心霊研究会の怪3 海野十三
青空文庫より引用
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問題文
(「じさつしたゆうじんのこと」)
【自殺した友人のこと】
(よびだしたしんれいとはなしをしていると、はじめはちがったひとのしんれいがでてきたように)
呼び出した心霊と話をしていると、はじめは違った人の心霊が出て来たように
(おもっていたものも、だんだんにそのほんにんのしんれいにまちがいないようにおもってくる。)
思っていた者も、だんだんにその本人の心霊に間違いないように思ってくる。
(そのしんれいに、「こっちのしゃばのせかいがみえるか」また「こっちのかおがみえるか」)
その心霊に、『こっちの娑婆の世界が見えるか』また『こっちの顔が見えるか』
(としつもんすると、しんれいはつぎのようにこたえる。)
と質問すると、心霊は次のように答える。
(「あなたがたのすんでいるせかいをみたいとおもうが、よくみえません。それは)
『あなたがたの住んでいる世界を見たいと思うが、よく見えません。それは
(あまどのわずかのすきまから、うすぐらいよるのがいけいをみるようなもので、しやはせまく、)
雨戸の僅かの隙間から、うす暗い夜の外景を見るようなもので、視野は狭く、
(そのうえにはっきりみえないのです。しかしあなたのおこえはよくきこえます。)
その上にはっきり見えないのです。しかしあなたのお声はよく聞えます。
(しゅぎょうをつむと、しゃばのせかいがもっとあかるくみえるのだそうですから、)
修行を積むと、娑婆の世界がもっと明るく見えるのだそうですから、
(しゅぎょうをはげみましょう」しごのせかいのありさまを、こんなふうにしんれいはつたえる。)
修行をはげみましょう』死後の世界の有様を、こんな風に心霊は伝える。
(そしてれいのしゅぎょうは、しごのせかいへきてはじめていみとこうけんをしょうじ、みらいのえいたつが)
そして霊の修行は、死後の世界へ来て始めて意味と効験を生じ、未来の栄達が
(やくそくされる。しゃばでいくらしゅぎょうしてみても、それはすなでとうをたてるようなもので)
約束される。娑婆でいくら修行してみても、それは砂で塔を建てるようなもので
(なんにもならない。しゃばは、たんにげんそうのせかいにすぎない。こういうことを)
何にもならない。娑婆は、単に幻想の世界に過ぎない。こういうことを
(しんれいはのべるので、それをしんじてみずからせいめいをちぢめ、じさつによってしごのせかいへ)
心霊は述べるので、それを信じて自ら生命を縮め、自殺によって死後の世界へ
(しゅっぱつしたわたしのゆうじんがある。かれはすぐれたぎじゅつしゃであったが、しんれいけんきゅうにこりだし、)
出発した私の友人がある。彼は勝れた技術者であったが、心霊研究に凝り出し、
(ほんとうにかちあるせかいーーすなわちしごのせかいのことだが、そこへはやく)
本当に価値ある世界ーーすなわち死後の世界のことだが、そこへ早く
(のりこんで、しんれいかがくをかくりつさせるのがけんめいであるときがつき、そこでみずからの)
乗りこんで、心霊科学を確立させるのが賢明であると気がつき、そこで自らの
(せいめいをたったのである。そしてわたしたちゆうじんにもゆいごんして、いちにちもはやくじぶんと)
生命を断ったのである。そして私たち友人にも遺言して、一日も早く自分と
(おなじきもちとなり、つぎのせかいへとつにゅうすることをくどくどとしてすすめてあった。)
同じ気持となり、次の世界へ突入することを諄々として薦めてあった。
(かれのばあい、しごのせかいへひきつけるじゅうだいなちからが、そのほかにもあった。それはかれの)
彼の場合、死後の世界へ引きつける重大な力が、その外にもあった。それは彼の
(さいくんがすでにしんでいたのである。しゃばにはかれと、じょじとがのこっていた。)
妻君が既に死んでいたのである。娑婆には彼と、女児とが残っていた。
(かれはたいへんなあいさいかであって、さいくんにしにわかれてからも、たんかやしにたくして)
彼はたいへんな愛妻家であって、妻君に死に別れてからも、短歌や詩に託して
(さいくんをおもいしのぶのであった。このさいくんのしんれいをかれはよびだしたのである。)
妻君を想い偲ぶのであった。この妻君の心霊を彼は呼び出したのである。
(これがかれにおおきなかんきをあたえた。れいばいのにくたいをつうじてはなしかけてくるあいては、)
これが彼に大きな歓喜を与えた。霊媒の肉体を通じて話しかけて来る相手は、
(たしかにぼうさいのしんれいにちがいなかった。べつのことばでいうと、それがかれはぼうさいの)
たしかに亡妻の心霊に違いなかった。別の言葉でいうと、それが彼は亡妻の
(しんれいにちがいないとおもったのである。かれはじけつするまでに、ななじゅうすうかいもその)
心霊に違いないと思ったのである。彼は自決するまでに、七十数回もその
(しんれいけんきゅうかいへかよって、ぼうさいのしんれいとかたりあっている。かれは、ゆうのうなぎじゅつしゃであり)
心霊研究会へ通って、亡妻の心霊と語り合っている。彼は、有能な技術者であり
(そのほうめんではすぐれたけんきゅうをはっぴょうし、こうじょうをけいえいし、たすうのこうじょうのこもんとして)
その方面では勝れた研究を発表し、工場を経営し、多数の工場の顧問として
(かつやくしていたじんぶつだった。それほどのかれであるから、れいばいをつうじてでてくる)
活躍していた人物だった。それほどの彼であるから、霊媒を通じて出て来る
(しんれいが、はたしてごうりてきなるぼうさいしんれいとみとめることができるかどうかについて、)
心霊が、果して合理的なる亡妻心霊と認めることが出来るかどうかについて、
(ちゅういをおこたらないでいた。ことにゆうじんたちから、「それはれいばいとしょうするおんなが)
注意を怠らないでいた。殊に友人たちから、『それは霊媒と称する女が
(どくしんじゅつをこころえていて、たくみにはなしのつじつまをあわせているのだよ。しっかりしろ」)
読心術を心得ていて、巧みに話の辻褄を合わせているのだよ。しっかりしろ』
(などというこうぎにたいして、かれはそうでないことをしょうめいしてみせた。)
などという抗議に対して、彼はそうでないことを証明してみせた。
(「どくしんじゅつでないしょうこがある。このまえ、ぼくのまったくしらないじじつを、つまはわたしに)
『読心術でない証拠がある。この前、僕の全く知らない事実を、妻は私に
(かたった。せいぜんのことであるが、ぼくにはないしょで、つまのいもうとにるびーのゆびわをかって)
語った。生前のことであるが、僕には内緒で、妻の妹にルビーの指環を買って
(あたえたというはなしがでたのだ。そこでぼくは、しんるいへたちよって、そんなじじつが)
あたえたという話が出たのだ。そこで僕は、親類へ立寄って、そんな事実が
(あるかどうかをたずねた。すると、たしかにそのじじつがあったことがわかった。)
あるかどうかを尋ねた。すると、確かにその事実があったことが分った。
(ただしるびーではなくてさふぁいあだったがね。しかしこれくらいのささいな)
但しルビーではなくてサファイアだったがね。しかしこれ位の些細な
(くいちがいは、しんれいじっけんにはよくおこるふつうのことなのだ。とにかくれいばいが)
食い違いは、心霊実験にはよく起る普通のことなのだ。とにかく霊媒が
(どくしんじゅつをつかっているものとすれば、このゆびわのけんなんかは、ぼくのきおくにない)
読心術を使っているものとすれば、この指環の件なんかは、僕の記憶にない
(しらないじじつなんだから、れいばいがはなしにもちだすわけはないんだがね」)
知らない事実なんだから、霊媒が話に持ち出すわけはないんだがね』
(こういうことが、かれをしんれいけんきゅうにふかいりさせるひとつのかいていになったことは)
こういうことが、彼を心霊研究に深入りさせる一つの階程になったことは
(めいはくだ。それいごは、かれはますますねっしんにしんれいけんきゅうかいへかようようになった。)
明白だ。それ以後は、彼はますます熱心に心霊研究会へ通うようになった。
(かれのぼうさいのしんれいがのりうつるれいばいは、じょうじれいばいとしてさいこうのひょうばんのあるひとだった。)
彼の亡妻の心霊が乗り移る霊媒は、常時霊媒として最高の評判のある人だった。
(そのひとはちゅうねんのふじんで、ややひまんし、あおじろいつやつやとしたひふをもっていた。)
その人は中年の婦人で、やや肥満し、青白い艶々とした皮膚を持っていた。
(いえはきんきちほうにあり、くらしはいいところのゆうふのふじんであったが、しゅっちょうのひが)
家は近畿地方に在り、暮しはいいところの有夫の婦人であったが、出張の日が
(かなりおおくて、きょうりにはほとんどいないようであった。このれいばいおんなは、)
かなり多くて、郷里には殆んど居ないようであった。この霊媒女は、
(はじめのころは、やかんにかぎりしょうれいじっけんをひきうけた。へやはでんとうをけし、うすあかい)
始めの頃は、夜間に限り招霊実験を引受けた。部屋は電灯を消し、うす赤い
(ねおんとういっこのひかりのなかで、じっけんをした。しどうしゃのてをかりてでないと、)
ネオン灯一個の光の中で、実験をした。指導者の手を借りてでないと、
(かのじょはむがのさかいにはいることができなかった。みぎにのべたあいさいかのゆうじんは)
彼女は無我の境に入ることが出来なかった。右に述べた愛妻家の友人は
(ななじゅうなんかいもこのれいばいおんなをつうじてぼうさいとかたりあったが、そのこうはんにいたっては、)
七十何回もこの霊媒女を通じて亡妻と語り合ったが、その後半に至っては、
(れいばいおんなはしどうしゃをひつようとせずじぶんでむがのさかいにはいれた。したがってだいさんしゃたる)
霊媒女は指導者を必要とせず自分で無我の境にはいれた。従って第三者たる
(しどうしゃもふようで、れいばいとれいのゆうじんのふたりだけがたいざして、めんめんたるよがたりに)
指導者も不用で、霊媒と例の友人の二人だけが対座して、綿々たる夜語りに
(じかんをおくったのである。)
時間を送ったのである。