山本周五郎 赤ひげ診療譚 三度目の正直 15
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | baru | 3647 | D+ | 4.0 | 91.1% | 585.6 | 2367 | 231 | 51 | 2024/11/21 |
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問題文
(「あっしがじゅうはちのとしのことでした」といのはいった、)
「あっしが十八の年のことでした」と猪之は云った、
(「とうりょうのうちにむすめがふたりいるので、)
「頭梁のうちに娘が二人いるので、
(きんじょのおんなのこがよくあそびにくるんです」)
近所の女の子がよく遊びに来るんです」
(のぼるはとうきちのはなしをおもいだしたが、むろんそんなけぶりはみせず、)
登は藤吉の話を思いだしたが、むろんそんなけぶりはみせず、
(できるだけむかんしんをよそおってきいていた。)
できるだけ無関心をよそおって聞いていた。
(「そのなかにたまがわやというこうやのむすめで、)
「その中に玉川屋という紺屋(こうや)の娘で、
(ここのつになるおたまというこがいたんです、)
九つになるおたまという子がいたんです、
(からだもかおもまるくぽっちゃりとしていて、)
からだも顔もまるくぽっちゃりとしていて、
(きしょうもおとなしいすなおなこでしたが、)
気性もおとなしいすなおな子でしたが、
(ーーいやだな」といっていのはあかくなった、「ここからがいいにくいんだ」)
ーーいやだな」と云って猪之は赤くなった、「ここからが云いにくいんだ」
(「わたしはいしゃだよ」)
「私は医者だよ」
(「わるくおもわないでください」といのはうしろくびをてでなでながらいった、)
「悪く思わないで下さい」と猪之はうしろ頸(くび)を手で撫でながら云った、
(「そのおたまがひどくあっしになついちゃって、)
「そのおたまがひどくあっしになついちゃって、
(まあそんなことはどうでもいいが、)
まあそんなことはどうでもいいが、
(あっしのほうでもかわいいこだとおもってました、それでまあいろいろあるんだが、)
あっしのほうでも可愛い子だと思ってました、それでまあいろいろあるんだが、
(あるときだきついてきたんで、ひょいとくちびるをすってやったんです、)
或るとき抱きついてきたんで、ひょいと唇を吸ってやったんです、
(いえ、かんちげえをしねえでください、)
いえ、勘ちげえをしねえで下さい、
(けっしていやらしいきもちでやったんじゃあねえ、いつもかわいいとおもっていたし、)
決していやらしい気持でやったんじゃあねえ、いつも可愛いと思っていたし、
(だきつかれたとたんなんのきもなく、)
抱きつかれたとたんなんの気もなく、
(ただひょいとやっちゃっただけなんですから」)
ただひょいとやっちゃっただけなんですから」
(「めずらしくはないさ」とのぼるがいった、)
「珍らしくはないさ」と登がいった、
(「だれにだってそのくらいのおぼえはあるだろう」)
「誰にだってそのくらいの覚えはあるだろう」
(「ところがそのあとがいけねえ」といのはひどくはやくちでつづけた、)
「ところがそのあとがいけねえ」と猪之はひどく早口で続けた、
(まるではなしているそのことからにげだそうとでもするように、)
まるで話しているそのことから逃げだそうとでもするように、
(「あっしがくちびるをすったとたんに、おたまがあっしのくちへしたをいれてきた、)
「あっしが唇を吸ったとたんに、おたまがあっしの口へ舌を入れて来た、
(ここのつのこですぜ」そしてかれはぐいとくちびるをふき、)
九つの子ですぜ」そして彼はぐいと唇を拭き、
(つばでもはきそうにかおをゆがめた、)
唾でも吐きそうに顔を歪めた、
(「ーーあっしはじゅうはちだったが、そんなことはなんにもしらなかった、)
「ーーあっしは十八だったが、そんなことはなんにも知らなかった、
(ことにあいてはまだここのつだったし、ただおとなしくってすなおな、)
ことに相手はまだ九つだったし、ただおとなしくってすなおな、
(かわいいこだとおもっていただけなんですから、)
可愛い子だと思っていただけなんですから、
(やわらかくてあついちいさなしたがすべりこんできたときには、)
柔らかくて熱い小さな舌がすべりこんできたときには、
(あっしはとびあがるほどびっくりして、)
あっしはとびあがるほどびっくりして、
(おたまをつきはなすなりにげだしちまいました」)
おたまを突き放すなり逃げだしちまいました」
(のぼるはしずかにわらいながらいった、「めずらしいことじゃあないさ」)
登は静かに笑いながら云った、「珍らしいことじゃあないさ」
(「めずらしいことじゃあねえって」)
「珍らしいことじゃあねえって」
(「わたしにもおぼえがある」とのぼるはいった、「にたようなことがわたしにもあったよ」)
「私にも覚えがある」と登は云った、「似たようなことが私にもあったよ」
(いのはいまめがさめたというようなかおで、へえといいながらのぼるをみた。)
猪之はいま眼がさめたというような顔で、へえといいながら登を見た。
(「それで」とかれはといかけた、)
「それで」と彼は問いかけた、
(「そんなことがあってもせんせいは、なんともかんじなかったんですか」)
「そんなことがあっても先生は、なんとも感じなかったんですか」
(「ちょっとまごついたかもしれないがね」)
「ちょっとまごついたかもしれないがね」
(「あっしはおっそろしくこわくなった」といのはいった、)
「あっしはおっそろしくこわくなった」と猪之は云った、
(「ここのつぐらいでこんなことをしってる、おんななんておっかねえもんだ、)
「九つぐらいでこんなことを知ってる、女なんておっかねえもんだ、
(ひでえもんだって、おぞげをふるいましたよ」)
ひでえもんだって、おぞ毛をふるいましたよ」
(「したまちそだちでしょくにんのくせに」とのぼるはまたわらいながらいった、)
「下町育ちで職人のくせに」と登はまた笑いながら云った、
(「おまえはまたひどくおくてだったとみえるな」)
「おまえはまたひどくおくてだったとみえるな」
(「そうですかね、へえ」といのはくびをかしげた、「そんなもんですかね」)
「そうですかね、へえ」と猪之は首をかしげた、「そんなもんですかね」
(「そんなものらしいな」とのぼるはいった。)
「そんなものらしいな」と登は云った。
(のぼるはここがちりょうのてがかりだとおもった。)
登はここが治療の手掛りだと思った。
(きょじょうのしんだんにもいちめんのりはあるが、それだけではない、おんなにほれてはにげる、)
去定の診断にも一面の理はあるが、それだけではない、女に惚れては逃げる、
(ということのくりかえしには、おたまとのできごとがふかくあたまにひっかかっている。)
ということの繰り返しには、おたまとの出来事が深く頭にひっかかっている。
(それさえのぞけばかいふくにむかうだろう、とのぼるはしんじた。)
それさえ除けば恢復(かいふく)に向かうだろう、と登は信じた。