『争われない事実』小林多喜二1【完】

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血は争えず同じ思想を持ち、共に争わなければならない事実がある話
※分かりやすくする為、表記等を一部改変しております

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問題文

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(だれよりもいちばんおやこうこうでおとなしくて、いつでもがっこうではよいけんきちが、)

誰よりも一番親孝行でおとなしくて、いつでも学校ではよいケンキチが、

(このよのなかでいちばんおそろしいことをやったという。)

この世の中で一番恐ろしいことをやったという。

(だが、どうしてもははおやはなっとくできなかった。みまわりのとちゅう、)

だが、どうしても母親は納得できなかった。見回りの途中、

(ときどきよってははなしこんでいくあからがおのひとのよいちゅうざいしょのだんなが、)

時々寄っては話しこんでいく赤ら顔の人のよい駐在所の旦那が、

(「よのなかにはおそろしいひとごろしというものがある。さぎというものもあるし、)

「世の中には恐ろしい人殺しというものがある。詐欺というものもあるし、

(ごうとうというものもある。しかしどんなおそろしいことも、)

強盗というものもある。しかしどんな恐ろしいことも、

(このにほんをひっくりかえすほどのおそろしいものがないんだ」といった。)

この日本をひっくり返す程の恐ろしいものがないんだ」といった。

(やはりとうきょうへだしてやったのがわるかった、とははおやはおもった。)

やはり東京へ出してやったのが悪かった、と母親は思った。

(いつでもめやにのでるかたほうのめは、なんにちもねないためにあかくただれて、)

いつでも目ヤニの出る片方の目は、何日も寝ない為に赤くただれて、

(なんでもないのにひとりでになみだがぽろぽろでるようになった。)

なんでもないのにひとりでに涙がポロポロ出るようになった。

(おおきなにちようざっかてんのてつだいをしていたおやすが、)

大きな日用雑貨店の手伝いをしていたお安が、

(あにのことでやめさせられもどってきた。)

兄のことで辞めさせられ戻ってきた。

(「おやすや、けんはなにしたんだ」ははおやはかたほうのめからだけ)

「お安や、ケンはなにしたんだ」母親は片方の目からだけ

(なみだをぽろぽろだしながら、てにもつひとつもってかえってきたむすめにきいた。)

涙をポロポロ出しながら、手荷物一つ持って帰ってきた娘に聞いた。

(「きょうさんとうとかって」「なにきょ、きょなんだって」)

「キョウサントウとかって」「なにキョ、キョなんだって」

(「きょうさんとう」「きょ、さん、とう」)

「キョウサントウ」「キョ、サン、トウ」

(しかしははおやは、すぐそのなをわすれてしまった。)

しかし母親は、すぐその名を忘れてしまった。

(そしてとうとうおぼえられなかった。)

そしてとうとう覚えられなかった。

(ちいさいときからなかのよかったおやすは、このあきにはなんとかおかねのしたくをして、)

小さい時から仲の良かったお安は、この秋にはなんとかお金の仕度をして、

(とうきょうのかんごくにいるあににめんかいしたがった。ははとむすめはそれをたのしみに)

東京の監獄にいる兄に面会したがった。母と娘はそれを楽しみに

など

(はたらくことにした。けんきちからはときどき、けんいんのおされたふうとうやはがきがきた。)

働くことにした。ケンキチからは時々、検印の押された封筒やハガキが来た。

(それがくると、ははおやはおやすにこえをださせてよませた。)

それが来ると、母親はお安に声を出させて読ませた。

(それからつぎのひに、もういちどよませた。つぎのてがみがくるまで、)

それから次の日に、もう一度読ませた。次の手紙が来るまで、

(おなじてがみをなんかいもよむことにした。)

同じ手紙を何回も読むことにした。

(のうさくぶつをとりおさめたころ、ははおやとおやすはめんかいにでてきた。)

農作ぶつを取り収めた頃、母親とお安は面会に出てきた。

(ははおやはきしゃのなかで、しゅうしてぬぐいでかたほうのめばかりこすっていた。)

母親は汽車の中で、終始手ぬぐいで片方の目ばかりこすっていた。

(なんかいもうろうろし、なんかいもしらべられ、ようやくのことでさいばんしょから)

何回もうろうろし、何回も調らべられ、ようやくのことで裁判所から

(きょかしょうをもらい、けいむしょへやってきた。ところが、そのいりぐちで)

許可証を貰い、刑務所へやってきた。ところが、その入口で

(ははおやがきゅうにみちばたにしゃがんで、かおをおおってしまった。いもうとはびっくりした。)

母親が急に道ばたにしゃがんで、顔を覆ってしまった。妹はびっくりした。

(なんかいもゆすったが、ははおやはそのままだった。「おかあちゃん、おかあちゃんてば」)

何回もゆすったが、母親はそのままだった。「お母ちゃん、お母ちゃんてば」

(きしゃにのってはるばるでてきたが、ははおやがかんがえていたよりも、)

汽車に乗ってはるばる出てきたが、母親が考えていたよりも、

(かんごくのこんくりーとのへいは、あつくてたかかった。それはははおやのきを)

監獄のコンクリートの塀は、厚くて高かった。それは母親の気を

(てんとうさせるのにじゅうぶんだった。しかもそのなかで、あのおやこうこうもののけんきちが)

転倒させるのに充分だった。しかもその中で、あの親孝行もののケンキチが

(あかいきものをきて、たかくちいさいてつぼうのはまったまどをみあげているのかとおもうと、)

赤い着物をきて、高く小さい鉄棒のはまった窓を見上げているのかと思うと、

(きゅうになにかがむねにきた。ははおやは、ひんけつをおこしていた。)

急に何かが胸にきた。母親は、貧血を起こしていた。

(「ま、まあ、なんなのこのへいは。これじゃけんにあえないじゃないの」)

「ま、まあ、なんなのこの塀は。これじゃケンに会えないじゃないの」

(しかたがないので、おやすだけめんかいにでかけていった。しばらくしておやすが)

仕方がないので、お安だけ面会に出かけて行った。しばらくしてお安が

(なみだできたないかおをして、みしらないとかいふうのおんなのひとといっしょにかえってきた。)

涙で汚い顔をして、見知らない都会風の女の人と一緒に帰ってきた。

(そのひとはははおやに、じぶんたちのしているしごとのことをはなして、)

その人は母親に、自分たちのしている仕事のことを話して、

(なかにいるむすこさんのことはすこしもしんぱいしなくてもいいといった。)

中にいる息子さんの事は少しも心配しなくてもいいといった。

(きゅうえんかいのひとだった。しかしははおやは、ちゅうざいしょのだんながいっているように、)

救援会の人だった。しかし母親は、駐在所の旦那が言っているように、

(あんなおそろしいことをしたむすこのめんどうをみてくれるという)

あんな恐ろしいことをした息子の面倒をみてくれるという

(ふしぎなひともよのなかにはいるもんだとおもって、なんだかわけがわからなかった。)

不思議な人も世の中にはいるもんだと思って、なんだか訳が分らなかった。

(しかしそれでもかえるときには、なんかいもおじぎした。)

しかしそれでも帰る時には、何回もお辞儀した。

(おやすはながいあいだ、そのひとからいろいろとはなしをきいていた。)

お安は長い間、その人から色々と話を聞いていた。

(ははおやはわざわざとうきょうまででてきて、とうとうじぶんのむすこにあわずかえった。)

母親はわざわざ東京まで出てきて、とうとう自分の息子に会わず帰った。

(「おやすや、けんはどうしてた」きしゃのなかで、ははおやはおそろしいものに)

「お安や、ケンはどうしてた」汽車の中で、母親は恐ろしいものに

(ふれるようにびくびくしながらきいた。「なんぼはたらいてもくえないむらより、)

触れるようにビクビクしながら聞いた。「なんぼ働いても食えない村より、

(あそこはうんとらくだって、わらっていたよ。かえるときまで、おかあに)

あそこはウンと楽だって、笑っていたよ。帰る時まで、オカアに

(たっしゃでいてけろと」ははおやは、たったひとこともききもらさないようにきいていた。)

達者でいてけろと」母親は、たった一言も聞きもらさないように聞いていた。

(それからふたりはひとまえもはばからずになきだしてしまった。)

それから二人は人前もはばからずに泣きだしてしまった。

(それからはんとしほどして、きゅうえんかいのおんなのひとが、いなかからえんぴつがきのてがみを)

それから半年ほどして、救援会の女の人が、田舎から鉛筆書きの手紙を

(うけとった。それはおやすがかいたてがみだった。)

受け取った。それはお安が書いた手紙だった。

(あなたさまのおはなし、いまになるとようわかりました。こちらみんなたっしゃです。)

あなたさまのお話、今になるとよう分りました。こちらみんな達者です。

(あれからここで、じぬしからとちをかりてのうぎょうをいとなむこさくにんが、)

あれからここで、地主から土地を借りて農業を営む小作人が、

(じぬしとふんそうをおこしましたのよ。わたしもやってます。)

地主と紛争を起こしましたのよ。私もやってます。

(あなたさまのおはなしわすれません。にいさんのことはくれぐれもたのみます。)

あなたさまのお話忘れません。兄さんのことはくれぐれも頼みます。

(はははまだきょうさんとうといえませんよ。まだじぶんのむすこのことがわからないのです。)

母はまだ共産党と言えませんよ。まだ自分の息子のことが分らないのです。

(げんきでいてください。うんぬん。)

元気でいて下さい。うんぬん。

(きゅうえんかいのひとはてがみをまえにしばらくじっとしていたが、)

救援会の人は手紙を前にしばらくジッとしていたが、

(そこにあらそわれないじじつをみたとおもった。)

そこに争われない事実を見たと思った。

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