谷崎潤一郎 痴人の愛 11

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね1お気に入り登録
プレイ回数776難易度(4.5) 6690打 長文
谷崎潤一郎の中編小説です
最近読み終わりました
私のお気に入りです
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 布ちゃん 5686 A 5.9 95.5% 1118.0 6664 307 100 2024/11/13
2 sada 2971 E+ 3.1 95.8% 2163.2 6720 293 100 2024/11/19

関連タイピング

問題文

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(「にほんのひと、みなぶんぽうやとらんすれーしょんをかんがえます。けれどもそれはいちばん)

「日本の人、みな文法やトランスレーションを考えます。けれどもそれは一番

(わるい。あなたえいごをならいますとき、けっしてけっしてあたまのなかでぶんぽうをかんがえては)

悪い。あなた英語を習います時、決して決して頭の中で文法を考えては

(いけません、とらんすれーとしてはいけません。えいごのままでなんどもなんども)

いけません、トランスレートしてはいけません。英語のままで何度も何度も

(よんでみること、それがいっとうよろしいです。なおみさんはたいへんはつおんがうつくしい。)

読んで見ること、それが一等よろしいです。ナオミさんは大変発音が美しい。

(そしてりーでぃんぐがじょうずですから、いまにきっとうまくなります」)

そしてリーディングが上手ですから、今にきっと巧くなります」

(なるほどろうじょうのいうところにもりくつはあります。が、わたしのいみはぶんてんのほうそくを)

成るほど老嬢の云うところにも理屈はあります。が、私の意味は文典の法則を

(そしきてきにおぼえろというのではありません。にねんかんもえいごをならい、りーだーのさんが)

組織的に覚えろと云うのではありません。二年間も英語を習い、リーダーの三が

(よめるのですから、せめてかこぶんしのつかいかたや、ぱっしヴ・ヴぉいすの)

読めるのですから、せめて過去分詞の使い方や、パッシヴ・ヴォイスの

(くみたてや、さぶじゃんくてぃヴ・むーどのおうようほうくらいは、じっさいてきにこころえて)

組み立てや、サブジャンクティヴ・ムードの応用法くらいは、実際的に心得て

(いいはずだのに、わぶんえいやくをやらせてみると、それがまるきりなっていないのです)

いい筈だのに、和文英訳をやらせて見ると、それがまるきり成っていないのです

(ほとんどちゅうがくのれっとうせいにもおよばないくらいなのです。いくらりーでぃんぐがたっしゃ)

殆ど中学の劣等生にも及ばないくらいなのです。いくらリーディングが達者

(だからといって、これではとうていじつりょくがようせいされるどうりがない。いったいにねんかんも)

だからと云って、これでは到底実力が養成される道理がない。一体二年間も

(なにをおしえ、なにをならっていたのだかわけがわからない。しかしろうじょうはふへいそうなわたしの)

何を教え、何を習っていたのだか訳が分らない。しかし老嬢は不平そうな私の

(かおつきにとんじゃくせず、ひどくあんしんしきったようなおうようなたいどでうなずきながら、)

顔つきに頓着せず、ひどく安心しきったような鷹揚な態度で頷きながら、

(「あのこはたいへんかしこいです」をあいかわらずくりかえすばかりでした。)

「あの児は大へん賢いです」を相変らず繰り返すばかりでした。

(これはわたしのそうぞうではありますが、どうもせいようじんのきょうしはにほんじんのせいとにたいして)

これは私の想像ではありますが、どうも西洋人の教師は日本人の生徒に対して

(いっしゅのえこひいきがあるようです。えこひいきそういってわるければせんにゅうしゅ)

一種のえこひいきがあるようです。えこひいきそう云って悪ければ先入主

(とでもいいましょうか?つまりかれらはせいようじんくさい、はいからな、かわいらしい)

とでも云いましょうか?つまり彼等は西洋人臭い、ハイカラな、可愛らしい

(かおだちのしょうねんやしょうじょをみると、いちもにもなくそのこをりこうだというかぜにかんずる。)

顔だちの少年や少女を見ると、一も二もなくその児を悧巧だと云う風に感ずる。

(ことにおーるど・みすであるとそのけいこうがいっそうはなはだしい。はりそんじょうがなおみを)

殊にオールド・ミスであるとその傾向が一層甚しい。ハリソン嬢がナオミを

など

(しきりにほめちぎるのはそのせいなので、もうあたまから「かしこいこだ」と)

頻りに褒めちぎるのはそのせいなので、もう頭から「賢い児だ」と

(きめてしまっているのでした。おまけになおみは、はりそんじょうのいうとおりはつおん)

きめてしまっているのでした。おまけにナオミは、ハリソン嬢の云う通り発音

(だけはひじょうにりゅうちょうをきわめていました。なにしろはならびがいいところせせいがくのそようが)

だけは非常に流暢を極めていました。何しろ歯並びがいいところせ声楽の素養が

(あったのですから、そのこえだけをきいているとじつにきれいで、すばらしくえいごが)

あったのですから、その声だけを聞いていると実に綺麗で、素晴らしく英語が

(できそうで、わたしなどはまるであしもとへもよりつけないようにおもいました。それで)

出来そうで、私などはまるで足元へも寄りつけないように思いました。それで

(おそらくはりそんじょうはそのこえにだまかされて、ころりとまいってしまったにちがいない)

恐らくハリソン嬢はその声に欺かされて、コロリと参ってしまったに違いない

(のです。じょうがどれほどなおみをあいしていたかということは、おどろいたことに、じょうの)

のです。嬢がどれほどナオミを愛していたかと云うことは、驚いたことに、嬢の

(へやへとおってみると、そのけしょうだいのかがみのまわりになおみのしゃしんがたくさんかざって)

部屋へ通って見ると、その化粧台の鏡の周りにナオミの写真が沢山飾って

(あったのでもわかるのでした。)

あったのでも分るのでした。

(わたしはないしんじょうのいけんやきょうじゅほうにたいしてははなはだふまんでしたけれども、どうじにまた、)

私は内心嬢の意見や教授法に対しては甚だ不満でしたけれども、同時に又、

(せいようじんがなおみをそんなにひいきにしてくれる、かしこいこだといってくれるのが、)

西洋人がナオミをそんなにひいきにしてくれる、賢い児だと云ってくれるのが、

(じぶんのおもうつぼなので、あたかもじぶんがほめられたようなうれしさをきんじえません)

自分の思う壺なので、あたかも自分が褒められたような嬉しさを禁じ得ません

(でした。のみならず、がんらいわたしは、いや、わたしばかりではありません、)

でした。のみならず、元来私は、いや、私ばかりではありません、

(にほんじんはだれでもたいがいそうですが、せいようじんのまえへでるとすこぶるいくじが)

日本人は誰でも大概そうですが、西洋人の前へ出ると頗る意気地が

(なくなって、はっきりじぶんのかんがえをのべるゆうきがないほうでしたから、じょうのきみょうな)

なくなって、ハッキリ自分の考を述べる勇気がない方でしたから、嬢の奇妙な

(あくせんとのあるにほんごで、しかもどうどうとまくしたてられると、けっきょくこっちの)

アクセントのある日本語で、しかも堂々とまくし建てられると、結局此方の

(いうべきこともいわないでしまいました。なに、むこうがそういういけんなら、)

云うべきことも云わないでしまいました。なに、向うがそう云う意見なら、

(こっちはこっちで、たりないところをかていでおぎなってやればいいのだと、はらのなかで)

此方は此方で、足りないところを家庭で補ってやればいいのだと、腹の中で

(そうきめながら、)

そう極めながら、

(「ええ、ほんとうにそれはそうです、あなたのおっしゃっしゃるとおりです。それでわたしも)

「ええ、ほんとうにそれはそうです、あなたの仰っしゃる通りです。それで私も

(わかりましたからあんしんしました」)

分りましたから安心しました」

(とかなんとかいって、あいまいな、にやにやしたおせじわらいをうかべながら、そのまま)

とか何とか云って、曖昧な、ニヤニヤしたお世辞笑いを浮かべながら、そのまま

(ふとくようりょうですごすごかえってきたのでした。)

不得要領でスゴスゴ帰って来たのでした。

(「じょうじさん、はりそんさんはなんといった?」)

「譲治さん、ハリソンさんは何と云った?」

(と、なおみはそのばんたずねましたが、かのじょのくちょうはいかにもろうじょうのちょうをたのんで、)

と、ナオミはその晩尋ねましたが、彼女の口調はいかにも老嬢の寵を恃んで、

(すっかりたかをくくっているようにきこえました。)

すっかりたかを括っているように聞えました。

(「よくできるっていっていたけれど、せいようじんにはにほんじんのせいとのしんりが)

「よく出来るって云っていたけれど、西洋人には日本人の生徒の心理が

(わからないんだよ。はつおんがきようで、ただひたすらよめさえすりゃあいいというのは)

分らないんだよ。発音が器用で、ただひたすら読めさえすりゃあいいと云うのは

(おおまちがいだ。おまえはたしかにきおくりょくはいい、だからそらでおぼえることはじょうず)

大間違いだ。お前はたしかに記憶力はいい、だから空で覚える事は上手

(だけれど、ほんやくさせるとなにひとつとしていみがわかっていないじゃないか。それじゃ)

だけれど、翻訳させると何一つとして意味が分っていないじゃないか。それじゃ

(おうむとおなじことだ。いくらならってもなんのたしにもなりゃしないんだ」)

鸚鵡と同じことだ。いくら習っても何の足しにもなりゃしないんだ」

(わたしがなおみにこごとらしいこごとをいったのはそのときがはじめてでした。わたしはかのじょが)

私がナオミに叱言らしい叱言を云ったのはその時が始めてでした。私は彼女が

(はりそんじょうをみかたにして、「それみたことか」というように、とくいのはなを)

ハリソン嬢を味方にして、「それ見たことか」と云うように、得意の鼻を

(うごめかしているのがしゃくにさわったばかりでなく、だいいちこんなで「えらいおんな」に)

蠢めかしているのが癪に触ったばかりでなく、第一こんなで「偉い女」に

(なれるかどうか、それをひじょうにこころもとなくかんじたのです。えいごというものを)

なれるかどうか、それを非常に心もとなく感じたのです。英語と云うものを

(べつもんだいにしてかんがえても、ぶんてんのきそくをりかいすることができないようなあたまでは、)

別問題にして考えても、文典の規則を理解することが出来ないような頭では、

(まったくこのさきがあんじられる。おとこのこがちゅうがくできかやだいすうをならうのはなんのためめか、)

全くこの先が案じられる。男の児が中学で幾何や台数を習うのは何の為めか、

(かならずしもじつようにきょうするのがしゅがんでなく、ずのうのはたらきをちみつにし、れんまするのが)

必ずしも実用に供するのが主眼でなく、頭脳の働きを緻密にし、練磨するのが

(もくてきではないか。おんなのこだって、なるほどいままではかいぼうてきのあたまがなくても)

目的ではないか。女の児だって、成るほど今までは解剖的の頭がなくても

(すんでいた。が、これからのふじんはそうはいかない。まして「せいようじんにも)

済んでいた。が、これからの婦人はそうは行かない。まして「西洋人にも

(おとらないような」「りっぱな」おんなになろうとするものが、そしきのさいがなく、ぶんせきの)

劣らないような」「立派な」女になろうとするものが、組織の才がなく、分析の

(のうりょくがないというのではこころぼそい。)

能力がないと云うのでは心細い。

(わたしはたしょういこじにもなって、まえにはほんのさんじゅうぶんほどさらってやるだけだったの)

私は多少依怙地にもなって、前にはほんの三十分ほど浚ってやるだけだったの

(ですが、それからあとはいちじかんかいちじかんはんいじょう、まいにちかならずわぶんえいやくとぶんてんとを)

ですが、それから後は一時間か一時間半以上、毎日必ず和文英訳と文典とを

(さずけることにしたのでした。そしてそのあいだはだんじてあそびはんぶんのきぶんをゆるさず、)

授けることにしたのでした。そしてその間は断じて遊び半分の気分を許さず、

(ぴしぴししかりとばしました。なおみのもっともかけているところはりかいりょく)

ぴしぴし叱り飛ばしました。ナオミの最も欠けているところは理解力

(でしたから、わたしはわざといじわるく、こまかいことをおしえないでちょっとした)

でしたから、私はわざと意地悪く、細かいことを教えないでちょっとした

(ひんとをあたえてやり、あとはじぶんではつめいするようにみちびきました。たとえばぶんぽうの)

ヒントを与えてやり、あとは自分で発明するように導きました。たとえば文法の

(ぱっしヴ・ヴぉいすをならったとすると、さっそくそれのおうようもんだいをかのじょにしめして、)

パッシヴ・ヴォイスを習ったとすると、早速それの応用問題を彼女に示して、

(「さ、これをえいごにやくしてごらん」)

「さ、これを英語に訳して御覧」

(と、そういいます。)

と、そう云います。

(「いまよんだところがわかってさえいりゃ、これがおまえにできないはずはないんだよ」)

「今読んだところが分ってさえいりゃ、これがお前に出来ない筈はないんだよ」

(と、そういったきり、かのじょがとうあんをつくるまではだまってきながにかまえています。その)

と、そう云ったきり、彼女が答案を作るまでは黙って気長に構えています。その

(とうあんがちがっていてもけっしてどこがわるいともいわないで、)

答案が違っていても決して何処が悪いとも云わないで、

(「なんだいおまえ、これじゃわかっていないんじゃないか、もういちどぶんぽうを)

「何だいお前、これじゃ分っていないんじゃないか、もう一度文法を

(よみなおしてごらん」)

読み直して御覧」

(と、なんべんでもつっかえします。そしてそれでもできないとなると、)

と、何遍でも突っ返します。そしてそれでも出来ないとなると、

(「なおみちゃん、こんなやさしいものができないでどうするんだい。おまえはいったい)

「ナオミちゃん、こんな易しいものが出来ないでどうするんだい。お前は一体

(いくつになるんだ。・・・・・・・・・いくどもいくどもおなじところをなおされて、まだ)

幾つになるんだ。・・・・・・・・・幾度も幾度も同じ所を直されて、まだ

(こんなことがわからないなんて、どこにあたまをもっているんだ。はりそんさんがりこうだ)

こんな事が分らないなんて、何処に頭を持っているんだ。ハリソンさんが悧巧だ

(なんていったって、ぼくはちっともそうはおもわないよ。これができないじゃがっこうに)

なんて云ったって、僕はちっともそうは思わないよ。これが出来ないじゃ学校に

(いけばれっとうせいだよ」)

行けば劣等生だよ」

(と、わたしもついついねっちゅうしすぎておおきなこえをだすようになります。するとなおみは)

と、私もついつい熱中し過ぎて大きな声を出すようになります。するとナオミは

(むっとつらをふくらせて、しまいにはしくしくなきだすことがよくありました。)

むっと面を膨らせて、しまいにはしくしく泣き出すことがよくありました。

(ふだんはほんとうになかのいいふたり、かのじょがわらえばわたしもわらって、かつていちども)

ふだんはほんとうに仲のいい二人、彼女が笑えば私も笑って、嘗て一度も

(いさかいをしたことがなく、こんなむつまじいだんじょはないとおもわれるふたり、)

いさかいをしたことがなく、こんな睦まじい男女はないと思われる二人、

(それがえいごのじかんになるときまっておたがいにおもくるしい、いきのつまるような)

それが英語の時間になるときまってお互いに重苦しい、息の詰まるような

(きもちにさせられる。ひにいちどずつわたしがいからないことはなく、かのじょがふくれない)

気持ちにさせられる。日に一度ずつ私が怒らないことはなく、彼女が膨れない

(ことはなく、ついさっきまであんなにきげんのよかったものが、きゅうにそうほうとも)

ことはなく、ついさっきまであんなに機嫌のよかったものが、急に双方とも

(しゃちこはって、ほとんどてきいをさえふくんだめつきでねめっくらをする。じっさい)

シャチコ張って、殆ど敵意をさえ含んだ眼つきで睨めっくらをする。実際

(わたしはそのときになると、かのじょをえらくするためというさいしょのどうきはわすれてしまって、)

私はその時になると、彼女を偉くするためと云う最初の動機は忘れてしまって、

(あまりのふがいなさにじりじりして、こころからかのじょがにくらしくなってくるのでした)

あまりの腑がいなさにジリジリして、心から彼女が憎らしくなって来るのでした

(あいてがおとこのこだったら、わたしはきっとはらだちまぎれにぽかりとひとつくわせたかも)

相手が男の児だったら、私はきっと腹立ち紛れにポカリと一つ喰わせたかも

(しれません。それでなくともむちゅうになって「ばかっ」とどなりつけることはしじゅう)

知れません。それでなくとも夢中になって「馬鹿ッ」と怒鳴りつけることは始終

(でした。いちどはかのじょのひたいのあたりをこつんとげんこつでこづいたことさえ)

でした。一度は彼女の額のあたりをこつんと拳骨で小突いたことさえ

(ありました。が、そうされるとなおみのほうもみょうにひねくれて、たといしっている)

ありました。が、そうされるとナオミの方も妙にひねくれて、たとい知っている

(ことでもけっしてこたえようとはせず、ほおをながれるなみだをのみながらいつまでもいしの)

事でも決して答えようとはせず、頬を流れる涙を呑みながらいつまでも石の

(ようなちんもくをおしとおします。なおみはいったんそういうかぜにまがりだしたらおどろくほど)

ような沈黙を押し通します。ナオミは一旦そう云う風に曲がり出したら驚くほど

(ごうじょうで、しまつにおえないたちでしたから、さいごはわたしがこんまけをして、うやむやに)

強情で、始末に負えないたちでしたから、最後は私が根負けをして、うやむやに

(なってしまうのでした。)

なってしまうのでした。

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