谷崎潤一郎 痴人の愛 10

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね0お気に入り登録
プレイ回数747難易度(5.0) 6274打 長文
谷崎潤一郎の中編小説です
最近読み終わりました
私のお気に入りです
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 なおきち 6556 S+ 6.7 97.6% 934.1 6277 153 98 2024/03/06
2 やまちやまちゃん 4659 C++ 4.7 97.7% 1300.9 6208 146 98 2024/04/27
3 曙太郎 3674 D+ 4.0 91.8% 1536.7 6196 550 98 2024/03/29
4 i 3133 E++ 3.2 95.8% 1925.2 6305 272 98 2024/03/21

関連タイピング

問題文

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(それもまじめなきものではいけないので、つつっぽにしたり、ぱじゃまのようなかたちに)

それも真面目な着物ではいけないので、筒ッぽにしたり、パジャマのような形に

(したり、ないと・がうんのようにしたり、たんもののままからだにまきつけて)

したり、ナイト・ガウンのようにしたり、反物のまま身体に巻きつけて

(ところどころをぶろーちでとめたり、そうしてそんななりをしてはただいえのなかを)

ところどころをブローチで止めたり、そうしてそんななりをしてはただ家の中を

(いったりきたりして、かがみのまえにたってみるとか、いろいろなぽーずをしゃしんにとる)

往ったり来たりして、鏡の前に立って見るとか、いろいろなポーズを写真に撮る

(とかしてみるのです。しろや、ばらいろや、うすむらさきの、しゃのようにすきとおるそれらの)

とかして見るのです。白や、薔薇色や、薄紫の、紗のように透き徹るそれらの

(ころもにつつまれたかのじょのすがたは、いっかのいきたたいりんのはなのようにうつくしく、)

衣に包まれた彼女の姿は、一箇の生きた大輪の花のように美しく、

(「こうしてごらん、ああしてごらん」といいながら、わたしはかのじょをだきおこしたり、)

「こうして御覧、ああして御覧」と云いながら、私は彼女を抱き起したり、

(たおしたり、こしかけさせたり、あるかせたりして、なんじかんでもながめていました。)

倒したり、腰かけさせたり、歩かせたりして、何時間でも眺めていました。

(こんなふうでしたから、かのじょのいしょうはいちねんかんにいくとおりとなくふえたものです。)

こんな風でしたから、彼女の衣裳は一年間に幾通りとなく殖えたものです。

(かのじょはそれらをじぶんのへやへはとてもしまいきれないので、てあたりしだいに)

彼女はそれらを自分の部屋へはとてもしまいきれないので、手あたり次第に

(どこへでもつりさげたり、まるめておいたりしていました。たんすをかえばよかった)

何処へでも吊り下げたり、丸めて置いたりしていました。箪笥を買えばよかった

(のですが、そういうおかねがあるくらいならすこしでもよけいいしょうをかいたいし、)

のですが、そう云うお金があるくらいなら少しでも余計衣裳を買いたいし、

(それにわたしたちのしゅみとして、なにもそんなにたいせつにほぞんするひつようはない。かずは)

それに私たちの趣味として、何もそんなに大切に保存する必要はない。数は

(おおいがみんなやすものであるし、どうせそばからきころしてしまうのだから、みえるところへ)

多いがみんな安物であるし、どうせ傍から着殺してしまうのだから、見える所へ

(ちらかしておいて、きがむいたときになんべんでもとりかえたほうがべんりでもあり、だいいち)

散らかして置いて、気が向いた時に何遍でも取り換えた方が便利でもあり、第一

(へやのそうしょくにもなる。で、あとりえのなかはあたかもしばいのいしょうべやのように、)

部屋の装飾にもなる。で、アトリエの中はあたかも芝居の衣裳部屋のように、

(いすのうえでもそおふぁのうえでも、ゆかのすみっこでも、はなはだしきははしごだんのちゅうとや、)

椅子の上でもソオファの上でも、床の隅っこでも、甚だしきは梯子段の中途や、

(やねうらのさじきのてすりにまでも、それがだらしなくほったらかしてないところは)

屋根裏の桟敷の手すりにまでも、それがだらしなく放ッたらかしてない所は

(なかったのです。そしてめったにせんたくをしたことがなく、おまけにかのじょは)

なかったのです。そしてめったに洗濯をしたことがなく、おまけに彼女は

(それらをすはだへまとうのがくせでしたから、どれもたいがいはあかじみていました。)

それらを素肌へ纏うのが癖でしたから、どれも大概は垢じみていました。

など

(これらのたくさんないしょうのおおくはとっぴなたちかたになっていましたから、がいしゅつのさいに)

これらの沢山な衣裳の多くは突飛な裁ち方になっていましたから、外出の際に

(きられるようなのは、はんぶんぐらいしかなかったでしょう。なかでもなおみがひじょうに)

着られるようなのは、半分ぐらいしかなかったでしょう。中でもナオミが非常に

(すきで、おりおりこがいへきてあるいたのに、しゅすのあわせとついのはおりがありました。)

好きで、おりおり戸外へ着て歩いたのに、繻子の袷と対の羽織がありました。

(しゅすといってもわたいりのしゅすでしたが、はおりもきものもぜんたいがむじのえびいろで、)

繻子と云っても綿入りの繻子でしたが、羽織も着物も全体が無地の蝦色で、

(ぞうりのはなおや、はおりのひもにまでいろをつかい、そのほかはすべて、はんえりでも、)

草履の鼻緒や、羽織の紐にまで蝦色を使い、その他はすべて、半襟でも、

(おびどめでも、じゅばんのそででも、そでぐちでも、ふきでも、いちようにあわいみずいろをはいしました。)

帯留でも、襦袢の裡でも、袖口でも、袘でも、一様に淡い水色を配しました。

(おびもやっぱりわたしゅすでつくって、しんをうすく、はばをせまくこしらえておもいきりかたくむなだかに)

帯もやっぱり綿繻子で作って、心をうすく、幅を狭く拵えて思いきり固く胸高に

(しめ、はんえりのぬのにはしゅすににたものがほしいというので、りぼんをかってきて)

締め、半襟の布には繻子に似たものが欲しいと云うので、リボンを買って来て

(つけたりしました。なおみがそれをきてでるのはたいがいよるのしばいけんぶつのときなので、)

つけたりしました。ナオミがそれを着て出るのは大概夜の芝居見物の時なので、

(そのぎらぎらしたまぶしいちしつのいしょうをきらめかしながら、ゆうらくざやていげきのろうかを)

そのぎらぎらした眩しい地質の衣裳をきらめかしながら、有楽座や帝劇の廊下を

(あるくと、だれでもかのじょをふりかえってみないものはありません。)

歩くと、誰でも彼女を振返って見ないものはありません。

(「なにだろうあのおんなは?」)

「何だろうあの女は?」

(「じょゆうかしら?」)

「女優かしら?」

(「あいのこかしら?」)

「混血児かしら?」

(などというささやきをみみにしながら、わたしもかのじょもとくいそうにわざとそこいらを)

などと云う囁きを耳にしながら、私も彼女も得意そうにわざとそこいらを

(うろついたものでした。)

うろついたものでした。

(が、そのきものでさえそんなにひとがふしぎがったくらいですから、まして)

が、その着物でさえそんなに人が不思議がったくらいですから、まして

(それいじょうにきばつなものは、いくらなおみがふうがわりをこのんでもとうていそとへきていく)

それ以上に奇抜なものは、いくらナオミが風変わりを好んでも到底外へ来て行く

(わけにはいきません。それらはじっさいただべやのなかで、かのじょをいろいろなうつわにいれて)

訳には行きません。それらは実際ただ部屋の中で、彼女をいろいろな器に入れて

(ながめるための、いれものだったにすぎないのです。たとえばいちりんのうつくしいはなを、)

眺めるための、容れ物だったに過ぎないのです。たとえば一輪の美しい花を、

(さまざまなかびんへさしかえてみるのとおなじこころもちだったでしょう。わたしにとって)

さまざまな花瓶へ挿し換えて見るのと同じ心持だったでしょう。私にとって

(なおみはつまであるとどうじに、よにもめずらしきにんぎょうであり、そうしょくひんでもあったのです)

ナオミは妻であると同時に、世にも珍しき人形であり、装飾品でもあったのです

(から、あえておどろくにはたりないのです。したがってかのじょは、ほとんどいえでまじめななりを)

から、敢て驚くには足りないのです。従って彼女は、殆ど家出真面目ななりを

(していることはありませんでした。これもなんとかいうあめりかのかつどうげきのだんそう)

していることはありませんでした。これも何とか云う亜米利加の活動劇の男装

(からひんとをえて、くろいびろーどでこしらえさせたみつぐみのせびろふくなどは、おそらく)

からヒントを得て、黒いビロードで拵えさせた三ツ組の背広服などは、恐らく

(いちばんかねのかかった。ぜいたくなしつないぎだったでしょう。それをきこんで、かみのけを)

一番金のかかった。贅沢な室内着だったでしょう。それを着込んで、髪の毛を

(くるくるとまいて、とりうちぼうしをかぶったすがたはねこのようになまめかしいかんじでしたが)

くるくると巻いて、鳥打帽子を被った姿は猫のようになまめかしい感じでしたが

(なつはもちろん、ふゆもすとーヴでへやをあたためて、ゆるやかながうんやかいすいぎひとつで)

夏は勿論、冬もストーヴで部屋を暖めて、ゆるやかなガウンや海水着一つで

(あそんでいることもしばしばありました。かのじょのはいたすりっぱのかずだけでも、)

遊んでいることも屡々ありました。彼女の穿いたスリッパの数だけでも、

(ししゅうしたしなのくつをはじめとしてなんそくくらいあったでしょうか。そしてかのじょは)

刺繍した支那の靴を始めとして何足くらいあったでしょうか。そして彼女は

(おおくのばあいたびやくつしたをつけることはなく、いつもそれらのはきものをじかにすあしに)

多くの場合足袋や靴下を着けることはなく、いつもそれらの穿物を直に素足に

(はいていました。)

穿いていました。

(とうじわたしは、それほどかのじょのきげんをかい、ありとあらゆるすきなことを)

六 当時私は、それほど彼女の機嫌を買い、ありとあらゆる好きな事を

(させながら、いっぽうではまた、かのじょをじゅうぶんにきょういくしてやり、えらいおんな、りっぱなおんなに)

させながら、一方では又、彼女を十分に教育してやり、偉い女、立派な女に

(したてようというさいしょのきぼうをすてたことはありませんでした。この「りっぱ」)

仕立てようと云う最初の希望を捨てたことはありませんでした。この「立派」

(とか「えらい」とかいうことばのいみをぎんみすると、じぶんでもはっきりしないの)

とか「偉い」とか云う言葉の意味を吟味すると、自分でもハッキリしないの

(ですが、ようするにわたしらしいごくたんじゅんなかんがえで、「どこへだしてもはずかしくない、)

ですが、要するに私らしい極く単純な考で、「何処へ出しても耻かしくない、

(きんだいてきな、はいからふじん」というような、はなはだばくぜんとしたものをあたまにおいていた)

近代的な、ハイカラ婦人」と云うような、甚だ漠然としたものを頭に置いていた

(のでしょう。なおみを「えらくすること」と、「にんぎょうのようにちんちょうすること」と、)

のでしょう。ナオミを「偉くすること」と、「人形のように珍重すること」と、

(このふたつがはたしてりょうりつするものかどうか?いまからおもうとばかげたはなし)

この二つが果して両立するものかどうか?今から思うと馬鹿げた話

(ですけれど、かのじょのあいにわくできしてめがくらんでいたわたしには、そんなみやすいどうりさえ)

ですけれど、彼女の愛に惑溺して眼が眩んでいた私には、そんな見易い道理さえ

(まったくわからなかったのです。)

全く分らなかったのです。

(「なおみちゃん、あそびはあそび、べんきょうはべんきょうだよ。おまえがえらくなってくれれば)

「ナオミちゃん、遊びは遊び、勉強は勉強だよ。お前が偉くなってくれれば

(まだまだぼくはいろいろなものをかってあげるよ」)

まだまだ僕はいろいろな物を買って上げるよ」

(と、わたしはくちぐせのようにいいました。)

と、私は口癖のように云いました。

(「ええ、べんきょうするわ、そうしてきっとえらくなるわ」)

「ええ、勉強するわ、そうしてきっと偉くなるわ」

(と、なおみはわたしにいわれればいつもかならずそうこたえます。そしてまいにちばんめしのあとで、)

と、ナオミは私に云われればいつも必ずそう答えます。そして毎日晩飯の後で、

(さんじゅっぷんくらい、わたしはかのじょにかいわやりーだーをさらってやります。が、そんな)

三十分くらい、私は彼女に会話やリーダーを浚ってやります。が、そんな

(ばあいにかのじょはれいのびろーどのふくだのがうんだのをきて、あしのとっさきですりっぱを)

場合に彼女は例のビロードの服だのガウンだのを着て、足の突先でスリッパを

(おもちゃにしながらいすにもたれるしまつですから、いくらくちでやかましくいっても)

おもちゃにしながら椅子に靠れる始末ですから、いくら口でやかましく云っても

(けっきょく「あそび」と「べんきょう」はごっちゃになってしまうのでした。)

結局「遊び」と「勉強」はごっちゃになってしまうのでした。

(「なおみちゃん、なんだねそんなまねをして!べんきょうするときはもっとぎょうぎよく)

「ナオミちゃん、何だねそんな真似をして!勉強する時はもっと行儀よく

(しなけりゃいけないよ」)

しなけりゃいけないよ」

(わたしがそういうと、なおみはぴくっとかたをちぢめて、しょうがっこうのせいとのような)

私がそう云うと、ナオミはぴくッと肩をちぢめて、小学校の生徒のような

(あまったれたこえをだして、)

甘っ垂れた声を出して、

(「せんせい、ごめんなさい」)

「先生、御免なさい」

(といったり、)

と云ったり、

(「かわいちぇんちぇい、かんにんしてちょうだいな」)

「河合チェンチェイ、堪忍して頂戴な」

(といって、わたしのかおをこっそりのぞきこむかとおもうと、ときにはちょいとほっぺたを)

と云って、私の顔をコッソリ覗き込むかと思うと、時にはちょいと頬っぺたを

(つっついたりする。「かわいせんせい」もこのかわいらしいせいとにたいしてはげんかくにする)

突ッついたりする。「河合先生」もこの可愛らしい生徒に対しては厳格にする

(ゆうきがなく、こごとのはてがたわいのないわるふざけになってしまいます。)

勇気がなく、叱言の果てがたわいのない悪ふざけになってしまいます。

(いったいなおみは、おんがくのほうはよくしりませんが、えいごのほうはじゅうごのとしからもうにねん)

一体ナオミは、音楽の方はよく知りませんが、英語の方は十五の歳からもう二年

(ばかり、はりそんじょうのおしえをうけていたのですから、ほんらいならばじゅうぶんできていいはず)

ばかり、ハリソン嬢の教を受けていたのですから、本来ならば十分出来ていい筈

(なので、りーだーもいちからはじめていまではにのはんぶんいじょうまですすみ、かいわのきょうかしょと)

なので、リーダーも一から始めて今では二の半分以上まで進み、会話の教科書と

(しては、”englishecho”をならい、ぶんてんのほんはかんだないぶの)

しては、”English Echo”を習い、文典の本は神田乃武の

(”intermediategrammar”をつかっていて、まずちゅうがくの)

”Intermediate Grammar”を使っていて、先ず中学の

(さんねんぐらいなじつりょくにそうとうするわけでした。けれどもいくらひいきめにみても、)

三年ぐらいな実力に相当する訳でした。けれどもいくら贔屓目に見ても、

(なおみはおそらくさんねんにもおとっているようにおもえました。どうもふしぎだ、こんな)

ナオミは恐らく三年にも劣っているように思えました。どうも不思議だ、こんな

(はずはないのだがとおもって、いちどわたしははりそんじょうをたずねたことがありましたが、)

筈はないのだがと思って、一度私はハリソン嬢を訪ねたことがありましたが、

(「いいえ、そんなことはありません、あのこはなかなかかしこいこです。)

「いいえ、そんなことはありません、あの児はなかなか賢い児です。

(よくできます」)

よく出来ます」

(と、そういって、ふとった、ひとのよさそうなそのろうじょうは、にこにこわらっている)

と、そう云って、太った、人の好さそうなその老嬢は、ニコニコ笑っている

(だけでした。)

だけでした。

(「そうです、あのこはかしこいこです、しかしそのわりにあまりえいごがよくできないと)

「そうです、あの児は賢い児です、しかしその割りに余り英語がよく出来ないと

(おもいます。よむことだけはよみますけれど、にほんごにほんやくすることや、ぶんぽうを)

思います。読むことだけは読みますけれど、日本語に翻訳することや、文法を

(かいしゃくすることなどが、・・・・・・・・・」)

解釈することなどが、・・・・・・・・・」

(「いや、それはあなたがいけません、あなたのかんがえがちがっています」)

「いや、それはあなたがいけません、あなたの考が違っています」

(と、やはりろうじょうはにこにこがおで、わたしのことばをさえぎっていうのでした。)

と、矢張老嬢はニコニコ顔で、私の言葉を遮って云うのでした。

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