山本周五郎 赤ひげ診療譚 むじな長屋 12

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映画でも有名な、山本周五郎の傑作連作短編です。
赤ひげ診療譚の第三話です。

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問題文

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(さはちのいえにはじへえと、あいながやのものだろう、)

佐八の家には治兵衛と、相長屋の者だろう、

(おんながふたりいてびょうにんのせわをしていた。わかいにょうぼうのほうがひばちでゆをわかし、)

女が二人いて病人の世話をしていた。若い女房のほうが火鉢で湯を沸かし、

(ろうばはしきりにふるだたみをふいていた。)

老婆はしきりに古畳を拭いていた。

(あけがたにすこしとけつし、いましがたまたたりょうにちをはいたのだという。)

明け方に少し吐血し、いましがたまた多量に血を吐いたのだという。

(かなだらいがまにあわなくて、はんぶんはたたみへはいたそうで、)

金盥がまにあわなくて、半分は畳へ吐いたそうで、

(ろうばはゆでぞうきんをしぼっては、たんねんにたたみのめをふいていた。)

老婆は湯で雑巾をしぼっては、丹念に畳の目を拭いていた。

(「ゆうべおもゆをすこしと、たまごのきみをはんぶんばかりたべたそうです」)

「ゆうべ重湯を少しと、卵の黄身を半分ばかりたべたそうです」

(とじへえはつぶやいた、「ばあさんはとまるつもりで、ふとんまでもってきたんだが、)

と治兵衛は呟いた、「ばあさんは泊るつもりで、蒲団まで持って来たんだが、

(どうしてもびょうにんがしょうちしないそうでして、けさはまだくらいうちにきてみたら、)

どうしても病人が承知しないそうでして、今朝はまだ暗いうちに来てみたら、

(よごしたものをじぶんでかたづけていたそうです」)

よごした物を自分で片づけていたそうです」

(のぼるはさはちのまくらもとへすりよった。)

登は佐八の枕許(まくらも)とへすり寄った。

(さはちはねむっているらしかったが、めもうすくあいているし、)

佐八は眠っているらしかったが、眼も薄くあいているし、

(くちはしたあごがはずれでもしたように、ちからなくがくりとあいていた。)

口は下顎(したあご)が外れでもしたように、力なくがくりとあいていた。

(かおいろはどすぐろく、まったくせいきをうしない、ほおにくはそぎとったようにこけて、)

顔色はどす黒く、まったく生気を失い、頬肉はそぎ取ったようにこけて、

(ひふがあごのほうへしわをなしてたるんでいた。)

皮膚が顎のほうへ皺(しわ)をなしてたるんでいた。

(「もうもちますまいか」)

「もうもちますまいか」

(「そうらしいな」のぼるはまくらもとからはなれた、「もうにんげんのてにはおえないようだ」)

「そうらしいな」登は枕許からはなれた、「もう人間の手には負えないようだ」

(「こんないいひとを」とじへえはたいそくをつきながらいった、)

「こんないい人を」と治兵衛は太息をつきながら云った、

(「ろくでもないしゃばふさげがうじゃうじゃいるのに、)

「ろくでもない娑婆塞(しゃばふさ)げがうじゃうじゃいるのに、

(こんないいにんげんをとられるなんて、かみほとけをうらみたくなりますよ」)

こんないい人間をとられるなんて、神ほとけを恨みたくなりますよ」

など

(わかいにょうぼうがのぼるにちゃをいれてきた。)

若い女房が登に茶を淹れて来た。

(「きょうはうらがしずかなようだな」のぼるはちゃにはてをださずにきいた、)

「今日は裏が静かなようだな」登は茶には手を出さずに訊いた、

(「じならしはおわったのか」)

「地均しは終ったのか」

(「いや、まちかたのしらべがあるので、それがすむまでてがつけられないのです」)

「いや、町方の調べがあるので、それが済むまで手がつけられないのです」

(「なにかあったのか」)

「なにかあったのか」

(じへえはいやなかおをし、それから、こえをひそめてかたった。)

治兵衛はいやな顔をし、それから、声をひそめて語った。

(うらのがけくずれのあとをならしていたら、ふとんにつつまれたしたいがでてきた。)

裏の崖崩れの跡を均していたら、蒲団に包まれた死躰が出て来た。

(すっかりくさって、ほとんどほねばかりになっていたが、)

すっかり腐って、殆んど骨ばかりになっていたが、

(ふとんのわたがしっかりしていたためだろう、あたまからてあしまでそろっており、)

蒲団の綿がしっかりしていたためだろう、頭から手足まで揃っており、

(わかいおんなだということも、きものののこりぎれや、)

若い女だということも、着物の残り切れや、

(たっぷりあるかみのけなどですぐにわかった。)

たっぷりある髪の毛などですぐにわかった。

(ーーしちねんまえ、がけくずれでつちがうごいたから、もとのばしょははっきりわからない。)

ーー七年まえ、崖崩れで土が動いたから、元の場所ははっきりわからない。

(つぶされたながやよりうえにあったとおもえるが、そのじょうたいからさっすると、)

潰された長屋より上にあったと思えるが、その状態から察すると、

(ころしてうめたものにそういなく、きょうはまちかたがしらべにくるはずである、)

殺して埋めたものに相違なく、今日は町方が調べに来る筈である、

(とじへえはいった。)

と治兵衛は云った。

(「ほねになっているようでは、よほどふるいしたいなんだな」)

「骨になっているようでは、よほど古い死躰なんだな」

(「ぜんのうじのはかほりにみせたんですが、)

「善能寺の墓掘りに見せたんですが、

(じゅうごねんくらいたっているだろうといってました」)

十五年くらい経っているだろうと云ってました」

(「ころしてうめたと、どうしてわかった」)

「殺して埋めたと、どうしてわかった」

(「かんおけらしいものがみえませんし、びょうししたものならまさかふとんにつつんでうめる、)

「棺桶らしい物が見えませんし、病死したものならまさか蒲団に包んで埋める、

(なんということはないでしょう」とじへえがいった、)

なんということはないでしょう」と治兵衛が云った、

(「しかし、もしはかほりのいったように、じゅうごねんもまえのことだとすれば、)

「しかし、もし墓掘りの云ったように、十五年もまえのことだとすれば、

(こいつはちょっとしらべようがないでしょうな」)

こいつはちょっと調べようがないでしょうな」

(とぐちにひとのこえがし、ごじゅうばかりになるおとこがひょろひょろとはいってきた。)

戸口に人の声がし、五十ばかりになる男がひょろひょろとはいって来た。

(ずんぐりしたからだつきで、)

ずんぐりした躯つきで、

(めくらじまのながばんてんをかたまえさがりにだらしなくき、)

めくら縞の長半纏(ながばんてん)を片前さがりにだらしなく着、

(よれよれのひらぐけをしめていた。)

よれよれの平ぐけをしめていた。

(ほおからあごへかけて、まっしろなぶしょうひげがのびており、)

頬から顎へかけて、まっ白な無精髭が伸びており、

(はげたあたまはあぶらでもぬったように、てらてらとあかくひかっていた。)

禿げた頭は油でも塗ったように、てらてらと赤く光っていた。

(ひどくよっているのだろう、たえずよろめきながら、)

ひどく酔っているのだろう、絶えずよろめきながら、

(じゅうけつしためでこっちをのぞきこんだ。)

充血した眼でこっちを覗きこんだ。

(「はいってきちゃあだめだ」とじへえがてをふった、)

「はいって来ちゃあだめだ」と治兵衛が手を振った、

(「びょうにんのようだいがわるいんだからだめだ、かえんなかえんな」)

「病人の容態が悪いんだからだめだ、帰んな帰んな」

(「いまね、まちかたのだんながたがね、きてますぜ」とそのおとこはいった、)

「いまね、町方の旦那がたがね、来てますぜ」とその男は云った、

(「さはいをよんでこいってね、おまえさんたしか、まださはいじゃなかったかい」)

「差配を呼んで来いってね、おまえさんたしか、まだ差配じゃなかったかい」

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