一塊の土 1/4
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問題文
(おすみのせがれにしにわかれたのはちゃつみのはじまるじこうだった。せがれのにたろうはあしかけ)
お住の倅に死別れたのは茶摘みのはじまる時候だつた。倅の仁太郎は足かけ
(はちねん、こしぬけどうようにとこについていた。こういうせがれのしんだことは「ごしょうよし」と)
八年、腰ぬけ同様に床に就いてゐた。かう云ふ倅の死んだことは「後生よし」と
(いわれるおすみにも、かなしいとばかりはかぎらなかった。おすみはにたろうのひつぎのまえへ)
云はれるお住にも、悲しいとばかりは限らなかつた。お住は仁太郎の棺の前へ
(いっぽんせんこうをたむけたときには、とにかくあさひなのきりとおしかなにかをやっととおりぬけた)
一本線香を手向けた時には、兎に角朝比奈の切通しか何かをやつと通り抜けた
(ようなきがしていた。)
やうな気がしてゐた。
(にたろうのそうしきをすましたあと、まずもんだいになったものはよめのおたみのみのうえだった。)
仁太郎の葬式をすました後、まづ問題になつたものは嫁のお民の身の上だつた。
(おたみにはおとこのこがひとりあった。そのうえねているにたろうのかわりにのらしごともたいていは)
お民には男の子が一人あつた。その上寝てゐる仁太郎の代りに野良仕事も大抵は
(ひきうけていた。それをいまだすとすれば、こどものせわにこまるのはもちろん、くらしさえ)
引受けてゐた。それを今出すとすれば、子供の世話に困るのは勿論、暮しさへ
(とうていたちそうにはなかった。かたがたおすみはしじゅうくにちでもすんだら、おたみにむこを)
到底立ちさうにはなかつた。かたがたお住は四十九日でもすんだら、お民に壻を
(あてがったうえ、せがれのいたときとおなじようにはたらいてもらおうとおもっていた。むこには)
当がつた上、倅のゐた時と同じやうに働いて貰はうと思つてゐた。壻には
(にたろうのいとこにあたるよきちをもらえばともおもっていた。)
仁太郎の従弟に当る与吉を貰へばとも思つてゐた。
(それだけにちょうどしょなぬかのよくあさ、おたみのかたづけものをしだしたときには、おすみの)
それだけに丁度初七日の翌朝、お民の片づけものをし出した時には、お住の
(おどろいたのもかくべつだった。おすみはそのときまごのひろつぐをおくべやのえんがわにあそばせていた。)
驚いたのも格別だつた。お住はその時孫の広次を奥部屋の縁側に遊ばせてゐた。
(あそばせるおもちゃはがっこうのをぬすんだはなざかりのさくらのひとえだだった。)
遊ばせる玩具は学校のを盗んだ花盛りの桜の一枝だつた。
(「のう、おたみ、おらあきょうまでだまっていたのはわるいけんど、おめえはよう、)
「のう、お民、おらあけふまで黙つてゐたのは悪いけんど、お前はよう、
(このことおらとをおいたまんま、へえ、でていってしまうのかよう?」)
この子とおらとを置いたまんま、はえ、出て行つてしまふのかよう?」
(おすみはなじるというよりはうったえるようにこえをかけた。が、おたみはみむきもせずに、)
お住は詰ると云ふよりは訴へるやうに声をかけた。が、お民は見向きもせずに、
(「なにをいうじゃあ、おばあさん」とわらいごえをだしたばかりだった。それでも)
「何を云ふぢやあ、おばあさん」と笑ひ声を出したばかりだつた。それでも
(おすみはどのくらいほっとしたことだかしれなかった。)
お住はどの位ほつとしたことだか知れなかつた。
(「そうずらのう。まさかそんなことをしやあしめえのう。・・・・・・」)
「さうずらのう。まさかそんなことをしやあしめえのう。……」
(おすみはなおくどくどとぐちまじりのたんがんをくりかえした。どうじにまたかのじょじしんの)
お住はなほくどくどと愚痴まじりの歎願を繰り返した。同時に又彼女自身の
(ことばにだんだんかんしょうをもよおしだした。しまいにはなみだもいくすじかしわだらけのほおを)
言葉にだんだん感傷を催し出した。しまひには涙も幾すぢか皺だらけの頬を
(つたわりはじめた。)
伝はりはじめた。
(「はいさね。わしもおめえさんさえよけりゃ、いつまでもこのうちにいるきだわね。)
「はいさね。わしもお前さんさへ好けりや、いつまでもこの家にゐる気だわね。
(ーーこういうこどももあるだものう、すきこのんでそとへいくもんじゃよう。」)
ーーかう云ふ子供もあるだものう、すき好んで外へ行くもんぢやよう。」
(おたみもいつかなみだぐみながら、ひろつぐをひざのうえへだきあげたりした。ひろつぐはみょうに)
お民もいつか涙ぐみながら、広次を膝の上へ抱き上げたりした。広次は妙に
(はずかしそうに、おくべやのふるだたみへなげだされたさくらのえだばかりきにしていた。・・・・・・)
羞しさうに、奥部屋の古畳へ投げ出された桜の枝ばかり気にしてゐた。……
(おたみはにたろうのざいせいちゅうとすこしもかわらずにはたらきつづけた。しかしむこをとるはなしは)
お民は仁太郎の在世中と少しも変らずに働きつづけた。しかし壻をとる話は
(おもったよりもよういにかたづかなかった。おたみはぜんぜんこのはなしになんのきょうみもないらし)
思つたよりも容易に片づかなかつた。お民は全然この話に何の興味もないらし
(かった。おすみはもちろんきかいさえあれば、そっとおたみのきをひいてみたり、あらわに)
かつた。お住は勿論機会さへあれば、そつとお民の気を引いて見たり、あらはに
(そうだんをもちかけたりした。けれどもおたみはそのたびごとに、「はいさね、いずれ)
相談を持ちかけたりした。けれどもお民はその度ごとに、「はいさね、いづれ
(らいねんにでもなったら」といいかげんなへんじをするばかりだった。これはおすみには)
来年にでもなつたら」と好い加減な返事をするばかりだつた。これはお住には
(しんぱいでもあれば、うれしくもあるのにちがいなかった。 おすみはせけんにきをかね)
心配でもあれば、嬉しくもあるのに違ひなかつた。お住は世間に気を兼ね
(ながら、とにかくよめのいうなりしだいにとしのかわるのでもまつことにした。)
ながら、兎に角嫁の云ふなり次第に年の変るのでも待つことにした。
(けれどもおたみはよくとしになっても、やはりのらへでかけるほかにはなんのかんがえもない)
けれどもお民は翌年になつても、やはり野良へ出かける外には何の考へもない
(らしかった。おすみはもういちどきょねんよりはいっそうがんにかけたようにむこをとるはなしをすすめ)
らしかつた。お住はもう一度去年よりは一層願にかけたやうに壻をとる話を勧め
(だした。それはひとつにはしんせきにはしかられ、せけんにはかげぐちをきかれるのをくに)
出した。それは一つには親戚には叱られ、世間にはかげ口をきかれるのを苦に
(やんでいたせいもあるのだった。)
病んでゐたせゐもあるのだつた。
(「だがのう、おたみ、おめえいまのわかさでさ、おとこなし にゃいられるもんじゃねえよ。」)
「だがのう、お民、お前今の若さでさ、男なしにやゐられるもんぢやなえよ。」
(「いられねえたって、しかたがねえじゃ。このうちへたにんでもいれてみなせえ。)
「ゐられなえたつて、仕かたがなえぢや。この中へ他人でも入れて見なせえ。
(ひろもかあいそうだし、おまえさんもきがねだし、だいいちわしのきぼねのおれること)
広も可哀さうだし、お前さんも気兼だし、第一わしの気骨の折れること
(せったら、ちっとやそっとじゃなかろうわね。」)
せつたら、ちつとやそつとぢやなからうわね。」
(「だからよ、よきちをもらうことにしなよ。あいつもおめえこのごろじゃ、ぱったり)
「だからよ、与吉を貰ふことにしなよ。あいつもお前この頃ぢや、ぱつたり
(ばくちをうたねえというじゃあ。」)
博奕を打たなえと云ふぢやあ。」
(「そりゃおばあさんにはみうちでもよ、わしにはやっぱしたにんだわね。なに、)
「そりやおばあさんには身内でもよ、わしにはやつぱし他人だわね。何、
(わしさえがまんすりゃ・・・・・・」)
わしさへ我慢すりや……」
(「でもよ、そのがまんがさあ、いちねんやにねんじゃねえからよう。」)
「でもよ、その我慢がさあ、一年や二年ぢやなえからよう。」
(「いいわね。ひろのためだものう。わしがいまくるしんど きゃ、ここのいえのでんちはふたつに)
「好いわね。広の為だものう。わしが今苦しんどきや、此処の家の田地は二つに
(ならずに、そっくりひろのてへわたるだものう。」)
ならずに、そつくり広の手へ渡るだものう。」
(「だがのう、おたみ、(おすみはいつもここへくると、まじめにこえをひくめるの)
「だがのう、お民、(お住はいつも此処へ来ると、真面目に声を低めるの
(だった。)なにしろはたのくちがうるせえからのう。おめえいまおらのまえでいったことは)
だつた。)何しろはたの口がうるせえからのう。お前今おらの前で云つたことは
(そっくりたにんにもきかせてくんなよ。・・・・・・」)
そつくり他人にも聞かせてくんなよ。……」
(こういうもんどうはふたりのあいだになんどでたことだかわからなかった。しかしおたみの)
かう云ふ問答は二人の間に何度出たことだかわからなかつた。しかしお民の
(けっしんはそのためにつよまることはあっても、よわまることはないらしかった。じっさいまた)
決心はその為に強まることはあつても、弱まることはないらしかつた。実際又
(おたみはおとこでもかりずに、いもをうえたりむぎをかったり、いぜんよりもしごとにせいを)
お民は男手も借りずに、芋を植ゑたり麦を刈つたり、以前よりも仕事に精を
(だしていた。のみならずなつにはめうしをかい、あめのひでもくさかりにでかけたり)
出してゐた。のみならず夏には牝牛を飼ひ、雨の日でも草刈りに出かけたり
(した。このはげしいはたらきぶりはいまさらたにんをいれることにたいする、それじしんちからづよい)
した。この烈しい働きぶりは今更他人を入れることに対する、それ自身力強い
(こうべんだった。おすみもとうとうしまいにはむこをとるはなしをだんねんした。もっともだんねんする)
抗弁だつた。お住もとうとうしまひには壻を取る話を断念した。尤も断念する
(ことだけはかならずしもかのじょにはふゆかいではなかった。)
ことだけは必しも彼女には不愉快ではなかつた。
(おたみはおんなのてひとつにいっかのくらしをささえつづけた。それにはもちろん「ひろのため」)
お民は女の手一つに一家の暮しを支へつづけた。それには勿論「広の為」
(といういちねんもあるのにちがいなかった。しかしまたひとつにはかのじょのこころにふかいねざしを)
といふ一念もあるのに違ひなかつた。しかし又一つには彼女の心に深い根ざしを
(おろしていたいでんのちからもあるらしかった。おたみはふもうのやまぐにからこのかいわいへ)
下ろしてゐた遺伝の力もあるらしかつた。お民は不毛の山国からこの界隈へ
(いじゅうしてきたいわゆる「わたりもの」のむすめだった。「おまえさんとこのおたみさんはかおに)
移住して来た所謂「渡りもの」の娘だつた。「お前さんとこのお民さんは顔に
(にあわねえちからがあるねえ。このあいだもをかぼのおおたばをよっぱずつもせおってとおったじゃ)
似合はなえ力があるねえ。この間も陸稲の大束を四把づつも背負つて通つたぢや
(ねえかね。」ーーおすみはとなりのばあさんなどからそんなことをきかされるのも)
なえかね。」ーーお住は隣の婆さんなどからそんなことを聞かされるのも
(たびたびだった。)
度たびだつた。
(おすみはまたおたみにたいするかんしゃをかのじょのしごとにあらわそうとした。まごをあそばせたり、うしの)
お住は又お民に対する感謝を彼女の仕事に表さうとした。孫を遊ばせたり、牛の
(せわをしたり、めしをたいたり、せんたくをしたり、となりへみずをくみにいったり、)
世話をしたり、飯を焚いたり、洗濯をしたり、隣へ水を汲みに行つたり、
(ーーいえのなかのしごともすくなくはなかった。しかしおすみはこしをまげたまま、なにかと)
ーー家の中の仕事も少くはなかつた。しかしお住は腰を曲げたまま、何かと
(たのしそうにはたらいていた。)
楽しさうに働いてゐた。
(あるあきもくれかかったよる、おたみはまつばたばをかかえながら、やっとうちへかえってきた。)
或秋も暮れかかつた夜、お民は松葉束を抱へながら、やつと家へ帰つて来た。
(おすみはひろつぐをおぶったなり、ちょうどせまくるしいどまのすみにすえぶろのもとを)
お住は広次をおぶつたなり、丁度狭苦しい土間の隅に据風呂の下を
(たきつけていた。)
焚きつけてゐた。
(「さむかっつらのう。おそかったじゃ?」)
「寒かつつらのう。晩かつたぢや?」
(「きょうはちっといつもよりや、よけいなしごとしていたじゃあ。」)
「けふはちつといつもよりや、余計な仕事してゐたぢやあ。」
(おたみはまつばたばをながしもとへなげだし、それからどろだらけのわらじもぬがずに、)
お民は松葉束を流しもとへ投げ出し、それから泥だらけの草鞋も脱がずに、
(おおきいろばたへあがりこんだ。ろのなかにはくぬぎのねっこがひとつ、あかあかとほのおをうごかして)
大きい炉側へ上りこんだ。炉の中には櫟の根つこが一つ、赤あかと炎を動かして
(いた。おすみはすぐにたちあがろうとした。が、ひろつぐをおぶったこしはふろおけのふちに)
ゐた。お住は直に立ち上らうとした。が、広次をおぶつた腰は風呂桶の縁に
(つかまらないかぎり、よういにあげることもできないのだった。)
つかまらない限り、容易に上げることも出来ないのだつた。
(「すぐとふろへへえんなよ。」)
「直と風呂へはえんなよ。」
(「ふろよりもわしははらがへってるよ。どら、さきにいもでもくうべえ。)
「風呂よりもわしは腹が減つてるよ。どら、さきに藷でも食ふべえ。
(ーーにてあるらあねえ?おばあさん。」)
ーー煮てあるらあねえ? おばあさん。」
(おすみはよちよちながしもとへいき、そうざいににたさつまいもをなべごとろばたへぶらさげて)
お住はよちよち流し元へ行き、惣菜に煮た薩摩藷を鍋ごと炉側へぶら下げて
(きた。)
来た。
(「とうににてまってたせえにの、へえ、つめたくなってるよう。」)
「とうに煮て待つてたせえにの、はえ、冷たくなつてるよう。」
(ふたりはいもをたけぐしへつきさし、いっしょにろのひへかざしだした。)
二人は藷を竹串へ突き刺し、一しよに炉の火へかざし出した。
(「ひろはよくねむってるじゃ。とこのなかへころがしておきゃいいに。」)
「広はよく眠つてるぢや。床の中へ転がして置きや好いに。」
(「なあん、きょうはばかさむいから、したじゃとてもねつかねえよう。」)
「なあん、けふは莫迦寒いから、下ぢやとても寝つかなえよう。」
(おたみはこういうあいだにもけむりのでるいもをほおばりはじめた。それはいちにちのろうどうにつかれた)
お民はかう云ふ間にも煙の出る藷を頬張りはじめた。それは一日の労働に疲れた
(のうふだけのしっているくいかただった。いもはたけぐしをぬかれるがわから、ひとくちに)
農夫だけの知つてゐる食ひかただつた。藷は竹串を抜かれる側から、一口に
(おたみにほおばられていった。おすみはちいさいいびきをたてるひろつぐのおもみをかんじながら、)
お民に頬張られて行つた。お住は小さい鼾を立てる広次の重みを感じながら、
(せっせといもをあぶりつづけた。)
せつせと藷を炙りつづけた。
(「なにしろおめえのようにはたらくんじゃ、ひといちばいはらもへるらなあ。」)
「何しろお前のやうに働くんぢや、人一倍腹も減るらなあ。」
(おすみはときどきよめのかおへかんたんにみちためをそそいだ。しかしおたみはむごんのまま、)
お住は時々嫁の顔へ感歎に満ちた目を注いだ。しかしお民は無言のまま、
(すすけたほたびのひかりのなかにがつがつさつまいもをほおばっていた。)
煤けた榾火の光りの中にがつがつ薩摩藷を頬張つてゐた。