太宰治 みみずく通信6

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問題文
(「だざいさんを、もっとかわったひとかとおもっていました。あんがい、じょうしきかですね。」)
「太宰さんを、もっと変った人かと思っていました。案外、常識家ですね。」
(「せいかつは、じょうしきてきにしようとこころがけているんだ。あおじろいゆううつなんてのは、)
「生活は、常識的にしようと心掛けているんだ。青白い憂鬱なんてのは、
(かえってつうぞくなものだからね。」「じぶんひとりさっかづらをしていきていることは、)
かえって通俗なものだからね。」「自分ひとり作家づらをして生きている事は、
(わるいことだとおもいませんか。さっかになりたくっても、がまんしてほかのしごとに)
悪い事だと思いませんか。作家になりたくっても、がまんして他の仕事に
(うもれていくひともあるとおもいますが。」「それはぎゃくだ。ほかになにをしても)
埋れて行く人もあると思いますが。」「それは逆だ。他に何をしても
(だめだったから、さっかになったともいえる。」「きみは、いままでなにも)
駄目だったから、作家になったとも言える。」「君は、今まで何も
(しっぱいしてやしないじゃないか。だめだかどうだか、じぶんでじっさいやってみて)
失敗してやしないじゃないか。駄目だかどうだか、自分で実際やってみて
(てんとうしてきずついて、それからでなければいえないことばだ。なにもしないさきから、)
転倒して傷ついて、それからでなければ言えない言葉だ。何もしないさきから、
(ぼくはだめだときめてしまうのは、それあたいだだ。」ばんごはんがすんで、)
僕は駄目だときめてしまうのは、それあ怠惰だ。」晩ごはんが済んで、
(わたしはせいとたちと、おわかれしました。「だいがくへはいって、くるしいことがおこったら)
私は生徒たちと、おわかれしました。「大学へはいって、くるしい事が起ったら
(そうだんにきたまえ。さっかは、むようのちょうぶつかもしれんが、そんなときには、)
相談に来給え。作家は、無用の長物かも知れんが、そんな時には、
(ほんのすこしだろうがありがたいところもあるものだよ。べんきょうしたまえ。)
ほんの少しだろうが有りがたいところもあるものだよ。勉強し給え。
(おわかれにあたっていいたいのは、それだけだ。しょくん、べんきょうしたまえ、だ。」)
おわかれに当って言いたいのは、それだけだ。諸君、勉強し給え、だ。」
(せいとたちと、わかれてから、わたしは、ほんのすこしさけをのみに、あるいえへ)
生徒たちと、わかれてから、私は、ほんの少し酒を飲みに、或る家へ
(はいりました。そこのおんなのひとがわたしのすがたをみて、「あなた、けんどうのせんせい)
はいりました。そこの女のひとが私の姿を見て、「あなた、剣道の先生
(でしょう?」とむしんにいいました。けんどうのせんせいは、まじめなかおをして、)
でしょう?」と無心に言いました。剣道の先生は、真面目な顔をして、
(ただいまやどへかえり、はかまをぬぎ、すぐつくえにむかって、このてがみにとりかかりました。)
ただいま宿へ帰り、袴を脱ぎ、すぐ机に向って、この手紙に取りかかりました。
(あめがふってきました。あしたおてんきだったら、さどがしまへいってみるつもりです。)
雨が降って来ました。あしたお天気だったら、佐渡島へ行ってみるつもりです。
(さどへはまえからいってみたいとおもっていました。こんどにいがたこうこうからしょうたいせられ)
佐渡へは前から行ってみたいと思っていました。こんど新潟高校から招待せられ
(でかけてきたのも、じつは、さどへ、ついでにたちよってみたいしたごころがあったから)
出かけて来たのも、実は、佐渡へ、ついでに立ち寄ってみたい下心があったから
(でした。こうえんは、あまりしゅぎょうにもなりません。けんどうのせんせいも、いちにちかぎりで)
でした。講演は、あまり修行にもなりません。剣道の先生も、一日限りで
(たくさんなり。みみずくの、ひとりわらいやあきのくれ。)
たくさん也。みみずくの、ひとり笑いや秋の暮。
(きかくだったとおもいます。じゅういちがつじゅうろくにちやはん。)
其角だったと思います。十一月十六日夜半。