陰翳礼讃 14
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問題文
(われわれのせんぞは、あかるいだいちのじょうげしほうをしきってまずいんえいのせかいをつくり、)
われ/\の先祖は、明るい大地の上下四方を仕切ってまず陰翳の世界を作り、
(そのやみのおくににょにんをこもらせて、それをこのよでいちばんいろのしろいにんげんと)
その闇の奥に女人を籠らせて、それをこの世で一番色の白い人間と
(おもいこんでいたのであろう。はだのしろさがさいこうのじょせいびにかくべからざる)
思い込んでいたのであろう。肌の白さが最高の女性美に缺くべからざる
(じょうけんであるなら、われわれとしてはそうするよりしかたがないのだし、)
条件であるなら、われ/\としてはそうするより仕方がないのだし、
(それでさしつかえないわけである。はくじんのかみがめいしょくであるのにわれわれのかみが)
それで差支えない訳である。白人の髪が明色であるのにわれ/\の髪が
(あんしょくであるのは、しぜんがわれわれにやみのりほうをおしえているのだが、)
暗色であるのは、自然がわれ/\に闇の理法を教えているのだが、
(こじんはむいしきのうちに、そのりほうにしたがってきいろいかおをしろくうきたたせた。)
古人は無意識のうちに、その理法に従って黄色い顔を白く浮き立たせた。
(わたしはさっきおはぐろのことをかいたが、むかしのおんながまゆげをそりおとしたのも、)
私はさっき鉄漿のことを書いたが、昔の女が眉毛を剃り落したのも、
(やはりかおをきわだたせるしゅだんではなかったのか。そしてわたしがなによりも)
やはり顔を際立たせる手段ではなかったのか。そして私が何よりも
(かんしんするのは、あのたまむしいろにひかるあおいくちべにである。もうこんにちでは)
感心するのは、あの玉虫色に光る青い口紅である。もう今日では
(ぎおんのげいこなどでさえほとんどあれをつかわなくなったが、あのべにこそは)
祇園の藝妓などでさえ殆どあれを使わなくなったが、あの紅こそは
(ほのぐらいろうそくのはためきをそうぞうしなければ、そのみりょくをかいしえない。)
ほのぐらい蝋燭のはためきを想像しなければ、その魅力を解し得ない。
(こじんはおんなのあかいくちびるをわざとあおぐろくぬりつぶして、それにらでんをちりばめたのだ。)
古人は女の紅い唇をわざと青黒く塗りつぶして、それに螺鈿を鏤めたのだ。
(ほうえんなかおからいっさいのちのけをうばったのだ。わたしは、らんとうのゆらめくかげで)
豊艶な顔から一切の血の気を奪ったのだ。私は、蘭燈のゆらめく蔭で
(わかいおんながあのおにびのようなあおいくちびるのあいだからときどきこくしついろのはをひからせて)
若い女があの鬼火のような青い唇の間からとき/″\黒漆色の歯を光らせて
(ほほえんでいるさまをおもうと、それいじょうのしろいかおをかんがえることができない。)
ほゝ笑んでいるさまを思うと、それ以上の白い顔を考えることが出来ない。
(すくなくともわたしがのうりにえがくげんえいのせかいでは、どんなはくじんのおんなのしろさよりもしろい。)
少くとも私が脳裡に描く幻影の世界では、どんな白人の女の白さよりも白い。
(はくじんのしろさは、とうめいな、わかりきった、ありふれたしろさだが、)
白人の白さは、透明な、分り切った、有りふれた白さだが、
(それはいっしゅにんげんばなれのしたしろさだ。あるいはそういうしろさは、じっさいには)
それは一種人間離れのした白さだ。或はそう云う白さは、実際には
(そんざいしないかもしれない。それはただひかりとやみがかもしだすいたずらであって、)
存在しないかも知れない。それはたゞ光りと闇が醸し出す悪戯であって、
(そのばかぎりのものかもしれない。だがわれわれはそれでいい。)
その場限りのものかも知れない。だがわれ/\はそれでいゝ。
(それいじょうをのぞむにはおよばぬ。ここでわたしは、そういうかおのしろさをおもうはんめんに、)
それ以上を望むには及ばぬ。こゝで私は、そう云う顔の白さを想う半面に、
(それをとりかこむやみのいろについてはなしたいのだが、もうすうねんまえ、)
それを取り囲む闇の色について話したいのだが、もう数年前、
(いつぞやとうきょうのきゃくをあんないしてしまばらのかくやであそんだおりに、)
いつぞや東京の客を案内して島原の角屋で遊んだ折に、
(いちどわすれられないあるやみをみたおぼえがある。なんでもそれは、)
一度忘れられない或る闇を見た覚えがある。何でもそれは、
(あとにかじでやけうせた「まつのま」とかいうひろいざしきであったが、)
後に火事で焼け失せた「松の間」とか云う廣い座敷であったが、
(わずかなしょくだいのあかりでてらされたひろまのくらさは、しょうざしきのくらさとこさがちがう。)
僅かな燭台の灯で照らされた廣間の暗さは、小座敷の暗さと濃さが違う。
(ちょうどわたしがそのへやへはいっていったとき、まゆをおとしておはぐろをつけている)
ちょうど私がその部屋へ這入って行った時、眉を落して鉄漿を附けている
(としまのなかいが、おおきなついたてのまえにしょくだいをすえてかしこまっていたが、)
年増の仲居が、大きな衝立の前に燭台を据えて畏まっていたが、
(たたみにじょうばかりのあかるいせかいをかぎっているそのついたてのこうほうには、)
畳二畳ばかりの明るい世界を限っているその衝立の後方には、
(てんじょうからおちかかりそうな、たかい、こい、ただひとしょくのやみがたれていて、)
天井から落ちかゝりそうな、高い、濃い、たゞ一と色の闇が垂れていて、
(おぼつかないろうそくのあかりがそのあつみをうがつことができずに、くろいかべにいきあたったように)
覚束ない蝋燭の灯がその厚みを穿つことが出来ずに、黒い壁に行き当ったように
(はねかえされているのであった。しょくんはこういう)
撥ね返されているのであった。諸君はこう云う
(「あかりにてらされたやみ」のいろをみたことがあるか。それはよみちのやみなどとは)
「灯に照らされた闇」の色を見たことがあるか。それは夜道の闇などとは
(どこかちがったぶっしつであって、たとえばひとつぶひとつぶがにじいろのかがやきをもった、)
何処か違った物質であって、たとえば一と粒一と粒が虹色のかゞやきを持った、
(こまかいはいににたびりゅうしがじゅうまんしているもののようにみえた。)
細かい灰に似た微粒子が充満しているもののように見えた。
(わたしはそれがめのなかへはいりこみはしないかとおもって、おぼえずがんけんを)
私はそれが眼の中へ這入り込みはしないかと思って、覚えず眼瞼を
(しばだたいた。こんにちではいっぱんにざしきのめんせきをせまくすることがはやり、)
しばだゝいた。今日では一般に座敷の面積を狭くすることが流行り、
(じゅうじょうはちじょうろくじょうというようなこまをたてるので、かりにろうそくを)
十畳八畳六畳と云うような小間を建てるので、仮に蝋燭を
(てんじてもかかるやみのいろはみられないが、むかしのごてんやぎろうなどでは、てんじょうをたかく、)
点じてもかゝる闇の色は見られないが、昔の御殿や妓楼などでは、天井を高く、
(ろうかをひろくとり、なんじゅうじょうじきというおおきなへやをしきるのがふつうであった)
廊下を廣く取り、何十畳敷きと云う大きな部屋を仕切るのが普通であった
(とすると、そのおくないにはいつもこういうやみがさぎりのごとく)
とすると、その屋内にはいつもこう云う闇が狭霧の如く
(たちこめていたのであろう。そしてやんごとないじょうろうたちは、)
立ち罩めていたのであろう。そしてやんごとない上藹たちは、
(そのやみのあくにどっぷりつかっていたのであろう。かつてわたしは)
その闇の灰汁にどっぷり漬かっていたのであろう。かつて私は
(「いしょうあんずいひつ」のなかでもそのことをかいたが、げんだいのひとはひさしくでんとうのあかりに)
「倚松庵随筆」の中でもそのことを書いたが、現代の人は久しく電燈の明りに
(なれて、こういうやみのあったことをわすれているのである。わけてもおくないの)
馴れて、こう云う闇のあったことを忘れているのである。分けても屋内の
(「めにみえるやみ」は、なにかちらちらとかげろうものがあるようなきがして、)
「眼に見える闇」は、何かチラチラとかげろうものがあるような気がして、
(げんかくをおこしやすいので、あるばあいにはおくがいのやみよりもすごみがある。)
幻覚を起し易いので、或る場合には屋外の闇よりも凄味がある。
(ちみとかようかいへんげとかのちょうやくするのはけだしこういうやみであろうが、)
魑魅とか妖怪変化とかの跳躍するのはけだしこう云う闇であろうが、
(そのなかにふかいとばりをたれ、びょうぶやふすまをいくえにもかこってすんでいたおんなというのも、)
その中に深い帳を垂れ、屏風や襖を幾重にも囲って住んでいた女と云うのも、
(やはりそのちみのけんぞくではなかったか。やみはさだめしそのおんなたちを)
やはりその魑魅の眷属ではなかったか。闇は定めしその女達を
(とえはたえにとりまいて、えりや、そでぐちや、すそのあわせめや、いたるところのくうげきを)
十重二十重に取り巻いて、襟や、袖口や、裾の合わせ目や、至るところの空隙を
(はめていたであろう。いや、ことによると、ぎゃくにかのじょたちのからだから、そのはをそめた)
填めていたであろう。いや、事に依ると、逆に彼女達の体から、その歯を染めた
(くちのなかやくろかみのさきから、つちぐものはくくものいのごとく)
口の中や黒髪の先から、土蜘蛛の吐く蜘蛛のいの如く
(はきだされていたのかもしれない。)
吐き出されていたのかも知れない。