カインの末裔 6/11

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有島武郎

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問題文

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(みせのわかいものがめをさましてみると、かれらはこうふんしたこえをおさえつぶしながら、むき)

店の若い者が眼をさまして見ると、彼らは昂奮した声を押つぶしながら、無気

(になってしょうぶにふけっていた。わかいものはちょっとゆうわくをかんじたがきをとりなおして、)

になって勝負に耽っていた。若い者は一寸誘惑を感じたが気を取直して、

(「こまるでねえか、そうしたことみせさきでおっぴろげて」)

「困るでねえか、そうした事店頭でおっ広げて」

(というと、)

というと、

(「こまったらつみにことさがしてこう」)

「困ったら積荷こと探して来う」

(とにんえもんはとりあわなかった。)

と仁右衛門は取り合わなかった。

(ひるになってもにのかいそうはなかった。にんえもんはじぶんからいいだしながら、)

昼になっても荷の回送はなかった。仁右衛門は自分からいい出しながら、

(おもしろくないしょうぶばかりしていた。どっちにかわるかじぶんでもわからないようなきぶんが)

面白くない勝負ばかりしていた。何方に変るか自分でも分らないような気分が

(まっしぐらにわるいほうにかたむいてきた。きをくさらせればくさらすほどかれのやまははずれて)

驀地に悪い方に傾いて来た。気を腐らせれば腐らすほど彼れのやまは外れて

(しまった。かれはくさくさしてふいとざをたった。あいてがなんとかいうのをふりむき)

しまった。彼れはくさくさしてふいと座を立った。相手が何とかいうのを振向き

(もせずにみせをでた。あめはおやみなくふりつづけていた。ひるげのけむりがおもくじめんのうえを)

もせずに店を出た。雨は小休なく降り続けていた。昼餉の煙が重く地面の上を

(はっていた。)

這っていた。

(かれはむしゃくしゃしながらばりきをひっぱってこやのほうにかえっていった。だらし)

彼れはむしゃくしゃしながら馬力を引ぱって小屋の方に帰って行った。だらし

(なくふりつづけるあめにくさきもつちもふやけきって、そらまでがぽとりとじめんのうえに)

なく降りつづける雨に草木も土もふやけ切って、空までがぽとりと地面の上に

(おちてきそうにだらけていた。おもしろくないしょうぶをしていらだったにんえもんのはらのなか)

落ちて来そうにだらけていた。面白くない勝負をして焦立った仁右衛門の腹の中

(とはまったくうらあわせなにえきらないけしきだった。かれはなにかおもいきったことをしてでも)

とは全く裏合せな煮え切らない景色だった。彼れは何か思い切った事をしてでも

(むねをすかせたくおもった。ちょうどじぶんのはたけのところまでくるとさとうのとしかさのこどもがさんにん)

胸をすかせたく思った。丁度自分の畑の所まで来ると佐藤の年嵩の子供が三人

(がっこうのかえりとみえて、にもつをはすにせなかにしょって、あたまからぐっしょりぬれ)

学校の帰途と見えて、荷物を斜に背中に背負って、頭からぐっしょり濡れ

(ながら、ちかみちするためにはたけのなかをあるいていた。それをみるとにんえもんは「まて」)

ながら、近路するために畑の中を歩いていた。それを見ると仁右衛門は「待て」

(といってよびとめた。ふりむいたこどもたちは「まだか」のたっているのをみると)

といって呼びとめた。振向いた子供たちは「まだか」の立っているのを見ると

など

(さんにんともおそろしさにかおのいろをかえてしまった。なぐりつけられるときするように)

三人とも恐ろしさに顔の色を変えてしまった。殴りつけられる時するように

(うでをまげてめはちぶのところにやって、にげだすこともしえないでいた。)

腕をまげて目八分の所にやって、逃げ出す事もし得ないでいた。

(「わらしづれはなんじょういうてひとのはたけさふみこんだ。ひゃくしょうのがきだにはたけのうだいじがるみち)

「童子連は何条いうて他人の畑さ踏み込んだ。百姓の餓鬼だに畑のう大事がる道

(しんねえだな。こう」)

知んねえだな。来う」

(におうだちになってにらみすえながらかれはどなった。こどもたちはもうおびえるよう)

仁王立ちになって睨みすえながら彼れは怒鳴った。子供たちはもうおびえるよう

(になきだしながらおずおずにんえもんのところにあるいてきた。まちかまえたにんえもんの)

に泣き出しながら恐ず恐ず仁右衛門の所に歩いて来た。待ちかまえた仁右衛門の

(てっけんはいきなりじゅうにほどになるちょうじょのやせたほおをゆがむほどたたきつけた。さんにん)

鉄拳はいきなり十二ほどになる長女の痩せた頬をゆがむほどたたきつけた。三人

(のこどもはいちどにいたみをかんじたようにこえをあげてわめきだした。にんえもんはちょうようの)

の子供は一度に痛みを感じたように声を挙げてわめき出した。仁右衛門は長幼の

(ようしゃなくてあたりしだいになぐりつけた。)

容捨なく手あたり次第に殴りつけた。

(こやにかえるとつまはむしろのうえにぺったんこにすわってうまにやるわらをざくりざくりきって)

小屋に帰ると妻は蓆の上にペッたんこに坐って馬にやる藁をざくりざくり切って

(いた。あかんぼうはいんちこのなかでたこのようなあたまをぼろからだして、のきからしたたり)

いた。赤坊はいんちこの中で章魚のような頭を襤褸から出して、軒から滴り

(おちるあまだれをみやっていた。かれのきぶんにふさわないおもくるしさがみなぎって、)

落ちる雨垂れを見やっていた。彼れの気分にふさわない重苦しさが漲って、

(うんそうてんのみせさきにくらべてはなにからなにまでべんじょのようにきたなかった。かれはだまったままで)

運送店の店先に較べては何から何まで便所のように穢かった。彼は黙ったままで

(つばをはきすてながらうまのしまつをするとすぐまたそとにでた。あめははだまでしみとおって)

唾をはき捨てながら馬の始末をするとすぐまた外に出た。雨は膚まで沁み徹って

(ぞくぞくさむかった。かれのかんしゃくはさらにつのった。かれはすたすたとさとうのこや)

ぞくぞく寒かった。彼れの癇癪は更らにつのった。彼れはすたすたと佐藤の小屋

(にでかけた。が、ふとしゅうかいじょにいってることにきがつくとそのあしですぐ)

に出かけた。が、ふと集会所に行ってる事に気がつくとその足ですぐ

(じんじゃをさしていそいだ。)

神社をさして急いだ。

(しゅうかいじょにはあさのうちからごじゅうにんちかいこさくしゃがつどってばぬしのくるのをまっていたが、)

集会所には朝の中から五十人近い小作者が集って場主の来るのを待っていたが、

(ひるすぎまでまちぼけをくわされてしまった。ばぬしはやがてちょうばをともにつれて)

昼過ぎまで待ちぼけを喰わされてしまった。場主はやがて帳場を伴につれて

(あついがいとうをきてやってきた。かみざにすわるともったいらしくじんじゃのほうをむいてかしわでを)

厚い外套を着てやって来た。上座に坐ると勿体らしく神社の方を向いて柏手を

(うってもくはいをしてから、いあわせてるものらにははんぶんもわからないようなことを)

打って黙拝をしてから、居合わせてる者らには半分も解らないような事を

(したりがおにいいきかした。こさくしゃらはけげんなかおをしながらも、ばぬしのことばが)

したり顔にいい聞かした。小作者らはけげんな顔をしながらも、場主の言葉が

(とぎれるともっともらしくうなずいた。やがてこさくしゃらのようきゅうがかさいによってていしゅつ)

途切れると尤もらしくうなずいた。やがて小作者らの要求が笠井によって提出

(せらるべきじゅんばんがきた。かれはまずおやかたはおやでこさくはこだとときだして、)

せらるべき順番が来た。彼れは先ず親方は親で小作は子だと説き出して、

(こさくしゃがわのようきゅうをかなりつよくいいはったあとで、それはしかしむりなおねがいだ)

小作者側の要求をかなり強くいい張った跡で、それはしかし無理な御願いだ

(とか、もののわからないじぶんたちがかんがえることだからだとか、そんなことはまずあとまわし)

とか、物の解らない自分たちが考える事だからだとか、そんな事は先ず後廻し

(でもいいことだとか、じぶんのいいだしたことをじぶんでうちこわすようなそえことばをつけくわえる)

でもいい事だとか、自分のいい出した事を自分で打壊すような添言葉を付加える

(のをわすれなかった。にんえもんはちょうどそこにいきあわせた。かれはいりぐちのはめいた)

のを忘れなかった。仁右衛門はちょうどそこに行き合せた。彼れは入口の羽目板

(にみをよせてじっときいていた。)

に身をよせてじっと聞いていた。

(「こうまあいろいろとおねがいしたじゃからは、おたがいもこころをしめてちょうばさんにもめいわくを)

「こうまあ色々とお願いしたじゃからは、お互も心をしめて帳場さんにも迷惑を

(かけぬだけにはせずばなあ(ここでかれはいちどうをみわたしたようすだった)。)

かけぬだけにはせずばなあ(ここで彼れは一同を見渡した様子だった)。

(「ばんこくこころをあわせてな」とてんりきょうのおうたさまにもあるとおり、きまったことはきまった)

『万国心をあわせてな』と天理教のお歌様にもある通り、定まった事は定まった

(ようにせんとならんじゃが、おおいなかじゃにむりもないようなものの、あまなどを)

ようにせんとならんじゃが、多い中じゃに無理もないようなものの、亜麻などを

(おやかた、ぎょうさんつけたものもあって、まことすまんしだいじゃが、むりがとおれば)

親方、ぎょうさんつけたものもあって、まこと済まん次第じゃが、無理が通れば

(どうりもひっこみよるで、なりませんじゃもし」)

道理もひっこみよるで、なりませんじゃもし」

(にんえもんはじょうきもかまわずはたけのはんぶんをあまにしていた。で、そのことばはかれに)

仁右衛門は場規もかまわず畑の半分を亜麻にしていた。で、その言葉は彼れに

(たいするあてこすりのようにきこえた。)

対するあてこすりのように聞こえた。

(「きょうなどもかおをだしよらんよこしまものもありますじゃで・・・・・・」)

「今日なども顔を出しよらん横道者もありますじゃで……」

(にんえもんはいかりのためにみみがかぁんとなった。かさいはまだなにかなめらかに)

仁右衛門は怒りのために耳がかァんとなった。笠井はまだ何か滑らかに

(しゃべっていた。)

しゃべっていた。

(ばぬしがまだなにかくんじめいたことをいうらしかったが、やがてざわざわとひとのたつ)

場主がまだ何か訓示めいた事をいうらしかったが、やがてざわざわと人の立つ

(けはいがした。にんえもんはいきをころしてでてくるひとびとをうかがった。ばぬしがちょうばと)

気配がした。仁右衛門は息気を殺して出て来る人々を窺がった。場主が帳場と

(いっしょに、あとからかさいにかさをさしかけさせてでていった。ろうどうでじゃくねんのにくをきたえた)

一緒に、後から笠井に傘をさしかけさせて出て行った。労働で若年の肉を鍛えた

(らしいがんじょうなばぬしのすがたは、どこかひとをはばからした。にんえもんはかさいをにらみながら)

らしい頑丈な場主の姿は、何所か人を憚からした。仁右衛門は笠井を睨みながら

(みおくった。ややしばらくするとじょうないからきゅうにくつろいだだんしょうのこえがおこった。)

見送った。やや暫らくすると場内から急にくつろいだ談笑の声が起った。

(そしてに、さんにんずつなにかかたりあいながらこさくしゃらはこやをさしてかえっていった。)

そして二、三人ずつ何か談り合いながら小作者らは小屋をさして帰って行った。

(ややおくれてつれもなくでてきたのはさとうだった。ちいさなうしろすがたはわかわかしくってあんこ)

やや遅れて伴れもなく出て来たのは佐藤だった。小さな後姿は若々しくって青年

(のようだった。にんえもんはこのはのようにふるえながらずかずかとちかづくと、とつぜん)

のようだった。仁右衛門は木の葉のように震えながらずかずかと近づくと、突然

(うしろからそのみぎのみみのあたりをなぐりつけた。ふいをくらってたおれんばかりに)

後ろからその右の耳のあたりを殴りつけた。不意を喰って倒れんばかりに

(よろけたさとうは、あともみずにみみをおさえながら、もうじゅうのとおぼえをきいたうさぎのように、)

よろけた佐藤は、跡も見ずに耳を押えながら、猛獣の遠吠を聞いた兎のように、

(まえにいくに、さんにんのほうにいちもくさんにかけだしてそのひとびとをたてにとった。)

前に行く二、三人の方に一目散にかけ出してその人々を楯に取った。

(「わりゃほいとかぬすっとかちくしょうか。よくもわれががきどもさしかけてひとのはたけこと)

「汝ゃ乞食か盗賊か畜生か。よくも汝が餓鬼どもさ教唆けて他人の畑こと

(ふみあらしたな。うちのめしてくれずに。こ」)

踏み荒したな。殴ちのめしてくれずに。来」

(にんえもんはひのたまのようになってとびかかった。とうのふたりとに、さんにんのとめおとことは)

仁右衛門は火の玉のようになって飛びかかった。当の二人と二、三人の留男とは

(まりになってあかつちのどろのなかをころげまわった。おりかさなったひとびとがようやくふたりを)

毬になって赤土の泥の中をころげ廻った。折重なった人々がようやく二人を

(ひきわけたときは、さとうはどこかしたたかきずをおってしんだようにあおくなっていた。)

引分けた時は、佐藤は何所かしたたか傷を負って死んだように青くなっていた。

(ちゅうさいしたものはかかりあいからやむなく、にんえもんにつきそってはなしをつけるために)

仲裁したものはかかり合いからやむなく、仁右衛門に付添って話をつけるために

(さとうのこやまでまわりみちをした。こやのなかではさとうのちょうじょがすみのほうにまるまっていたい)

佐藤の小屋まで廻り道をした。小屋の中では佐藤の長女が隅の方に丸まって痛い

(いたいといいながらまだなきつづけていた。ろをあいだにおいてさとうのつまとひろおかのつま)

痛いといいながらまだ泣きつづけていた。炉を間に置いて佐藤の妻と広岡の妻

(とはさしむかいにののしりあっていた。さとうのつまはあぐらをかいてながいひばしをみぎてに)

とはさし向いに罵り合っていた。佐藤の妻は安座をかいて長い火箸を右手に

(にぎっていた。ひろおかのつまもせにあかんぼうをしょって、はやくちにいいつのっていた。かおを)

握っていた。広岡の妻も背に赤ん坊を背負って、早口にいい募っていた。顔を

(ちだらけにしてどろまみれになったさとうのあとからにんえもんがはいってくるのをみる)

血だらけにして泥まみれになった佐藤の跡から仁右衛門が這入って来るのを見る

(と、さとうのつまはわけをきくこともせずにがたがたふるえるはをかみあわせてさるのように)

と、佐藤の妻は訳を聞く事もせずにがたがた震える歯を噛み合せて猿のように

(くちびるのあいだからむきだしながらにんえもんのまえにたちはだかって、とびだしそうないかり)

唇の間からむき出しながら仁右衛門の前に立ちはだかって、飛び出しそうな怒り

(のめでにらみつけた。ものがいえなかった。いきなりひばしをふりあげた。にんえもんは)

の眼で睨みつけた。物がいえなかった。いきなり火箸を振上げた。仁右衛門は

(たわいもなくそれをうばいとった。かみつこうとするのをおしのけた。そしてちゅうさいしゃ)

他愛もなくそれを奪い取った。噛みつこうとするのを押しのけた。そして仲裁者

(がいっぱいのもうとすすめるのもきかずにつまをうながしてじぶんのこやにかえっていった。)

が一杯飲もうと勧めるのも聴かずに妻を促して自分の小屋に帰って行った。

(さとうのつまはすはだしのままにんえもんのせにばりをあびせながらふゅーりーのようについて)

佐藤の妻は素跣のまま仁右衛門の背に罵詈を浴せながら怒精のようについて

(きた。そしてこやのまえにたちはだかって、さえずるようになかばむちゅうでにんえもんふうふを)

来た。そして小屋の前に立ちはだかって、囀るように半ば夢中で仁右衛門夫婦を

(ののしりつづけた。)

罵りつづけた。

(にんえもんはおしだまったままいろりのよこざにすわってさとうのつまのきょうたいをみつめていた。)

仁右衛門は押黙ったまま囲炉裡の横座に坐って佐藤の妻の狂態を見つめていた。

(それはにんえもんにはいがいのけっかだった。かれのきぶんはみょうにかたづかないもの)

それは仁右衛門には意外の結果だった。彼れの気分は妙にかたづかないもの

(だった。かれはさとうのつまのじぶんからとつぜんはなれたのをいかったりおかしくおもったり)

だった。彼れは佐藤の妻の自分から突然離れたのを怒ったりおかしく思ったり

(おしんだりしていた。にんえもんがとりあわないのでかのじょはさすがにこやのなかには)

惜んだりしていた。仁右衛門が取合わないので彼女はさすがに小屋の中には

(はいらなかった。そしてしわがれたこえでおめきさけびながらあめのなかをかえっていって)

這入らなかった。そして皺枯れた声でおめき叫びながら雨の中を帰って行って

(しまった。にんえもんのくちのあたりにはいかにもにんげんらしいひにくなゆがみがあらわれた。)

しまった。仁右衛門の口の辺にはいかにも人間らしい皮肉な歪みが現われた。

(かれはけっきょくじぶんのちえのたりなさをかんじた。そしてままよとおもっていた。)

彼れは結局自分の智慧の足りなさを感じた。そしてままよと思っていた。

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