谷崎潤一郎 痴人の愛 7

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね1お気に入り登録
プレイ回数1067難易度(5.0) 6862打 長文
谷崎潤一郎の中編小説です
最近読み終わりました
私のお気に入りです
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 ゆうりん 6086 A++ 6.2 97.4% 1128.8 7055 184 100 2024/11/14
2 布ちゃん 5542 A 5.8 95.1% 1173.4 6854 350 100 2024/11/13
3 kei 4158 C 4.2 97.0% 1603.8 6877 207 100 2024/12/08

関連タイピング

問題文

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(なみいるふじんたちのなかにはあっさりとしたゆかたがけのひともいましたけれど、ゆびにほうせき)

並居る婦人達の中にはあっさりとした浴衣がけの人もいましたけれど、指に宝石

(をひからしているとか、もちものにぜいをこらしているとか、なにかしらかれらのふうきを)

を光らしているとか、持ち物に贅を凝らしているとか、何かしら彼等の富貴を

(ものがたるものがしめされているのに、なおみのてにはそのなめらかなひふよりそとに、なに)

物語るものが示されているのに、ナオミの手にはその滑かな皮膚より外に、何

(ひとつとしてほこるにたるものはかがやいていなかったのです。わたしはいまでもなおみが)

一つとして誇るに足るものは輝いていなかったのです。私は今でもナオミが

(きまりわるそうにじぶんのぱらそるをたもとのかげへかくしたことをおぼえています。それも)

極まり悪そうに自分のパラソルを袂の蔭へ隠したことを覚えています。それも

(そのはずで、そのぱらそるはしんちょうのものではありましたが、だれのめにもななはちえんの)

その筈で、そのパラソルは新調のものではありましたが、誰の眼にも七八円の

(やすものとしかおもわれないようなしなでしたから。で、わたしたちはみつはしにしようか、おもい)

安物としか思われないような品でしたから。で、私たちは三橋にしようか、思い

(きってかいひんほてるへとまろうかなどと、そんなくうそうをえがいていたにかかわらず、)

切って海浜ホテルへ泊まろうかなどと、そんな空想を描いていたに拘わらず、

(そのいえのまえまでいってみると、まずもんがまえのいかめしいのにあっぱくされて、はせの)

その家の前まで行って見ると、先ず門構えの厳めしいのに圧迫されて、長谷の

(とおりをにどもさんどもいったりきたりしたすえに、とうとうとちではにりゅうかさんりゅうかの)

通りを二度も三度も往ったり来たりした末に、とうとう土地では二流か三流かの

(きんぱろうへいくことになったのです。)

金波楼へ行くことになったのです。

(やどにはわかいがくせいたちがおおぜいがやがやとまっていて、とてもおちついては)

宿には若い学生たちが大勢がやがや泊まっていて、とても落ち着いては

(いられないので、わたしたちはまいにちはまでばかりくらしました。おてんばのなおみは)

いられないので、私たちは毎日浜でばかり暮らしました。お転婆のナオミは

(うみさえみればきげんがよく、もうきしゃのなかでしょげたことはわすれてしまって、)

海さえ見れば機嫌がよく、もう汽車の中でしょげたことは忘れてしまって、

(「あたしどうしてもこのなつじゅうにおよぎをおぼえてしまわなくっちゃ」)

「あたしどうしてもこの夏中に泳ぎを覚えてしまわなくっちゃ」

(と、わたしのうでにしがみついて、さかんにぽちゃぽちゃあさいところであばれまわる。わたしはかのじょの)

と、私の腕にしがみ着いて、盛んにぽちゃぽちゃ浅い所で暴れ廻る。私は彼女の

(どうたいをりょうてでかかえて、はらばいにさせてうかしてやったり、しっかりぼうぐいを)

胴体を両手で抱えて、腹這いにさせて浮かしてやったり、シッカリ棒杭を

(つかませておいて、そのあしをもってあがきかたをおしえてやったり、わざととつぜんてを)

掴ませて置いて、その脚を持って足掻き方を教えてやったり、わざと突然手を

(つっぱなしてにがいしおみずをのましてやったり、それにあきるとなみのりのけいこをしたり、)

つッ放して苦い潮水を飲ましてやったり、それに飽きると波乗の稽古をしたり、

(はまべにごろごろねころびながらすないたずらをしてみたり、ゆうがたからはふねをかりて)

浜辺にごろごろ寝ころびながら砂いたずらをしてみたり、夕方からは舟を借りて

など

(おきのほうまでこいでいったり、そして、そんなおりにはかのじょはいつもかいすいぎの)

沖の方まで漕いで行ったり、そして、そんな折には彼女はいつも海水着の

(うえにおおきなたおるをまとったまま、あるときはともにこしかけ、あるときはふなべりをまくらにあおぞらを)

上に大きなタオルを纏ったまま、或る時は艫に腰かけ、或る時は舷を枕に青空を

(あおいでだれにはばかることもなく、そのとくいのなぽりのふなうた、「さんた・るちあ」を)

仰いで誰に憚ることもなく、その得意のナポリの船歌、「サンタ・ルチア」を

(かんだかいこえでうたいました。)

甲高い声でうたいました。

(o dolce napoli,)

O dolce Napoli,

(o soul beato,)

O soul beato,

(と、いたりあごでうたうかのじょのそぷらのが、ゆうなぎのうみにひびきわたるのをききほれ)

と、伊太利語でうたう彼女のソプラノが、夕なぎの海に響き渡るのを聴き惚れ

(ながら、わたしはしずかにろをこいでいく。「もっとあっちへ、もっとあっちへ」と)

ながら、私はしずかに櫓を漕いで行く。「もっと彼方へ、もっと彼方へ」と

(かのじょはむげんになみのうえをはしりたがる。いつのまにやらひはくれてしまって、ほしが)

彼女は無限に浪の上を走りたがる。いつの間にやら日は暮れてしまって、星が

(ちらちらとわたしらのふねをそらからみおろし、あたりがぼんやりくらくなって、かのじょのすがた)

チラチラと私等の船を空から瞰おろし、あたりがぼんやり暗くなって、彼女の姿

(はただほのしろいたおるにつつまれ、そのりんかくがぼやけてしまう。が、はれやかな)

はただほの白いタオルに包まれ、その輪郭がぼやけてしまう。が、晴れやかな

(うたごえはなかなかやまずに、「さんた・るちあ」はいくどとなくくりかえされ、)

唄ごえはなかなか止まずに、「サンタ・ルチア」は幾度となく繰り返され、

(それから「ろーれらい」になり、「るろうのたみ」になり、みによんのいっせつに)

それから「ローレライ」になり、「流浪の民」になり、ミニヨンの一節に

(なりして、ゆるやかなふねのあゆみとともにいろいろうたをつづけていきます。・・・・)

なりして、ゆるやかな船の歩みと共にいろいろ唄をつづけて行きます。・・・・

(こういうけいけんは、わかいじだいにはだれでもいちどあることでしょうが、わたしにとっては)

こういう経験は、若い時代には誰でも一度あることでしょうが、私に取っては

(じつにそのときがはじめてでした。わたしはでんきのぎしであって、ぶんがくだとかげいじゅつだとか)

実にその時が始めてでした。私は電気の技師であって、文学だとか芸術だとか

(いうものにはえんのうすいほうでしたから、しょうせつなどをてにすることはめったに)

云うものには縁の薄い方でしたから、小説などを手にすることはめったに

(なかったのですけれども、そのときおもいだしたのはかつてよんだことのある)

なかったのですけれども、その時思い出したのは嘗て読んだことのある

(なつめそうせきの「くさまくら」です。そうです、たしかあのなかに、「ヴぇにすはしずみつつ、)

夏目漱石の「草枕」です。そうです、たしかあの中に、「ヴェニスは沈みつつ、

(ヴぇにすはしずみつつ」というところがあったとおもいますが、なおみとふたりでふねに)

ヴェニスは沈みつつ」と云うところがあったと思いますが、ナオミと二人で船に

(ゆられつつ、おきのほうからゆうもやのとばりをすかしてりくのとうえいをながめると、ふしぎにあの)

揺られつつ、沖の方から夕靄の帳を透して陸の灯影を眺めると、不思議にあの

(もんくがむねにうかんできて、なんだかこう、このままかのじょとはてしもしらぬとおいせかいへ)

文句が胸に浮んで来て、何だかこう、このまま彼女と果てしも知らぬ遠い世界へ

(おしながされていきたいような、なみだぐましい、うっとりとよったここちに)

押し流されて行きたいような、涙ぐましい、うッとりと酔った心地に

(なるのでした。わたしのようなぶこつなおとこがそんなきぶんをあじわうことができただけでも)

なるのでした。私のような無骨な男がそんな気分を味わうことが出来ただけでも

(あのかまくらのみっかかんはけっしてむだではなかったのです。いや、そればかりでは)

あの鎌倉の三日間は決して無駄ではなかったのです。いや、そればかりでは

(ありません、みをいうとそのみっかあいだはさらにもうひとつたいせつなはっけんを、わたしにあたえて)

ありません、実を云うとその三日間は更にもう一つ大切な発見を、私に与えて

(くれたのでした。わたしはいままでなおみといっしょにすんでいながら、かのじょがどんな)

くれたのでした。私は今までナオミと一緒に住んでいながら、彼女がどんな

(からだつきをしているか、ろこつにいえばそのすっぱだかなにくたいのすがたをしりえるきかいが)

体つきをしているか、露骨に云えばその素裸な肉体の姿を知り得る機会が

(なかったのに、それがこんどはほんとうによくわかったのです。かのじょがはじめて)

なかったのに、それが今度はほんとうによく分ったのです。彼女が始めて

(ゆいがはまのかいすいよくじょうへでかけていって、まえのばんにわざわざぎんざでかってきた、)

由比ヶ浜の海水浴場へ出かけて行って、前の晩にわざわざ銀座で買って来た、

(こいみどりいろのかいすいぼうとかいすいふくとをはだみにつけてあらわれたとき、しょうじきなところ、わたしは)

濃い緑色の海水帽と海水服とを肌身に着けて現れたとき、正直なところ、私は

(どんなにかのじょのししのととのっていることをよろこんだでしょう。そうです、わたしはまったく)

どんなに彼女の四肢の整っていることを喜んだでしょう。そうです、私は全く

(よろこんだのです。なぜかというに、わたしはさきからきもののきこなしぐあいやなにかで、)

喜んだのです。なぜかと云うに、私は先から着物の着こなし工合やなにかで、

(きっとなおみのからだのきょくせんはこうであろうとおもっていたのが、)

きっとナオミの体の曲線はこうであろうと思っていたのが、

(そうぞうどおりあたったからです。)

想像通り中ったからです。

(「なおみよ、なおみよ、わたしのめりー・ぴくふぉーどよ、おまえはなんというつりあいの)

「ナオミよ、ナオミよ、私のメリー・ピクフォードよ、お前は何と云う釣合の

(とれた、いいからだつきをしているのだ。おまえのそのしなやかなうではどうだ。その)

取れた、いい体つきをしているのだ。お前のそのしなやかな腕はどうだ。その

(まっすぐな、まるでおとこのこのようにすっきりとしたあしはどうだ」)

真っ直ぐな、まるで男の子のようにすっきりとした脚はどうだ」

(と、わたしはおもわずこころのなかでさけびました。そしてえいがでおなじみの、あのかっぱつな)

と、私は思わず心の中で叫びました。そして映画でお馴染の、あの活発な

(まっくせんねっとのべーじんぐ・がーるたちをおもいださずにはいられません)

マックセンネットのベージング・ガールたちを想い出さずにはいられません

(でした。)

でした。

(だれしもじぶんのにょうぼうのからだのことなどをあまりくわしくかきたてるのはいやでしょうが、)

誰しも自分の女房の体のことなどを余り委しく書き立てるのは厭でしょうが、

(わたしにしたって、こうねんわたしのつまとなったかのじょについて、そういうことをれいれいしく)

私にしたって、後年私の妻となった彼女に就いて、そう云うことをれいれいしく

(しゃべったり、おおくのひとにしらしたりするのはけっしてゆかいではありません。)

しゃべったり、多くの人に知らしたりするのは決して愉快ではありません。

(けれどもそれをいわないとどうもはなしのつごうがわるいし、そのくらいのことをえんりょ)

けれどもそれを云わないとどうも話の都合が悪いし、そのくらいのことを遠慮

(しては、けっきょくこのきろくをかきとめるいぎがなくなってしまうわけですから、)

しては、結局この記録を書き留める意義がなくなってしまう訳ですから、

(なおみがじゅうごのとしのはちがつ、かまくらのうみべにたったときに、どういうふうなたいかくだったか)

ナオミが十五の歳の八月、鎌倉の海辺に立った時に、どう云う風な体格だったか

(ひととおりはここにしるしておかねばなりません。とうじのなおみは、ならんでたつと)

一と通りはここに記して置かねばなりません。当時のナオミは、並んで立つと

(せのたかさがわたしよりはちょっとぐらいひくかったでしょう。ことわっておきますが、)

背の高さが私よりは一寸ぐらい低かったでしょう。断って置きますが、

(わたしはがんけんいわのごときかっぷくではありましたけれども、みのたけはごしゃくにすんばかりで、)

私は頑健岩の如き恰幅ではありましたけれども、身の丈は五尺二寸ばかりで、

(まずこおとこのぶだったのです。が、かのじょのほねぐみのいちじるしいとくちょうとして、どうが)

先ず小男の部だったのです。が、彼女の骨組の著しい特徴として、胴が

(みじかく、あしのほうがながかったので、すこしはなれてながめると、じっさいよりはたいへんたかく)

短く、脚の方が長かったので、少し離れて眺めると、実際よりは大へん高く

(おもえました。そして、そのみじかいどうたいはsのじのようにひじょうにふかくくびれていて、)

思えました。そして、その短い胴体はSの字のように非常に深くくびれていて、

(くびれたさいていぶのところに、もうじゅうぶんにおんならしいまるみをおびたしりのりゅうきが)

くびれた最低部のところに、もう十分に女らしい円みを帯びた臀の隆起が

(ありました。そのじぶんわたしたちは、あのゆうめいなすいえいのたつじんけらーまんじょうをしゅやくに)

ありました。その時分私たちは、あの有名な水泳の達人ケラーマン嬢を主役に

(した、「すいじんのむすめ」とかいうにんぎょのえいがをみたことがありましたので、)

した、「水神の娘」とか云う人魚の映画を見たことがありましたので、

(「なおみちゃん、ちょいとけらーまんのまねをしてごらん」)

「ナオミちゃん、ちょいとケラーマンの真似をして御覧」

(と、わたしがいうと、かのじょはすなはまにつったって、りょうてをそらにかざしながら、)

と、私が云うと、彼女は砂浜に突っ立って、両手を空にかざしながら、

(「とびこみ」のかたちをしてみせたものですが、そんなばあいにりょうあしをぴったりと)

「飛び込み」の形をして見せたものですが、そんな場合に両脚をぴったりと

(あわせると、あしとあしとのあいだにはすんぶんのすきもなく、こしからしたがあしくびをちょうてんにした)

合わせると、脚と脚との間には寸分の隙もなく、腰から下が足頸を頂点にした

(ひとつのほそながいさんかっけいをえがくのでした。かのじょもそれにはとくいのようすで、)

一つの細長い三角形を描くのでした。彼女もそれには得意の様子で、

(「どう?じょうじさん、あたしのあしはまがっていない?」)

「どう?譲治さん、あたしの脚は曲がっていない?」

(といいながら、あるいてみたり、たちどまってみたり、すなのうえへぐっとのばして)

と云いながら、歩いて見たり、立ち止って見たり、砂の上へぐっと伸ばして

(みたりして、じぶんでもそのかっこうをうれしそうにながめました。)

見たりして、自分でもその格好を嬉しそうに眺めました。

(それからもうひとつなおみのからだのとくちょうは、くびからかたにかけてのせんでした。)

それからもう一つナオミの体の特徴は、頸から肩にかけての線でした。

(かた、・・・・・・・・・わたしはしばしばかのじょのかたへふれるきかいがあったのです。)

肩、・・・・・・・・・私はしばしば彼女の肩へ触れる機会があったのです。

(というのは、なおみはいつもかいすいふくをきるときに、「じょうじさん、ちょいとこれを)

と云うのは、ナオミはいつも海水服を着るときに、「譲治さん、ちょいとこれを

(はめてちょうだい」と、わたしのそばにやってきて、かたについているぼたんをはめさせるの)

嵌めて頂戴」と、私の傍にやって来て、肩についているボタンを嵌めさせるの

(でしたから。で、なおみのようになでがたで、くびがながいものは、きものをぬぐと)

でしたから。で、ナオミのように撫で肩で、頸が長いものは、着物を脱ぐと

(やせているのがふつうですけれど、かのじょはそれとはんたいで、おもいのそとにあつみのある、)

痩せているのが普通ですけれど、彼女はそれと反対で、思いの外に厚みのある、

(たっぷりとしたりっぱなかたと、いかにもこきゅうのつよそうなむねをもっていました。)

たっぷりとした立派な肩と、いかにも呼吸の強そうな胸を持っていました。

(ぼたんをはめてやるおりに、かのじょがふかくいきをすったり、うでをうごかしてせなかのにくに)

ボタンを嵌めてやる折に、彼女が深く息を吸ったり、腕を動かして背中の肉に

(もくもくなみをうたせたりすると、それでなくてもはちきれそうなかいすいふくは、おかの)

もくもく波を打たせたりすると、それでなくてもハチ切れそうな海水服は、丘の

(ようにもりあがったかたのところにいっぱいにのびて、ぴんとはじけてしまいそうになる)

ように盛り上がった肩のところに一杯に伸びて、ぴんと弾けてしまいそうになる

(のです。いちとくちにいえばそれはじつにちからのこもった、「わかさ」と「うつくしさ」のかんじの)

のです。一と口に云えばそれは実に力の籠った、「若さ」と「美しさ」の感じの

(あふれたかたでした。わたしはないないそのあたりにいるおおくのしょうじょとひかくしてみましたが、)

溢れた肩でした。私は内々そのあたりにいる多くの少女と比較して見ましたが、

(かのじょのようにけんこうなかたとゆうがなくびとをかねそなえているものはそとにないようなきが)

彼女のように健康な肩と優雅な頸とを兼ね備えているものは外にないような気が

(しました。)

しました。

(「なおみちゃん、すこうしじっとしておいでよ、そううごいちゃぼたんがかたくって)

「ナオミちゃん、少うしじッとしておいでよ、そう動いちゃボタンが固くって

(はまりゃしない」)

嵌まりゃしない」

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