谷崎潤一郎 痴人の愛 55

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね0お気に入り登録
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谷崎潤一郎の中編小説です
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問題文

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(「なおみにいわせると、もとははたもとのさむらいで、じぶんがうまれたときはしもにばんちょうの)

「ナオミに云わせると、もとは旗本の侍で、自分が生れた時は下二番町の

(りっぱなやしきにすんでいた。「なおみ」というなはおばあさんがつけてくれたんで、)

立派な邸に住んでいた。『奈緒美』と云う名はお祖母さんが附けてくれたんで、

(そのおばあさんはろくめいかんじだいにだんすをやったはいからなひとだったと)

そのお祖母さんは鹿鳴館時代にダンスをやったハイカラな人だったと

(いうんですが、どこまでほんとうだかわかりゃしません。なにしろかていが)

云うんですが、何処まで本当だか分りゃしません。何しろ家庭が

(わるかったんです、ぼくもいまになって、しみじみそれをおもいますよ」)

悪かったんです、僕も今になって、しみじみそれを思いますよ」

(「そうきくと、なおさらおそろしくなりますなあ、なおみさんにはうまれつきいんとうのちが)

「そう聞くと、尚更恐ろしくなりますなあ、ナオミさんには生れつき淫蕩の血が

(ながれていたんで、ああなるうんめいをもっていたんですね、せっかくあなたにひろいあげて)

流れていたんで、ああなる運命を持っていたんですね、折角あなたに拾い上げて

(もらいながら、」)

貰いながら、」

(ふたりはそこでさんじかんばかりしゃべりつづけて、こがいへでたのはよるのしちじすぎ)

二人はそこで三時間ばかりしゃべりつづけて、戸外へ出たのは夜の七時過ぎ

(でしたが、いつまでたってもはなしはつきませんでした。)

でしたが、いつまで立っても話は尽きませんでした。

(「はまだくん、きみはしょうせんでかえりますか?」)

「浜田君、君は省線で帰りますか?」

(と、かわさきのまちをあるきながら、わたしはいいました。)

と、川崎の町を歩きながら、私は云いました。

(「さあ、これからあるくのはたいへんですから、」)

「さあ、これから歩くのは大変ですから、」

(「それはそうだが、ぼくはけいひんでんしゃにしますよ、あいつがよこはまにいるんだとすると、)

「それはそうだが、僕は京浜電車にしますよ、彼奴が横浜にいるんだとすると、

(しょうせんのほうはきけんのようなきがするから」)

省線の方は危険のような気がするから」

(「それじゃぼくもけいひんにしましょう。だけどもいずれ、なおみさんは)

「それじゃ僕も京浜にしましょう。だけどもいずれ、ナオミさんは

(ああいうふうにしほうはっぽうとびまわっているんだから、きっとどこかで)

ああ云う風に四方八方飛び廻っているんだから、きっと何処かで

(ぶつかりますよ」)

打つかりますよ」

(「そうなってくると、うっかりこがいもあるけませんね」)

「そうなって来ると、うッかり戸外も歩けませんね」

(「さかんにだんすじょうへでいりしているにちがいないから、ぎんざあたりはもっとも)

「盛んにダンス場へ出入りしているに違いないから、銀座あたりは最も

など

(きけんくいきですね」)

危険区域ですね」

(「おおもりだってきけんくいきでないこともない、よこはまがあるし、かげつえんがあるし、)

「大森だって危険区域でないこともない、横浜があるし、花月園があるし、

(れいのあけぼのろうがあるし、・・・・・・・・・ことによったら、ぼくはあのいえを)

例の曙楼があるし、・・・・・・・・・事に依ったら、僕はあの家を

(たたんでしまってげしゅくせいかつをするかもしれません。とうぶんのあいだ、このほとぼりが)

畳んでしまって下宿生活をするかも知れません。当分の間、このホトボリが

(さめるまではあいつのかおをみたくないから」)

覚めるまでは彼奴の顔を見たくないから」

(わたしははまだにけいひんでんしゃをつきあってもらって、おおもりでかれとわかれました。)

私は浜田に京浜電車を附き合って貰って、大森で彼と別れました。

(わたしがこういうこどくとともにしつれんにくるしめられているさいに、またもうひとつ)

二十四 私がこう云う孤独と共に失恋に苦しめられている際に、又もう一つ

(かなしいじけんがおこりました。というのはほかでもなく、きょうりのははがのういっけつで)

悲しい事件が起りました。と云うのは外でもなく、郷里の母が脳溢血で

(とつぜんいってしまったことです。きとくだというでんぽうがきたのは、はまだにあった)

突然逝ってしまったことです。危篤だと云う電報が来たのは、浜田に会った

(よくよくじつのあさのことで、わたしはそれをかいしゃでうけとると、すぐそのあしでうえのへ)

翌々日の朝のことで、私はそれを会社で受け取ると、すぐその足で上野へ

(かけつけ、ひのくれがたにいなかのいえへつきましたが、もうそのときには、ははは)

駈けつけ、日の暮れ方に田舎の家へ着きましたが、もうその時には、母は

(いしきをうしなっていて、わたしをみてもわからないらしく、それからにさんじかんののちに)

意識を失っていて、私を見ても分らないらしく、それから二三時間の後に

(いきをひきとってしまいました。)

息を引き取ってしまいました。

(おさないおりにちちをうしない、ははのてひとつでそだったわたしは、「おやをうしなうかなしみ」というものを)

幼い折に父を失い、母の手一つで育った私は、「親を失う悲しみ」と云うものを

(はじめてけいけんしたわけです。いわんやははとわたしのなかはせけんふつうのおやこいじょうで)

始めて経験した訳です。況んや母と私の仲は世間普通の親子以上で

(あったのですから、わたしはかこをかいそうしても、じぶんがははにはんこうしたことや、)

あったのですから、私は過去を回想しても、自分が母に反抗したことや、

(ははがわたしをしかったことや、そういうきおくをなにひとつとしてもっていません。)

母が私を叱ったことや、そう云う記憶を何一つとして持っていません。

(それはわたしがかのじょをそんけいしていたせいもあるでしょうが、むしろそれより、ははが)

それは私が彼女を尊敬していたせいもあるでしょうが、寧ろそれより、母が

(ひじょうにおもいやりがあり、じあいにとんでいたからです。よくせけんでは、むすこが)

非常に思いやりがあり、慈愛に富んでいたからです。よく世間では、息子が

(だんだんおおきくなり、きょうりをすててとかいへでるようになってしまうと、おやは)

だんだん大きくなり、郷里を捨てて都会へ出るようになってしまうと、親は

(なにかとしんぱいしたり、そのこのそこうをうたがったり、あるいはそれがげんいんでそえんになったり)

何かと心配したり、その子の素行を疑ったり、或はそれが原因で疎遠になったり

(するものですが、わたしのははは、わたしがとうきょうへいってからあとも、わたしをしんじ、わたしのこころもちを)

するものですが、私の母は、私が東京へ行ってから後も、私を信じ、私の心持を

(りかいし、わたしのためをおもってくれました。わたしのしたにふたりのいもうとがあるだけで、)

理解し、私の為めを思ってくれました。私の下に二人の妹があるだけで、

(そうりょうむすこをてばなすことは、おんなおやとしてはさびしくもありこころぼそくも)

総領息子を手放すことは、女親としては淋しくもあり心細くも

(あったでしょうに、はははいちどもぐちをこぼしたことはなく、つねにわたしのりっしんしゅっせを)

あったでしょうに、母は一度も愚痴をこぼしたことはなく、常に私の立身出世を

(いのっていました。それゆえわたしは、かのじょのしっかにいたときよりもとおくはなれてしまった)

祈っていました。それ故私は、彼女の膝下にいた時よりも遠く離れてしまった

(ときに、いっそうつよく、かのじょのじあいのいかにふかいかをかんじたものです。ことになおみとの)

時に、一層強く、彼女の慈愛のいかに深いかを感じたものです。事にナオミとの

(けっこんぜんご、それにひきつづいていろいろのわがままを、ははがこころよくきいてくれる)

結婚前後、それに引き続いていろいろの我が儘を、母が快く聴いてくれる

(たびごとに、そのおんじょうをなみだぐましくおもわないことはなかったのです。)

度毎に、その温情を涙ぐましく思わないことはなかったのです。

(そのははおやにこうもきゅうげきに、おもいがけなくしなれたわたしは、なきがらのそばにはべりながら)

その母親にこうも急激に、思いがけなく死なれた私は、亡骸の傍に侍りながら

(ゆめにゆめみるここちでした。ついきのうまではなおみのいろかにみもたましいもくるっていた)

夢に夢見る心地でした。つい昨日まではナオミの色香に身も魂も狂っていた

(わたし、そしていまではほとけのまえにひざまずいてせんこうをたむけているわたし、このふたつの「わたし」の)

私、そして今では仏の前に跪いて線香を手向けている私、この二つの「私」の

(せかいは、どうかんがえてもれんらくがないようなきがしました。きのうのわたしが)

世界は、どう考えても連絡がないような気がしました。昨日の私が

(ほんとうのわたしか、きょうのわたしがほんとうのわたしか?なげき、かなしみ、おどろきの)

ほんとうの私か、今日の私がほんとうの私か?嘆き、悲しみ、愕きの

(なみだにくれつつも、じぶんでじぶんをかえりみると、どこからともなくそういうこえが)

涙に暮れつつも、自分で自分を省ると、何処からともなくそう云う声が

(きこえます。「おまえのははがいましんだのは、ぐうぜんではないのだ。はははおまえを)

聞えます。「お前の母が今死んだのは、偶然ではないのだ。母はお前を

(いましめるのだ、きょうくんをたれてくだすったのだ」と、またいっぽうからそんなささやきも)

戒めるのだ、教訓を垂れて下すったのだ」と、又一方からそんな囁きも

(きこえてきます。するとわたしは、いまさらのようにありしひのははのおもかげをしのび、)

聞えて来ます。すると私は、今更のように在りし日の母の俤を偲び、

(すまないことをしたのをかんじて、ふたたびかいこんのなみだがせきあえず、あまりなくので)

済まない事をしたのを感じて、再び悔恨の涙が堰きあえず、あまり泣くので

(きまりがわるいので、そっとうしろのうらやまへのぼって、しょうねんじだいのおもいでにみちた)

極まりが悪いので、そっとうしろの裏山へ登って、少年時代の思い出に充ちた

(もりや、のじや、はたけのけしきをみおろしながら、そこでさめざめとなきつづけたり)

森や、野路や、畑の景色を瞰おろしながら、そこでさめざめと泣きつづけたり

(するのでした。)

するのでした。

(このおおいなるかなしみが、なにかわたしをれいろうたるものにじょうかしてくれ、こころとからだに)

この大いなる悲しみが、何か私を玲瓏たるものに浄化してくれ、心と体に

(たいせきしていたふけつなぶんしを、あらいきよめてくれたことはいうまでもありません。)

堆積していた不潔な分子を、洗い清めてくれたことは云うまでもありません。

(このかなしみがなかったなら、わたしはあるいは、まだいまごろはあのけがらわしいいんぷのことが)

この悲しみがなかったなら、私は或は、まだ今頃はあの汚らわしい淫婦のことが

(わすれられず、しつれんのいたでになやんでいたでしょう。それをおもうとははがしんだのは)

忘れられず、失恋の痛手に悩んでいたでしょう。それを思うと母が死んだのは

(やはりむいぎではないのでした。いや、すくなくとも、わたしはそのしをむいぎにしては)

矢張無意義ではないのでした。いや、少くとも、私はその死を無意義にしては

(ならないのでした。で、そのときのわたしのこうでは、じぶんはもはやとかいのくうきが)

ならないのでした。で、その時の私の考では、自分は最早や都会の空気が

(いやになった、りっしんしゅっせというけれども、とうきょうにでてただいたずらにけいちょうふかなせいかつを)

厭になった、立身出世と云うけれども、東京に出て唯徒に軽佻浮華な生活を

(するのがりっしんでもなし、しゅっせでもない。じぶんのようないなかものにはけっきょくいなかが)

するのが立身でもなし、出世でもない。自分のような田舎者には結局田舎が

(てきしているのだ。じぶんはこのままくににひっこんで、こきょうのつちにしたしもう。)

適しているのだ。自分はこのまま国に引っ込んで、故郷の土に親しもう。

(そしてははおやのはかもりをしながら、むらのひとびとをあいてにして、せんぞだいだいの)

そして母親の墓守をしながら、村の人々を相手にして、先祖代々の

(ひゃくしょうになろう。と、そんなきもちにさえなったのですが、おじや、いもうとや、)

百姓になろう。と、そんな気持にさえなったのですが、叔父や、妹や、

(しんるいのひとびとのいけんでは、「それもあんまりきゅうなはなしだ、いまおまえさんがちからをおとすのも)

親類の人々の意見では、「それもあんまり急な話だ、今お前さんが力を落すのも

(むりはないが、さればといっておとこいっぴきが、ははのしのためにだいじなみらいを)

無理はないが、さればと云って男一匹が、母の死のために大事な未来を

(むざむざうめてしまうでもなかろう。だれでもおやにしにわかれるといちじは)

むざむざ埋めてしまうでもなかろう。誰でも親に死に別れると一時は

(しつぼうするものだけれど、つきひがたてばそのかなしみもうすらいでくる。だから)

失望するものだけれど、月日が立てばその悲しみも薄らいで来る。だから

(おまえさんも、そうするならばそうするで、もっとゆっくりかんがえてからにしたら)

お前さんも、そうするならばそうするで、もっとゆっくり考えてからにしたら

(よかろう。それにだいいち、とつぜんやめてしまったんではかいしゃのほうへも)

よかろう。それに第一、突然罷めてしまったんでは会社の方へも

(わるいだろうから」というのでした。わたしは「じつはそれだけではない、まだみんなに)

悪いだろうから」と云うのでした。私は「実はそれだけではない、まだみんなに

(いわなかったが、にょうぼうのやつににげられてしまって、・・・・・・・・・」と、)

云わなかったが、女房の奴に逃げられてしまって、・・・・・・・・・」と、

(ついくちもとまででましたけれど、おおぜいのまえではずかしくもあり、ごたごたしている)

つい口もとまで出ましたけれど、大勢の前で耻かしくもあり、ごたごたしている

(さいちゅうなので、それはいわずにしまいました。(なおみがいなかへ)

最中なので、それは云わずにしまいました。(ナオミが田舎へ

(かおをみせないことについては、びょうきだといってとりつくろっておいたのです)そして)

顔を見せないことに就いては、病気だと云って取り繕って置いたのです)そして

(はつなのかのほうようがすむと、あとあとのことは、わたしのだいりにんとしてざいさんをかんりしていて)

初七日の法要が済むと、後々の事は、私の代理人として財産を管理していて

(くれたおじふうふにたのみ、とにかくみんなのいうことをきいてひとまずとうきょうへ)

くれた叔父夫婦に頼み、とにかくみんなの云う言を聴いて一と先ず東京へ

(でてきました。)

出て来ました。

(が、かいしゃへいってもいっこうおもしろくありません。それにしゃないでのわたしのきうけも、)

が、会社へ行っても一向面白くありません。それに社内での私の気受けも、

(まえほどよくありません。せいれいかっきん、ひんこうほうせいで「くんし」のあだなをとったわたしも、)

前ほど良くありません。精励恪勤、品行方正で「君子」の仇名を取った私も、

(なおみのことですっかりみそをつけてしまって、じゅうやくにもどうりょうにもしんようがなく、)

ナオミのことですっかり味噌を附けてしまって、重役にも同僚にも信用がなく、

(はなはだしきはこんどのははのしきょについても、それをこうじつにやすむのだろうと、)

甚だしきは今度の母の死去に就いても、それを口実に休むのだろうと、

(ひやかすものさえあるのでした。そんなこんなでわたしはいよいよいやけがさして、)

冷やかす者さえあるのでした。そんなこんなで私は愈々イヤ気がさして、

(にじゅうななにちのひにひとばんどまりできせいしたおり、「そのうちかいしゃをやめるかもしれない」)

二七日の日に一と晩泊りで帰省した折、「そのうち会社を罷めるかも知れない」

(と、おじにもらしたくらいでした。おじは「まあまあ」といって、ふかくも)

と、叔父に洩らしたくらいでした。叔父は「まあまあ」と云って、深くも

(とりあげてくれないので、またあくるひからしぶしぶかいしゃへでましたけれど、)

取り上げてくれないので、又明くる日から渋々会社へ出ましたけれど、

(かいしゃにいるあいだはまだいいとして、ゆうがたからよるのじかんが、どうにもわたしには)

会社にいる間はまだいいとして、夕方から夜の時間が、どうにも私には

(すごしようがありません。それというのが、いなかへひっこむか、だんぜんとうきょうに)

過しようがありません。それと云うのが、田舎へ引っ込むか、断然東京に

(ふみとどまるか、そのけっしんがつきませんから、わたしはいまだにげしゅくずまいをするのでも)

蹈み止まるか、その決心がつきませんから、私は未だに下宿住まいをするのでも

(なく、がらんとしたおおもりのいえにひとりでねとまりをしていたのです。)

なく、ガランとした大森の家に独りで寝泊まりをしていたのです。

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