哲の生存を信ずると云うのなら、君は勝手に降霊会でも

(ひらきたまえ。ぼくはくれすとれっす・すとーん をみつけて、にんげんさまのさつじんきとたたかうんだ)

開き給え。僕は紋章のないーーを見つけて、人間様の殺人鬼と闘うんだ」

(それからへきろのつみいしにきざまれているもんしょうのひとつひとつをたどってゆくと、)

それから壁炉の積石に刻まれている紋章の一つ一つを辿ってゆくと、

(はたしてみぎがわのつみいしのなかに、それらしいものをはっけんした。そして、のりみずがこころみに)

はたして右側の積石の中に、それらしいものを発見した。そして、法水が試みに

(それをおすと、きみょうなことには、そのぶぶんがゆびのいくがままにおちくぼんでゆく。)

それを押すと、奇妙なことには、その部分が指の行くがままに落ち窪んでゆく。

(すると、それとどうじに、そのいちだんのつみいしがおともなくあとずさりをはじめて、やがて、)

すると、それと同時に、その一段の積石が音もなく後退りを始めて、やがて、

(そのあとのゆかに、ぱっくりとしかくのやみがひらいた。こうどう でぃぐすびいのこくれつな)

その跡の床に、パックリと四角の闇が開いた。坑道ーーディグスビイの酷烈な

(じゅそのいしをこめたこのいちどうのやみは、へきかんをぬいかいそうのかんげきをあるいて、)

呪詛の意志を罩めたこの一道の闇は、壁間を縫い階層の間隙を歩いて、

(いすごへたどりつくのだろうか。かりりよんしつかれいはいどうかあるいはもちゅありー・るーむのなかにか、)

何処へ辿りつくのだろうか。鐘鳴器室か礼拝堂かあるいは殯室の中にか、

(それともしつうはったつのきろにわかれて・・・・・・。)

それとも四通八達の岐路に分れて。

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