山本周五郎 赤ひげ診療譚 三度目の正直 5

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投稿者投稿者uzura  いいね3  お気に入り登録
プレイ回数1016  難易度(4.1) 2647打 長文
映画でも有名な、山本周五郎の傑作連作短編です。
赤ひげ診療譚の第四話です。

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問題文

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(まぐちごけんばかり、にかいだてのおおきなかまえで、) 間口五間ばかり、二階建ての大きな構えで、 (にまいあけてあるしょうじに「だいまさ」とかいてある。) 二枚あけてある障子に「大政」と書いてある。 (はいっていったとうきちはすぐにでてきて、ほりにそったみちをみなみのほうへあるきだした。) はいっていった藤吉はすぐに出て来て、堀に沿った道を南のほうへ歩きだした。 (「しっているふなやどがあるんです、そこでいっぱいやりながらはなしましょう」) 「知っている船宿があるんです、そこで一杯やりながら話しましょう」 (「こんなじこくにか」) 「こんな時刻にか」 (「みずをながめながらのあさざけ」といいかけて、とうきちはくしょうした、) 「水を眺めながらの朝酒」と云いかけて、藤吉は苦笑した、 (「こいつはつきなみすぎたか」) 「こいつは月並すぎたか」 (ふなやどはこぶなちょうさんちょうめのほりばたにあった。) 船宿は小舟町三丁目の堀端にあった。 (ふるぼけたちいさないえで、それでもにかいにふたまあり、) 古ぼけた小さな家で、それでも二階に二た間あり、 (とおされたおもてのろくじょうのしょうじをあけると、ほりのたいがんにまきのかわちのひろいやしきがあり、) とおされた表の六帖の障子をあけると、堀の対岸に牧野河内の広い屋敷があり、
(ていないのふかいこだちがながめられた。) 邸内の深い樹立(こだち)が眺められた。 (「とにかくかっこうだけつけましょう」) 「とにかく恰好だけつけましょう」 (とうきちはそういってさけをちゅうもんした。) 藤吉はそう云って酒を注文した。 (「いのがよめにほしいというのは、) 「猪之が嫁に欲しいというのは、 (おなじたどころちょうにあるいざかやのむすめでした」ととうきちははなしつづけた、) 同じ田所町にある居酒屋の娘でした」と藤吉は話し続けた、 (「としはじゅうしちだったでしょう、おこうというなで、) 「年は十七だったでしょう、お孝という名で、 (かおもからだもまるまるとこえた、おそろしくがらっぱちなおんなでした」) 顔も躯もまるまると肥えた、おそろしくがらっぱちな女でした」 (とうきちはじょうだんはよせといった。) 藤吉は冗談はよせと云った。 (よりによってあんなおんなをもらうなんて、ばかにでもなったのか。) 選(よ)りに選ってあんな女を貰うなんて、ばかにでもなったのか。 (じょうだんじゃねえほんきだ、といのはいきりたった。) 冗談じゃねえ本気だ、と猪之はいきり立った。
など
(あにきにはあんなおんなかもしれないが、おれはどうしてもにょうぼうにしたいんだ、) あにきにはあんな女かもしれないが、おれはどうしても女房にしたいんだ、 (たのむからいってはなしをまとめてきてくれ。) 頼むからいって話をまとめて来てくれ。 (そういうようすがまさしくしんけんそのもので、) そう云うようすが正しくしんけんそのもので、 (めのいろさえかわっているようにみえた。) 眼の色さえ変っているようにみえた。 (ーーほんとうにほんきなんだな。) ーー本当に本気なんだな。 (とうきちはねんをおし、それからそのはなしをもっていった。) 藤吉は念を押し、それからその話を持っていった。 (むすめのおやはだいきちといい、これもはじめはじょうだんだとおもった。) 娘の親は大吉といい、これも初めは冗談だと思った。 (むすめのおこうも「からかっちゃいやだよ」などといっていたが、) 娘のお孝も「からかっちゃいやだよ」などと云っていたが、 (ははおやのおらくはとうきちをしんじて、じぶんからていしゅやむすめをくどいた。) 母親のおらくは藤吉を信じて、自分から亭主や娘をくどいた。 (それでだいきちはおれたが、ひとりむすめだからよめにはやれない、) それで大吉は折れたが、一人娘だから嫁にはやれない、 (むこにくるならしょうちしよう、というじょうけんをだした。) 婿に来るなら承知しよう、という条件を出した。 (そこまではこぶのにいつかばかりかかった。) そこまではこぶのに五日ばかりかかった。 (むこときいて、さすがにいのもかんがえこんだが、すぐいをけっしたといったかおつきで、) 婿と聞いて、さすがに猪之も考えこんだが、すぐ意を決したといった顔つきで、 (むこでもいい、といいきった。) 婿でもいい、と云いきった。 (ーーよくかんがえてみろ、いの、おめえはまだこれからっていうからだだぞ、) ーーよく考えてみろ、猪之、おめえはまだこれからっていうからだだぞ、 (いちにんまえのしょくにんになるつもりなら、これからがうでのみがきどきだ、) いちにんまえの職人になるつもりなら、これからが腕のみがきどきだ、 (ここでふたおやつきのかみさんなんぞしょいこんだら、) ここで二た親付きのかみさんなんぞ背負(しょ)いこんだら、 (いっしょううだつがあがらなくなるぞ。) 一生うだつがあがらなくなるぞ。 (ーーこのおれがかい、へっ。) ーーこのおれがかい、へっ。 (いのはそういって、かたをゆりあげただけであった。) 猪之はそう云って、肩を揺りあげただけであった。 (とうきちはそのえんだんをまとめた。) 藤吉はその縁談をまとめた。 (ーーしゅうげんはいつにするつもりだ。) ーー祝言はいつにするつもりだ。 (はなしがまとまったのでそうきくと、いのはそうせかせるなとこたえた。) 話がまとまったのでそう訊くと、猪之はそうせかせるなと答えた。 (はなしはきまったんだから、いそぐこたあねえさ。しかし、ととうきちはいった。) 話はきまったんだから、いそぐこたあねえさ。しかし、と藤吉は云った。 (むこうだってつごうがあるだろうし、) 向うだって都合があるだろうし、 (およそのひどりをしらせるのはおれのやくめだ、どうする。) およその日取を知らせるのはおれの役目だ、どうする。 (そうさなといのはくびをひねった。) そうさなと猪之は首をひねった。 (そうさな、それならあきということにでもしておくか。) そうさな、それなら秋ということにでもしておくか。 (あきだって。) 秋だって。 (うん、おれにだってつごうはあるからな、といのはいった。) うん、おれにだって都合はあるからな、と猪之は云った。 (「とうぶんのうちみんなにだまっていてくれ、といのはくどくいいました」) 「当分のうちみんなに黙っていてくれ、と猪之は諄(く)どく云いました」 (といってとうきちはぬるくなったちゃをすすった、「するとはんつきばかりして」) と云って藤吉はぬるくなった茶を啜った、「すると半月ばかりして」 (ふなやどのにょうぼうがさけをはこんできた。ふたつのぜんにはそれぞれかんどっくりと、) 船宿の女房が酒をはこんで来た。二つの膳にはそれぞれ燗徳利と、 (つまみものがさんぴんばかりならべてあった。) 摘み物が三品ばかり並べてあった。 (かってにやるからかまわないでくれ、ととうきちがいい、にょうぼうはすぐにさっていった。) 勝手にやるから構わないでくれ、と藤吉が云い、女房はすぐに去っていった。 (「ひとつだけいかがですか」) 「一つだけいかがですか」 (「わたしはだめだ」) 「私はだめだ」 (「じゃあ、しつれいします」) 「じゃあ、失礼します」 (とうきちはてじゃくで、なめるようにのみながら、はなしをつづけた。) 藤吉は手酌で、舐めるように飲みながら、話を続けた。
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