戯作三昧(二)
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問題文
(に)
二
(「どういたしまして、いっこうけっこうじゃございません。けっこうといや、せんせい、)
「どういたしまして、いっこう結構じゃございません。結構と言や、先生、
(はっけんでんはいよいよいでて、いよいよきなり、けっこうなおできでございますな。」)
八犬伝はいよいよ出でて、いよいよ奇なり、結構なお出来でございますな。」
(ほそいちょうはかたのてぬぐいをおけのなかへいれながら、いっちょうしはりあげてべんじだした。)
細銀杏は肩の手拭を桶の中へ入れながら、一調子張り上げて弁じ出した。
(「ふなむしがごぜにみをやつして、こぶんごをころそうとする。それがいったん)
「船虫が瞽婦に身をやつして、小文吾を殺そうとする。それがいったん
(つかまってごうもんされたあげくに、そうすけにたすけられる。あのだんどりがじつに)
つかまって拷問されたあげくに、荘介に助けられる。あの段どりが実に
(なんとももうされません。そうしてそれがまた、そうすけこぶんごさいかいのきえんになるので)
なんとも申されません。そうしてそれがまた、荘介小文吾再会の機縁になるので
(ございますからな。ふしょうじゃございますが、このおうみやへいきちも、こまものやこそ)
ございますからな。不肖じゃございますが、この近江屋平吉も、小間物屋こそ
(いたしておりますが、よみほんにかけちゃひとかどつうのつもりでございます。)
いたしておりますが、読本にかけちゃひとかど通のつもりでございます。
(そのてまえでさえ、せんせいのはっけんでんには、なんともひのうちようがございません。)
その手前でさえ、先生の八犬伝には、なんとも批の打ちようがございません。
(いやまったくおそれいりました。」)
いや全く恐れ入りました。」
(ばきんはだまってまた、あしをあらいだした。かれはもちろんかれのちょさくのあいどくしゃに)
馬琴は黙ってまた、足を洗い出した。彼はもちろん彼の著作の愛読者に
(たいしては、むかしからそれそうとうなこういをもっている。しかしそのこういのために、)
対しては、昔からそれ相当な好意を持っている。しかしその好意のために、
(あいてのじんぶつにたいするひょうかが、へんかするなどということはすこしもない。)
相手の人物に対する評価が、変化するなどということは少しもない。
(これはそうめいなかれにとって、とうぜんすぎるほどとうぜんなことである、)
これは聡明な彼にとって、当然すぎるほど当然なことである、
(が、ふしぎなことにはぎゃくにそのひょうかがかれのこういにえいきょうするということもまた)
が、不思議なことには逆にその評価が彼の好意に影響するということもまた
(ほとんどない。だからかれはばあいによって、けいべつとこういとを、まったくどういつにんに)
ほとんどない。だから彼は場合によって、軽蔑と好意とを、まったく同一人に
(たいしてどうじにかんずることができた。このおうみやへいきちのごときは、まさに)
対して同時に感ずることが出来た。この近江屋平吉のごときは、まさに
(そういうあいどくしゃのひとりである。)
そういう愛読者の一人である。
(「なにしろあれだけのものをおかきになるんじゃ、なみたいていなおほねおりじゃ)
「なにしろあれだけのものをお書きになるんじゃ、並大抵なお骨折りじゃ
(ございますまい。まずとうこんでは、せんせいがさしずめにほんのらかんちゅうというところで)
ございますまい。まず当今では、先生がさしずめ日本の羅貫中というところで
(ございますなーーいや、これはとんだしつれいをもうしあげました。」)
ございますなーーいや、これはとんだ失礼を申し上げました。」
(へいきちはまたおおきなこえをあげてわらった。そのこえにおどろかされたのであろう。かたわらでゆを)
平吉はまた大きな声をあげて笑った。その声に驚かされたのであろう。側で湯を
(あびていたこがらな、いろのくろい、すがめのこいちょうが、ふりかえってへいきちとばきんとを)
浴びていた小柄な、色の黒い、眇の小銀杏が、振り返って平吉と馬琴とを
(みくらべると、みょうなかおをしてながしへたんをはいた。)
見比べると、妙な顔をして流しへ痰を吐いた。
(「きこうはあいかわらずほっくにおこりかね。」)
「貴公は相変らず発句にお凝りかね。」
(ばきんはたくみにわとうをてんかんした。)
馬琴は巧みに話頭を転換した。
(がこれはなにもすがめのひょうじょうをきにしたわけではない。かれのしりょくはこうふくなことに(?))
がこれは何も眇の表情を気にしたわけではない。彼の視力は幸福なことに(?)
(もうそれがはっきりとはみえないほど、すいじゃくしていたのである。)
もうそれがはっきりとは見えないほど、衰弱していたのである。
(「これはおたずねにあずかってきょうしゅくしごくでございますな。てまえのはほんのへたの)
「これはお尋ねにあずかって恐縮至極でございますな。手前のはほんの下手の
(よこずきできょうもうんざ、あしたもうんざ、と、しょしょほうぼうへおくめんもなく)
横好きで今日も運座、明日も運座、と、所々方々へ臆面もなく
(しゃしゃりでますが、どういうものか、くのほうはいっこうあたまを)
しゃしゃり出ますが、どういうものか、句の方はいっこう頭を
(だしてくれません。ときにせんせいは、いかがでございますな、うたとかほっくとか)
出してくれません。時に先生は、いかがでございますな、歌とか発句とか
(もうすものは、かくべつおこのみになりませんか。」)
申すものは、格別お好みになりませんか。」
(「いやわたしは、どうもああいうものにかけると、とんとぶきようでね。)
「いや私は、どうもああいうものにかけると、とんと無器用でね。
(もっともいちじはやったこともあるが。」)
もっとも一時はやったこともあるが。」
(「そりゃごじょうだんで。」)
「そりゃ御冗談で。」
(「いや、まったくしょうにあわないとみえて、いまだにとんとめくらのかきのぞきさ。」)
「いや、まったく性に合わないと見えて、いまだにとんと眼くらの垣覗きさ。」
(ばきんは、「しょうにあわない」ということばに、ことにちからをいれてこういった。)
馬琴は、「性に合わない」という語に、ことに力を入れてこう言った。
(かれはうたやほっくがつくれないとはおもっていない。)
彼は歌や発句が作れないとは思っていない。
(だからもちろんそのほうめんのりかいにも、とぼしくないというじしんがある。)
だからもちろんその方面の理解にも、乏しくないという自信がある。
(が、かれはそういうしゅるいのげいじゅつには、むかしからいっしゅのけいべつをもっていた。)
が、彼はそういう種類の芸術には、昔から一種の軽蔑を持っていた。
(なぜかというと、うたにしても、ほっくにしても、かれのぜんぶをそのなかにつぎこむため)
なぜかというと、歌にしても、発句にしても、彼の全部をその中に注ぎこむため
(には、あまりにけいしきがちいさすぎる。だからいかにたくみによみこなしてあっても、)
には、あまりに形式が小さすぎる。だからいかに巧みに詠みこなしてあっても、
(いっくいっしゅのうちにひょうげんされたものは、じょじょうなりじょけいなり、)
一句一首のうちに表現されたものは、抒情なり叙景なり、
(わずかにかれのさくひんのなんぎょうかをみたすだけのしかくしかない。)
わずかに彼の作品の何行かを充すだけの資格しかない。
(そういうげいじゅつは、かれにとって、だいにりゅうのげいじゅつである。)
そういう芸術は、彼にとって、第二流の芸術である。