谷崎潤一郎 痴人の愛 23

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね1お気に入り登録
プレイ回数593難易度(4.5) 5175打 長文
谷崎潤一郎の中編小説です
私のお気に入りです

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問題文

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(きゃしゃな、ぞうげのようなゆびをもった、ぎゅっとだきしめたらしなって)

きゃしゃな、象牙のような指を持った、ぎゅっと抱きしめたら撓って

(おれてしまいそうなこがらなきらこは、ぶたいでみるよりははるかにびじんで、そのなの)

折れてしまいそうな小柄な綺羅子は、舞台で見るよりは遥に美人で、その名の

(ごとくきらをきわめたあでやかないしょうに、どんすというのかしゅちんというのか、くろじに)

如く綺羅を極めたあでやかな衣裳に、緞子と云うのか朱珍と云うのか、黒地に

(きんしとこいみどりとでりゅうをえがいたまるおびをしめているのでした。おんなのほうがせいが)

金糸と濃い緑とで竜を描いた丸帯を締めているのでした。女の方がせいが

(ひくいので、はまだはあたかもかみのけのにおいをかぎでもするように、あたまをぐっとななめに)

低いので、浜田はあたかも髪の毛の匂を嗅ぎでもするように、頭をぐっと斜めに

(かしげて、みみのあたりをきらこのよこびんにくっつけている。きらこはきらこで、)

かしげて、耳のあたりを綺羅子の横鬢に喰っ着けている。綺羅子は綺羅子で、

(めじりにしわがよるほどつよくおとこのほっぺたへひたいをあてている。ふたつのかおは)

眼尻に皺が寄るほど強く男の頬ッぺたへ額をあてている。二つの顔は

(よっつのめだまをぱちくりさせながら、からだははなれることがあっても、くびとくびとは)

四つの眼玉をパチクリさせながら、体は離れることがあっても、首と首とは

(いっかなはなれずにおどっていきます。)

いっかな離れずに踊って行きます。

(「じょうじさん、あのおどりかたをしっている?」)

「譲治さん、あの踊り方を知っている?」

(「なんだかしらないが、あんまりみっともいいもんじゃないね」)

「何だか知らないが、あんまり見っともいいもんじゃないね」

(「ほんとうよ、じっさいげひんよ」)

「ほんとうよ、実際下品よ」

(なおみはぺっぺっとつばをはくようなくちつきをして、)

ナオミはペッペッと唾を吐くような口つきをして、

(「あれはちーく・だんすっていって、まじめなばしょでやれるものじゃ)

「あれはチーク・ダンスって云って、真面目な場所でやれるものじゃ

(ないんだって。あめりかあたりであれをやったら、たいじょうしてくださいって)

ないんだって。アメリカあたりであれをやったら、退場して下さいって

(いわれるんだって。はまさんもいいけれど、まったくきざよ」)

云われるんだって。浜さんもいいけれど、全く気障よ」

(「だがおんなのほうもおんなのほうだね」)

「だが女の方も女の方だね」

(「そりゃそうよ、どうせじょゆうなんてものはあんなものよ、ぜんたいここへじょゆうを)

「そりゃそうよ、どうせ女優なんて者はあんな者よ、全体此処へ女優を

(いれるのがわるいんだわ、そんなことをしたらほんとうのれでぃーは)

入れるのが悪いんだわ、そんなことをしたらほんとうのレディーは

(こなくなるわ」)

来なくなるわ」

など

(「おとこにしたって、おまえはひどくやかましいことをいったけれど、こんのせびろを)

「男にしたって、お前はひどくやかましいことを云ったけれど、紺の背広を

(きているものはすくないじゃないか。はまだくんだってあんななりをしているし、・・・」)

着ている者は少いじゃないか。浜田君だってあんななりをしているし、・・・」

(これはわたしがさいしょからきがついていたことでした。しったかぶりをしたがる)

これは私が最初から気がついていた事でした。知ったか振りをしたがる

(なおみは、いわゆるえてぃけっとなるものをききかじってきて、むりにわたしにこんの)

ナオミは、所謂エティケットなるものを聞きかじって来て、無理に私に紺の

(せびろをきせましたけれど、そんなふくそうをしているものはにさんにんぐらいで、)

背広を着せましたけれど、そんな服装をしている者は二三人ぐらいで、

(たきしーどなどはひとりもなく、あとはたいがいかわりいろの、こったすーつを)

タキシードなどは一人もなく、あとは大概変り色の、凝ったスーツを

(きているのです。)

着ているのです。

(「そりゃそうだけれど、あれははまさんがまちがってるのよ、こんをきるのが)

「そりゃそうだけれど、あれは浜さんが間違ってるのよ、紺を着るのが

(せいしきなのよ」)

正式なのよ」

(「そういったって・・・・・・・・・ほら、あのせいようじんをごらん、あれも)

「そう云ったって・・・・・・・・・ほら、あの西洋人を御覧、あれも

(ほーむすぱんじゃないか。だからなんだっていいんだろう」)

ホームスパンじゃないか。だから何だっていいんだろう」

(「そうじゃないわよ、ひとはどうでもじぶんだけはせいしきななりをしてくるもんよ。)

「そうじゃないわよ、人はどうでも自分だけは正式ななりをして来るもんよ。

(せいようじんがああいうなりをしてくるのは、にほんじんがわるいからなのよ。それに)

西洋人がああ云うなりをして来るのは、日本人が悪いからなのよ。それに

(なんだわ、はまさんのようにばかずをふんでして、おどりがうまいひとならかくべつ、)

何だわ、浜さんのように場数を蹈んでして、踊りが巧い人なら格別、

(じょうじさんなんかなりでもきちんとしていなけりゃみっともないわよ」)

譲治さんなんかなりでもキチンとしていなけりゃ見ッともないわよ」

(ひろばのほうのだんすのながれがいちどきにとまって、さかんなはくしゅがおこりました。)

広場の方のダンスの流れが一時に停まって、盛んな拍手が起りました。

(おーけすとらがやんだので、かれらはみんなすこしでもながくおどりたそうに、)

オーケストラが止んだので、彼等はみんな少しでも長く踊りたそうに、

(ねっしんなのはくちぶえをふき、じだんだをふんで、あんこーるをしているのです。すると)

熱心なのは口笛を吹き、地団駄を蹈んで、アンコールをしているのです。すると

(おんがくがまたはじまる、とまっていたながれがふたたびぐるぐるとうごきだす。ひとしきり)

音楽が又始まる、停まっていた流れが再びぐるぐると動き出す。一としきり

(たつとまたやんでしまう、またあんこーる、・・・・・・・・・にどもさんども)

立つと又止んでしまう、又アンコール、・・・・・・・・・二度も三度も

(くりかえして、とうとういくらてをたたいてもきかれなくなると、おどったおとこはあいての)

繰り返して、とうとういくら手を叩いても聴かれなくなると、踊った男は相手の

(おんなのあとにしたがっておとものようにごえいしながら、いちどうぞろぞろとてーぶるのほうへ)

女の後に従ってお供のように護衛しながら、一同ぞろぞろとテーブルの方へ

(かえってきます。はまだとまあちゃんはきらことぴんくいろのようふくをめいめいの)

帰って来ます。浜田とまアちゃんは綺羅子とピンク色の洋服をめいめいの

(てーぶるへおくりとどけて、いすにかけさせて、おんなのまえでていねいにおじぎをしてから、)

テーブルへ送り届けて、椅子にかけさせて、女の前で丁寧にお辞儀をしてから、

(やがてそろってわたしたちのほうへやってきました。)

やがて揃って私たちの方へやって来ました。

(「やあ、こんばんは。だいぶごゆっくりでしたね」)

「やあ、今晩は。大分御ゆっくりでしたね」

(そういったのははまだでした。)

そう云ったのは浜田でした。

(「どうしたんだい、おどらねえのかい?」)

「どうしたんだい、踊らねえのかい?」

(まあちゃんはれいのぞんざいなくちょうで、なおみのうしろにつったったまま、まばゆい)

まアちゃんは例のぞんざいな口調で、ナオミのうしろに突っ立ったまま、眩い

(かのじょのせいそうをうえからしげしげとみおろして、)

彼女の盛装を上からしげしげと見おろして、

(「やくそくがなけりゃあ、このつぎにおれとおどろうか?」)

「約束がなけりゃあ、この次に己と踊ろうか?」

(「いやだよ、まあちゃんは、へたくそだもの!」)

「いやだよ、まアちゃんは、下手くそだもの!」

(「ばかいいねえ、げっしゃはださねえが、これでもちゃんとおどれるからふしぎだ」)

「馬鹿云いねえ、月謝は出さねえが、これでもちゃんと踊れるから不思議だ」

(と、おおきなだんごっぱなのあなをひろげて、くちびるを「へ」のじなりに、えへらえへら)

と、大きな団子ッ鼻の孔をひろげて、唇を「へ」の字なりに、えへらえへら

(わらってみせて、)

笑って見せて、

(「ねがごきようでいらっしゃるからね」)

「根が御器用でいらっしゃるからね」

(「ふん、いばるなよ!あのぴんくいろのようふくとおどってるかっこうなんざあ、あんまり)

「ふん、威張るなよ!あのピンク色の洋服と踊ってる恰好なんざあ、あんまり

(いいずじゃなかったよ」)

いい図じゃなかったよ」

(おどろいたことに、なおみはこのおとこにむかうと、たちまちこんならんぼうなことばをつかうのでした)

驚いたことに、ナオミはこの男に向うと、忽ちこんな乱暴な言葉を使うのでした

(「や、こいつあいけねえ」)

「や、此奴アいけねえ」

(と、まあちゃんはくびをちぢめてあたまをかいて、ちらりととおくのてーぶるにいる)

と、まアちゃんは首をちぢめて頭を掻いて、ちらりと遠くのテーブルにいる

(ぴんくいろのほうをふりかえりながら、)

ピンク色の方を振り返りながら、

(「おれでもずうずうしいほうじゃひけをとらねえつもりだけれど、あのおんなには)

「己でもずうずうしい方じゃ退けを取らねえ積りだけれど、あの女には

(かなわねえや、あのようふくでここへおしだしてこようてんだから」)

敵わねえや、あの洋服で此処へ押し出して来ようてんだから」

(「なにだいありゃあ、まるでさるだよ」)

「何だいありゃあ、まるで猿だよ」

(「あははは、さるか、さるたあうめえことをいったな、まったくさるにちげえねえや」)

「あははは、猿か、猿たあうめえことを云ったな、全く猿にちげえねえや」

(「うまくいってらあ、じぶんがつれてきたんじゃないか。ほんとうに)

「巧く云ってらあ、自分が連れて来たんじゃないか。ほんとうに

(まあちゃん、みっともないからちゅういしておやりよ。せいようじんくさくみせようと)

まアちゃん、見っともないから注意しておやりよ。西洋人臭く見せようと

(したって、あのごめんそうじゃむりだわよ。どだいかおのぞうさくが、にっぽんも)

したって、あの御面相じゃ無理だわよ。どだい顔の造作が、ニッポンも

(にっぽんも、じゅんにっぽんときてるんだから」)

ニッポンも、純ニッポンと来てるんだから」

(「ようするにかなしきどりょくだね」)

「要するに悲しき努力だね」

(「あははは、そうよほんとに、ようするにさるのかなしきどりょくよ。わふくをきたって、)

「あははは、そうよほんとに、要するに猿の悲しき努力よ。和服を着たって、

(せいようじんくさくみえるひとはみえるんだからね」)

西洋人臭く見える人は見えるんだからね」

(「つまりおまえのようにかね」)

「つまりお前のようにかね」

(なおみは「ふん」とはなをたかくして、とくいのせせらわらいをしながら、)

ナオミは「ふん」と鼻を高くして、得意のせせら笑いをしながら、

(「そうさ、まだあたしのほうがあいのこのようにみえるわよ」)

「そうさ、まだあたしの方が混血児のように見えるわよ」

(「くまがいくん」)

「熊谷君」

(と、はまだはわたしにきがねするらしく、もじもじしているようすでしたが、そのなで)

と、浜田は私に気がねするらしく、もじもじしている様子でしたが、その名で

(まあちゃんをよびかけました。)

まアちゃんを呼びかけました。

(「そういえばきみは、かわいさんとははじめてなんじゃなかったかしら?」)

「そう云えば君は、河合さんとは始めてなんじゃなかったかしら?」

(「ああ、おかおはたびたびみたことがあるがね、」)

「ああ、お顔はたびたび見たことがあるがね、」

(「くまがや」とよばれたまあちゃんはやはりなおみのせなかごしに、いすのうしろに)

「熊谷」と呼ばれたまアちゃんは矢張ナオミの背中越しに、椅子のうしろに

(つったったまま、わたしのほうへじろりといやみなしせんをなげました。)

衝っ立ったまま、私の方へジロリと厭味な視線を投げました。

(「ぼくはくまがいせいたろう、いちめいをまあちゃんともうします。」)

「僕は熊谷政太郎、一名をまアちゃんと申します。」

(なおみはしたからくまがいのかおをみあげて、)

ナオミは下から熊谷の顔を見上げて、

(「ねえ、まあちゃん、ついでにもすこしじこしょうかいをしたらどうなの?」)

「ねえ、まアちゃん、ついでにも少し自己紹介をしたらどうなの?」

(「いいや、いけねえ、あんまりいうとぼろがでるから。くわしいことは)

「いいや、いけねえ、あんまり云うとボロが出るから。委しいことは

(なおみさんからおききをねがいます」)

ナオミさんから御聞きを願います」

(「あら、いやだ、くわしいことなんかあたしがなにをしっているのよ」)

「アラ、いやだ、委しい事なんかあたしが何を知っているのよ」

(「あははは」)

「あははは」

(このれんちゅうにとりまかれるのはふゆかいだとはおもいながら、なおみがきげんよく)

この連中に取り巻かれるのは不愉快だとは思いながら、ナオミが機嫌よく

(はしゃぎだしたので、わたしもしかたなくわらっていいました。)

はしゃぎ出したので、私も仕方なく笑って云いました。

(「さ、いかがです。はまだくんもくまがいくんも、これへおかけになりませんか」)

「さ、いかがです。浜田君も熊谷君も、これへお掛けになりませんか」

(「じょうじさん、あたしのどがかわいたから、なにかのむものをいってちょうだい。はまさん、あんた)

「譲治さん、あたし喉が乾いたから、何か飲む物を云って頂戴。浜さん、あんた

(なにがいい?れもん・すくぉっしゅ?」)

何がいい?レモン・スクォッシュ?」

(「え、ぼくはなんでもけっこうだけれど、・・・・・・・・・」)

「え、僕は何でも結構だけれど、・・・・・・・・・」

(「まあちゃん、あんたは?」)

「まアちゃん、あんたは?」

(「どうせごちそうになるのなら、ういすきー・たんさんにねがいたいね」)

「どうせ御馳走になるのなら、ウイスキー・タンサンに願いたいね」

(「まあ、あきれた、あたしさけのみはだいきらいさ、くちがくさくって!」)

「まあ、呆れた、あたし酒飲みは大嫌いさ、口が臭くって!」

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