『からす』小川未明1【完】
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問題文
(あたまがかびんすぎると、くちやてあしのはたらきがにぶり、)
頭が過敏すぎると、口や手足の働きが鈍り、
(かえってのろまにみえるものです。)
かえってのろまにみえるものです。
(じゅんきちは、しょうねんのころにそうでありました。)
純吉は、少年の頃にそうでありました。
(おもいやりのないきょうしが、がっこうでじゅんきちのことを)
思いやりのない教師が、学校で純吉のことを
(「おまえは、どんきちだ」といったのがげんいんになり、)
「おまえは、ドンキチだ」と言ったのが原因になり、
(せいとたちはかれのことを、どんちゃんとよぶようになりました。)
生徒たちは彼のことを、ドンちゃんと呼ぶようになりました。
(「どんちゃん、はやくおいでよ」がっこうへのおうふくに、ともだちはこういったものです。)
「ドンチャン、早くおいでよ」学校への往復に、友達はこう言ったものです。
(なかまのかんけいでもあるので、ほんみょうよりあだなでよぶほうが、)
仲間の関係でもあるので、本名よりあだ名で呼ぶほうが、
(したしみをかんじるばあいもあるが、そばをとおったどらねこに、)
親しみを感じる場合もあるが、そばを通ったドラ猫に、
(いしをなげるのがおそかったからといって、こころからけいべつしたいみで、)
石を投げるのが遅かったからといって、心から軽蔑した意味で、
(「どんちゃんでは、だめだなあ」といったものもおりました。)
「ドンチャンでは、だめだなあ」と言った者もおりました。
(かれはじぶんよりとししたのこどもたちからも、)
彼は自分より年下の子供たちからも、
(「どんちゃん」といわれることにたいして、)
「ドンチャン」と言われることに対して、
(けっしてきもちよくおもっておりませんでした。ただ、だまったままでした。)
けっして気持ちよく思っておりませんでした。ただ、黙ったままでした。
(そして、じしんのいきどおりをまぎらわすために、にやにやわらってさえいました。)
そして、自身の憤りをまぎらわすために、ニヤニヤ笑ってさえいました。
(だから、よりいっそうみんなはかれをばかにしたのです。)
だから、より一層みんなは彼をばかにしたのです。
(ときどきじゅんきちは、じぶんをあなどるあいてのかおを)
ときどき純吉は、自分をあなどる相手の顔を
(じっとながめていることがありました。)
ジッとながめていることがありました。
(「あのがんめんに、げんこつをくらわせることはなんでもない。)
「あの顔面に、ゲンコツをくらわせることはなんでもない。
(だけど、おれがうでにちからをいれてうったら、)
だけど、おれが腕に力をいれて打ったら、
(かおがかけてしまうのではないだろうか」とこころのなかでおもうと、)
顔が欠けてしまうのではないだろうか」と心の中で思うと、
(どうしてそのようなむごたらしいことができるでしょうか。)
どうしてそのようなむごたらしいことができるでしょうか。
(そしてそのようにおもうのは、あいてがいつもじぶんよりよわい、)
そしてそのように思うのは、相手がいつも自分より弱い、
(としのすくないものだけではありませんでした。)
歳の少ない者だけではありませんでした。
(じゅんきちよりもおおきくて、ちからのつよそうなものにたいしても、そうおもいました。)
純吉よりも大きくて、力の強そうな者に対しても、そう思いました。
(すると、またかれはこうおもったのです。)
すると、また彼はこう思ったのです。
(「おれはまけても、けっしてあやまらない。)
「おれは負けても、けっして謝らない。
(けんかをしたら、いのちがあるかぎりかみついているだろう。)
けんかをしたら、命がある限り噛みついているだろう。
(そのけっかは、どうなるのか。どちらかがきずついて、たおれるのだ」としると、)
その結果は、どうなるのか。どちらかが傷ついて、倒れるのだ」と知ると、
(かれはそんなじけんをひきおこすひつようがあるだろうかと、うたがったのです。)
彼はそんな事件を引き起こす必要があるだろうかと、疑ったのです。
(まいあさはやく、にしのやまからからすのむれがむらのじょうくうをとんで、ひがしへいきました。)
毎朝早く、西の山からカラスの群れが村の上空を飛んで、東へ行きました。
(そしてばんになると、それらのからすはいちにちのはたらきをおえて、)
そして晩になると、それらのカラスは一日の働きを終えて、
(きれいなれつをつくり、ひがしからにしへとかえっていくのでした。)
きれいな列を作り、東から西へと帰っていくのでした。
(かれらはこうして、つねにともだちといっしょでありましたが、)
彼らはこうして、つねに友達と一緒でありましたが、
(たがいのみをしはいするうんめいは、かならずしもおなじではなかったのです。)
互いの身を支配する運命は、必ずしも同じではなかったのです。
(なかには、いがいなてきとであってたたかい、あやうくにげたのであろう、)
中には、意外な敵と出会って戦い、あやうく逃げたのであろう、
(つばさがきずついたからすもおりました。)
翼が傷ついたカラスもおりました。
(このふこうなからすだけは、みんなからおくれがちでした。)
この不幸なカラスだけは、みんなから遅れがちでした。
(けれど、さいごをうけたまわったからすは、)
けれど、最後をうけたまわったカラスは、
(このよわいなかまをうしろにのこすことはしませんでした。)
この弱い仲間を後ろに残すことはしませんでした。
(なにかあいずをすると、たちまちととのったじんけいがすこしみだれて、)
なにか合図をすると、たちまち整った陣形が少し乱れて、
(きずついたからすをつよそうなからすのあいだへいれて、)
傷ついたカラスを強そうなカラスのあいだへ入れて、
(さゆうからゆうきづけるようにして、つれていくのでした。)
左右から勇気づけるようにして、連れていくのでした。
(「からすのほうが、よっぽどえらいや」)
「カラスのほうが、よっぽど偉いや」
(じゅんきちがそらをみあげながらつぶやくと、めのなかにあついなみだがわいてきました。)
純吉が空を見上げながらつぶやくと、目の中に熱い涙がわいてきました。
(あるひのことです。たんぼへでて、ちちおやのてだすけをしていると、)
ある日のことです。田んぼへ出て、父親の手助けをしていると、
(ふいにちちおやが、「じゅんや、あれをみい。)
ふいに父親が、「ジュンや、あれをみい。
(とりでさえ、よわいものはばかにされるで」といったのです。)
鳥でさえ、弱いものはばかにされるで」と言ったのです。
(じゅんきちがちちおやのゆびさすほうをみると、おどろきました。)
純吉が父親の指さす方を見ると、驚きました。
(つばさのはしのとれたあわれなからすを、なかまがいじわるく、)
翼のはしの取れた哀れなカラスを、仲間が意地悪く、
(れつのなかからおいだそうとして、さゆうからつついているのでした。)
列の中から追いだそうとして、左右からつついているのでした。
(「ああ、わかった。おとといは、あんなにしんせつにしてやったけれど、)
「ああ、わかった。おとといは、あんなに親切にしてやったけれど、
(いつまでもよわいままだと、じゃまになるのだな」)
いつまでも弱いままだと、じゃまになるのだな」
(じゅんきちはじぶんがよわくないことを、)
純吉は自分が弱くないことを、
(どうしてもみせなければならないとおもいました。)
どうしても見せなければならないと思いました。
(だが、じぶんがつよいことをしめすために、)
だが、自分が強いことを示すために、
(なかまとけんかをしなければならないだろうか。)
仲間とけんかをしなければならないだろうか。
(かれは、やはりまよったのでした。そのうちにしょうがっこうをでました。)
彼は、やはり迷ったのでした。そのうちに小学校を出ました。
(もう、だれもかれのことを、「どんちゃん」というものはおりません。)
もう、だれも彼のことを、「ドンチャン」と言う者はおりません。
(そのご、かれはむらできのよわい、おとなしいせいねんと、みなされていました。)
そのご、彼は村で気の弱い、大人しい青年と、みなされていました。
(せんそうがはじまってじゅんきちがしょうしゅうされたとき、)
戦争が始まって純吉が召集されたとき、
(ちちおやはむすこがむらからでたともだちに、ひけをとらないことだけをねんじたのでした。)
父親は息子が村から出た友達に、引けを取らないことだけを念じたのでした。
(「おとうさん、わたしはいくじなしではありません。ごしんぱいなさらないでください」)
「お父さん、私はいくじなしではありません。ご心配なさらないでください」
(じゅんきちがいえへのこしたことばは、ただそれだけでした。)
純吉が家へ残した言葉は、ただそれだけでした。
(そのひ、ちゅうたいちょうはへいしらをめのまえにおいて、)
その日、中隊長は兵士らを目の前に置いて、
(おもおもしくひとつのこころえをおしえました。)
重々しく一つの心得を教えました。
(「しょくんは、なんというこうふくものだ。)
「諸君は、なんという幸福ものだ。
(じつに、いいときにうまれて、てんのうへいかのために、)
じつに、いいときに生まれて、天皇陛下のために、
(おくにのためにつくすことができるのだぞ。)
お国のために尽くすことができるのだぞ。
(よろこんでりっぱにたちむかって、おもうぞんぶんはたらいてもらいたい」)
喜んで立派に立ち向かって、思う存分働いてもらいたい」
(ながいねむりから、いまめがさめたように、まんめんをこうちょうさせ、)
長い眠りから、いま目が覚めたように、満面を紅潮させ、
(にっこりとしたものがおりました。それは、じゅんきちでした。)
にっこりとした者がおりました。それは、純吉でした。
(「そうだ、いまこそほんとうに、じぶんのみをくだいて、うちあたることができるのだ」)
「そうだ、今こそ本当に、自分の身を砕いて、打ち当たることができるのだ」
(そして、もっともゆうかんにたたかい、はなばなしくちったゆうしのなかに、)
そして、もっとも勇敢に戦い、華々しく散った勇士の中に、
(じゅんきちのなまえがありました。このしらせがむらへつたわると、)
純吉の名前がありました。この知らせが村へ伝わると、
(むらのひとびとは、いまさらえいゆうのしょうねんじだいをみなおさなければならなかったのです。)
村の人々は、今さら英雄の少年時代を見直さなければならなかったのです。
(「さすが、えいゆうはほかとちがっていた。)
「さすが、英雄はほかと違っていた。
(なんといわれても、なかまとはけんかをしなかったからな」と、)
なんと言われても、仲間とはけんかをしなかったからな」と、
(そのとうじ、かれのあだなをいっていたともだちまでも、かたりあいました。)
その当時、彼のあだ名を言っていた友達までも、語り合いました。
(おかにたてられた、あたらしいおはかのうえを、いまもあさはにしのやまからひがしのさとへ、)
丘に建てられた、新しいお墓の上を、今も朝は西の山から東の里へ、
(ばんにはひがしのそらからにしのそらへと、かえっていくからすのむれがおります。)
晩には東の空から西の空へと、帰っていくカラスの群れがおります。
(そして、あわれなからすをきづかうかとおもえば、またいじめるというふうに、)
そして、哀れなカラスを気遣うかと思えば、またいじめるというふうに、
(むじゅんしたこうけいをそらへえがきながら、とんでいくのです。)
矛盾した光景を空へえがきながら、飛んでいくのです。