『アパートで聞いた話』小川未明1【完】

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少年が人間には表と裏があることを知る話
※分かりやすくする為、表記等を一部改変しております

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問題文

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(そのおじさんは、いつもかんがえこんでいるような、やさしいひとでした。)

そのおじさんは、いつも考えこんでいるような、優しい人でした。

(しょうねんは、そのひとのへやへいきました。)

少年は、その人の部屋へ行きました。

(「なにか、おはなしをしてくださいませんか」と、たのみました。)

「なにか、お話をしてくださいませんか」と、頼みました。

(「どんなはなしかね」と、おじさんはききました。)

「どんな話かね」と、おじさんは聞きました。

(「どんなはなしでもいいです」と、しょうねんがいうと、)

「どんな話でもいいです」と、少年が言うと、

(おじさんは、つぎのようなはなしをしてくれたのです。)

おじさんは、次のような話をしてくれたのです。

(に、さんにちまえのしんぶんにあったが、まちのちゅうおうへびるができるので、)

二、三日前の新聞にあったが、街の中央へビルができるので、

(じめんをふかくほりさげていると、どうぶつのほねがでてきた。)

地面を深く掘り下げていると、動物の骨が出てきた。

(それをがくしゃがしらべてみると、やくにまんねんもまえのにんげんのほねで、)

それを学者が調べてみると、約二万年も前の人間の骨で、

(まだわかいにじゅっさいぜんごのおんならしいが、たぶんなみにただよって、)

まだ若い二十歳前後の女らしいが、たぶん波にただよって、

(きしにしたいがついたものだろう。このまちのあるところが、とうじはかいがんであったのが)

岸に死体がついたものだろう。この街のある所が、当時は海岸であったのが

(わかるというのだ。このきじをみて、わたしはかんがえさせられた。)

分かるというのだ。この記事を見て、私は考えさせられた。

(やまとぞくより、もっとさきにすんでいたみんぞくであろう。)

ヤマト族より、もっと先に住んでいた民族であろう。

(そのようなとおいむかしから、じんるいにはかなしみや、ふこうというものが、)

そのような遠い昔から、人類には悲しみや、不幸というものが、

(つきまとっていたのをしったからだ。いかなるさいなんか、またなやみからか、)

つきまとっていたのを知ったからだ。いかなる災難か、また悩みからか、

(そのおんなはしんだのであるが、わかいみでありながら、じんせいのよろこびもたのしみも、)

その女は死んだのであるが、若い身でありながら、人生の喜びも楽しみも、

(じゅうぶんしらないで、しんでしまったのだ。)

十分知らないで、死んでしまったのだ。

(いくじゅっせいきかのあいだに、うみがりくになったり、またりくがうみになったりして、)

幾十世紀かの間に、海が陸になったり、また陸が海になったりして、

(おどろくようなじじつがあるにちがいないが、それよりもにんげんのいのちのはかなさというものを、)

驚くような事実があるに違いないが、それよりも人間の命の儚さというものを、

(よりつよくかんじられる。そして、いつのよでも、)

より強く感じられる。そして、いつの世でも、

など

(いっしょうをぶじこうふくにいきるということは、よういのことではないらしい。)

一生を無事幸福に生きるということは、容易のことではないらしい。

(このあぱーとの、したのへやにいるむすめさんをごらん。)

このアパートの、下の部屋にいる娘さんをご覧。

(かいしゃにでるときは、おけしょうをして、そのほうがりっぱなので、)

会社に出るときは、お化粧をして、そのほうが立派なので、

(ひとめには、いきいきとうつくしくうつるので、さぞゆかいなにちじょうをおくっているだろうと)

人目には、いきいきと美しく映るので、さぞ愉快な日常を送っているだろうと

(おもうけれど、いえへかえってかじをするときのすがたをみると、)

思うけれど、家へ帰って家事をするときの姿を見ると、

(つかれてかおいろがあおじろいじゃないか。ははおやがびょうきでながくねているので、)

つかれて顔色が青白いじゃないか。母親が病気で長く寝ているので、

(もしじぶんのきぶんがわるくても、やすむことさえできないのだ。)

もし自分の気分が悪くても、休むことさえできないのだ。

(ゆうべも、このまどからおおぞらをながめていると、かぞえきれないほど)

ゆうべも、この窓から大空をながめていると、数えきれないほど

(たくさんのほしのむれがみえた。それらのほしが、おもいおもいにうつくしくひかっている。)

たくさんの星の群れが見えた。それらの星が、思い思いに美しく光っている。

(なんとなくみていると、うらやましくなった。おそらく、えいきゅうにまいよ、)

なんとなく見ていると、羨ましくなった。おそらく、永久に毎夜、

(こうしてはなやかにひかりかがやくことだろう。それなのに、どうしてにんげんだけは、)

こうして華やかに光り輝くことだろう。それなのに、どうして人間だけは、

(こうならないのだ。わたしはおもった。にんげんには、みずからをまもり、)

こうならないのだ。私は思った。人間には、みずからを守り、

(あいてをとうとぶといううつくしいみちがあったのを、わすれたからである。)

相手を尊ぶという美しい道があったのを、忘れたからである。

(それで、はめつをいそぐようなじさつをしたり、せんそうをおこしたりするのだ。)

それで、破滅を急ぐような自殺をしたり、戦争を起こしたりするのだ。

(しぜんかいにほうそくがあれば、にんげんかいにもほうそくがある。どのほしをみてもほこらしげに、)

自然界に法則があれば、人間界にも法則がある。どの星を見ても誇らしげに、

(またおだやかにかがやくのは、てんたいのほうそくがまもられているからである。)

また穏やかに輝くのは、天体の法則が守られているからである。

(もしほしがきどうをあやまると、そのしゅんかんにくだけて、ちってしまうだろう。)

もし星が軌道を誤ると、その瞬間に砕けて、散ってしまうだろう。

(「おじさんは、ほしをみるのがすきですか」と、しょうねんはききました。)

「おじさんは、星を見るのが好きですか」と、少年は聞きました。

(「わたしはこどものころ、ほしぞらをみるのが、なによりすきだった。)

「私は子供の頃、星空を見るのが、なにより好きだった。

(かみさまのかいたえでもみるようで、いろいろふしぎなくうそうにふけったものだ」)

神様のかいた絵でも見るようで、色々不思議な空想にふけったものだ」

(「どうも、ありがとうございました」と、しょうねんは、おじさんのへやをでました。)

「どうも、ありがとうございました」と、少年は、おじさんの部屋を出ました。

(つぎにしょうねんは、げんきでほがらかなせいねんに、はなしをきこうとおもいました。)

次に少年は、元気で朗らかな青年に、話を聞こうと思いました。

(「おにいさん、なにかはなしをしてください」と、たのみました。)

「お兄さん、なにか話をしてください」と、頼みました。

(「どんなはなしだい」と、ふいにいわれたので、かれはおどろいて、)

「どんな話だい」と、不意に言われたので、彼は驚いて、

(しょうねんのかおをみました。「なにか、ためになるような」と、しょうねんがいうと、)

少年の顔を見ました。「なにか、タメになるような」と、少年が言うと、

(せいねんは、うなずきながら、「それなら、かんしんしたことがあるよ。)

青年は、うなずきながら、「それなら、感心したことがあるよ。

(それをきいてもらおうか」と、まえおきをして、)

それを聞いてもらおうか」と、前置きをして、

(「このあいだ、にぎやかなまちのとおりをあるいたのだ。)

「このあいだ、にぎやかな町の通りを歩いたのだ。

(せまいおうらいをじてんしゃがはしり、ときどきみちはばいっぱいのとらっくがいく。)

せまい往来を自転車が走り、時々道幅いっぱいのトラックが行く。

(そのうえ、にんげんでごったがえしていた。)

そのうえ、人間でごった返していた。

(じっさい、どこもかしこも、にんげんばかりだというかんじがした。)

実際、どこもかしこも、人間ばかりだという感じがした。

(りょうがわのみせでは、たがいにおなじようなしなものをならべて、)

両側の店では、互いに同じような品物を並べて、

(きょうそうしあっている。どこをみても、ただじぶんだけいきようとあせっているので、)

競争し合っている。どこを見ても、ただ自分だけ生きようと焦っているので、

(すこしものんびりとしたところがない。もし、おたがいにきもちをかえて、)

少しものんびりとした所がない。もし、お互いに気持ちを変えて、

(せいかつをあたらしくでなおしでもしなければ、にんげんはしぬまで、)

生活を新しく出直しでもしなければ、人間は死ぬまで、

(このくるしみをつづけなければならないのかとおもうと、おそろしくなったよ」)

この苦しみを続けなければならないのかと思うと、恐ろしくなったよ」

(「しかし、おにいさんは、いつもゆかいそうにみえるけどなあ」と、)

「しかし、お兄さんは、いつも愉快そうに見えるけどなあ」と、

(しょうねんはいいました。なぜなら、あたまはきれいにわけているし、)

少年は言いました。なぜなら、頭はきれいに分けているし、

(くつはぴかぴかひかっているし、くちぶえなどふいてあるくし、)

靴はピカピカ光っているし、口笛など吹いて歩くし、

(どこにもくろうなんかなさそうだからでした。)

どこにも苦労なんか無さそうだからでした。

(「そんなふうに、ぼくがみえるかい」と、せいねんはわらって、はなしのあとをつづけました。)

「そんな風に、ぼくが見えるかい」と、青年は笑って、話のあとを続けました。

(「そりゃあ、ぼくもたまには、だんすをやるし、)

「そりゃあ、ぼくもたまには、ダンスをやるし、

(えいがやすぽーつをみにもいくさ。なにしろいきづまるような、よのなかだもの。)

映画やスポーツを見にも行くさ。なにしろ息詰まるような、世の中だもの。

(それくらいは、しかたがないだろう。)

それくらいは、仕方がないだろう。

(だが、そんなことしたって、なんにもならないよ。ただゆううつをかんじるばかりだ。)

だが、そんなことしたって、なんにもならないよ。ただ憂鬱を感じるばかりだ。

(ところが、ほんとうにかんがえさせられることがあった。まちをあるいていたときだ。)

ところが、本当に考えさせられることがあった。町を歩いていたときだ。

(とつぜん、あたまのうえのかくせいきから、おんなのこえがきこえはじめて、)

突然、頭の上の拡声器から、女の声が聞こえ始めて、

(なつもののなげうりせんでんや、えきまえにきっさてんがかいぎょうしたことや、)

夏物の投げ売り宣伝や、駅前に喫茶店が開業したことや、

(そのほか、いちばんうるさくいっていたのが、「なにまちなんちょうめのくつてんでは、)

そのほか、一番うるさく言っていたのが、「なに町なん丁目の靴店では、

(みなさまによいしなを、おやすくさーびすします」といったので、)

みなさまによい品を、お安くサービスします」と言ったので、

(ぼくは、さっそくそのみせへいってみるきになった。それほど、くつがひつようだったのだ。)

ぼくは、早速その店へ行ってみる気になった。それほど、靴が必要だったのだ。

(すると、たしかにほかのみせよりは、よいしなものがやすくかえるので、かったのである。)

すると、確かにほかの店よりは、よい品物が安く買えるので、買ったのである。

(「きせつがら、みなさまのみにもなってまして、てまえどもがたべていければ、)

「季節がら、みなさまの身にもなってまして、てまえどもが食べていければ、

(いいというせいしんで、ごほうこうをしています」と、しゅじんはいった。)

いいという精神で、ご奉公をしています」と、主人は言った。

(いまどきこんなかんがえをもつものがいるのかと、なんだかうそのようなきがしたけれど、)

今どきこんな考えを持つ者がいるのかと、なんだか嘘のような気がしたけれど、

(とてもうれしかった。そして、きゅうにこのよのなかがあかるくなったようで、)

とても嬉しかった。そして、急にこの世の中が明るくなったようで、

(きぼうがもてたのである。くうために、みをきかいにしてあなうんすしている、)

希望が持てたのである。食うために、身を機械にしてアナウンスしている、

(あのおんなまでもが、いいしごとをしているようにみえて、)

あの女までもが、いい仕事をしているように見えて、

(ぼくはじぶんをはずかしくおもったのだ」)

ぼくは自分を恥ずかしく思ったのだ」

(「おにいさん。すると、じぶんのことばかりかんがえず、たにんのこともおもうなら、)

「お兄さん。すると、自分のことばかり考えず、他人のことも思うなら、

(このよのなかは、あかるくなるんですね」と、しょうねんはききました。)

この世の中は、明るくなるんですね」と、少年は聞きました。

(「それも、ひとりやふたりではだめだ。みちをあるくもの、でんしゃにのるもの、)

「それも、一人や二人ではだめだ。道を歩く者、電車に乗る者、

(おのおのがしょくばをもっている。そして、しゃかいとかんけいのないしごとというものは)

おのおのが職場を持っている。そして、社会と関係のない仕事というものは

(ないのだから、みんなが、そのきになればいいとおもうのだよ」)

無いのだから、みんなが、その気になればいいと思うのだよ」

(おじさんとおにいさんのはなしをきいて、)

おじさんとお兄さんの話を聞いて、

(そのひからしょうねんは、あぱーとのひとびとをみなおすきがおこったのでした。)

その日から少年は、アパートの人々を見直す気が起こったのでした。

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