Q これが幽霊にみえますか -4-
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問題文
(「うちゅうてきりょく」といったことばをつかい、たわむれにたろっとやせんせいじゅつをおこなうなど、)
「宇宙的力」といった言葉を使い、戯れにタロットや占星術を行うなど、
(かれらはいわゆるすぴりちゅあるてきなようそをさーくるかつどうに)
彼らはいわゆるスピリチュアル的な要素をサークル活動に
(とりこんではいたものの、そういったちょくせつてきなひょうげんをすることは)
取り込んではいたものの、そういった直接的な表現をすることは
(あまりありませんでした。)
あまりありませんでした。
(つまりかれらはいままで、しそうやしんじょうはべつとして、すくなくとも「ゆうれい」のそんざいを)
つまり彼らは今まで、思想や信条は別として、少なくとも「幽霊」の存在を
(ぜんていとしたざつだんをとうとつにさーくるがいのじんぶつに)
前提とした雑談を唐突にサークル外の人物に
(もちかけるようなことはしていなかったのです。)
持ち掛けるようなことはしていなかったのです。
(そもそもかれらがおこなっていたのはあくまでじこけいはつ)
そもそも彼らが行っていたのはあくまで自己啓発
(どりょくのたいせつさ、じぶんらしくいきることのいぎ、そういうものの「たんきゅう」)
努力の大切さ、自分らしく生きることの意義、そういうものの「探求」
(だったはずで、すぴりちゅあるかんれんのちしきやことばはあくまで)
だったはずで、スピリチュアル関連の知識や言葉はあくまで
(つーるとしてもちいていたものでした。)
ツールとして用いていたものでした。
(しかし、かききゅうかがおわってからのかれらは)
しかし、夏季休暇が終わってからの彼らは
(「やっとゆうれいにあえるようになれた」)
「やっと幽霊に会えるようになれた」
(「あそこはじぶんがうまれたいえみたいにおちついた」)
「あそこは自分が生まれた家みたいに落ち着いた」
(「これからもちからをつけていこう」)
「これからも力を付けていこう」
(など、まるでかれらのなかのなにかがへんしつしたかのように)
など、まるで彼らの中の何かが変質したかのように
((とうじのどうきゅうせいのひょうげんをかりるならば))
(当時の同級生の表現を借りるならば)
(「あやしげな」はつげんをくりかえすようになっていったそうで。)
「怪しげな」発言を繰り返すようになっていったそうで。
(おそらくはそれもあいまって、かれらとざつだんなどをしていたさーくるがいのじんぶつも)
恐らくはそれも相まって、彼らと雑談などをしていたサークル外の人物も
(すこしずつ、すこしずつかれらとのきょりをはなしていき。)
少しずつ、少しずつ彼らとの距離を離していき。
(そしていつのまにかすくなくとも、よくねんのしんがっきがはじまるころにはもう、)
そしていつの間にか少なくとも、翌年の新学期が始まるころにはもう、
(「かんてさんす」のめんばーはだいがくからほぼすがたをけしていたのだといいます。)
「カンテサンス」のメンバーは大学からほぼ姿を消していたのだといいます。
(「ほぼ」といういいかたからもわかるとおり、)
「ほぼ」という言い方からも分かる通り、
(かれらぜんいんがかんぜんにしょうそくをたったというわけではなく、)
彼ら全員が完全に消息を絶ったというわけではなく、
(なんとかすればれんらくをとれたひともいちぶにはいたようです。)
何とかすれば連絡を取れた人も一部にはいたようです。
(ただすくなくともがくせいかんでわざわざれんらくをとろうとするひとはおらず、)
ただ少なくとも学生間でわざわざ連絡を取ろうとする人はおらず、
(そしてかりにれんらくしたとしてもいみのあるかいわをできるじょうたいになかったらしく、)
そして仮に連絡したとしても意味のある会話をできる状態になかったらしく、
(どちらにせよじっしつてきにはおんしんふつうのじょうたいだったのでしょう。)
どちらにせよ実質的には音信不通の状態だったのでしょう。
(では、さーくるがいのひとびとがかんぜんにかれらのことをわすれてしまったか)
では、サークル外の人々が完全に彼らのことを忘れてしまったか
(というと、そうではなく。)
というと、そうではなく。
(むしろ、かれらにたいするいんしょうのようなものは、それいごにかれらがとったこうどうによって)
寧ろ、彼らに対する印象のようなものは、それ以後に彼らが取った行動によって
(つよくすりこまれたというひとがおおいようでした。)
強く刷り込まれたという人が多いようでした。
(かれらはがっこうにこなくなってからもさーくるかつどうはつづけていたようで、)
彼らは学校に来なくなってからもサークル活動は続けていたようで、
(さきにげんきゅうしたぱんふれっとやぽすたーのようなものをていきてきにけいじし、)
先に言及したパンフレットやポスターのようなものを定期的に掲示し、
(そこにだんたいめいやれんらくさきをへいきしていました。)
そこに団体名や連絡先を併記していました。
(しかしがくないのけいじばんはつかえなかったのか、じしんのかつどうをたいがいにしめすばしょは)
しかし学内の掲示板は使えなかったのか、自身の活動を対外に示す場所は
(がくがいにうつしていたため、がいしゅつじそのさーくるめいをひさびさに)
学外に移していたため、外出時そのサークル名を久々に
(めにしたというがくせいがそれなりにいたようです。)
目にしたという学生がそれなりにいたようです。
(だいがくでけっせいしたさーくるのめんばーぼしゅうにがくがいのけいじばんをつかうのか、)
大学で結成したサークルのメンバー募集に学外の掲示板を使うのか、
(とおもったかたもいらっしゃるかもしれませんが、)
と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、
(このとうじだとまったくないはなしではなかったようです。)
この当時だと全くない話ではなかったようです。
(もしかしたらいまでもちほうのあにめしょっぷやくらぶはうすなどでは、)
もしかしたら今でも地方のアニメショップやクラブハウスなどでは、
(みせのすみでさーくるやばんどのめんばーをぼしゅうするはりがみをけいじしているのを)
店の隅でサークルやバンドのメンバーを募集する貼り紙を掲示しているのを
(みることがあるかもしれません。)
見ることがあるかもしれません。
(ぶんつうあいてをぼしゅうするためにとぜんこくりゅうつうのざっしに)
文通(ペンパル)相手を募集するためにと全国流通の雑誌に
(みずからのじゅうしょをのせていたようなじだいにおいては、)
自らの住所を載せていたような時代においては、
(そのふうちょうがよりいろこくあり、きょうつうのしゅみをもつひととのこうりゅうを)
その風潮がより色濃くあり、共通の趣味を持つ人との交流を
(もくてきとしたはりがみがあらゆるみせにだされていました。)
目的とした貼り紙があらゆる店に出されていました。
(「しょうわちょうでおちゃかいしますっまんがずきさんあつまろう」)
「昭和町でお茶会しますっ マンガ好きさん集まろう」
(「とうほうぼーかるきぼう、ばんどめんばー(ぷろしこう)ぼしゅう」)
「当方ボーカル希望、バンドメンバー(プロ志向)募集」
(そんな、てがきあるいはかんそなわーぷろのはりがみがならんでいるけいじばんのすみに、)
そんな、手書き或いは簡素なワープロの貼り紙が並んでいる掲示板の隅に、
(あるじきからかんてさんすによるものであろうはりがみが)
ある時期からカンテサンスによるものであろう貼り紙が
(けいじされるようになりました。)
掲示されるようになりました。
(しかしそれは、とうじにおいてもいしつとしかいえないものであり、)
しかしそれは、当時においても異質としか言えないものであり、
(すくなくともそれをみたひとからこういてきにうけとめられることはなかったそうです。)
少なくともそれを見た人から好意的に受け止められることは無かったそうです。
(はりがみにはおおきくにぎょう、)
貼り紙には大きく二行、
(これがゆうれいにみえますか)
Q これが幽霊に見えますか
(みえるほうはこちらまで)
見える方はこちらまで
(そうかかれていたそうで、おそらくはこじんのものとおもわれるでんわばんごうと、)
そう書かれていたそうで、恐らくは個人のものと思われる電話番号と、
(「たいわのいこいかんてさんす」のなまえがへいきされていました。)
「対話の憩い カンテサンス」の名前が併記されていました。