恐怖について2(終) 海野十三

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恐怖について/海野十三 著
青空文庫より引用

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(ちゅうがくせいのころ、たいそうのじかんに、たかいりょうぼくをわたらされるのが、このうえもなく)

中学生のころ、体操の時間に、高い梁木を渡らされるのが、この上もなく

(おそろしかった。りょうぼくにのぼらされるひは、(きょうは、やるな)とじかんのはじめに)

恐ろしかった。梁木に昇らされる日は、(今日は、やるナ)と時間の始めに

(すぐにかんじたほどだった。ぶるぶるとうえへのぼってみると、ねずみいろのぺんきをぬった)

直ぐに感じたほどだった。ブルブルと上へ昇ってみると、鼠色のペンキを塗った

(はばのせまいりょうぼくが、もうなかばくさりかけていた。このつぎ、わたされるまでに、)

幅の狭い梁木が、もう半ば腐りかけていた。この次、渡されるまでに、

(くさりおちてしまわないかなと、いつもおもったことだった。)

腐り落ちてしまわないかナと、いつも思ったことだった。

(おなじやねのしたにくらしているどうりょうなのだが、しばらくかおをあわせない。そのうちに、)

同じ屋根の下に暮している同僚なのだが、暫く顔を合わせない。そのうちに、

(むこうからひょっくりやってきて、きゅうになれなれしくはなしをはじめる。むろんしたしいどうりょうの)

向からヒョックリやって来て、急になれなれしく話を始める。無論親しい同僚の

(ことだから、なれなれしくはなしをはじめたっていっこうふしぎではない。しかしそのとき)

ことだから、なれなれしく話を始めたって一向不思議ではない。しかしそのとき

(こっちではさかんにしゃべるどうりょうのかおをふとみて、きゅうにおどろく。どうりょうのかおがまだいちども)

こっちでは盛んに喋る同僚の顔を不図見て、急に駭く。同僚の顔がまだ一度も

(これまでにみたことのないかおにみえる。さあそうなると、にわかにそのどうりょうが)

これ迄に見たことのない顔に見える。サアそうなると、俄かにその同僚が

(おそろしくなる。にげようとするのだが、にげられない。ぜんしんが)

恐ろしくなる。逃げようとするのだが、逃げられない。全身が

(すくんでしまったのだ。おそろしさに、わたしはぶるぶるふるえだすことがある。)

竦んでしまったのだ。恐ろしさに、私はブルブル慄えだすことがある。

(「ふらんけんしゅたいん」というえいがをみたときのことだ。)

「フランケンシュタイン」という映画を見たときのことだ。

(ふらんけんしゅたいんはかせがはかばからぬすんできたたくさんのにんげんのしたいの)

フランケンシュタイン博士が墓場から盗んで来た沢山の人間の屍体の

(いいぶぶんだけあつめて、これをつぎあわせ、あるぷすのさいこうほうで、)

いい部分だけ集めて、これを接ぎ合わせ、アルプスの最高峰で、

(なんおくヴぉるとというくうちゅうでんきにたたかせると、そのよせあつめのしたいがぴくぴくと)

何億ヴォルトという空中電気に叩かせると、その寄せあつめの屍体がピクピクと

(うごきだす。ついにはかせのけんきゅうがせいこうして、あたらしいせいがはじまったのだ。ところが、)

動き出す。遂に博士の研究が成功して、新しい生が始まったのだ。ところが、

(このおとこののうずいというのが、おそろしいさつじんはんのものだったからたまらない。)

この男の脳髄というのが、恐ろしい殺人犯のものだったからたまらない。

(かれはちちゅうのおりをやぶって、とびだしてくる・・・・・・というばめんがあるが、このときほど)

彼は地中の檻を破って、とび出してくる……という場面があるが、このときほど

(わたしはきょうふにうたれたことはない。きゅうにあしさきからひざがしらのうえまで、ぞーっと)

私は恐怖にうたれたことはない。急に足先から膝頭の上まで、ゾーッと

など

(つめたくなったので、いかにおそろしかったかがわかるであろう。)

冷くなったので、いかに恐ろしかったかが判るであろう。

(たいしょうじゅうにねんのかんとうだいしんさいのとき、やけあとにとたんをあつめてこやをつくり、)

大正十二年の関東大震災のとき、焼跡にトタンをあつめて小屋を作り、

(まっくらなよるをねたことがあった。つかれているがぶきみでねられない。そのとき、)

真暗な夜を寝たことがあった。疲れているが不気味で寝られない。そのとき、

(ひがしのほうしごちょうさきとおもわれるところで、いきなりうわっーというときのこえがあがり、)

東の方四五丁先と思われるところで、イキナリうわッーという鬨の声があがり、

(どどーん、どどーんというじゅうせいがにわかにおこった。(なにごとか?)とおもうまもなく、)

ドドーン、ドドーンという銃声が俄かに起った。(何事か?)と思う間もなく、

(ひとがばらばらとにげてきて、こやのそばをすりぬけていった。)

人がバラバラと逃げてきて、小屋の傍をすり抜けていった。

(「いま、こっちへ、しゅうげきしてきます。ひとがいることがわかると、このへんにいるものは)

「いま、こっちへ、襲撃してきます。人がいることが判ると、この辺に居る者は

(みなころされてしまいますから、どんなことがあってもこえをださないでください。」)

皆殺されてしまいますから、どんなことがあっても声を出さないで下さい。」

((もうだめだ。)とわたしはおもった。こんなことでころされるのかとおもうと、)

(もう駄目だ。)と私は思った。こんなことで殺されるのかと思うと、

(くらやみのなかにぽたぽたなみだがながれでて、ほおをくだっていった。)

暗闇の中にポタポタ涙が流れでて、頬を下っていった。

(しというものにちょくめんしたおそろしさに、ふるえあがった。)

死というものに直面した恐ろしさに、慄えあがった。

(「ちしゃはまどわず、ゆうしゃはおそれず」という。しかしゆうしゃとても、)

「智者は惑わず、勇者は懼れず」という。しかし勇者とても、

(すべてにんげんであるかぎり、きょうふはかんずるのだ。ただ、きょうふをかんじっぱなしで)

凡て人間である限り、恐怖は感ずるのだ。唯、恐怖を感じッぱなしで

(おわるのではなく、きょうふはきょうふとしておいて、きょうふきたるもあにおそれんやとゆうきを)

終るのではなく、恐怖は恐怖として置いて、恐怖来るも豈懼れんやと勇気を

(ふるいおこすのだとおもう。そしてゆうしゃこそもっともきょうふのみりょくというものを)

奮い起すのだと思う。そして勇者こそ最も恐怖の魅力というものを

(しっているのではなかろうかとおもう。わたしのごときひゆうしゃのはなしよりも、)

知っているのではなかろうかと思う。私の如き非勇者の話よりも、

(ゆうしゃのかたるきょうふのみりょくこそ、しんにききがいのあるものだろうとかんがえるのである。)

勇者の語る恐怖の魅力こそ、真に聞き甲斐のあるものだろうと考えるのである。

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