山本周五郎 赤ひげ診療譚 徒労に賭ける 6

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プレイ回数664難易度(4.4) 2294打 長文
映画でも有名な、山本周五郎の傑作連作短編です。
赤ひげ診療譚の第五話です。

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問題文

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(みくみちょうからしたやへまわり、)

みくみ町から下谷(したや)へまわり、

(ねぎしのりょうでねているこくもつどんやのいんきょをみまった。)

根岸の寮で寝ている穀物問屋の隠居をみまった。

(それからかんだのしょうか、かじばしごもんのなかのまつだいらおきていと、)

それから神田の商家、鍛冶橋御門の中の松平隠岐邸と、

(つぎつぎにはちかしょかいしんしたが、そのとちゅう、あるいているあいだはやすみなしに、)

次つぎに八カ所回診したが、その途中、歩いているあいだは休みなしに、

(のぼるにむかってはなしつづけた。)

登に向かって話し続けた。

(「にんげんほどとうとくうつくしく、きよらかでたのもしいものはない」ときょじょうはいった、)

「人間ほど尊く美しく、清らかでたのもしいものはない」と去定は云った、

(「だがまたにんげんほどいやしくけがらわしく、)

「だがまた人間ほど卑しく汚らわしく、

(ぐどんでじゃあくでどんよくでいやらしいものもない」)

愚鈍で邪悪で貪欲でいやらしいものもない」

(あのしょうかのしゅじんたちは、おんなにかせがせてくっている。)

あの娼家の主人たちは、女に稼がせて食っている。

(そのぜんあくはともかく、げんにおんなでくっているのだから、)

その善悪はともかく、現に女で食っているのだから、

(せめてそれだけのつぐないをしなければならない。だがじじつはおおくはんたいで、)

せめてそれだけの償いをしなければならない。だが事実は多く反対で、

(かせがせるだけはかせがせるが、びょうきになってもろくろくようじょうもさせず、)

稼がせるだけは稼がせるが、病気になってもろくろく養生もさせず、

(とくやくしているまちいとけったくして、たおれるまできゃくをとらせ、)

特約している町医と結託して、倒れるまで客を取らせ、

(いよいよねこんでしまうと、くすりはおろかしょくじもまんぞくにはあたえない、)

いよいよ寝込んでしまうと、薬はおろか食事も満足には与えない、

(いわばはやくかたのつくのをまつというような、むざんなことをへいきでする。)

いわば早く片のつくのを待つというような、無慚なことを平気でする。

(そんなれいはざらにはないだろうが、)

そんな例はざらにはないだろうが、

(ようじょうしょへにげてきたさんにんのおんなたちがそうだったし、)

養生所へ逃げて来た三人の女たちがそうだったし、

(げんざいもみくみちょうでいくけんかそういういえがある。)

現在もみくみ町で幾軒かそういう家がある。

(「おれはばいしょくをひていしはしない、にんげんによくぼうがあるかぎり、)

「おれは売色を否定しはしない、人間に欲望がある限り、

(よくぼうをみたすじょうけんがうまれるのはしぜんだ」ときょじょうはいった、)

欲望を満たす条件が生れるのはしぜんだ」と去定は云った、

など

(「ばいしょくがあくとくだとすればりょうりぢゃやもふひつようだ、)

「売色が悪徳だとすれば料理茶屋も不必要だ、

(いや、りょうりかっぽうそのものさえひていしなければならない、)

いや、料理割烹そのものさえ否定しなければならない、

(それはしぜんであるべきしょくほうにはんするし、)

それはしぜんであるべき食法に反するし、

(つくったびみでふひつようにしょくよくをそそるからだ」)

作った美味で不必要に食欲を唆るからだ」

(もちろんりょうりぢゃやはますますはんじょうするだろうし、)

もちろん料理茶屋はますます繁昌するだろうし、

(ばいしょくというそんざいもふえてゆくにちがいない。)

売色という存在もふえてゆくに違いない。

(そのほか、にんげんのよくぼうをみたすための、)

そのほか、人間の欲望を満たすための、

(このましからぬじょうけんはおおくなるばかりだろう。)

好ましからぬ条件は多くなるばかりだろう。

(したがって、たとえそれがいまあくとくであるとしてもひなんしけんせきし、)

したがって、たとえそれがいま悪徳であるとしても非難し譴責(けんせき)し、

(そしてうちこわそうとするのはむだなことだ。)

そして打毀(うちこわ)そうとするのはむだなことだ。

(むしろそのそんざいをいさましくみとめて、それらのじょうけんがよりよく、)

むしろその存在をいさましく認めて、それらの条件がよりよく、

(けんこうにかいぜんされるようにどりょくしなければならない。)

健康に改善されるように努力しなければならない。

(「こんなことをいうのは、おれじしんがけいけんしているからだ」ときょじょうはいった、)

「こんなことを云うのは、おれ自身が経験しているからだ」と去定は云った、

(「どんなふうにとせつめいすることはないだろう、おれはぬすみもしっている、)

「どんなふうにと説明することはないだろう、おれは盗みも知っている、

(ばいたにおぼれたこともあるし、しをうらぎり、ともをうったこともある、)

売女に溺れたこともあるし、師を裏切り、友を売ったこともある、

(おれはどろにまみれ、きずだらけのにんげんだ、)

おれは泥にまみれ、傷だらけの人間だ、

(だからどろぼうやばいたやひきょうもののきもちがよくわかる」)

だから泥棒や売女や卑怯者の気持がよくわかる」

(そしてきゅうにしたうちをした。)

そして急に舌打ちをした。

(「ばかな」ときょじょうはあしぶみをした、)

「ばかな」と去定は足踏みをした、

(「なにをいきまくんだ、きょうはどうかしているぞ」)

「なにをいきまくんだ、今日はどうかしているぞ」

(のぼるはほとんどあっけにとられていた。)

登は殆んどあっけにとられていた。

(ーーぬすみ、うらぎり、ともをうった。)

ーー盗み、裏切り、友を売った。

(いったいどういうことだろう。)

いったいどういうことだろう。

(げんじつにそんなけいけんをしたのか、それともかんねんてきなはなしだろうか。いずれにしても、)

現実にそんな経験をしたのか、それとも観念的な話だろうか。いずれにしても、

(なぜとつぜんこんなことをいいだしたのだろう、)

なぜ突然こんなことを云いだしたのだろう、

(のぼるはそうおもいながら、だまってきょじょうについてあるいた。)

登はそう思いながら、黙って去定に付いて歩いた。

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