谷崎潤一郎 痴人の愛 24
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問題文
(「くさくってもいいよ、くさいところがすてられないっていうんだから」)
「臭くってもいいよ、臭い所が捨てられないッて云うんだから」
(「あのさるがかい?」)
「あの猿がかい?」
(「あ、いけねえ、そいつをいわれるとあやまるよ」)
「あ、いけねえ、そいつを云われると詫まるよ」
(「あははは」)
「あははは」
(と、なおみはあたりはばからず、からだをぜんごにゆすぶりながら、)
と、ナオミは辺り憚らず、体を前後に揺す振りながら、
(「じゃ、じょうじさん、ぼーいをよんでちょうだい、ういすきー・たんさんがひとつ、)
「じゃ、譲治さん、ボーイを呼んで頂戴、ウイスキー・タンサンが一つ、
(それかられもん・すくぉっしゅがみっつ。・・・・・・・・・あ、まって、)
それからレモン・スクォッシュが三つ。・・・・・・・・・あ、待って、
(まって!れもん・すくぉっしゅはとめにするわ、ふるーつ・かくてるの)
待って!レモン・スクォッシュは止めにするわ、フルーツ・カクテルの
(ほうがいいわ」)
方がいいわ」
(「ふるーつ・かくてる?」)
「フルーツ・カクテル?」
(わたしはきいたこともないそんなのみものを、どうしてなおみがしっているのか)
私は聞いたこともないそんな飲み物を、どうしてナオミが知っているのか
(ふしぎでした。)
不思議でした。
(「かくてるならばおさけじゃないか」)
「カクテルならばお酒じゃないか」
(「うそよ、じょうじさんはしらないのよ、まあ、はまちゃんもまあちゃんも)
「うそよ、譲治さんは知らないのよ、まあ、浜ちゃんもまアちゃんも
(きいてちょうだい、このひとはこのとおりやぼなんだから」)
聞いて頂戴、この人はこの通り野暮なんだから」
(なおみは「このひと」というときにひとさしゆびでわたしのかたをかるくたたいて、)
ナオミは「この人」と云う時に人差指で私の肩を軽く叩いて、
(「だからほんとに、だんすにきたってこのひととふたりじゃまがぬけていてしようが)
「だからほんとに、ダンスに来たってこの人と二人じゃ間が抜けていて仕様が
(ないわ。ぼんやりしているもんだから、さっきもすべってころびそうになったのよ」)
ないわ。ぼんやりしているもんだから、さっきも滑って転びそうになったのよ」
(「ゆかがつるつるしていますからね」)
「床がつるつるしていますからね」
(と、はまだはわたしをべんごするように、)
と、浜田は私を弁護するように、
(「はじめのうちはだれでもまがぬけるもんですよ、なれるとおいおいいたにつくように)
「初めのうちは誰でも間が抜けるもんですよ、馴れると追い追い板につくように
(なりますけれど、・・・・・・・・・」)
なりますけれど、・・・・・・・・・」
(「じゃ、あたしはどう?あたしもやっぱりいたにつかない?」)
「じゃ、あたしはどう?あたしもやっぱり板につかない?」
(「いや、きみはべつさ、なおみくんはどきょうがいいから、・・・・・・・・・まあ)
「いや、君は別さ、ナオミ君は度胸がいいから、・・・・・・・・・まあ
(しゃこうじゅつのてんさいだね」)
社交術の天才だね」
(「はまさんだっててんさいでないほうでもないわ」)
「浜さんだって天才でない方でもないわ」
(「へえ、ぼくが?」)
「へえ、僕が?」
(「そうさ、はるのきらこといつのまにかおともだちになったりして!ねえ、)
「そうさ、春野綺羅子といつの間にかお友達になったりして!ねえ、
(まあちゃん、そうおもわない?」)
まアちゃん、そう思わない?」
(「うん、うん」)
「うん、うん」
(と、くまがやはしたくちびるをつきだして、あごをしゃくってうなずいてみせます。)
と、熊谷は下唇を突き出して、顎をしゃくって頷いて見せます。
(「はまだ、おまえきらこにもーしょんをかけたのかい?」)
「浜田、お前綺羅子にモーションをかけたのかい?」
(「ふざけちゃいかんよ、ぼかあそんなことをするもんかよ」)
「ふざけちゃいかんよ、僕あそんなことをするもんかよ」
(「でもはまさんはまっかになっていいわけするだけかわいいわ。どこかしょうじきなところが)
「でも浜さんは真っ赤になって云い訳するだけ可愛いわ。何処か正直な所が
(あるわ。ねえ、はまさん、きらこさんをここへよんでこない?よう!)
あるわ。ねえ、浜さん、綺羅子さんを此処へ呼んで来ない?よう!
(よんでらっしゃいよ!あたしにしょうかいしてちょうだい」)
呼んでらッしゃいよ!あたしに紹介して頂戴」
(「なんかんて、またひやかそうっていうんだろう?きみのどくぜつにかかったひにゃ)
「なんかんて、又冷やかそうッて云うんだろう?君の毒舌に懸った日にゃ
(かなわんからなあ」)
敵わんからなア」
(「だいじょうぶよ、ひやかさないからよんでらっしゃいよ、にぎやかなほうが)
「大丈夫よ、冷やかさないから呼んでらッしゃいよ、賑やかな方が
(いいじゃないの」)
いいじゃないの」
(「じゃあ、おれもあのさるをよんでくるかな」)
「じゃあ、己もあの猿を呼んで来るかな」
(「あ、それがいい、それがいい」)
「あ、それがいい、それがいい」
(と、なおみはくまがいをふりかえって、)
と、ナオミは熊谷を振り返って、
(「まあちゃんもさるをよんどいでよ、みんないっしょになろうじゃないの」)
「まアちゃんも猿を呼んどいでよ、みんな一緒になろうじゃないの」
(「うん、よかろう、だがもうだんすがはじまったぜ、ひとつおまえとおどってからに)
「うん、よかろう、だがもうダンスが始まったぜ、一つお前と踊ってからに
(しようじゃないか」)
しようじゃないか」
(「あたしまあちゃんじゃいやだけれど、しかたがない、おどってやろうか」)
「あたしまアちゃんじゃ厭だけれど、仕方がない、踊ってやろうか」
(「いうないうな、ならいたてのくせにしやがって」)
「云うな云うな、習いたての癖にしやがって」
(「じゃじょうじさん、あたしいっぺんおどってくるからみてらっしゃい。あとであなたと)
「じゃ譲治さん、あたし一遍踊って来るから見てらッしゃい。後であなたと
(おどってあげるから」)
踊って上げるから」
(わたしはさだめしかなしそうな、へんなひょうじょうをしていたろうとおもいますが、なおみはふいと)
私は定めし悲しそうな、変な表情をしていたろうと思いますが、ナオミはフイと
(たちあがって、くまがとうでをくみながら、ふたたびさかんにうごきだしたぐんしゅうのながれのなかへ)
立ち上がって、熊谷と腕を組みながら、再び盛んに動き出した群衆の流れの中へ
(はいっていってしまいました。)
這入って行ってしまいました。
(「や、こんどはななばんのふぉっくす・とろっとか、」)
「や、今度は七番のフォックス・トロットか、」
(と、はまだもわたしとふたりになるとなんとなくわだいにこまるらしく、ぽけっとから)
と、浜田も私と二人になると何となく話題に困るらしく、ポケットから
(ぷろぐらむをだしてみて、こそこそとしりをもちあげました。)
プログラムを出して見て、こそこそと臀を持ち上げました。
(「あの、ぼくちょっとしつれいします、こんどのばんはきらこさんとやくそくが)
「あの、僕ちょっと失礼します、今度の番は綺羅子さんと約束が
(ありますから。」)
ありますから。」
(「さあ、どうぞ、おかまいなく、」)
「さあ、どうぞ、お構いなく、」
(わたしはひとり、さんにんがきえてなくなったあとへぼーいがもってきた)
私は独り、三人が消えてなくなった跡へボーイが持って来た
(ういすきー・たんさんと、いわゆる「ふるーつ・かくてる」なるものと、よっつの)
ウイスキー・タンサンと、所謂「フルーツ・カクテル」なるものと、四つの
(こっぷをまえにして、ぼうぜんとひろばのくうきをながめていなければなりませんでした。)
コップを前にして、茫然と広場の空気を眺めていなければなりませんでした。
(が、もともとわたしはじぶんがおどりたいのではなく、こういうばしょでなおみがどれほど)
が、もともと私は自分が踊りたいのではなく、こう云う場所でナオミがどれほど
(ひきたつか、どういうおどりっぷりをするか、それをみたいのがおもでしたから、)
引き立つか、どう云う踊りッ振りをするか、それを見たいのが主でしたから、
(けっきょくこのほうがきらくでした。で、ほっとかいほうされたようなここちで、ひとなみのあいだに)
結局この方が気楽でした。で、ほっと解放されたような心地で、人波の間に
(みえかくれするなおみのすがたを、ねっしんなめでおっかけていました。)
見え隠れするナオミの姿を、熱心な眼で追っ懸けていました。
(「うむ、なかなかよくおどる!・・・・・・・・・あれならみっともないことは)
「ウム、なかなかよく踊る!・・・・・・・・・あれなら見っともない事は
(ない・・・・・・・・・ああいうことをやらせるとやっぱりあのこは)
ない・・・・・・・・・ああ云う事をやらせるとやっぱりあの児は
(きようなものだ。・・・・・・・・・」)
器用なものだ。・・・・・・・・・」
(かわいいだんすのぞうりをはいたしろたびのあしをつまだてて、くるりくるりとみを)
可愛いダンスの草履を穿いた白足袋の足を爪立てて、くるりくるりと身を
(ひるがえすと、はなやかなながいたもとがひらひらとまいます。いっぽをふみだすたびごとに、)
翻すと、華やかな長い袂がひらひらと舞います。一歩を蹈み出す度毎に、
(きもののうわんまえのすそが、ちょうちょのようにはたはたとはねあがります。げいしゃがばちを)
着物の上ん前の裾が、蝶々のようにハタハタと跳ね上ります。芸者が撥を
(もつときのようなてつきでくまがいのかたをつまんでいるまっしろなゆび、おもくどっしり)
持つ時のような手つきで熊谷の肩を摘まんでいる真っ白な指、重くどっしり
(どうたいをしめつけたけんらんなおびじ、ひとくきのはなのように、このぐんしゅうのなかにめだっている)
胴体を締めつけた絢爛な帯地、一茎の鼻のように、この群衆の中に目立っている
(うなじ、よこがお、しょうめん、うしろのえりあし、こうしてみると、なるほどわふくも)
項、横顔、正面、後ろの襟足、こうして見ると、成る程和服も
(すてたものではありません、のみならず、あのぴんくいろのようふくをはじめとっぴな)
捨てたものではありません、のみならず、あのピンク色の洋服を始め突飛な
(いしょうのふじんたちがいるせいか、わたしがひそかにしんぱいしていたかのじょのけばけばしい)
意匠の婦人たちが居るせいか、私が密かに心配していた彼女のケバケバしい
(このみも、けっしてそんなにいやしくはありません。)
好みも、決してそんなに卑しくはありません。
(「ああ、あつ、あつ!どうだった、じょうじさん、あたしのおどるのをみていた?」)
「ああ、暑、暑!どうだった、譲治さん、あたしの踊るのを見ていた?」
(おどりがすむとかのじょはてーぶるへもどってきて、いそいでふるーつ・かくてるの)
踊りが済むと彼女はテーブルへ戻って来て、急いでフルーツ・カクテルの
(こっぷをまえへひきよせました。)
コップを前へ引き寄せました。
(「ああ、みていたよ、あれならどうして、とてもはじめてとはおもえないよ」)
「ああ、見ていたよ、あれならどうして、とても始めてとは思えないよ」
(「そう!じゃこんど、わん・すてっぷのときにじょうじさんとおどってあげるわ、ね、)
「そう!じゃ今度、ワン・ステップの時に譲治さんと踊って上げるわ、ね、
(いいでしょう?・・・・・・・・・わん・すてっぷならやさしいから」)
いいでしょう?・・・・・・・・・ワン・ステップなら易しいから」
(「あのれんちゅうはどうしたんだい、はまだくんとくまがいくんは?」)
「あの連中はどうしたんだい、浜田君と熊谷君は?」
(「え、いまくるわよ、きらことさるをひっぱって。ふるーつ・かくてるをもう)
「え、今来るわよ、綺羅子と猿を引っ張って。フルーツ・カクテルをもう
(ふたついったらいいわ」)
二つ云ったらいいわ」
(「そういえばなにだね、いまぴんくいろはせいようじんとおどっていたようだね」)
「そう云えば何だね、今ピンク色は西洋人と踊っていたようだね」
(「ええ、そうなのよ、それがこっけいじゃあないの、」)
「ええ、そうなのよ、それが滑稽じゃあないの、」
(と、なおみはこっぷのそこをみつめ、ごくごくとのどをならして、かわいたくちを)
と、ナオミはコップの底を視つめ、ゴクゴクと喉を鳴らして、渇いた口を
(うるおしながら、)
湿おしながら、
(「あのせいようじんはともだちでもなんでもないのよ、それがいきなりさるのところへ)
「あの西洋人は友達でも何でもないのよ、それがいきなり猿のところへ
(やってきて、おどってくださいっていったんだって。つまりこっちをばかにして)
やって来て、踊って下さいッて云ったんだって。つまり此方を馬鹿にして
(いるのよ、しょうかいもなしにそんなことをいうなんて、きっといんばいか)
いるのよ、紹介もなしにそんな事を云うなんて、きっと淫売か
(なにかとまちがえたのよ」)
何かと間違えたのよ」
(「じゃ、ことわればよかったじゃないか」)
「じゃ、断ればよかったじゃないか」
(「だからさ、それがこっけいじゃないの。あのさるがまた、あいてがせいようじんだもんだから、)
「だからさ、それが滑稽じゃないの。あの猿が又、相手が西洋人だもんだから、
(ことわりきれないでおどったところが!ほんとうにいいばかだわ、はじっさらしな!」)
断り切れないで踊ったところが!ほんとうにいい馬鹿だわ、耻ッ晒しな!」
(「だけどおまえ、そうつけつけとわるくちをいうもんじゃないよ。そばできいていて)
「だけどお前、そうツケツケと悪口を云うもんじゃないよ。傍で聞いていて
(はらはらするから」)
ハラハラするから」