人形-3-
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問題文
(そうしておれたちはさんにんでそのじょせい、れいこさんのいえに)
そうして俺たちは3人でその女性、礼子さんの家に
(むかうことになったのだった。きっさてんからでるとき、ししょうはおれにみみうちをした。)
向かうことになったのだった。喫茶店から出るとき、師匠は俺に耳打ちをした。
(「おもしろくなってきたな」おれは、すこしいがいたくなってきた。)
「面白くなってきたな」俺は、少し胃が痛くなってきた。
(みかっちさんのくるまにのって、はしること15ふんあまり。)
みかっちさんの車に乗って、走ること15分あまり。
(まちのちゅうしんからさほどはなれていないじゅうたくちにれいこさんのいえはあった。)
街の中心からさほど離れていない住宅地に礼子さんの家はあった。
(にかいだてで、ひろいにわのあるけっこうおおきないえだった。)
2階建てで、広い庭のある結構大きな家だった。
(ちゃいむをならすと、ほどなくしてくろいかみのじょせいがでてきて)
チャイムを鳴らすと、ほどなくして黒い髪の女性が出てきて
(「あ、いらっしゃい」といった。)
「あ、いらっしゃい」と言った。
(あんないされたきゃくまにこしをすえると、よういされていたのかこうちゃがすぐにでてきた。)
案内された客間に腰を据えると、用意されていたのか紅茶がすぐに出てきた。
(すこーんとかいうおかしもそえられている。)
スコーンとかいうお菓子も添えられている。
(「いまかぞくはみんなでてるから、くつろいでくださいね」)
「いま家族はみんな出てるから、くつろいでくださいね」
(ことばづかいもじょうひんだ。こういうのはあまりおちつかない。)
言葉遣いも上品だ。こういうのはあまり落ち着かない。
(「だいがくのおともだちですって?みかちゃんがおとこのひとをつれてくるのはめずらしいね」)
「大学のお友だちですって? ミカちゃんが男の人をつれてくるのは珍しいね」
(おれたちはなにをしにきたことになっているのか、すこしふあんだったが、)
俺たちはなにをしに来たことになっているのか、少し不安だったが、
(「ああ、しゃしんね。いまもってくる」といってすかーとをひるがえしながら)
「ああ、写真ね。今持ってくる」と言ってスカートを翻しながら
(へやからでていったようすにあんどする。みかっちさんがこごえで、)
部屋から出て行った様子に安堵する。みかっちさんが小声で、
(「とりあえず、ふるいしゃしんまにあっぽいせっていになってるから」)
「とりあえず、古い写真マニアっぽい設定になってるから」
(やっぱりいがいたくなった。)
やっぱり胃が痛くなった。
(もどってきたれいこさんは「しんだそぼのかたみなんです」といいながら、)
戻ってきた礼子さんは「死んだ祖母の形見なんです」と言いながら、
(きわくにおさめられたしゃしんをてーぶるにおいた。)
木枠に納められた写真をテーブルに置いた。
(いろあせたしろくろのふるいしゃしんをいめーじしていたおれは、くびをかしげる。)
色あせた白黒の古い写真をイメージしていた俺は、首を傾げる。
(がらすかばーのしたにあるそれは、みょうにきんぞくてきで)
ガラスカバーの下にあるそれは、妙に金属的で
(かみのようにはみえなかったからだ。)
紙のようには見えなかったからだ。
(しかしそこにはきものすがたのさんにんのじょせいがならんでうつっている。)
しかしそこには着物姿の3人の女性が並んで映っている。
(ものくろーむのうつりのせいか、ねんれいはよくわからないがわかいようにもみえた。)
モノクロームの写りのせいか、年齢は良く分からないが若いようにも見えた。
(いすにこしかけ、なぜかみんないちようにめをしょうめんからそらしている。)
椅子に腰掛け、何故かみんな一様に目を正面から逸らしている。
(そしてまんなかのじょせいがひざもとにだくにんぎょうには、たしかにみおぼえがあった。)
そして真ん中の女性が膝元に抱く人形には、確かに見覚えがあった。
(あのえのにんぎょうだ。)
あの絵の人形だ。
(「わたしのそぼのいえは、めいじからつづくしゃしんやだったそうです。)
「私の祖母の家は、明治から続く写真屋だったそうです。
(このしゃしんはそのころのかぞくをとったもので、)
この写真はそのころの家族を撮ったもので、
(たぶんこのなかにわたしのひいひいおばあちゃんがいるそうです」)
たぶんこの中に私のひいひいおばあちゃんがいるそうです」
(れいこさんはうっとりとしたひょうじょうでそうしょくされたきのわくをなでながら、)
礼子さんはうっとりとした表情で装飾された木の枠を撫でながら、
(「まんなかのひとかな」といった。)
「真ん中の人かな」と言った。
(ししょうは、くいいるようなめつきでかおをちかづけてみている。)
師匠は、食い入るような目つきで顔を近づけて見ている。
(おお、まにあっぽくていいぞ、とおもっているとかれはきゅうにめをとじ、)
おお、マニアっぽくていいぞ、と思っていると彼は急に目を閉じ、
(ふかいためいきをついた。「これはぎんばんしゃしんだね」)
深いため息をついた。「これは銀板写真だね」
(めをゆっくりとひらいたししょうのことばに、れいこさんはかるくくびをかしげた。)
目をゆっくりと開いた師匠の言葉に、礼子さんは軽く首を傾げた。
(わからないようだ。おれもなんのことかわからない。)
わからないようだ。俺もなんのことかわからない。
(「しゃしんのもっともふるいぎじゅつで、にほんにはえどじだいのまっきにはいってきている。)
「写真のもっとも古い技術で、日本には江戸時代の末期に入ってきている。
(ぎんめっきをほどこしたどうばんのうえにろこうしてさつえいするんだ。)
銀メッキを施した銅板の上に露光して撮影するんだ。
(ろこうにはながくて20ぷんもじかんがかかるから、ぞうがぶれないように)
露光には長くて20分も時間がかかるから、像がぶれないように
(ちょうじかんおなじしせいでいるためにこうしていすにすわり・・・・・・」)
長時間同じ姿勢でいるためにこうして椅子に座り……」
(といいながらししょうはきもののじょせいのまげをゆったとうぶをゆびさす。)
と言いながら師匠は着物の女性の髷を結った頭部を指さす。
(あたまのうえになにかぼうのようなきぐがでている。)
頭の上になにか棒のような器具が出ている。
(「こういう、くびおさえというどうぐでこていしてとる。)
「こういう、首押さえという道具で固定して撮る。
(ただ、このぎんばんしゃしんもじせだいのぎじゅつであるしつばんしゃしんのはつめいによって)
ただ、この銀板写真も次世代の技術である湿板写真の発明によって
(あっというまにすたれてしまう。)
あっという間に廃れてしまう。
(ながさきのうえのひこまとかしもだのしもおかれんじょうなんかはそのしつばんしゃしんをひろめた)
長崎の上野彦馬とか下田の下岡蓮杖なんかはその湿板写真を広めた
(しょくぎょうしゃしんかのくさわけだね。)
職業写真家の草分けだね。
(めいじにはいるとかんぱんしゃしんがそれにとってかわり、にほんじゅうにしゃしんぶーむがひろがる。)
明治に入ると乾板写真がそれにとって代わり、日本中に写真ブームが広がる。
(そのなかででてきたのが、しゃしんにとられるとたましいをぬかれるだとか、)
その中で出てきたのが、写真に撮られると魂を抜かれるだとか、
(まんなかにうつったにんげんははやじにするだとかいううわさ。)
真ん中に写った人間は早死にするだとかいう噂。
(それからそこにいないはずのひとかげがうつった”ゆうれいしゃしん”。)
それからそこにいないはずの人影が写った”幽霊写真”。
(いまのしんれいしゃしんのがんそはめいじしょきにはすでにうまれていて、)
今の心霊写真の元祖は明治初期にはすでに生まれていて、
(そのころからそのしんぎがろんそうのまとになっている」)
そのころからその真偽が論争の的になっている」
(ほー、というかんしんしたようなといきがじょせいじんからもれる。)
ほー、という感心したような吐息が女性陣から漏れる。
(ほんとうにふるいしゃしんまにあだったのかこのひとは。)
本当に古い写真マニアだったのかこの人は。
(いや、というよりは、やはりしんれいしゃしんずきがこうじてというのが)
いや、というよりは、やはり心霊写真好きが高じてというのが
(ほんとうのところだろう。)
本当のところだろう。
(「というわけで、ぎんばんしゃしんはめいじのしゃしんやのぎじゅつではないんだ。)
「というわけで、銀板写真は明治の写真屋の技術ではないんだ。
(だからこれはしょうばいどうぐでさつえいしたものではなく、)
だからこれは商売道具で撮影したものではなく、
(かいこてきもしくはぎじゅつてききょうみでとられたしゃしんだろう。)
回顧的もしくは技術的興味で撮られた写真だろう。
(ぞうもせんめいだから、ろこうじかんがたんしゅくされたかいりょうぎんばんしゃしんぎじゅつのようだね」)
像も鮮明だから、露光時間が短縮された改良銀板写真技術のようだね」
(やはりかんじたとおり、ざいしつはかみではなかった。)
やはり感じたとおり、材質は紙ではなかった。
(どうばんなのか。おれはしげしげとさんにんのじょせいをみつめる。)
銅版なのか。俺はしげしげと3人の女性を見つめる。
(100ねんもまえのしゃしんかとおもうと、ふしぎなきもちだ。)
100年も前の写真かと思うと、不思議な気持ちだ。
(ほんとうにしゃしんはじかんをとじこめるんだな、とよくわからないかんしょうをいだいた。)
本当に写真は時間を閉じ込めるんだな、と良くわからない感傷を抱いた。
(「たましいをぬかれるって、きいたことがありますね。)
「魂を抜かれるって、聞いたことがありますね。
(まんなかでうつっちゃいけないとかも」)
真ん中で写っちゃいけないとかも」
(れいこさんのことばにししょうはうなずきかける。)
礼子さんの言葉に師匠は頷きかける。
(「うん。それはとうじのにほんじんにとってはせつじつなもんだいだったんだ。)
「うん。それは当時の日本人にとっては切実な問題だったんだ。
(かがみではなく、まるでおのれからきりはなされたように)
鏡ではなく、まるで己から切り離されたように
(じぶんをへいめんにうつしこむこのみちのぎほうを、どこかいまわしいもののように)
自分を平面に写し込むこの未知の技法を、どこか忌まわしいもののように
(かんじていたんだろう。)
感じていたんだろう。
(このしゃしんのおんなのひとたちがめをそむけているのも、そのころのぞくしゅうだね。)
この写真の女の人たちが目を背けているのも、その頃の俗習だね。
(しせんをうつされるのはふきつだとされていたらしい」)
視線を写されるのは不吉だとされていたらしい」
(ほんらいのもくてきをわすれてししょうのはなしにみみをかたむけていると、)
本来の目的を忘れて師匠の話に耳を傾けていると、
(そこからすこしくちょうがかわった。)
そこから少し口調が変わった。
(「この、まんなかのじょせいがだいているにんぎょうもそうだ」)
「この、真ん中の女性が抱いている人形もそうだ」
(みかっちさんのかたもきんちょうしたように、わずかにはんのうする。)
みかっちさんの肩も緊張したように、わずかに反応する。
(「まんなかのにんげんのじゅみょうがちぢむというのはめいじじだい、)
「真ん中の人間の寿命が縮むというのは明治時代、
(にほんじゅうにひろがっていたうわさでね。)
日本中に広がっていた噂でね。
(いまでいうみーむ、いやとしでんせつかな。)
今で言うミーム、いや都市伝説かな。
(そんなうわさをまにうけてふあんがるじょせいきゃくに、しゃしんやがてわたすのがこれだよ」)
そんな噂を真に受けて不安がる女性客に、写真屋が手渡すのがこれだよ」
(ししょうはじょせいのひざのにんぎょうをゆびさす。「にんぎょうをいれれば、ぜんぶでよにん。)
師匠は女性の膝の人形を指さす。「人形を入れれば、全部で4人。
(まんなかはなくなる。それにいすにななめにこしかけることで、)
真ん中はなくなる。それに椅子に斜めに腰掛けることで、
(にんげんではなくひざのうえのにんぎょうがせいかくにしゃしんのちゅうしんにくるようなはいちになっている。)
人間ではなく膝の上の人形が正確に写真の中心にくるような配置になっている。
(つまりじゅみょうがちぢむやくのみがわりということだ。)
つまり寿命が縮む役の身代わりということだ。
(そうしたしゃしんのもつふきつさを、にんぎょうにぜんぶかぶせていたんだ」)
そうした写真の持つ不吉さを、人形に全部被せていたんだ」