谷崎潤一郎 痴人の愛 46

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね0お気に入り登録
プレイ回数475順位985位  難易度(4.5) 6017打 長文
谷崎潤一郎の中編小説です
私のお気に入りです
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 やまちやまちゃん 4673 C++ 4.8 97.2% 1237.8 5953 168 100 2024/05/06

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問題文

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(くにのほうからはとりあえずこれだけおくるといって、せんごひゃくえんのかわせがきました。)

国の方からは取り敢えずこれだけ送ると云って、千五百円の為替が来ました。

(それからわたしはじょちゅうのせわもたのんでやったのでしたが、「こまづかいにはたいへん)

それから私は女中の世話も頼んでやったのでしたが、「小間使いには大へん

(つごうのいいのがある、うちでつかっていたせんたろうのむすめがおはなといって、ことしじゅうごに)

都合のいいのがある、内で使っていた仙太郎の娘がお花と云って、今年十五に

(なっているから、あれならおまえもきごころがわかってあんしんしておけるだろう。)

なっているから、あれならお前も気心が分って安心して置けるだろう。

(めしたきのほうもこころあたりをさがしているから、ひっこしさきがきまるまでには)

飯焚きの方も心あたりを捜しているから、引っ越し先が極まるまでには

(じょうきょうさせる」と、かわせとどうふうのははのてでそういってきました。)

上京させる」と、為替と同封の母の手でそう云って来ました。

(なおみはわたしがうちうちなにかたくらんでいるのをうすうすかんづいていたのでしょうが、)

ナオミは私が内々何か企んでいるのをうすうす感づいていたのでしょうが、

(「まあなにをするかみていてやれ」といったちょうしで、はじめのうちはすごいほど)

「まあ何をするか見ていてやれ」と云った調子で、初めのうちは凄いほど

(おちついていました。が、ちょうどははからてがみがとどいてにさんにちすぎた)

落ち着いていました。が、ちょうど母から手紙が届いて二三日過ぎた

(あるよるのこと、)

或る夜のこと、

(「ねえ、じょうじさん、あたし、ようふくがほしいんだけれど、こしらえてくれない?」)

「ねえ、譲治さん、あたし、洋服が欲しいんだけれど、拵えてくれない?」

(と、かのじょはとつぜん、あまったれるような、そのくせへんにひやかすような、ねこなでごえで)

と、彼女は突然、甘ったれるような、そのくせ変に冷やかすような、猫撫で声で

(そういいました。)

そう云いました。

(「ようふく?」)

「洋服?」

(わたしはしばらくあっけにとられて、かのじょのかおをあなのあくほどみつめながら、「ははあ、)

私は暫くあっけに取られて、彼女の顔を穴の開くほど視詰めながら、「ははあ、

(こいつ、かわせのきたのがわかったんだな、それでさぐりをいれているんだな」と)

此奴、為替の来たのが分ったんだな、それで捜りを入れているんだな」と

(きがつきました)

気がつきました

(「ねえ、いいじゃないの、ようふくでなけりゃわふくでもいいわ。ふゆのよそいきを)

「ねえ、いいじゃないの、洋服でなけりゃ和服でもいいわ。冬の余所行きを

(こしらえてちょうだい」)

拵えて頂戴」

(「ぼくはとうぶんそんなものはかってやらんよ」)

「僕は当分そんな物は買ってやらんよ」

など

(「どうしてなの?」)

「どうしてなの?」

(「きものはくさるほどあるじゃないか」)

「着物は腐るほどあるじゃないか」

(「くさるほどあったって、あきちゃったからまたほしいんだわ」)

「腐るほどあったって、飽きちゃったから又欲しいんだわ」

(「そんなぜいたくはもうぜったいにゆるさないんだ」)

「そんな贅沢はもう絶対に許さないんだ」

(「へえ、じゃ、あのおかねはなににつかうの?」)

「へえ、じゃ、あのお金は何に使うの?」

(とうとうきたな!わたしはそうおもってそらとぼけながら、)

とうとう来たな!私はそう思って空惚けながら、

(「おかね?どこにそんなものがあるんだ?」)

「お金?何処にそんなものがあるんだ?」

(「じょうじさん、あたし、あのほんばこのしたにあったかきとめのてがみみたのよ。)

「譲治さん、あたし、あの本箱の下にあった書留の手紙見たのよ。

(じょうじさんだってひとのてがみがってにみるから、そのくらいなことをあたしがしたって)

譲治さんだって人の手紙勝手に見るから、そのくらいな事をあたしがしたって

(いいだろうとおもって、」)

いいだろうと思って、」

(これはわたしにはいがいでした。なおみがかねのことをいうのは、かきとめがきたから)

これは私には意外でした。ナオミが金のことを云うのは、書留が来たから

(かわせがはいっていたのだろうとけんとうをつけているだけなので、まさかわたしが)

為替が這入っていたのだろうと見当をつけているだけなので、まさか私が

(あのほんばこのしたにかくしたてがみのなかみをみていようとは、まったくよきして)

あの本箱の下に隠した手紙の中味を見ていようとは、全く予期して

(いなかったのです。が、なおみはどうかしてわたしのひみつをかぎだそうと、)

いなかったのです。が、ナオミはどうかして私の秘密を嗅ぎ出そうと、

(てがみのありかをさがしまわったにちがいなく、あれをよまれてしまったとすると、)

手紙のありかを捜し廻ったに違いなく、あれを読まれてしまったとすると、

(かわせのきんがくはもちろんのこと、いてんのこともじょちゅうのこともすべてをしられて)

為替の金額は勿論のこと、移転のことも女中のことも総べてを知られて

(しまったのです。)

しまったのです。

(「あんなにおかねがたくさんあるのに、あたしにきもののいちまいぐらいこしらえてくれても)

「あんなにお金が沢山あるのに、あたしに着物の一枚ぐらい拵えてくれても

(いいとおもうわ。ねえ、あなたはいつかなんといって?おまえのためめなら)

いいと思うわ。ねえ、あなたはいつか何と云って?お前の為めなら

(どんなせまくるしいいえにすんでも、どんなふじゆうでもがまんをする。そうして)

どんな狭苦しい家に住んでも、どんな不自由でも我慢をする。そうして

(そのおかねでおまえにできるだけぜいたくをさせるって、そういったのを)

そのお金でお前に出来るだけ贅沢をさせるって、そう云ったのを

(わすれちまったの?まるであなたはあのじぶんとはちがっているのね」)

忘れちまったの?まるであなたはあの時分とは違っているのね」

(「ぼくがおまえをあいするこころにかわりはないんだ、ただあいしかたがかわっただけなんだ」)

「僕がお前を愛する心に変りはないんだ、ただ愛し方が変っただけなんだ」

(「じゃ、ひっこしのことはなぜあたしにかくしていたの?ひとにはなにもそうだんしないで、)

「じゃ、引越しのことはなぜあたしに隠していたの?人には何も相談しないで、

(めいれいてきにやるつもりなの?」)

命令的にやる積りなの?」

(「そりゃ、てきとうないえがみつかったうえで、むろんおまえにもそうだんするつもりで)

「そりゃ、適当な家が見付かった上で、無論お前にも相談する積りで

(いたんだ。・・・・・・・・・」)

いたんだ。・・・・・・・・・」

(そういいかけて、わたしはちょうしをやわらげて、なだめるようにとききかせました。)

そう云いかけて、私は調子を和らげて、なだめるように説き聞かせました。

(「ねえ、なおみ、ぼくはほんとうのきもちをいうと、いまでもやっぱりおまえにぜいたくを)

「ねえ、ナオミ、僕はほんとうの気持を云うと、今でもやっぱりお前に贅沢を

(させたいんだよ。きものばかりのぜいたくでなく、いえもそうとうのいえにすまって、)

させたいんだよ。着物ばかりの贅沢でなく、家も相当の家に住まって、

(おまえのせいかつぜんたいを、もっとりっぱなおくさんらしくこうじょうさせてやりたいんだよ。)

お前の生活全体を、もっと立派な奥さんらしく向上させてやりたいんだよ。

(だからなんにもふへいをいうところはないじゃないか」)

だからなんにも不平を云うところはないじゃないか」

(「そうお、そりゃどうもありがと、・・・・・・・・・」)

「そうお、そりゃどうも有りがと、・・・・・・・・・」

(「なんならあした、ぼくといっしょにしゃくやをさがしにいったらどうだね。ここよりもっと)

「何なら明日、僕と一緒に借家を捜しに行ったらどうだね。此処よりもっと

(まかずがあって、おまえのきにいったいえでさえありゃどこでもいいんだ」)

間数があって、お前の気に入った家でさえありゃ何処でもいいんだ」

(「それならあたし、せいようかんにしてちょうだい、にほんのいえはまっぴらごめんよ。」)

「それならあたし、西洋館にして頂戴、日本の家は真っ平御免よ。」

(わたしがへんじにこまっているあいだに、「それみたことか」というかおつきで、なおみは)

私が返辞に困っている間に、「それ見たことか」と云う顔つきで、ナオミは

(かんではきだすようにいうのでした。)

噛んで吐き出すように云うのでした。

(「じょちゅうもあたし、あさくさのいえへたのみますから、そんないなかのやまだしなんか)

「女中もあたし、浅草の家へ頼みますから、そんな田舎の山出しなんか

(ことわってちょうだい、あたしがつかうじょちゅうなんだから」)

断って頂戴、あたしが使う女中なんだから」

(こういういさかいがたびかさなるにしたがって、ふたりのあいだのていきあつはだんだん)

こう云ういさかいが度重なるに従って、二人の間の低気圧はだんだん

(こくなっていきました。そしていちにちくちをきかないようなこともしばしばでしたが、)

濃くなって行きました。そして一日口をきかないようなことも屡々でしたが、

(それがさいごにばくはつしたのは、ちょうどかまくらをひきはらってからにかげつのあと、)

それが最後に爆発したのは、ちょうど鎌倉を引き払ってから二箇月の後、

(じゅういちがつのしょじゅんのことで、なおみがいまだにくまがいとかんけいをことわっていないという)

十一月の初旬のことで、ナオミが未だに熊谷と関係を断っていないと云う

(うごかぬしょうこを、わたしがはっけんしたときでした。)

動かぬ証拠を、私が発見した時でした。

(これをはっけんするまでのいきさつについては、べつだんここにそうくわしくかくひつようが)

これを発見するまでのいきさつに就いては、別段ここにそう委しく書く必要が

(ありません。わたしはとうから、ひっこしのじゅんびにあたまをつかっているいっぽう、ちょっかくてきに)

ありません。私は疾うから、引っ越しの準備に頭を使っている一方、直覚的に

(なおみをあやしいとにらんでいたので、れいのたんていてきこうどうをすこしもゆるめずにいたけっか、)

ナオミを怪しいと睨んでいたので、例の探偵的行動を少しも緩めずにいた結果、

(あるひかのじょとくまがいとが、だいたんにもついおおもりのいえのきんじょのあけぼのろうでみっかいしたかえりを、)

或る日彼女と熊谷とが、大胆にもつい大森の家の近所の曙楼で密会した帰りを、

(とうとうおさえてしまったのです。)

とうとう抑えてしまったのです。

(そのひのあさ、わたしはなおみのけしょうのしかたがいつもよりはでであるのにうたがいをいだき、)

その日の朝、私はナオミの化粧の仕方がいつもより派手であるのに疑いを抱き、

(いえをでるなりすぐひっかえしてうらぐちにあるものおきごやのすみだわらのかげに)

家を出るなり直ぐ引っ返して裏口にある物置小屋の炭俵の蔭に

(かくれていたのです。(そういうわけでそのころのわたしは、かいしゃをやすんでばかり)

隠れていたのです。(そう云う訳でその頃の私は、会社を休んでばかり

(いました)するとはたして、くじごろになったじぶん、きょうはけいこにいくひでも)

いました)すると果して、九時頃になった時分、今日は稽古に行く日でも

(ないのにかのじょはひどくめかしこんででてきましたが、ていしゃじょうのほうへは)

ないのに彼女はひどくめかし込んで出て来ましたが、停車場の方へは

(いかないで、はんたいのほうへ、あしをはやめてさっさとあるいていくのでした。わたしはかのじょを)

行かないで、反対の方へ、足を早めてさッさと歩いて行くのでした。私は彼女を

(ごろくけんやりすごしてからおおいそぎでいえへとびこみ、がくせいじだいにつかっていたまんとと)

五六間やり過してから大急ぎで家へ飛び込み、学生時代に使っていたマントと

(ぼうしをひきずりだしてようふくのうえへそれをかぶり、すあしにげたばきでおもてへ)

帽子を引き摺り出して洋服の上へそれを被り、素足に下駄穿きで表へ

(かけだすと、なおみのあとをとおくのほうからおっていきました。そしてかのじょがあけぼのろうへ)

駆け出すと、ナオミの跡を遠くの方から追って行きました。そして彼女が曙楼へ

(はいっていき、それからじゅっぷんぐらいおくれてくまがいがそこへやってきたのを)

這入って行き、それから十分ぐらい送れて熊谷がそこへやって来たのを

(たしかにみとどけておいてから、やがてかれらのでてくるのをまちかまえていたのです。)

確かに見届けて置いてから、やがて彼等の出て来るのを待ち構えていたのです。

(かえりもやはりべつべつで、こんどはくまがいがいのこったらしく、ひとあしさきになおみのすがたが)

帰りもやはり別々で、今度は熊谷が居残ったらしく、一と足先にナオミの姿が

(おうらいへあらわれたのは、かれこれじゅういちじごろでした。わたしはほとんどいちじかんはんも)

往来へ現れたのは、かれこれ十一時頃でした。私は殆ど一時間半も

(あけぼのろうのきんじょをうろうろしていたわけです。かのじょはきたときとおなじように、)

曙楼の近所をうろうろしていた訳です。彼女は来た時と同じように、

(それからじゅっちょうあまりあるじぶんのいえまで、わきめもふらずにあるいていきました。)

それから十丁余りある自分の家まで、傍目もふらずに歩いて行きました。

(そしてわたしもしだいにほちょうをはやめていったので、かのじょがうらぐちのどーあをあけて)

そして私も次第に歩調を早めて行ったので、彼女が裏口のドーアを開けて

(なかへはいる、すぐそのあとから、ごふんとはたたずにわたしがはいっていったのです。)

中へ這入る、すぐその跡から、五分とは立たずに私が這入って行ったのです。

(はいったせつなにわたしのみたものは、ひとみのすわった、いっしゅせいさんなかんじのこもった)

這入った刹那に私の見たものは、瞳の据わった、一種凄惨な感じの籠った

(なおみのめでした。かのじょはそこに、ぼうのようにつったったまま、わたしのほうを)

ナオミの眼でした。彼女はそこに、棒のように突っ立ったまま、私の方を

(するどくにらんでいるのでしたが、そのあしもとにはわたしがさっきぬぎかえていった)

鋭く睨んでいるのでしたが、その足もとには私がさっき脱ぎ換えて行った

(ぼうしや、がいとうや、くつや、くつしたがあのときのままちらばっていました。かのじょはそれで)

帽子や、外套や、靴や、靴下があの時のまま散らばっていました。彼女はそれで

(いっさいをさとってしまったのでしょう、うららかにはれたあきのあさの、あとりえのあかりを)

一切を悟ってしまったのでしょう、麗かに晴れた秋の朝の、アトリエの明りを

(はんしゃしているかのじょのかおはおだやかにあおざめ、すべてをあきらめてしまったような)

反射している彼女の顔は穏やかに青ざめ、総べてをあきらめてしまったような

(ふかいしずけさがそこにありました。)

深い静けさがそこにありました。

(「でていけ!」)

「出て行け!」

(たったひとこと、じぶんのみみががんとするほどどなったきり、わたしもにのくがつげなければ)

たった一言、自分の耳ががんとする程怒鳴ったきり、私も二の句が継げなければ

(なおみもなんともへんじをしません。ふたりはあたかもはくじんをぬいてたちむかったものが)

ナオミも何とも返辞をしません。二人はあたかも白刃を抜いて立ち向かった者が

(ぴたりとせいがんにかまえたように、あいてのすきをねらっていました。そのしゅんかん、わたしは)

ピタリと青眼に構えたように、相手の隙を狙っていました。その瞬間、私は

(じつになおみのかおをうつくしいとかんじました。おんなのかおはおとこのにくしみが)

実にナオミの顔を美しいと感じました。女の顔は男の憎しみが

(かかればかかるほどうつくしくなるのをしりました。)

かかればかかる程美しくなるのを知りました。

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