山本周五郎 赤ひげ診療譚 三度目の正直 13

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映画でも有名な、山本周五郎の傑作連作短編です。
赤ひげ診療譚の第四話です。

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問題文

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(のぼるはそのよる、にいできょじょうにそのはなしをした。)

登はその夜、新出去定にその話をした。

(おそらくきょうみはもつまいとおもったが、きょじょうはかんしんをそそられたようすで、)

おそらく興味はもつまいと思ったが、去定は関心を唆(そそ)られたようすで、

(それからどうした、とあとをうながした。)

それからどうした、とあとを促した。

(とうきちふうふがさくまちょうへうつったあと、いのはいちどとうりょうのいえへもどり、)

藤吉夫婦が佐久間町へ移ったあと、猪之はいちど頭梁の家へ戻り、

(はんとしほどしてきゅうえもんちょうのながやへすみついた。)

半年ほどして久右衛門町の長屋へ住みついた。

(とうきちのいえへでいりするのに、ほりえにいてはふべんだからだろう。)

藤吉の家へ出入りするのに、堀江にいては不便だからだろう。

(なにしろみっかとかおをみせないひはないので、)

なにしろ三日と顔をみせない日はないので、

(しんこんそうそうのおちよはずいぶんおどろいたという。)

新婚早々のおちよはずいぶん驚いたという。

(きゅうえもんちょうへうつってからは、あさはやくとうきちをむかえにきて、)

久右衛門町へ移ってからは、朝早く藤吉を迎えに来て、

(みずをくみこんだりいえのまわりのそうじをしたりする。)

水を汲みこんだり家のまわりの掃除をしたりする。

(それからいっしょにしごとにでかけるが、ひがくれるとまたあらわれて、)

それからいっしょに仕事にでかけるが、日が昏(く)れるとまたあらわれて、

(とうきちがねようというまでかえらない、というぐあいであった。)

藤吉が寝ようと云うまで帰らない、というぐあいであった。

(とうきちがしょたいをもっていらい、おんなのことでめんどうはおこさなくなった。)

藤吉が世帯を持って以来、女のことで面倒は起こさなくなった。

(あいかわらずあそびにはいかないし、しごとさきやのみやなどで、)

相変らず遊びにはいかないし、仕事さきや飲屋などで、

(おんなたちのほうからさそいかけるようなことがしばしばあるが、)

女たちのほうからさそいかけるようなことがしばしばあるが、

(まったくしらぬかおでみむきもしなかった。)

まったく知らぬ顔で見向きもしなかった。

(ーーようすがかわったのは、きょねんのくれからであった。)

ーーようすが変ったのは、去年の暮からであった。

(ふしんばへいってもしごとをせず、いちにちぽかんとてをつかねている。)

普請場へいっても仕事をせず、一日ぽかんと手を束(つか)ねている。

(どうしたときくと、どうもしねえとこたえるだけで、やっぱりなんにもしない。)

どうしたと訊くと、どうもしねえと答えるだけで、やっぱりなんにもしない。

(ときたまかんなかのみをもつと、)

ときたま鉋(かんな)か鑿(のみ)を持つと、

など

(むねあげのすんだはしらへあなをあけたり、)

棟上げの済んだ柱へ穴をあけたり、

(かみのようにうすくなるまでしぶいたをけずるというような、)

紙のように薄くなるまで四分板を削るというような、

(とんでもないことをやりだす。)

とんでもないことをやりだす。

(ーーこいつはおかしい。)

ーーこいつはおかしい。

(とうきちはそうきづいたから、とうりょうにはなしてすこしやすませることにした。)

藤吉はそう気づいたから、頭梁に話して少し休ませることにした。

(するとこんどはながやのさはいがくじょうをいってきた。べつにらんぼうはしないが、)

するとこんどは長屋の差配が苦情を云って来た。べつに乱暴はしないが、

(ようすがおかしいのであいながやのものたちがきみわるがってこまる。)

ようすがおかしいので相長屋の者たちが気味わるがって困る。

(なんとかならないものかというのである。)

なんとかならないものかというのである。

(いのはしながわのりょうしのさんなんで、じっかにはまだちちおやがいるし、)

猪之は品川の漁師の三男で、実家にはまだ父親がいるし、

(あにがひとりといもうとがふたりいた。おやこきょうだいのえんがうすいとでもいうのか、)

兄が一人と妹が二人いた。親子きょうだいの縁がうすいとでもいうのか、

(なんねんにもゆききをしないけれども、おやこにはちがいないのだから、)

何年にも往き来をしないけれども、親子には違いないのだから、

(しながわのほうへひきとらせたらどうか、ととうきちがいった。)

品川のほうへ引取らせたらどうか、と藤吉が云った。

(ところが、それをきいていたおちよが、「それはかわいそうだ」とはんたいした。)

ところが、それを聞いていたおちよが、「それは可哀そうだ」と反対した。

(ーーそんなえんのうすいおやもとへいったって、)

ーーそんな縁のうすい親許へいったって、

(いたわってくれるかどうかもわからない。)

劬(いたわ)ってくれるかどうかもわからない。

(いのさんはあんなにおまえをたよりにしているし、)

猪之さんはあんなにおまえを頼りにしているし、

(じつのおやきょうだいよりもしたっているようだ。)

実の親きょうだいよりも慕っているようだ。

(うちにはまだこどももいないことだし、)

うちにはまだ子供もいないことだし、

(いっそうちへひきとってあげるほうがいいでしょう。)

いっそうちへ引取ってあげるほうがいいでしょう。

(おちよがねっしんにそういうので、しょうがつちゅうじゅんにさくまちょうへひきとった。)

おちよが熱心にそう云うので、正月中旬に佐久間町へ引取った。

(それからやくはんとし、いしゃにみせたり、いろいろとくすりをのませたり、)

それから約半年、医者に診せたり、いろいろと薬をのませたり、

(きとうやまじないまでやってみたが、すこしもよくならない。)

祈祷や呪禁(まじない)までやってみたが、少しもよくならない。

(もっとも、ひどくあっかするのでもなかった。)

尤(もっと)も、ひどく悪化するのでもなかった。

(きものをうらがえしにき、さんじゃくをまえでしめたままあるきまわったり、)

着物を裏返しに着、三尺を前でしめたまま歩きまわったり、

(ひるのうちぐうぐうねむって、よるはよこにもならず、)

昼のうちぐうぐう眠って、夜は横にもならず、

(とうきちにどなられるまでひとりごとをいったり、はなうたをうたったりする。)

藤吉にどなられるまで独り言を云ったり、鼻唄をうたったりする。

(というふうなていどであるが、ただひとつ、)

というふうな程度であるが、ただ一つ、

(どうしてもしごとをしようとしないところに、)

どうしても仕事をしようとしないところに、

(びょうきのもとがあるのではないか、ととうきちはいった。)

病気のもとがあるのではないか、と藤吉は云った。

(「うえきをさかさまにうえたって」ときょじょうがはんもんした、「おまえみたのか」)

「植木を逆さまに植えたって」と去定が反問した、「おまえ見たのか」

(「みました、みんなねをうえにしてうえてあるのです」)

「見ました、みんな根を上にして植えてあるのです」

(きょじょうはのぼるをみた、「おまえはどうおもう、やっぱりきょうきだとみるか」)

去定は登を見た、「おまえはどう思う、やっぱり狂気だと診るか」

(「わかりませんが、おんなのことがかさなって、)

「わかりませんが、女のことが重なって、

(あたまのちょうしがくるったのではないかとおもいました」)

頭の調子が狂ったのではないかと思いました」

(「ちがう、おんなではない、とうきちだ」)

「違う、女ではない、藤吉だ」

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