谷崎潤一郎 痴人の愛 28
ほんとに中編か、これ、、、?
思ってたより長すぎてビビっております
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問題文
(ぜんたいおれはこのおんなのどこがよくって、こうまでほれているのだろう?)
全体己はこの女の何処がよくって、こうまで惚れているのだろう?
(あのはなかしら?あのめかしら?と、そういうふうにかぞえたてると、ふしぎな)
あの鼻かしら?あの眼かしら?と、そう云う風に数え立てると、不思議な
(ことに、いつもあんなにわたしにたいしてみりょくのあるかおが、こんやはじつにつまらなく、)
ことに、いつもあんなに私に対して魅力のある顔が、今夜は実につまらなく、
(くだらないものにおもえるのでした。するとわたしのきおくのそこには、じぶんがはじめて)
下らないものに思えるのでした。すると私の記憶の底には、自分が始めて
(このおんなにあったじぶん、あのだいやもんど・かふええのころのなおみのすがたが)
この女に会った時分、あのダイヤモンド・カフエエの頃のナオミの姿が
(ぼんやりうかんでくるのでした。が、いまにくらべるとあのじぶんはずっとよかった。)
ぼんやり浮かんで来るのでした。が、今に比べるとあの時分はずっと好かった。
(むじゃきで、あどけなくて、うちきな、いんうつなところがあって、こんながさつな、)
無邪気で、あどけなくて、内気な、陰鬱なところがあって、こんなガサツな、
(なまいきなおんなとはにてもにつかないものだった。おれはあのころのなおみに)
生意気な女とは似ても似つかないものだった。己はあの頃のナオミに
(ほれたので、それのだぜいがきょうまでつづいてきたのだけれど、かんがえてみれば)
惚れたので、それの惰勢が今日まで続いて来たのだけれど、考えて見れば
(しらないあいだに、このおんなはずいぶんたまらないいやなやつになっているのだ。あの)
知らない間に、この女は随分たまらないイヤな奴になっているのだ。あの
(「りこうなおんなはわたしでござい」といわんばかりに、ちんとすましてこしかけている)
「悧巧な女は私でござい」と云わんばかりに、チンと済まして腰かけている
(かっこうはどうだ、「てんかのびじんはわたしです」というような、「わたしほどはいからな、)
恰好はどうだ、「天下の美人は私です」というような、「私ほどハイカラな、
(せいようじんくさいおんなはいなかろう」といいたげな、あのごうぜんとしたつらつきはどうだ。)
西洋人臭い女は居なかろう」と云いたげな、あの傲然とした面つきはどうだ。
(あれでえいごの「え」のじもしゃべれず、ぱっしヴ・ヴぉいすとあくてぃヴ・)
あれで英語の「え」の字もしゃべれず、パッシヴ・ヴォイスとアクティヴ・
(ヴぉいすのくべつさえもわからないとは、だれもしるまいがおれだけはちゃんと)
ヴォイスの区別さえも分らないとは、誰も知るまいが己だけはちゃんと
(しっているのだ。・・・・・・・・・)
知っているのだ。・・・・・・・・・
(わたしはこっそりあたまのなかで、こんなあくばをあびせてみました。かのじょはすこしそりみに)
私はこっそり頭の中で、こんな悪罵を浴びせて見ました。彼女は少し反り身に
(なって、かおをあおむけにしているので、ちょうどわたしのざせきからは、かのじょがもっとも)
なって、顔を仰向けにしているので、ちょうど私の座席からは、彼女が最も
(せいようじんくささをほこっているところのししっぱなのあなが、くろぐろとのぞけました。そして、)
西洋人臭さを誇っているところの獅子ッ鼻の孔が、黒々と覗けました。そして、
(そのほらあなのさゆうにはぶあついこばなのにくがありました。おもえばわたしは、このはなのあなとは)
その洞穴の左右には分厚い小鼻の肉がありました。思えば私は、この鼻の孔とは
(あさゆうふかいなじみなのです。まいばんまいばん、わたしがこのおんなをいだいてやるとき、つねに)
朝夕深い馴染みなのです。毎晩々々、私がこの女を抱いてやるとき、常に
(こういうかくどからこのほらあなをのぞきこみ、ついこのあいだもしたようにそのはなを)
こう云う角度からこの洞穴を覗き込み、ついこの間もしたようにその洟を
(かんでやり、こばなのまわりをあいぶしてやり、またあるときはじぶんのはなとこのはなとを、)
かんでやり、小鼻の周りを愛撫してやり、又或る時は時分の鼻とこの鼻とを、
(くさびのようにくいちがわせたりするのですから、つまりのこのはなは、この、)
楔のように喰い違わせたりするのですから、つまりのこの鼻は、この、
(おんなのかおのまんなかにふちゃくしているちいさなにくのかたまりは、まるでわたしのからだのいちぶも)
女の顔のまん中に附着している小さな肉の塊は、まるで私の体の一部も
(おなじことで、けっしてたにんのもののようにはおもえません。が、そういうかんじをもって)
同じことで、決して他人の物のようには思えません。が、そう云う感じを以て
(みると、いっそうそれがにくらしくきたならしくなってくるのでした。よく、はらがへったとき)
見ると、一層それが憎らしく汚らしくなって来るのでした。よく、腹が減った時
(なぞにまずいものをむちゅうでむしゃむしゃくうことがある、だんだんはらがふくれて)
なぞにまずい物を夢中でムシャムシャ喰うことがある、だんだん腹が膨れて
(くるにしたがって、きゅうにいままでつめこんだもののまずさかげんにきがつくやいなや、いちどに)
来るに随って、急に今まで詰め込んだ物のまずさ加減に気がつくや否や、一度に
(むねがむかむかしだしてはきそうになる、まあいってみれば、それに)
胸がムカムカし出して吐きそうになる、まあ云って見れば、それに
(にかよったここちでしょうが、こんやもあいかわらずこのはなをあいてに、かおをつきあわせて)
似通った心地でしょうが、今夜も相変らずこの鼻を相手に、顔を突き合わせて
(ねることをそうぞうすると、「もうこのごちそうはたくさんだ」といいたいような、なんだか)
寝ることを想像すると、「もうこの御馳走は沢山だ」と云いたいような、何だか
(もたれてきてげんなりしたようになるのでした。)
モタレて来てゲンナリしたようになるのでした。
(「これもやっぱりおやのばつだ。おやをだましておもしろいめをみようとしたって、)
「これもやっぱり親の罰だ。親を欺して面白い目を見ようとしたって、
(ろくなことはありゃしないんだ」)
ロクな事はありゃしないんだ」
(と、わたしはそんなふうにかんがえました。)
と、私はそんな風に考えました。
(しかしどくしゃよ、これでわたしがすっかりなおみにあきがきたのだと、すいそくされては)
しかし読者よ、これで私がすっかりナオミに飽きが来たのだと、推測されては
(こまるのです。いや、わたしじしんもいままでこんなおぼえはないので、いちじはそうかと)
困るのです。いや、私自身も今までこんな覚えはないので、一時はそうかと
(おもったくらいでしたけれど、さておおもりのいえへかえって、ふたりきりになってみると、)
思ったくらいでしたけれど、さて大森の家へ帰って、二人きりになって見ると、
(でんしゃのなかのあの「まんぷく」のこころはしだいにどこかへすっとんでしまって、ふたたび)
電車の中のあの「満腹」の心は次第に何処かへすッ飛んでしまって、再び
(なおみのあらゆるぶぶんが、めでもはなでもてでもあしでも、こわくにみちてくるように)
ナオミのあらゆる部分が、眼でも鼻でも手でも足でも、蠱惑に充ちて来るように
(なり、そしてそれらのひとつひとつが、わたしにとってあじわいつくせぬむじょうのものに)
なり、そしてそれらの一つ一つが、私にとって味わい尽せぬ無上の物に
(なるのでした。)
なるのでした。
(わたしはそのあと、しじゅうなおみとだんすにいくようになりましたが、そのたびごとにかのじょの)
私はその後、始終ナオミとダンスに行くようになりましたが、その度毎に彼女の
(けってんがはなにつくので、かえりみちにはきっといやなきもちになる。が、いつでもそれが)
欠点が鼻につくので、帰り途にはきっと厭な気持ちになる。が、いつでもそれが
(ながつづきしたことはなく、かのじょにたいするあいじょうのねんはひとばんのうちにいくかいでも、)
長続きしたことはなく、彼女に対する愛情の念は一と晩のうちに幾回でも、
(ねこのめのようにかわりました。)
猫の眼のように変りました。
(かんさんであったおおもりのいえには、はまだや、くまがいや、かれらのともだちや、しゅとして)
十二 閑散であった大森の家には、浜田や、熊谷や、彼等の友達や、主として
(ぶとうかいでちかづきになったおとこたちが、おいおいひんぱんにでいりするように)
舞蹈会で近づきになった男たちが、追い追い頻繁に出入りするように
(なりました。)
なりました。
(やってくるのはたいがいゆうがた、わたしがかいしゃからもどるじぶんで、それからみんなでちくおんきを)
やって来るのは大概夕方、私が会社から戻る時分で、それからみんなで蓄音機を
(かけてだんすをやります。なおみがきゃくずきであるところへ、きがねをするような)
かけてダンスをやります。ナオミが客好きであるところへ、気兼ねをするような
(ほうこうにんやとしよりはいず、おまけにここのあとりえはだんすにもってこい)
奉公人や年寄は居ず、おまけに此処のアトリエはダンスに持って来い
(でしたから、かれらはときのうつるのをわすれてあそんでいきます。はじめのうちはいくらか)
でしたから、彼等は時の移るのを忘れて遊んで行きます。始めのうちはいくらか
(えんりょして、めしどきになればかえるといったものですが、)
遠慮して、飯時になれば帰ると云ったものですが、
(「ちょいと!どうしてかえるのよ!ごはんをたべていらっしゃいよ」)
「ちょいと!どうして帰るのよ!御飯をたべていらっしゃいよ」
(と、なおみがむりにひきとめるので、しまいにはもう、くればかならず「おおもりてい」の)
と、ナオミが無理に引き止めるので、しまいにはもう、来れば必ず「大森亭」の
(ようしょくをとって、ばんめしをちそうするのがれいのようになりました。)
洋食を取って、晩飯を馳走するのが例のようになりました。
(じめじめとしたにゅうばいのきせつの、あるばんのことでした。はまだとくまがいがあそびにきて、)
じめじめとした入梅の季節の、或る晩のことでした。浜田と熊谷が遊びに来て、
(じゅういちじすぎまでしゃべっていましたが、そとはひじょうなふきぶりになり、あめが)
十一時過ぎまでしゃべっていましたが、外は非常な吹き振りになり、雨が
(ざあざあがらすまどへうちつけてくるので、ふたりとも「かえろうかえろう」と)
ざあざあガラス窓へ打ちつけて来るので、二人とも「帰ろう帰ろう」と
(いいながら、しばらくちゅうちょしていると、)
云いながら、暫く躊躇していると、
(「まあ、たいへんなおてんきだ、これじゃあとてもかえれないから、こんやは)
「まあ、大変なお天気だ、これじゃあとても帰れないから、今夜は
(とまっていらっしゃいよ」)
泊っていらっしゃいよ」
(と、なおみがふいとそういいました。)
と、ナオミがふいとそう云いました。
(「ねえ、いいじゃないの、とまったって。まあちゃんはむろん)
「ねえ、いいじゃないの、泊ったって。まアちゃんは無論
(いいんだろう?」)
いいんだろう?」
(「うん、おれあどうでもいいんだけれど、・・・・・・・・・はまだがかえるなら)
「うん、己アどうでもいいんだけれど、・・・・・・・・・浜田が帰るなら
(おれもかえろう」)
己も帰ろう」
(「はまさんだってかまやしないわよ、ねえ、はまさん」)
「浜さんだって構やしないわよ、ねえ、浜さん」
(そういってなおみはわたしのかおいろをうかがって、)
そう云ってナオミは私の顔色を窺って、
(「いいのよ、はまさん、ちっともえんりょすることはないのよ、ふゆだとふとんが)
「いいのよ、浜さん、ちっとも遠慮することはないのよ、冬だと布団が
(たりないけれど、いまならよんにんぐらいどうにかなるわ。それにあしたはにちようだから、)
足りないけれど、今なら四人ぐらいどうにかなるわ。それに明日は日曜だから、
(じょうじさんもうちにいるし、いくらねぼうしてもいいことよ」)
譲治さんも内にいるし、いくら寝坊してもいいことよ」
(「どうです、とまっていきませんか、まったくこのあめじゃたいへんだから」)
「どうです、泊って行きませんか、全くこの雨じゃ大変だから」
(と、わたしもしかたなしにすすめました。)
と、私も仕方なしに勧めました。
(「ね、そうなさいよ、そしてあしたはまたなにかしてあそぼうじゃないの、そう、そう、)
「ね、そうなさいよ、そして明日は又何かして遊ぼうじゃないの、そう、そう、
(ゆうがたからかげつえんへいってもいいわ」)
夕方から花月園へ行ってもいいわ」
(けっきょくふたりはとまることになりましたが、)
結局二人は泊ることになりましたが、
(「ところでかやはどうしようね」)
「ところで蚊帳はどうしようね」
(と、わたしがいうと、)
と、私が云うと、
(「かやはひとつしかないんだから、みんないっしょにねればいいわよ。そのほうが)
「蚊帳は一つしかないんだから、みんな一緒に寝ればいいわよ。その方が
(おもしろいじゃないの」)
面白いじゃないの」
(と、そんなことがひどくなおみにはめずらしいのか、しゅうがくりょこうにでもいったように、)
と、そんな事がひどくナオミには珍しいのか、修学旅行にでも行ったように、
(きゃっきゃっとよろこびながらいうのでした。)
きゃっきゃっと喜びながら云うのでした。
(これはわたしにはいがいでした。かやはふたりにていきょうして、わたしとなおみとは)
これは私には意外でした。蚊帳は二人に提供して、私とナオミとは
(かやりせんこうでもたきながら、あとりえのそおふぁでよるをあかしてもすむことだと)
蚊やり線香でも焚きながら、アトリエのソオファで夜を明かしても済むことだと
(かんがえていたので、よんにんがひとつのへやのなかへごろごろかたまってねようなどとは、)
考えていたので、四人が一つの部屋の中へごろごろかたまって寝ようなどとは、
(おもいもうけてもいませんでした。が、なおみがそのきになっているし、ふたりに)
思い設けてもいませんでした。が、ナオミがその気になっているし、二人に
(たいしていやなかおをするでもないし、・・・・・・・・・と、れいのとおりわたしが)
対してイヤな顔をするでもないし、・・・・・・・・・と、例の通り私が
(ぐずぐずしているうちに、かのじょはさっさときめてしまって、)
ぐずぐずしているうちに、彼女はさっさと極めてしまって、
(「さあ、ふとんをしくからさんにんともてつだってちょうだい」)
「さあ、布団を敷くから三人とも手伝って頂戴」
(と、さきにたってごうれいしながら、やねうらのよじょうはんへあがっていきました。)
と、先に立って号令しながら、屋根裏の四畳半へ上って行きました。
(ふとんのじゅんじょはどういうかぜにするのかとおもうと、なにぶんかやがちいさいので、よにんが)
布団の順序はどう云う風にするのかと思うと、何分蚊帳が小さいので、四人が
(いちれつにまくらをならべるわけにはいかない。それでさんにんがへいこうになり、ひとりがそれと)
一列に枕を並べる訳には行かない。それで三人が並行になり、一人がそれと
(ちょっかくになる。)
直角になる。
(「ね、こうしたらいいじゃないの。おとこのひとがさんにんそこへおならびなさいよ、あたし)
「ね、こうしたらいいじゃないの。男の人が三人そこへお並びなさいよ、あたし
(こっちへひとりでねるわ」)
此方へ独りで寝るわ」
(と、なおみがいいます。)
と、ナオミが云います。