山本周五郎 赤ひげ診療譚 駈込み訴え 3

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投稿者投稿者uzuraいいね2お気に入り登録
プレイ回数833難易度(4.5) 3055打 長文
映画でも有名な、山本周五郎の傑作短編です。
赤ひげ診療譚の第二話です。
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 zero 6006 A++ 6.1 97.0% 495.1 3067 93 60 2024/11/11
2 にこーる 5015 B+ 5.2 96.4% 616.7 3211 118 60 2024/10/07

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問題文

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(きょじょうはいっぽうのかたをゆりあげた。)

去定は一方の肩をゆりあげた。

(「ようじょうしょか」ときょじょうはいった、)

「養生所か」と去定は云った、

(そのかおにはまたちょうしょうとかなしみのいろがあらわれた、)

その顔にはまた嘲笑とかなしみの色があらわれた、

(「ここにいてみればわかるだろう、)

「ここにいてみればわかるだろう、

(ここでおこなわれるせやくやせりょうもないよりはあったほうがいい、)

ここで行われる施薬や施療もないよりはあったほうがいい、

(しかしもんだいはもっとまえにある、ひんこんとむちさえなんとかできれば、)

しかし問題はもっとまえにある、貧困と無知さえなんとかできれば、

(びょうきのたいはんはおこらずにすむんだ」)

病気の大半は起こらずに済むんだ」

(そのときもりはんだゆうがきて、いまけがにんがかつぎこまれた、ということをつげた。)

そのとき森半太夫が来て、いまけが人が担ぎこまれた、ということを告げた。

(「わかいおんなのにんぷです、)

「若い女の人夫です、

(ふしんばでまちがいがあってこしとはらにおおきなけがをしています」)

普請場でまちがいがあって腰と腹に大きなけがをしています」

(とはんだゆうがいった、「まきのさんがみたんですが、)

と半太夫が云った、「牧野さんが診たんですが、

(じぶんだけではてにおえないから、せんせいにきていただきたいというんですが」)

自分だけでは手に負えないから、先生に来ていただきたいと云うんですが」

(きょじょうはつかれたようなかおになった。まきのしょうさくはげかのせんにんである。)

去定は疲れたような顔になった。牧野昌朔(しょうさく)は外科の専任である。

(のぼるはきょじょうをみた。)

登は去定を見た。

(「よし」ときょじょうはいった、)

「よし」と去定は云った、

(「いまゆくから、できるだけてあてしておくようにいってくれ」)

「いまゆくから、できるだけ手当てしておくように云ってくれ」

(はんだゆうはすぐにさった。きょじょうはびょうにんのかおをじっとみまもっていて、)

半太夫はすぐに去った。去定は病人の顔をじっと見まもっていて、

(それからめをつむり、そっとあたまをたれた。ていとうしたようでもあるし、)

それから眼をつむり、そっと頭を垂れた。低頭したようでもあるし、

(たんにちょっとうつむいただけのようでもあった。)

単にちょっと俯向(うつむ)いただけのようでもあった。

(「このろくすけはまきえしだった」ときょじょうはひくいこえでいった、)

「この六助は蒔絵師(まきえし)だった」と去定は低い声で云った、

など

(「そのみちではかなりしられたしょくにんだったらしい、きいけやおわりけなどにも、)

「その道ではかなり知られた職人だったらしい、紀伊家や尾張家などにも、

(ぶんだいやてばこがいくつかかいあげられているそうだが、つまもこもなく、)

文台や手筥(てばこ)が幾つか買上げられているそうだが、妻も子もなく、

(したしいちじんもないのだろう、きちんやどからはこびこまれたのだが、)

親しい知人もないのだろう、木賃宿からはこびこまれたのだが、

(だれもみまいにきたものはないし、かれもだまってなにもかたらない、)

誰もみまいに来た者はないし、彼も黙ってなにも語らない、

(なにをきいてもこたえないし、きょうまでいちどもくちをきいたことがないのだ」)

なにを訊いても答えないし、今日までいちども口をきいたことがないのだ」

(きょじょうはためいきをついた、)

去定は溜息(ためいき)をついた、

(「このびょうきはひじょうなくつうをともなうものだが、)

「この病気はひじょうな苦痛を伴うものだが、

(くるしいということさえくちにしなかった、)

苦しいということさえ口にしなかった、

(いきをひきとるまでおそらくなにもいわぬだろう、)

息をひきとるまでおそらくなにも云わぬだろう、

(ーーおとこはこんなふうにしにたいものだ」)

ーー男はこんなふうに死にたいものだ」

(そしてきょじょうはたちあがり、もりをよこすからりんじゅうをみとってやれといった。)

そして去定は立ちあがり、森をよこすから臨終をみとってやれと云った。

(「にんげんのいっしょうで、りんじゅうほどそうごんなものはない、それをよくみておけ」)

「人間の一生で、臨終ほど荘厳なものはない、それをよく見ておけ」

(のぼるはだまってすわるいちをかえた。)

登は黙って坐る位置を変えた。

(かれははじめてびょうにんのかおをつくづくとみた。それはしゅうあくなものであった。)

彼は初めて病人の顔をつくづくと見た。それは醜悪なものであった。

(すでにしそうがあらわれているし、にくたいはしょうもうしつくしたため、)

すでに死相があらわれているし、肉躰(にくたい)は消耗しつくしたため、

(せいぜんのおもかげはなくなっているのであろうが、がんかもほおもあごも、)

生前のおもかげはなくなっているのであろうが、眼窩(がんか)も頬も顎も、

(きれいににくをそぎとったようにおちくぼみ、しはんのあらわれたつちいろの、)

きれいに肉をそぎ取ったように落ち窪み、紫斑のあらわれた土色の、

(かわいたしわだらけのひふが、つきでたほねにはりついているばかりだった。)

乾いた皺だらけの皮膚が、突き出た骨に貼りついているばかりだった。

(それはにんげんのかおというより、ほとんどがいこつそのものというかんじであった。)

それは人間の顔というより、殆んど骸骨そのものという感じであった。

(「あかひげがあんなにしゃべるとはしらなかった」とのぼるはつぶやいた、)

「赤髯があんなに饒舌(しゃべ)るとは知らなかった」と登はつぶやいた、

(まったくむいしきのひとりごとで、だれかほかのものがいったようにおもい、)

まったく無意識の独り言で、誰か他の者が云ったように思い、

(めをあげてさゆうをみたが、もちろんだれもいるわけはなく、)

眼をあげて左右を見たが、もちろん誰もいるわけはなく、

(かれはびょうにんにめをもどしながら、ひくいこえでまたつぶやいた、)

彼は病人に眼を戻しながら、低い声でまたつぶやいた、

(「ここではむだぐちはきくな、といつかいったくせに、)

「ここではむだ口はきくな、といつか云ったくせに、

(ーーじぶんはずいぶんしゃべるじゃないか」)

ーー自分はずいぶん饒舌るじゃないか」

(びょうにんのこきゅうはみじかくせっぱくしていて、ときどきかすかにうめいたり、)

病人の呼吸は短く切迫していて、ときどきかすかに呻(うめ)いたり、

(くるしげにあえいだりした。もういしきはない、わずかにのこったせいめいが、)

苦しげに喘(あえ)いだりした。もう意識はない、僅かに残った生命が、

(そのからだからぬけだすためにもがいている、というだけのことだ。)

その躯(からだ)からぬけだすためにもがいている、というだけのことだ。

(「しゅうあくというだけだ」とかれはくちのなかでいった、)

「醜悪というだけだ」と彼は口の中で云った、

(「ーーそうごんなものか、しはしゅうあくだ」)

「ーー荘厳なものか、死は醜悪だ」

(やがてもりはんだゆうがきた。たぶんそのろうじんのつかっていたものだろう、)

やがて森半太夫が来た。たぶんその老人の使っていたものだろう、

(めしぢゃわんと、せんたんにわたをまいたいっぽんのはしをもっており、)

飯茶碗と、尖端(せんたん)に綿を巻いた一本の箸を持っており、

(びょうにんのまくらもとにすわって、のぼるのほうはみずにいった。)

病人の枕元に坐って、登のほうは見ずに云った。

(「ここはわたしがやります、にいでせんせいのところへいってください」)

「ここは私がやります、新出先生のところへいって下さい」

(のぼるははんだゆうをみた。)

登は半太夫を見た。

(「おもてのさんばんです」とはんだゆうはやはりよそをみたままでいった、)

「表の三番です」と半太夫はやはりよそを見たままで云った、

(「きずのほうごうをするそうですから、いそいでいってください」)

「傷の縫合をするそうですから、いそいでいって下さい」

(のぼるはそのとき、あかひげはよるもひもなくひとをこきつかう、)

登はそのとき、赤髯は夜も日もなく人をこき使う、

(といったつがわげんぞうのことばをおもいだし、)

と云った津川玄三の言葉を思いだし、

(どこかでげんぞうがひにくなめくばせをしているようにかんじられた。)

どこかで玄三が皮肉な眼くばせをしているように感じられた。

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