陰翳礼讃 15

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谷崎潤一郎
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問題文

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(せんねん、たけばやしむそうあんがぱりからかえってきてのはなしに、おうしゅうのとしにくらべると)

先年、武林無想庵が巴里から帰って来ての話に、欧洲の都市に比べると

(とうきょうやおおさかのよるはかくだんにあかるい。ぱりなどではしゃんぜりぜえのまんなかでも)

東京や大阪の夜は格段に明るい。巴里などではシャンゼリゼエの真ん中でも

(らんぷをとぼすいえがあるのに、にほんではよほどへんぴなやまおくへでもいかなければ)

ランプを燈す家があるのに、日本ではよほど辺鄙な山奥へでも行かなければ

(そんないえはいっけんもない。おそらくせかいじゅうででんとうをぜいたくにつかっているくには、)

そんな家は一軒もない。恐らく世界じゅうで電燈を贅沢に使っている国は、

(あめりかとにほんであろう。にほんはなんでもあめりかのまねをしたがるくにだ)

亜米利加と日本であろう。日本は何でも亜米利加の真似をしたがる国だ

(ということであった。むそうあんのはなしはいまからしごねんもまえ、まだねおんさいんなどの)

と云うことであった。無想庵の話は今から四五年も前、まだネオンサインなどの

(はやりださないころであったから、こんどかれがかえってきたらいよいよあかるくなって)

流行り出さない頃であったから、今度彼が帰って来たらいよ/\明るくなって

(いるのにさぞかしびっくりするであろう。それからこれは「かいぞう」のやまもとしゃちょうに)

いるのにさぞかし吃驚するであろう。それからこれは「改造」の山本社長に

(きいたはなしだが、かつてしゃちょうがあいんしゅたいんはかせをじょうほうへあんないするとちゅうきしゃで)

聞いた話だが、かつて社長がアインシュタイン博士を上方へ案内する途中汽車で

(いしやまのあたりをとおると、そうがいのけしきをながめていたはかせが、「ああ、あすこに)

石山のあたりを通ると、窓外の景色を眺めていた博士が、「あゝ、彼処に

(たいそうふけいざいなものがある」というのでわけをきくと、そこらのでんしんばしらかなにかに)

大層不経済なものがある」と云うので訳を聞くと、そこらの電信柱か何かに

(はくちゅうでんとうのともっているのをゆびさしたという。「あいんしゅたいんは)

白昼電燈のともっているのを指さしたと云う。「アインシュタインは

(ゆだやじんですからそういうことがこまかいんでしょうね」と、やまもとしはちゅうしゃくを)

猶太人ですからそう云うことが細かいんでしょうね」と、山本氏は注釈を

(いれたが、あめりかはとにかく、おうしゅうにくらべるとにほんのほうがでんとうを)

入れたが、亜米利加はとにかく、欧洲に比べると日本の方が電燈を

(おしげもなくつかっていることはじじつであるらしい。いしやまといえばもうひとつ)

惜し気もなく使っていることは事実であるらしい。石山と云えばもう一つ

(おかしなことがあるのだが、ことしのあきのつきみにどこがよかろうここがよかろうと)

おかしなことがあるのだが、今年の秋の月見に何処がよかろう此処がよかろうと

(くびをひねったあげく、けっきょくいしやまでらへでかけることにきわめていると、じゅうごやの)

首をひねった揚句、結局石山寺へ出かけることに極めていると、十五夜の

(ぜんじつのしんぶんにいしやまでらではみょうばんかんげつのきゃくのきょうをそえるためりんかんにかくせいきを)

前日の新聞に石山寺では明晩観月の客の興を添えるため林間に拡声器を

(とりつけむーんらいとそなたのれこーどをきかせるというきじがでている。わたしは)

取り附けライトソナタのレコードを聴かせると云う記事が出ている。私は

(それをよんできゅうにいしやまいきをとめてしまった。かくせいきもこまりものだが、そういう)

それを読んで急に石山行きを止めてしまった。拡声器も困り物だが、そう云う

など

(ふうではきっとあのやまのかたがたにでんとうやいるみねーしょんをかざり、にぎにぎしくけいきを)

風ではきっとあの山の方々に電燈やイルミネーションを飾り、賑々しく景気を

(つけてはいないかとおもったからである。まえにもわたしはそれでつきみをふいにした)

附けてはいないかと思ったからである。前にも私はそれで月見をフイにした

(おぼえがあるのは、あるとしのじゅうごやにすまでらのいけへふねをうかべてみようとおもい、)

覚えがあるのは、或る年の十五夜に須磨寺の池へ舟を浮かべてみようと思い、

(どうぜいをあつめじゅうづめをもちよってくりだしてみると、あのいけのぐるりをごしきの)

同勢を集め重詰めを持ち寄って繰り出してみると、あの池のぐるりを五色の

(でんしょくがはなやかにとりまいていて、つきはあれどもなきがごとくなのであった。)

電飾が花やかに取り巻いていて、月はあれどもなきが如くなのであった。

(それやこれやをかんがえると、どうもちかごろのわれわれはでんとうにまひして、)

それやこれやを考えると、どうも近頃のわれ/\は電燈に麻痺して、

(しょうめいのかじょうからおこるふべんということにたいしてはあんがいむかんかくになっているらしい。)

照明の過剰から起る不便と云うことに対しては案外無感覚になっているらしい。

(おつきみのばあいなんかはまあじゅくほうでもいいけれども、まちあわせ、りょうりや、りょかん、)

お月見の場合なんかはまあ孰方でもいゝけれども、待合、料理屋、旅館、

(ほてるなどが、いったいにでんとうをろうひしすぎる。それもきゃくよせのためにいくらか)

ホテルなどが、一体に電燈を浪費し過ぎる。それも客寄せのために幾らか

(ひつようであろうけれども、なつなど、まだあかるいうちからてんとうするのは)

必要であろうけれども、夏など、まだ明るいうちから点燈するのは

(むだであるいじょうにあつくもある。わたしはなつはどこへいってもこれでよわらせられる。)

無駄である以上に暑くもある。私は夏は何処へ行ってもこれで弱らせられる。

(そとがすずしいのにざしきのなかがばかにあついのは、ほとんどじゅうがじゅうまででんりょくが)

外が涼しいのに座敷の中が馬鹿に暑いのは、殆ど十が十まで電力が

(つよすぎるかでんきゅうがおおすぎるかのせいであって、ためしにいちぶぶんをけしてみると)

強過ぎるか電球が多過ぎるかのせいであって、試しに一部分を消してみると

(にわかにすうっとするのだが、きゃくもしゅじんもいっこうそれにきがつかないのが)

俄かにすうっとするのだが、客も主人も一向それに気が付かないのが

(ふしぎでならない。がんらいしつないのともしびは、ふゆはいくらかあかるくし、なつはいくらか)

不思議でならない。元来室内の燈し火は、冬は幾らか明るくし、夏は幾らか

(くらくすべきである。そのほうがれいりょうのきをもよおすし、だいいちむしがとんでこない。)

暗くすべきである。その方が冷涼の気を催すし、第一虫が飛んで来ない。

(しかるによけいにでんとうをつけ、それであついからといってせんぷうきをまわすのは、)

然るに餘計に電燈をつけ、それで暑いからと云って煽風器を廻すのは、

(かんがえただけでもわずらわしい。もっともにほんざしきだとねつがそばからちっていくのでまだ)

考えただけでも煩わしい。尤も日本座敷だと熱が傍から散って行くのでまだ

(がまんができるけれども、ほてるのようしつではかぜとおしがわるいうえに、ゆか、かべ、てんじょうなどが)

我慢が出来るけれども、ホテルの洋室では風通しが悪い上に、床、壁、天井等が

(ねつをすいとってしほうからはんしゃするので、じつにたまらない。れいをあげるのは)

熱を吸い取って四方から反射するので、実にたまらない。例を挙げるのは

(すこしきのどくだが、きょうとのみやこほてるのろびーへなつのばんにいったことのあるひとは、)

少し気の毒だが、京都の都ホテルのロビーへ夏の晩に行ったことのある人は、

(わたしのこのせつにどうかんしてくれないであろうか。あすこはきたむきのたかだいによっていて、)

私のこの説に同感してくれないであろうか。彼処は北向きの高台に拠っていて、

(ひえいざんやにょいがだけやくろやのとうやもりやひがしやまいったいのすいらんをいちぼうのうちにあつめ、)

比叡山や如意ヶ嶽や黒谷の塔や森や東山一帯の翠巒を一眸のうちに集め、

(みるからすがすがしいきもちのするながめであるが、それだけになおおしい。)

見るからすが/\しい気持のする眺めであるが、それだけになお惜しい。

(なつのゆうがた、せっかくさんしすいめいにたいしてそうかいのきぶんにひたろうとおもい、ろうにみつる)

夏のゆうがた、折角山紫水明に対して爽快の気分に浸ろうと思い、楼に満つる

(りょうふうをしたってでかけてみると、しろいてんじょうのここかしこにおおきなにゅうはくがらすのふたが)

涼風を慕って出かけてみると、白い天井の此処彼処に大きな乳白ガラスの蓋が

(はめこんであって、どぎついあかりがなかでかっかっともえている。それが、)

篏め込んであって、ドギツイ明りが中でかっ/\と燃えている。それが、

(ちかごろのようかんはてんじょうがひくいので、すぐあたまのうえにひのたまがくるめいているようで、)

近頃の洋館は天井が低いので、すぐ頭の上に火の玉がくるめいているようで、

(あついことといったらない、からだのうちでもてんじょうにちかいところほどあつく、あたまからえりくびから)

暑いことと云ったらない、体のうちでも天井に近い所ほど暑く、頭から襟頸から

(せすじへかけてあぶられるようにかんじる。しかもそのひのたまがひとつあったら)

背筋へかけて炙られるように感じる。しかもその火の玉が一つあったら

(あれだけのひろさをてらすにはじゅうぶんなくらいであるのに、そういうやつが)

あれだけの廣さを照らすには十分なくらいであるのに、そう云う奴が

(みっつもよっつもてんじょうにひかっていて、そのそとにもちいさなやつがかべにそいはしらにそうて)

三つも四つも天井に光っていて、その外にも小さな奴が壁に沿い柱に沿うて

(いくつとなくとりつけてあるのだが、そんなのはただすみずみにできるくまを)

幾つとなく取り附けてあるのだが、そんなのはたゞ隅々に出来る隈を

(けしているいがいに、なんのやくにもたっていない。だからしつないにかげというものが)

消している以外に、何の役にも立っていない。だから室内に蔭と云うものが

(ひとつもなく、みわたしたところ、しろいかべと、あかいふといはしらと、はでないろをもざいくの)

一つもなく、見渡したところ、白い壁と、赤い太い柱と、派手な色をモザイクの

(ようにくみあわせたゆかが、すりたてのせきばんがのようにめにしみこんで、)

ように組み合わせた床が、刷りたての石版画のように眼に沁み込んで、

(これがまたそうとうにあつくるしい。ろうかからそこへはいってくると、)

これがまた相当に暑苦しい。廊下からそこへ這入って来ると、

(おんどのちがいがきわだってわかる。あれではたといすずしいやきがながれこんできても、)

温度の違いが際立って分る。あれではたとい涼しい夜気が流れ込んで来ても、

(すぐあついかぜにかわってしまうからなんにもなるまい。あすこはいぜんたびたび)

すぐ熱い風に変ってしまうから何にもなるまい。彼処は以前たび/\

(とまりにいったことのあるほてるで、なつかしくおもうところからしんせつぎで)

泊まりに行ったことのあるホテルで、なつかしく思うところから親切気で

(ちゅうこくするのだが、じっさいああいうけいしょうなちょうぼう、さいてきななつのすずみばしょを、)

忠告するのだが、実際あゝ云う形勝な眺望、最適な夏の涼み場所を、

(でんとうでうちこわしているのはもったいない。にほんじんにはもちろんのこと、いくら)

電燈で打ち壊しているのはもったいない。日本人には勿論のこと、いくら

(せいようじんがあかるみをこのむからといって、あのあつさにはへいこうするにちがいなかろうが、)

西洋人が明るみを好むからと云って、あの暑さには閉口するに違いなかろうが、

(なによりかれより、いっぺんあかりをへらしてみたらてきめんにりょうかいするであろう。)

何より彼より、一遍明りを減らしてみたら覿面に諒解するであろう。

(だがこれなどはいちれいをあげたまでであって、あのほてるにかぎったことではない。)

だがこれなどは一例を挙げたまでであって、あのホテルに限ったことではない。

(かんせつしょうめいをつかっているていこくほてるだけはまずぶなんだが、なつはあれを)

間接照明を使っている帝国ホテルだけはまず無難だが、夏はあれを

(もうすこしくらくしてもよかりそうにおもう。なににしてもこんにちのしつないのしょうめいは、)

もう少し暗くしてもよかりそうに思う。何にしても今日の室内の照明は、

(しょをよむとか、じをかくとか、はりをはこぶとかいうことはもはやもんだいでなく、)

書を読むとか、字を書くとか、針を運ぶとか云うことは最早問題でなく、

(もっぱらよすみのかげをけすことについやされるようになったが、そのかんがえはすくなくとも)

専ら四隅の蔭を消すことに費されるようになったが、その考は少くとも

(にほんかおくのびのかんねんとはりょうりつしない。こじんのじゅうたくではけいざいのうえから)

日本家屋の美の観念とは両立しない。個人の住宅では経済の上から

(でんりょくをせつやくするので、かえってうまくいっているけれども、きゃくしょうばいのいえになると、)

電力を節約するので、却って巧く行っているけれども、客商売の家になると、

(ろうか、かいだん、げんかん、ていえん、おもてもんなどに、どうしてもあかりがおおすぎるけっかになり、)

廊下、階段、玄関、庭園、表門等に、どうしても明りが多過ぎる結果になり、

(ざしきやせんせきのそこをあさくしてしまっている。ふゆはそのほうがあたたかでたすかる)

座敷や泉石の底を浅くしてしまっている。冬はその方が暖かで助かる

(こともあるが、なつのばんはどんなゆうすいなひしょちへのがれても、さきがりょかんであるかぎり)

こともあるが、夏の晩はどんな幽邃な避暑地へ逃れても、先が旅館である限り

(たいがいみやこほてるとおなじようなひあいにぶつかる。だからわたしは、じぶんのいえで)

大概都ホテルと同じような悲哀に打つかる。だから私は、自分の家で

(しほうのあまどをあけはなって、まっくらななかにかやをつって)

四方の雨戸を開け放って、真っ暗な中に蚊帳を吊って

(ころがっているのがりょうをいれるさいじょうのほうだとこころえている。)

ころがっているのが涼を納れる最上の法だと心得ている。

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