黒死館事件117

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小栗虫太郎の作品です。
句読点以外の記号は省いています。

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問題文

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(とたんにいちどうのくちから、あわしたようなうめきのこえがもれた。ことにせれなふじんは、)

とたんに一同の口から、合したような呻きの声が洩れた。ことにセレナ夫人は、

(いきどおるというよりも、むしろあまりにいがいなじじつなので、ぼんやりはたたろうを)

憤ると云うよりも、むしろあまりに意外な事実なので、ぼんやり旗太郎を

(みつめたままじしつしてしまった。はたたろうはたらたらとあぶらあせをながし、ぜんしんを)

瞶めたまま自失してしまった。旗太郎はタラタラと膏汗を流し、全身を

(むちなわのようにくねらせて、げきどがこえをなみうたせていった。のりみずさん、ヴぉるげぼーれん)

鞭索のようにくねらせて、激怒が声を波打たせていった。「法水さん、貴方ーー

(いや!ほうほヴぉるげぼーれん!このじけんのどらごんというのは、とりもなおさずあなたのことだ。)

いや閣下!この事件の恐竜と云うのは、とりもなおさず貴方のことだ。

(しかし、おっとかーるさんののどにしるされていたというちちのしこんは)

しかし、オットカールさんの咽喉に印されていたという父の指痕はーー

(あのどらごんのつめあとは、いったいあなたのぶんしんなのですか どらごん!?とのりみずは、)

あの恐竜の爪痕は、いったい貴方の分身なのですか」「恐竜!?」と法水は、

(かむようにことばをきざんで、なるほど、どらごんといえるものが、)

噛むように言葉を刻んで、「なるほど、恐竜と云えるものが、

(あのもちゅありー・るーむにいたことはじじつたしかなんです。しかし、そのひとりふたやくのかたわれは)

あの殯室にいたことは事実確かなんです。しかし、その一人二役の片割れは

(らんのいっしゅ ぺだんてぃっくにいうと、りねぞるむ・おるきでえなんですがね といって、かいちゅうから)

蘭の一種ーー衒学的に云うと、竜舌蘭なんですがね」と云って、懐中から

(とりだしたれヴぇずのからーをひきさくと、そのあわせぬののあいだから、ちぢみきって)

取り出したレヴェズの襟布を引き裂くと、その合わせ布の間から、縮みきって

(かっしょくをした、もうようのおびがあらわれた。さらに、そのぜんめんには、それがまた、)

褐色をした、網様の帯が現われた。さらに、その前面には、それがまた、

(いくえにもかさねあまれていて、ちょうどおやゆびのかたちにみえるだえんけいをしたものが、)

幾重にも重ね編まれていて、ちょうど拇指の形に見える楕円形をしたものが、

(ふたつついていた。そのうえにとんとしとうをおとして、のりみずはいいつづけた。)

二つ附いていた。その上にトンと指頭を落して、法水は云い続けた。

(こうなれば、いっけんしてすでにめいはくです。もちろんすいぶんさえすえば、りねぞるむ・おるきでえのせんいは)

「こうなれば、一見してすでに明白です。勿論水分さえ吸えば、竜舌蘭の繊維は

(ぜんちょうのはちばいもちぢむといわれるのですからね。とうぜんもちゅありー・るーむのぜんしつに、)

全長の八倍も縮むと云われるのですからね。当然殯室の前室に、

(ゆたきをひつようとしたりゆうはいうまでもないでしょう。ところで、はんにんはさいしょ、)

湯滝を必要とした理由は云うまでもないでしょう。ところで、犯人は最初、

(そのせんいをめいん・すいっちのえにからげ、しゅうしゅくをりようしてでんりゅうをきったのです。)

その繊維を本開閉器の柄にからげ、収縮を利用して電流を切ったのです。

(そして、えがしたむきになると、そこからすっぽりとぬけて、すいりゅうのなかに)

そして、柄が下向きになると、そこからスッポリと抜けて、水流の中に

(おちたのですから、とうぜんはいすいこうからながれだしてしまうわけでしょう。それから、)

落ちたのですから、当然排水孔から流れ出してしまう訳でしょう。それから、

など

(つぎはいうまでもなく、ぼしこんのかたちを、りねぞるむ・おるきでえのせんいでつくったからーにりようして、)

次は云うまでもなく、拇指痕の形を、竜舌蘭の繊維で作った襟布に利用して、

(れヴぇずののどをしめていったのでした。つまり、れヴぇずのしは)

レヴェズの咽喉を絞めていったのでした。つまり、レヴェズの死は

(たさつではなく、じさつなんですよ。それで、だいたいのけいろを)

他さつではなく、自さつなんですよ。それで、だいたいの経路を

(そうぞうしてみますと、さいしょれヴぇずがおくのししつにはいったところをみとどけて、はんにんは)

想像してみますと、最初レヴェズが奥の屍室に入ったところを見届けて、犯人は

(ゆたきをつくったのでした。ですから、じょじょにしつどがたかまって、りねぞるむ・おるきでえがしゅうしゅくを)

湯滝を作ったのでした。ですから、徐々に湿度が高まって、竜舌蘭が収縮を

(はじめたので、れヴぇずはしだいにいきぐるしくなってゆきました。そこへなにか、)

始めたので、レヴェズはしだいに息苦しくなってゆきました。そこへ何か、

(あのおとこにじさつをひつようとするような、いじょうなげんいんがおこったのです。したがって、)

あの男に自さつを必要とするような、異常な原因が起ったのです。したがって、

(とうぜんれヴぇずのしには、ふたつのいしがはたらいているというわけで、さんてつににせた)

当然レヴェズの死には、二つの意志が働いているという訳で、算哲に似せた

(ぼしこんのうえに、あのおとこのひつうなしんりがかさなっていったのでしたよ とそこで)

拇指痕の上に、あの男の悲痛な心理が重なっていったのでしたよ」とそこで

(ことばをたちきって、のりみずはするどくはたたろうをみすえた。しかし、このからーには、)

言葉を截ち切って、法水は鋭く旗太郎を見据えた。「しかし、この襟布には、

(もちろんだれのかおもあらわれてはいません。けれども、いずれこのじけんのどらごんは、)

勿論誰の顔も現われてはいません。けれども、いずれこの事件の恐竜は、

(くさりのわからつめをひきぬくことが、できなくなってしまうでしょう)

鎖の輪から爪を引き抜くことが、できなくなってしまうでしょう」

(あせまみれになったはたたろうには、このわずかなあいだに、たんじゅうがぜんしんに)

汗まみれになった旗太郎には、このわずかな間に、胆汁が全身に

(あふれでたのではないかとおもわれた。すでに、どごうするきりょくもつきはてて、)

溢れ出たのではないかと思われた。すでに、怒号する気力も尽き果てて、

(ぼんやりあらぬほうをみつめている。が、やがて、ふらふらゆれているからだが)

ぼんやりあらぬ方を瞶めている。が、やがて、フラフラ揺れている身体が

(ぼうのようにかたくなったかとおもうと、そうしんしたはたたろうは、かおをすいへいにうちつけて)

棒のように硬くなったかと思うと、喪心した旗太郎は、顔を水平に打衝つけて

(たくじょうにたおれた。それをのりみずがしつがいにつれさらせると、せれなふじんもかるくもくれいして)

卓上に倒れた。それを法水が室外に連れ去らせると、セレナ夫人も軽く目礼して

(そのあとにつづいた。そうして、のぶこひとりがのこされたしつないには、しばらくゆるみきった)

その後に続いた。そうして、伸子一人が残された室内には、しばらく弛みきった

(けだるいちんもくがただよっていた ああ、あのいじょうなそうじゅくじがはんにんだったとは。)

気懶い沈黙が漂っていたーーああ、あの異常な早熟児が犯人だったとは。

(そのうち、あるきまわっていたのりみずがざにつくと、くんだままのうでをずしんとたくじょうに)

そのうち、歩き廻っていた法水が座に着くと、組んだままの腕をズシンと卓上に

(おき、いみありげなことばをのぶこになげた。ところで、あのきから)

置き、意味ありげな言葉を伸子に投げた。「ところで、あの黄から

(べにに ですか、ぼくはあくまでそのしんじつをしりたいのですよ すると、)

紅にーーですか、僕はあくまでその真実を知りたいのですよ」すると、

(そのとたんかのじょのかおがしんけいてきにけいれんして、おそらくぶべつとくつじょくをおぼえたとしか)

そのとたん彼女の顔が神経的に痙攣して、恐らく侮蔑と屈辱を覚えたとしか

(おもわれぬような、けっぺきさがくちをついてでた。それでは、わたしにれんそうごを)

思われぬような、潔癖さが口をついて出た。「それでは、私に聯想語を

(おもとめになりますの。きからくれないに そうすると、それがおれんじになるでは)

お求めになりますの。黄から紅にーーそうすると、それが黄橙色になるでは

(ございませんか。おれんじ ああ、あのぶらっどおれんじのことを)

ございませんか。黄橙色ーーああ、あのブラッド洋橙のことを

(おっしゃるのでしょう。それで、きっとあなたは、わたしがのんだれもなーでのすとろーから)

仰言るのでしょう。それで、きっと貴方は、私が嚥んだ檸檬水の麦藁から

(しゃぼんだまがとびだしたとでも・・・・・・。いいえわたしは、すとろーをたばにしてすうのが)

石鹸玉が飛び出したとでも。いいえ私は、麦藁を束にして吸うのが

(しゅうかんなのでございますわ。でもそうなったら、そのたばがいちどにつるへは、)

習慣なのでございますわ。でもそうなったら、その束が一度に弦へは、

(つがらないではございませんか とのぶこのひにくが、もうれつないきおいで)

番らないではございませんか」と伸子の皮肉が、猛烈な勢いで

(ばいかされていった。それから、あのだん だーねぶろーぐがかなしいはんきとなった)

倍加されていった。「それから、あのダンーー丁抹国旗が悲しい半旗となった

(ということが、あのだんねべるぐがわたしになにのかんけいがございますの。そして、)

ということが、あのダンネベルグが私に何の関係がございますの。そして、

(せいさんかりがいったいどんな・・・・・・いや、けっしてそんな・・・・・・。むしろそのことは)

青酸加里がいったいどんな」「いや、けっしてそんな。むしろその事は

(ぼくがつたこふじんにたいしていうべきでしょう と のりみずはかすかにべにをうかべたが、)

僕が津多子夫人に対して云うべきでしょう」と法水は微かに紅を泛べたが、

(しずかにいった。じつは、そのきからべにに というのが、あれきさんどらいとと)

静かに云った。「実は、その黄から紅にーーと云うのが、アレキサンドライトと

(るびーとのかんけいなんですよ。ねえのぶこさん、たしかあのときあなたは、きょぜつのしむぼる)

紅玉との関係なんですよ。ねえ伸子さん、たしかあの時貴女は、拒絶の表象ーー

(るびーをつけたのではありませんか いいえ、けっして・・・・・・とのぶこはのりみずを)

紅玉をつけたのではありませんか」「いいえ、けっして」と伸子は法水を

(じっとみつめ、こえにちからをこめた。そのしょうこには、えんそうがはじまるちょくぜんでしたけども)

凝と見詰め、声に力を罩めた。「その証拠には、演奏が始まる直前でしたけども

(はたたろうさまがわたしのかみかざりをごらんになって、いったいれヴぇずさまの)

旗太郎様が私の髪飾りを御覧になって、いったいレヴェズ様の

(あれきさんどらいとをどうして とおたずねになったのをおぼえておりますわ)

アレキサンドライトをどうしてーーとお訊ねになったのを憶えておりますわ」

(そののぶこのひとことは、いぜんれヴぇずのじさつのなぞをときえなかったばかりではなく)

その伸子の一言は、依然レヴェズの自さつの謎を解き得なかったばかりではなく

(さらにのりみずへかしゃくとざんきをくわえ、かれのこころのいちぐうにすくっている、とこよのおもにを)

さらに法水へ呵責と慚愧を加え、彼の心の一隅に巣喰っている、永世の重荷を

(ますますおもからしめた。しかしのりみずは、ついにこのさんげきのしんぴのとばりをひらき、)

ますます重からしめた。しかし法水は、ついにこの惨劇の神秘の帳を開き、

(あれほどふかのうしされていた、かいぜる・しゅにっとにせいこうした。すでに、そのときは)

あれほど不可能視されていた、帝王切開術に成功した。すでに、その時は

(よるのきざみがつきていて、むねのぼたんにかくとうをつるしたこおとこが、もんえいごやから)

夜の刻みが尽きていて、胸の釦に角燈を吊した小男が、門衛小屋から

(でかけてきた。ひとつふたつつぐみがなきはじめ、やがてほろうのかなたから、うつくしいうたごころの)

出掛けてきた。一つ二つ鶫が鳴きはじめ、やがて堡楼の彼方から、美しい歌心の

(わきでずにはいられない、あけぼのがせりあがってくるのであった。のりみずはのぶこと)

湧き出ずにはいられない、曙がせり上ってくるのであった。法水は伸子と

(まどぎわにたって、ぱのらまのようなちょうぼうを、うっとりとあじわっているうちに、)

窓際に立って、パノラマのような眺望を、恍惚と味わっているうちに、

(かのじょのかたにてをおき、むりょうのいみとあいちゃくとをこめていった。)

彼女の肩に手を置き、無量の意味と愛着とを罩めて云った。

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