生きている腸5 海野十三

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生きている腸/海野十三 著
青空文庫より引用
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問題文

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(「どうせいせいかつ」)

【同棲生活】

(いがくせいふきやは、めのまえのてーぶるのうえにねそべるいけるはらわたと、)

医学生吹矢は、目の前のテーブルの上に寝そべる生ける腸と、

(あそぶことをおぼえた。いけるはらわたは、じつにおどろいたことに、かんじょうににたような)

遊ぶことを覚えた。生ける腸は、実におどろいたことに、感情に似たような

(はんのうをさえしめすようになった。かれがすぽいとでもって、すこしばかりの)

反応をさえ示すようになった。彼がスポイトでもって、すこしばかりの

(さとうみずを、いけるはらわたのいっぽうのくちにさしいれてやると、ちょうはすぐかっぱつな)

砂糖水を、生ける腸の一方の口にさしいれてやると、腸はすぐ活撥な

(ぜんどうをはじめる。そしてまもなく、ちょうのいちぶがてーぶるのうえからかれのほうに)

蠕動をはじめる。そして間もなく、腸の一部がテーブルの上から彼の方に

(のびあがって、「もっとさとうみずをくれ」というようなそぶりをしめすのであった。)

のびあがって、「もっと砂糖水をくれ」というような素振りを示すのであった。

(「あはあ、もっとさとうみずがほしいのか。あげるよ。だが、)

「あはあ、もっと砂糖水がほしいのか。あげるよ。だが、

(もうほんのちょっぴりだよ」そういってふきやは、またいってきのさとうみずを、)

もうほんのちょっぴりだよ」そういって吹矢は、また一滴の砂糖水を、

(いけるはらわたにあたえるのだった。(なんというこうとうどうぶつだろう)ふきやはひそかに)

生ける腸にあたえるのだった。(なんという高等動物だろう)吹矢はひそかに

(したをまいた。こうして、かれがくんれんしたいけるはらわたをめのまえにして)

舌をまいた。こうして、彼が訓練した生ける腸を目の前にして

(あそんでいながらも、かれはときおりそれがまるでゆめのようなきがするのであった。)

遊んでいながらも、彼は時折それがまるで夢のような気がするのであった。

(まえからかれは、ひとつのひやくてきなせおりーをもっていた。)

前から彼は、一つの飛躍的なセオリーをもっていた。

(もしもはらわたのいっぺんがりんげるしえきのなかにおいてせいぞんしていられるものなら、)

もしも腸の一片がリンゲル氏液の中において生存していられるものなら、

(りんげるしえきでなくとも、またべつのえいようばいたいのなかにおいても)

リンゲル氏液でなくとも、また別の栄養媒体の中においても

(せいぞんできるはずであると。ようは、りんげるしえきがいきているはらわたにあたえるところの)

生存できるはずであると。要は、リンゲル氏液が生きている腸に与えるところの

(せいぞんじょうけんとどうとうのものを、ほかのえいようばいたいによってあたえればいいのである。)

生存条件と同等のものを、他の栄養媒体によって与えればいいのである。

(そこにもっていってかれは、にんげんのはらわたがもしもいきているものなら、)

そこにもっていって彼は、人間の腸がもしも生きているものなら、

(しんけいもあるであろうしまたかんきょうにてきおうするようにたいしつのへんかもおこりえるものと)

神経もあるであろうしまた環境に適応するように体質の変化もおこり得るものと

(かんがえたので、かれはいけるはらわたにてきとうなえいようをあたえることさえできれば、)

考えたので、彼は生ける腸に適当な栄養を与えることさえできれば、

など

(そのはらわたをしてたいきちゅうにせいかつさせることもふかのうではあるまいーーと、きじょうで)

その腸をして大気中に生活させることも不可能ではあるまいーーと、机上で

(すいりをはってんさせたのである。そういうきほんかんねんからして、かれはしょうさいにわたる)

推理を発展させたのである。そういう基本観念からして、彼は詳細にわたる

(けんきゅうをかさねた。そのけっか、やくいちねんまえになってはじめてじしんらしいものを)

研究を重ねた。その結果、約一年前になってはじめて自信らしいものを

(えたのである。かれのじっけんは、ついにだいせいこうをおさめた。しかもむしろいがいと)

得たのである。彼の実験は、ついに大成功を収めた。しかもむしろ意外と

(いいたいかんたんなきんろうによってーー。しさくにくるしむよりは、まずてをくだしたほうが)

いいたい簡単な勤労によってーー。思索に苦しむよりは、まず手をくだした方が

(かちであると、さるじっけんがくしゃはいった。それはたしかにほんとうである。)

勝ちであると、さる実験学者はいった。それはたしかに本当である。

(でも、かれがしさくのなかにかんがえついたいっけんこうとうむけいの「いけるはらわた」が、こうして)

でも、彼が思索の中に考えついた一見荒唐無稽の「生ける腸」が、こうして

(めのまえのてーぶるのうえで、ぐるっ、ぐるっといきてうごいているかとおもうと、)

目の前のテーブルの上で、ぐるっ、ぐるっと生きて動いているかとおもうと、

(まったくゆめのようなきがするのであった。)

まったく夢のような気がするのであった。

(しかしもうひとつとくひつたいしょしなければならないことは、こうしてかれのてによって)

しかしもう一つ特筆大書しなければならないことは、こうして彼の手によって

(たいきちゅうにしいくせしめられつつあるところのはらわたが、これまでかれがよきしたことが)

大気中に飼育せしめられつつあるところの腸が、これまで彼が予期したことが

(なかったような、いろいろきょうみあるはんのうをみせてくれることであった。)

なかったような、いろいろ興味ある反応をみせてくれることであった。

(たとえば、いまもせつめいしたとおり、このいけるはらわたがさとうみずをもっとほしがる)

たとえば、今も説明したとおり、この生ける腸が砂糖水をもっとほしがる

(そぶりをしめすなどということはまったくよきしなかったことだ。)

素振りを示すなどということはまったく予期しなかったことだ。

(それだけではない。はらわたとあそんでいるうちにかれはなおもぞくぞくと、このいけるはらわたが)

それだけではない。腸と遊んでいるうちに彼はなおも続々と、この生ける腸が

(さまざまなはんのうをしめすことをはっけんしたのだ。)

さまざまな反応を示すことを発見したのだ。

(ほそいはっきんのぼうのさきをいけるはらわたにあて、それからそのはっきんのぼうに、)

細い白金の棒の先を生ける腸にあて、それからその白金の棒に、

(ろっぴゃくめがさいくるのしんどうでんりゅうをつたわらせると、かれのいけるはらわたはきゅうにぬらぬらと)

六百メガサイクルの振動電流を伝わらせると、彼の生ける腸は急にぬらぬらと

(ねんえきをはきだす。それからまた、ふきやはいけるはらわたのちょうへきのいちぶに、)

粘液をはきだす。それからまた、吹矢は生ける腸の腸壁の一部に、

(おんさでつくったただしいしんどうすうのおんきょうをあるじゅんじょにしたがってあてたけっか、)

音叉でつくった正しい振動数の音響をある順序にしたがって当てた結果、

(やがてそのちょうへきのいちぶが、おんきょうにたいしてひじょうにびんかんになったことをはっけんした。)

やがてその腸壁の一部が、音響にたいして非常に敏感になったことを発見した。

(まずそこに、にんげんのこまくのようなのうりょくをしょうじたものらしい。かれはやがて、)

まずそこに、人間の鼓膜のような能力を生じたものらしい。彼はやがて、

(いけるはらわたにはなしかけることもできるであろうとしんじた。)

生ける腸に話しかけることもできるであろうと信じた。

(いけるはらわたは、たいきちゅうにせいかつしているためにそのひょうめんはだんだんかわいてきた。)

生ける腸は、大気中に生活しているためにその表面はだんだん乾いてきた。

(そしてひょうひのようなものが、なんかいとなくだつらくした。このあげくのはてには、)

そして表皮のようなものが、何回となく脱落した。この揚句の果には、

(いけるはらわたのがいけんはだいたいのところ、すこしいろのあせたにんげんのくちびるとほぼにたひふで)

生ける腸の外見は大体のところ、少し色のあせた人間の唇とほぼ似た皮膚で

(おおわれるにいたった。いけるはらわたのたんじょうごごじゅうにちめころーーたんじょうというのは、)

蔽われるにいたった。生ける腸の誕生後五十日目ころーー誕生というのは、

(このはらわたがたいきちゅうにせいそくするようになったひのことであるーーにおいては、)

この腸が大気中に棲息するようになった日のことであるーーにおいては、

(そのしんせいぶつはいがくせいふきやりゅうじのしつないを、てーぶるのうえであろうと)

その新生物は医学生吹矢隆二の室内を、テーブルの上であろうと

(ほんのうえであろうと、じゆうにさんぽするようになるまでせいいくした。)

本の上であろうと、自由に散歩するようになるまで生育した。

(「おいちこ、ここにさとうみずをつくっておいたぜ」)

「おいチコ、ここに砂糖水をつくっておいたぜ」

(ちこというのは、いけるはらわたにたいするあいしょうであった。そういってふきやが、)

チコというのは、生ける腸に対する愛称であった。そういって吹矢が、

(さとうみずをたたえてあるひらざらのところでてをならすと、ちこはうれしそうに、)

砂糖水を湛えてある平皿のところで手を鳴らすと、チコはうれしそうに、

(せ(?)をやまのようにたかくした。そしてちこにしょくよくができると、かれのいきものは)

背(?)を山のように高くした。そしてチコに食欲ができると、彼の生き物は

(ひとりでのろのろとはいざらのところへはってゆき、ぴちゃぴちゃとおとをさせて)

ひとりでのろのろと灰皿のところへ匍ってゆき、ぴちゃぴちゃと音をさせて

(さとうみずをのむのであった。そのありさまは、みるもこわいようなものであった。)

砂糖水をのむのであった。その有様は、見るもコワイようなものであった。

(かくていがくせいふきやりゅうじは、いけるはらわたちこのせいいくじっけんをまずいちだんらくとし、)

かくて医学生吹矢隆二は、生ける腸チコの生育実験をまず一段落とし、

(いよいよこれよりだいろんぶんをしたため、せかいのいがくしゃをそっとうせしめようとかんがえた。)

いよいよこれより大論文をしたため、世界の医学者を卒倒せしめようと考えた。

(いつのまにか、あきはたけ、そとにはすずかけのきのかれはがかぜとともにほどうにはしっていた。)

いつの間にか、秋はたけ、外には鈴懸樹の枯葉が風とともに舗道に走っていた。

(だんだんさむくなってくる。かれひとりならばともかくもことしのふゆはちことともに)

だんだん寒くなってくる。彼一人ならばともかくも今年の冬はチコとともに

(くらさねばならぬのででんきすとーヴなどもぐあいのいいものをまちでみつけてきたいと)

暮さねばならぬので電気ストーヴなども工合のいいものを街で見つけてきたいと

(おもったのだ。またかいだめをしておいたかんづめもすっかりなくなったので、)

思ったのだ。また買い溜をしておいた罐詰もすっかりなくなったので、

(それもほじゅうしておきたい。ちこのために、いろんなすーぷを)

それも補充しておきたい。チコのために、いろんなスープを

(さがしてきてやろう。かれはこのひゃくすうじゅうにちというものを、いっぽたりともしきいのそとに)

さがしてきてやろう。彼はこの百数十日というものを、一歩たりとも敷居の外に

(でなかったのである。「ちょっとでかける。さとうみずは、すみのてーぶるのうえに、)

出なかったのである。「ちょっと出かける。砂糖水は、隅のテーブルのうえに、

(うんとつくっておいたからね」かれはきゅうにそとがこいしくなって、ちこにしょくじのちゅういを)

うんと作っておいたからね」彼は急に外が恋しくなって、チコに食事の注意を

(するのもそこそこに、いりぐちにじょうをおろし、おうらいにとびだしたのだった。)

するのもそこそこに、入口に錠をおろし、往来にとびだしたのだった。

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