谷崎潤一郎 痴人の愛 27
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 布ちゃん | 5592 | A | 5.8 | 95.2% | 969.0 | 5703 | 284 | 100 | 2024/11/19 |
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問題文
(「あははは、やっこさん、あんなにいばっていたけれど、せいようじんにかかっちゃあ)
「あははは、奴さん、あんなに威張っていたけれど、西洋人にかかっちゃあ
(いくじがねえね」)
意気地がねえね」
(と、くまがいがげらげらわらいました。)
と、熊谷がゲラゲラ笑いました。
(「せいようじんはずうずうしくってこまりますのよ。さっきもわたくし、ほんとに)
「西洋人はずうずうしくって困りますのよ。さっきもわたくし、ほんとに
(よわってしまいましたわ」)
弱ってしまいましたわ」
(そういったのはきくこでした。)
そう云ったのは菊子でした。
(「ではひとつねがいますかな」)
「では一つ願いますかな」
(わたしはきらこがまっているので、いやでもおうでもそういわなければならないはめに)
私は綺羅子が待っているので、否でも応でもそう云わなければならないハメに
(なりました。いったい、きょうにかぎったことではありませんけれども、げんかくにいうと)
なりました。一体、今日に限ったことではありませんけれども、厳格に云うと
(わたしのめにはなおみよりほかにおんなというものはひとりもありません。それはもちろん、)
私の眼にはナオミより外に女と云うものは一人もありません。それは勿論、
(びひとをみればきれいだとはかんじます。が、きれいであればきれいであるだけ、)
美人を見ればきれいだとは感じます。が、きれいであればきれいであるだけ、
(ただとおくからてにもふれずに、そうっとながめていたいとおもうばかりでした。)
ただ遠くから手にも触れずに、そうッと眺めていたいと思うばかりでした。
(しゅれむすかやふじんのばあいはれいがいでしたが、あれにしたって、わたしがあのとき)
シュレムスカヤ夫人の場合は例外でしたが、あれにしたって、私があの時
(けいけんしたこうこつとしたこころもちは、おそらくふつうのじょうよくではなかったでしょう。)
経験した恍惚とした心持は、恐らく普通の情慾ではなかったでしょう。
(「じょうよく」というにはあまりにしんいんひょうびょうとした、ほそくしがたいゆめみごこちだった)
「情慾」と云うには余りに神韻縹渺とした、補足し難い夢見心地だった
(でしょう。それにあいてはぜんぜんわれわれとかけはなれたがいじんであり、だんすのきょうし)
でしょう。それに相手は全然われわれとかけ離れた外人であり、ダンスの教師
(なのですから、にほんじんで、ていげきのじょゆうで、おまけにめもあやないしょうをまとった)
なのですから、日本人で、帝劇の女優で、おまけに眼もあやな衣裳を纏った
(きらこにくらべればきがらくでした。)
綺羅子に比べれば気が楽でした。
(しかるにきらこは、いがいなことに、おどってみるとじつにかるいものでした。からだぜんたいが)
然るに綺羅子は、意外なことに、踊って見ると実に軽いものでした。体全体が
(ふわりとして、わたのようで、てのやわらかさは、まるでこのはのしんめのようなはだざわり)
ふわりとして、綿のようで、手の柔かさは、まるで木の葉の新芽のような肌触り
(です。そしてひじょうにこちらのこきゅうをよくのみこんで、わたしのようなへたくそをあいてに)
です。そして非常に此方の呼吸をよく呑み込んで、私のような下手糞を相手に
(しながら、かんのいいうまのようにぴたりといきをあわせます。こうなってくると)
しながら、感のいい馬のようにピタリと息を合わせます。こうなって来ると
(かるいということそれじしんにとくもいわれないかいかんがあります。わたしのこころはにわかに)
軽いと云うことそれ自身に得も云われない快感があります。私の心は俄かに
(うきうきといさみだち、わたしのあしはしぜんとかっぱつなすてっぷをふみ、あたかも)
浮き浮きと勇み立ち、私の足は自然と活発なステップを蹈み、あたかも
(めりー・ごー・らうんどへのっているように、どこまでもするすると、なめらかに)
メリー・ゴー・ラウンドへ乗っているように、何処までもするすると、滑かに
(まわっていきます。)
廻って行きます。
(「ゆかいゆかい!これはふしぎだ、おもしろいもんだ!」)
「愉快々々!これは不思議だ、面白いもんだ!」
(わたしはおもわずそんなきになりました。)
私は思わずそんな気になりました。
(「まあ、おじょうずですわ、ちっともおどりにくいことはございませんわ」)
「まあ、お上手ですわ、ちっとも踊りにくいことはございませんわ」
(・・・・・・・・・ぐるぐるぐる!すいしゃのようにまわっているさいちゅう、きらこのあまい)
・・・・・・・・・グルグルグル!水車のように廻っている最中、綺羅子の甘い
(こえがわたしのみみをかすめました。・・・・・・・・・やさしい、かすかな、いかにも)
声が私の耳を掠めました。・・・・・・・・・やさしい、かすかな、いかにも
(きらこらしいあまいこえでした。・・・・・・・・・)
綺羅子らしい甘い声でした。・・・・・・・・・
(「いや、そんなことはないでしょう。あなたがおじょうずだからですよ」)
「いや、そんなことはないでしょう。あなたがお上手だからですよ」
(「いいえ、ほんとに、・・・・・・・・・」)
「いいえ、ほんとに、・・・・・・・・・」
(しばらくたってから、またかのじょはいいました。)
暫く立ってから、又彼女は云いました。
(「こんやのばんどは、たいへんけっこうでございますのね」)
「今夜のバンドは、大へん結構でございますのね」
(「はあ」)
「はあ」
(「おんがくがよくないと、せっかくおどってもなんだかはりあいがございませんわ」)
「音楽がよくないと、折角踊っても何だか張合がございませんわ」
(きがついてみると、きらこのくちびるはちょうどわたしのこめかみのしたにあるのでした。)
気がついて見ると、綺羅子の唇はちょうど私のこめかみの下にあるのでした。
(これがこのおんなのくせだとみえて、さっきはまだとしたように、そのよこびんはわたしのほおへ)
これがこの女の癖だと見えて、さっき浜田としたように、その横鬢は私の頬へ
(ふれていました。やんわりとしたかみのけのなでごごち、・・・・・・・・・そして)
触れていました。やんわりとした髪の毛の撫で心地、・・・・・・・・・そして
(おりおりもれてくるほのかなささやき、・・・・・・・・・ながいあいだかんばのような)
おりおり洩れて来るほのかな囁き、・・・・・・・・・長い間悍馬のような
(なおみのひづめにかけられていたわたしには、それはそうぞうしたこともない「おんならしさ」の)
ナオミの蹄にかけられていた私には、それは想像したこともない「女らしさ」の
(きわみでした。なんだかこう、いばらにさされたきずのあとを、しんせつなてでさすってもらって)
極みでした。何だかこう、茨に刺された傷の跡を、親切な手でさすって貰って
(でもいるような、・・・・・・・・・)
でもいるような、・・・・・・・・・
(「あたし、よっぽどことわってやろうとおもったんだけれど、せいようじんはともだちが)
「あたし、よっぽど断ってやろうと思ったんだけれど、西洋人は友達が
(ないんだから、どうじょうしてやらないじゃかわいそうよ」)
ないんだから、同情してやらないじゃ可哀そうよ」
(やがててーぶるへもどってくると、なおみがいささかしょげたかたちで)
やがてテーブルへ戻って来ると、ナオミがいささかしょげた形で
(べんかいしているのでした。)
弁解しているのでした。
(じゅうろくばんのわるつがおわったのはかれこれじゅういちじはんでしたろうか。まだこのあとに)
十六番のワルツが終ったのはかれこれ十一時半でしたろうか。まだこのあとに
(えきすとらがすうばんある。おそくなったらじどうしゃでかえろうとなおみがいうのを、)
エキストラが数番ある。おそくなったら自動車で帰ろうとナオミが云うのを、
(ようようなだめてさいごのでんしゃにまにあうようにしんばしへあるいていきました。くまがいも)
ようようなだめて最後の電車に間に合うように新橋へ歩いて行きました。熊谷も
(はまだもおんなづれといっしょに、ぎんざどおりをぞろぞろとつながりながらそのへんまでわたしたちを)
浜田も女連と一緒に、銀座通りをぞろぞろと繋がりながらその辺まで私たちを
(おくってきました。みんなのみみにじゃず・ばんどがいまだにひびいているらしく、だれか)
送って来ました。みんなの耳にジャズ・バンドが未だに響いているらしく、誰か
(ひとりがあるめろでぃーをうたいだすと、おとこもおんなもすぐそのふしにわして)
一人が或るメロディーを唄い出すと、男も女も直ぐその節に和して
(いきましたが、うたをしらないわたしには、かれらのきようさと、ものおぼえのよさと、その)
行きましたが、歌を知らない私には、彼等の器用さと、物覚えのよさと、その
(わかわかしいはれやかなこえとが、ただねたましくかんぜられるばかりでした。)
若々しい晴れやかな声とが、ただ妬ましく感ぜられるばかりでした。
(「ら、ら、ららら」)
「ラ、ラ、ラララ」
(と、なおみはひときわたかいちょうしで、ひょうしをとってあるいていきました。)
と、ナオミは一と際高い調子で、拍子を取って歩いていきました。
(「はまさん、あんたなにがいい?あたしきゃらばんがいちばんすきだわ」)
「浜さん、あんた何がいい?あたしキャラバンが一番すきだわ」
(「おお、きゃらばん!」)
「おお、キャラバン!」
(と、きくこがとんきょうなこえでいいました。)
と、菊子が頓狂な声で云いました。
(「すてきね!あれは」)
「素敵ね!あれは」
(「でもわたくし、」)
「でもわたくし、」
(と、こんどはきらこがひきとって、)
と、今度は綺羅子が引き取って、
(「ほいすぱりんぐもわるくはないとぞんじますわ。たいへんあれはおどりよくって、」)
「ホイスパリングも悪くはないと存じますわ。大へんあれは踊りよくって、」
(「ちょうちょさんがいいじゃないか、ぼくはあれがいちばんすきだよ」)
「蝶々さんがいいじゃないか、僕はあれが一番好きだよ」
(そしてはまだは「ちょうちょさん」をさっそくくちぶえでふくのでした。)
そして浜田は「蝶々さん」を早速口笛で吹くのでした。
(かいさつぐちでかれらにわかれて、ふゆのよるかぜがふきとおすぷらっとほーむにたちながら、)
改札口で彼等に別れて、冬の夜風が吹き通すプラットホームに立ちながら、
(でんしゃをまっているあいだ、わたしとなおみとはあんまりくちをききませんでした。かんらくの)
電車を待っている間、私とナオミとはあんまり口を利きませんでした。歓楽の
(あとのものさびしさ、とでもいうようなこころもちがわたしのむねをしはいしていました。もっとも)
あとの物淋しさ、とでも云うような心持が私の胸を支配していました。尤も
(なおみはそんなものをかんじなかったにちがいなく、)
ナオミはそんなものを感じなかったに違いなく、
(「こんやはおもしろかったわね、またちかいうちにいきましょうよ」)
「今夜は面白かったわね、又近いうちに行きましょうよ」
(と、はなしかけたりしましたけれど、わたしはきょうざめたかおつきで「うん」とくちのうちで)
と、話しかけたりしましたけれど、私は興ざめた顔つきで「うん」と口のうちで
(こたえただけでした。)
答えただけでした。
(なんだ?これがだんすというものなのか?おやをあざむき、ふうふげんかをし、さんざ)
何だ?これがダンスと云うものなのか?親を欺き、夫婦喧嘩をし、さんざ
(ないたりわらったりしたあげくのはてに、おれがあじわったぶとうかいというものは、こんな)
泣いたり笑ったりした揚句の果てに、己が味わった舞蹈会と云うものは、こんな
(ばかげたものだったのか?やつらはみんなきょえいしんとおべっかとうぬぼれと、きざの)
馬鹿げたものだったのか?奴等はみんな虚栄心とおべっかと己惚れと、気障の
(しゅうだんじゃないか?)
集団じゃないか?
(が、そんならおれはなにのためにでかけたのだ?なおみをやつらへみせびらかすため?)
が、そんなら己は何の為めに出かけたのだ?ナオミを奴等へ見せびらかすため?
(そうだとすればおれもやっぱりきょえいしんのかたまりなのだ。ところでおれが)
そうだとすれば己もやっぱり虚栄心のかたまりなのだ。ところで己が
(それほどまでにじまんしていたたからものはどうだっただろう!)
それほどまでに自慢していた宝物はどうだっただろう!
(「どうだね、きみ、きみがこのおんなをつれてあるいたら、はたしてきみのちゅうもんどおり、せけんは)
「どうだね、君、君がこの女を連れて歩いたら、果して君の注文通り、世間は
(あっとおどろいたかね?」)
あッと驚いたかね?」
(と、わたしはみずからあざけるようなこころもちで、じぶんのこころにそういわないでは)
と、私は自ら嘲るような心持で、自分の心にそう云わないでは
(いられませんでした。)
いられませんでした。
(「きみ、きみ、めくらへびにおじずとはきみのことだよ。そりゃあなるほど、きみにとっては)
「君、君、盲人蛇に怖じずとは君のことだよ。そりゃあ成る程、君に取っては
(このおんなはせかいいちのたからだろう。だがそのたからをはれのぶたいへだしたところは)
この女は世界一の宝だろう。だがその宝を晴れの舞台へ出したところは
(どんなだったい?きょえいしんとうぬぼれのしゅうだん!きみはうまいことをいったが、そのしゅうだんの)
どんなだったい?虚栄心と己惚れの集団!君は巧いことを云ったが、その集団の
(だいひょうしゃはこのおんなじゃあなかったかね?じぶんひとりでえらがって、むやみにたにんのわるくちを)
代表者はこの女じゃあなかったかね?自分独りで偉がって、無闇に他人の悪口を
(いって、はたでみていていちばんはなっつまみだったのは、いったいきみはだれだったとおもう?)
云って、ハタで見ていて一番鼻ッ摘まみだったのは、一体君は誰だったと思う?
(せいようじんにいんばいとまちがえられて、しかもかんたんなえいごひとつしゃべれないで、)
西洋人に淫売と間違えられて、しかも簡単な英語一つしゃべれないで、
(へどもどしながらあいてになったのは、きくこじょうだけではなかったようだぜ。それに)
ヘドモドしながら相手になったのは、菊子嬢だけではなかったようだぜ。それに
(このおんなの、あのらんぼうなくちのききかたはなんというざまだ。かりにもれでぃーを)
この女の、あの乱暴な口の利き方は何と云うざまだ。仮りにもレディーを
(きどっていながら、あのいいぐさはほとんどきくにたえないじゃないか、きくこじょうや)
気取っていながら、あの云い草は殆ど聞くに堪えないじゃないか、菊子嬢や
(きらこのほうがはるかにたしなみがあるじゃないか」)
綺羅子の方が遥にたしなみがあるじゃないか」
(このふゆかいな、かいこんといおうかしつぼうといおうか、ちょっとなんともけいようの)
この不愉快な、悔恨と云おうか失望と云おうか、ちょっと何とも形容の
(できないいやなきもちは、そのばんいえへかえるまでわたしのむねにこびりついていました。)
出来ない厭な気持は、その晩家へ帰るまで私の胸にこびりついていました。
(でんしゃのなかでも、わたしはわざとはんたいのがわにこしかけて、じぶんのまえにいるなおみと)
電車の中でも、私はわざと反対の側に腰かけて、自分の前に居るナオミと
(いうものを、もいちどつくづくとながめるきになりました。)
云うものを、も一度つくづくと眺める気になりました。