谷崎潤一郎 痴人の愛 57

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね0お気に入り登録
プレイ回数422難易度(4.5) 6545打 長文
谷崎潤一郎の中編小説です
私のお気に入りです
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 なおきち 6857 S++ 7.0 97.7% 932.1 6543 151 99 2024/06/26
2 りっつ 5148 B+ 5.3 96.9% 1216.6 6468 204 99 2024/06/09
3 やまちやまちゃん 4831 B 5.0 96.3% 1291.4 6482 243 99 2024/05/28
4 yosi 3553 D+ 3.7 96.1% 1767.9 6543 260 99 2024/06/29

関連タイピング

問題文

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(こういうとふしぎなようですけれども、じじつそれほどなおみのすがたはいつもと)

こう云うと不思議なようですけれども、事実それほどナオミの姿はいつもと

(かわっていたのです。いや、すがただけならいくらかわってもみちがえるはずは)

変っていたのです。いや、姿だけならいくら変っても見違える筈は

(ありませんが、なによりもまずわたしのひとみをあざむいたものはそのかおでした。どういう)

ありませんが、何よりも先ず私の瞳を欺いたものはその顔でした。どう云う

(まほうをほどこしたものか、かおがすっかり、ひふのいろから、めのひょうじょうから、りんかくまでが)

魔法を施したものか、顔がすっかり、皮膚の色から、眼の表情から、輪郭までが

(かわっているので、わたしはそのこえをきかなかったら、ぼうしをぬいだいまになっても、)

変っているので、私はその声を聞かなかったら、帽子を脱いだ今になっても、

(まだこのおんなはどこかのしらないせいようじんだとおもっていたかもわかりません。つぎには)

まだこの女は何処かの知らない西洋人だと思っていたかも分りません。次には

(まえにもいうとおり、そのはだのいろのおそろしいしろさです。ようふくのそとへはみだしている)

前にも云う通り、その肌の色の恐ろしい白さです。洋服の外へはみ出している

(ゆたかなにくたいのあらゆるぶぶんが、りんごのみのようにしろいことです。なおみも)

豊かな肉体のあらゆる部分が、林檎の実のように白いことです。ナオミも

(にほんのおんなとしてはくろいほうではありませんでしたが、しかしこんなに)

日本の女としては黒い方ではありませんでしたが、しかしこんなに

(しろいはずはない。いつぞやていげきでばんどまんのおぺらがあったとき、わたしはわかい)

白い筈はない。いつぞや帝劇でバンドマンのオペラがあった時、私は若い

(せいようのじょゆうのうでのしろさにみほれたことがありましたっけが、ちょうどこのうでが)

西洋の女優の腕の白さに見惚れたことがありましたっけが、ちょうどこの腕が

(あれににている、いや、あれよりもしろいくらいなかんじでした。)

あれに似ている、いや、あれよりも白いくらいな感じでした。

(するとなおみは、そのみずいろのやわらかいころもとくびかざりとをゆらりとさせて、かかとのたかい、)

するとナオミは、その水色の柔かい衣と頸飾りとをゆらりとさせて、踵の高い、

(しんだいやのいしをかざったぱてんとれざーぐつのつまさきでちょこちょことあるいて、)

新ダイヤの石を飾ったパテントレザー靴の爪先でチョコチョコと歩いて、

(ああ、これがこのあいだはまだのはなしたしんでれらのくつなんだなと、わたしは)

ああ、これがこの間浜田の話したシンデレラの靴なんだなと、私は

(そのときおもいました。かたてをこしにあてて、ひじをはって、さもとくいそうに)

その時思いました。片手を腰にあてて、肘を張って、さも得意そうに

(どうをひねってきみょうなしなをつくりながら、あぜんとしているわたしのはなさきへ、)

胴をひねって奇妙なしなを作りながら、唖然としている私の鼻先へ、

(いきなりぶえんりよによってきたものです。)

いきなり無遠慮に寄って来たものです。

(「じょうじさん、あたしにもつをとりにきたのよ」)

「譲治さん、あたし荷物を取りに来たのよ」

(「おまえがとりにこないでもいい、つかいをよこせといったじゃないか」)

「お前が取りに来ないでもいい、使を寄越せと云ったじゃないか」

など

(「だってあたし、つかいをたのむひとがなかったんだもの」)

「だってあたし、使を頼む人がなかったんだもの」

(そういうあいだも、なおみはしじゅう、からだをじっとしてはいませんでした。)

そう云う間も、ナオミは始終、体をじっとしてはいませんでした。

(かおはむずかしく、まじめくさったふうをしながら、あしをぴたりとくっつけて)

顔はむずかしく、真面目腐った風をしながら、脚をぴたりと喰っ着けて

(たってみるとか、かたあしをいっぽふみだしてみるとか、かかとでこつんとゆかいたを)

立って見るとか、片足を一歩蹈み出して見るとか、踵でコツンと床板を

(たたいてみるとか、そのたびごとにてのいちをかえ、かたをそびやかし、ぜんしんのきんにくを)

叩いて見るとか、その度毎に手の位置を換え、肩を聳やかし、全身の筋肉を

(はりがねのようにきんちょうさせ、すべてのぶぶんにうんどうしんけいをはたらかせていました。)

針線のように緊張させ、総べての部分に運動神経を働かせていました。

(するとわたしのしかくしんけいもそれにしたがってきんちょうしだして、かのじょのいっきょしゅ、いっとうそく、)

すると私の視覚神経もそれに従って緊張し出して、彼女の一挙手、一投足、

(そのからだじゅうのちょっとちょっとを、のこるくまなくみてとらないではいられませんでしたが、)

その体中の一寸々々を、残る隈なく看て取らないではいられませんでしたが、

(よくよくそのかおにちゅういすると、なるほどつらがわりをしたのもどうり、かのじょは)

よくよくその顔に注意すると、成るほど面変りをしたのも道理、彼女は

(はえぎわのかみのけを、にさんすんぐらいにみじかくきって、いっぽんいっぽんけのさきをきれいに)

生え際の髪の毛を、二三寸ぐらいに短く切って、一本々々毛の先を綺麗に

(そろえて、しなのしょうじょがするように、ひたいのほうへのれんのごとくたれさげているのです。)

揃えて、支那の少女がするように、額の方へ暖簾の如く垂れ下げているのです。

(そしてのこりのもうはつをひとつにまとめて、まるく、たいらに、ろちょうぶからじだのうえへ)

そして残りの毛髪を一つに纏めて、円く、平に、顱頂部から耳朶の上へ

(かぶらせているのが、だいこくさまのぼうしのようです。これはかのじょのいままでにない)

被らせているのが、大黒様の帽子のようです。これは彼女の今までにない

(けっぱつほうで、かおのりんかくがべつじんのようになっているのは、このせいに)

結髪法で、顔の輪郭が別人のようになっているのは、このせいに

(ちがいありません。それからなおきをつけてみると、まゆのかっこうがまたいつもとは)

違いありません。それから尚気を付けて見ると、眉の恰好が又いつもとは

(ことなっています。かのじょのまゆげはうまれつきふとく、くっきりとして)

異っています。彼女の眉毛は生まれつき太く、クッキリとして

(こいほうであるのに、それがこんやは、ほそながい、ぼうっとかすんだこをえがいて、)

濃い方であるのに、それが今夜は、細長い、ぼうッと霞んだ弧を描いて、

(そのこのしゅういはあおあおとそってあるのです。これだけのさいくがしてあることは)

その弧の周囲は青々と剃ってあるのです。これだけの細工がしてあることは

(すぐとわたしにわかりましたが、まほうのたねがわからないのは、そのめと、くちびると、)

直ぐと私に分りましたが、魔法の種が分らないのは、その眼と、唇と、

(はだのいろでした。めだまがこんなにせいようじんくさくみえているのは、まゆげのせいも)

肌の色でした。眼玉がこんなに西洋人臭く見えているのは、眉毛のせいも

(あろうけれども、まだそのほかにもなにかしかけがしてあるらしい。それはおおかた)

あろうけれども、まだその外にも何か仕掛けがしてあるらしい。それは大方

(まぶたとまつげだ、あすこになにかひみつがあるのだ、と、そうはおもっても、それが)

眼瞼と睫毛だ、あすこに何か秘密があるのだ、と、そうは思っても、それが

(どういうしかけであるかがはんぜんしません。くちびるなども、うわくちびるのまんなかのところが、)

どう云う仕掛けであるかが判然しません。唇なども、上唇の真ん中のところが、

(ちょうどさくらのかべんのように、いやにかっきりとふたつにわれていて、しかも)

ちょうど桜の花弁のように、いやにカッキリと二つに割れていて、しかも

(そのあかさは、ふつうのくちべにをさしたのとはちがった、いきいきとした)

その紅さは、普通の口紅をさしたのとは違った、生き生きとした

(しぜんのつやがある。はだのしろさにいたっては、いくらみつめてもまったくきじの)

自然のつやがある。肌の白さに至っては、いくら見詰めても全く生地の

(ひふのようで、おしろいらしいあとがありません。それにしろいのはかおばかりでなく、)

皮膚のようで、お白粉らしい痕がありません。それに白いのは顔ばかりでなく、

(かたから、うでから、ゆびのさきまでがそうなのですから、もしおしろいを)

肩から、腕から、指の先までがそうなのですから、もしお白粉を

(ぬったとすればぜんしんへぬっていなければならない。で、このふかかいな)

塗ったとすれば全身へ塗っていなければならない。で、この不可解な

(えたいのわからぬあやしいしょうじょ、それはなおみであるというよりも、)

えたいの分らぬ妖しい少女、それはナオミであると云うよりも、

(なおみのたましいがなにかのさようで、あるりそうてきなうつくしさをもつゆうれいになったのじゃ)

ナオミの魂が何かの作用で、或る理想的な美しさを持つ幽霊になったのじゃ

(ないかしらん?と、わたしはそんなきさえしました。)

ないかしらん?と、私はそんな気さえしました。

(「ねえ、いいでしょう、にかいへにもつをとりにいっても?」)

「ねえ、いいでしょう、二階へ荷物を取りに行っても?」

(と、なおみのゆうれいはそういいました、が、そのこえをきくとやはりいつもの)

と、ナオミの幽霊はそう云いました、が、その声を聞くと矢張いつもの

(なおみであって、たしかにゆうれいではありません。)

ナオミであって、確かに幽霊ではありません。

(「うん、それはいい、・・・・・・・・・それはいいが、・・・・・・・・・」)

「うん、それはいい、・・・・・・・・・それはいいが、・・・・・・・・・」

(と、わたしはさやかにあわてていたので、すこしうわずったくちょうでいいました。)

と、私は明かに慌てていたので、少し上ずった口調で云いました。

(「・・・・・・・・・おまえ、どうしておもてのとをあけたんだ?」)

「・・・・・・・・・お前、どうして表の戸を開けたんだ?」

(「どうしてって、かぎであけたわ」)

「どうしてッて、鍵で開けたわ」

(「かぎはこのまえ、ここへおいていったじゃないか」)

「鍵はこの前、此処へ置いて行ったじゃないか」

(「かぎなんかあたし、いくつもあるわよ、ひとつっきりじゃないことよ」)

「鍵なんかあたし、幾つもあるわよ、一つッきりじゃないことよ」

(そのときはじめて、かのじょのあかいくちびるがとつぜんびしょうをうかべたかとおもうと、こびるような、)

その時始めて、彼女の紅い唇が突然微笑を浮べたかと思うと、媚びるような、

(あざけるようなめつきをしました。)

嘲るような眼つきをしました。

(「あたし、いまだからいうけれど、あいかぎをたくさんこしらえておいたの、だからひとつぐらい)

「あたし、今だから云うけれど、合鍵を沢山拵えて置いたの、だから一つぐらい

(とられたってこまりゃしないわ」)

取られたって困りゃしないわ」

(「けれどもおれのほうがこまるよ、そうたびたびやってこられちゃ」)

「けれども己の方が困るよ、そう度々やって来られちゃ」

(「だいじょうぶよ、にもつさえすっかりはこんでしまえば、こいといったって)

「大丈夫よ、荷物さえすっかり運んでしまえば、来いと云ったって

(きやしないわよ」)

来やしないわよ」

(そしてかのじょは、かかとでくるりとみをひるがえして、とん、とん、とんとかいだんをのぼって、)

そして彼女は、踵でクルリと身を翻して、トン、トン、トンと階段を昇って、

(やねうらのへやへかけこみました。・・・・・・・・・)

屋根裏の部屋へ駈け込みました。・・・・・・・・・

(・・・・・・・・・それからいったい、なんふんぐらいたったでしょうか?わたしが)

・・・・・・・・・それから一体、何分ぐらい立ったでしょうか?私が

(あとりえのそおふぁにもたれて、かのじょがにかいからおりてくるのをぼんやり)

アトリエのソオファに靠れて、彼女が二階から降りて来るのをぼんやり

(まっていたあいだ、・・・・・・・・・それはごふんとはたたないほどのあいだだったか、)

待っていた間、・・・・・・・・・それは五分とは立たない程の間だったか、

(あるいははんじかん、いちじかんぐらいもそうしていたのか?・・・・・・・・・わたしには)

或は半時間、一時間ぐらいもそうしていたのか?・・・・・・・・・私には

(どうもこのあいだの「ときのながさ」というものがはっきりしません。わたしのむねには)

どうもこの間の「時の長さ」と云うものがハッキリしません。私の胸には

(ただこんやのなおみのすがたが、あるうつくしいおんがくをきいたあとのように、こうこつとした)

ただ今夜のナオミの姿が、或る美しい音楽を聴いた後のように、恍惚とした

(かいかんとなっておをひいているだけでした。そのおんがくはひじょうにたかい、)

快感となって尾を曳いているだけでした。その音楽は非常に高い、

(ひじょうにきよらかな、このよのほかのせいなるさかいからひびいてくるようなそぷらのの)

非常に浄らかな、この世の外の聖なる境から響いて来るようなソプラノの

(うたです。もうそうなるとじょうよくもなくれんあいもありません、・・・・・・・・・わたしの)

唄です。もうそうなると情慾もなく恋愛もありません、・・・・・・・・・私の

(こころにかんじたものは、そういうものとはおよそもっともえんのとおいひょうびょうとしたとうすいでした。)

心に感じたものは、そう云うものとは凡そ最も縁の遠い漂渺とした陶酔でした。

(わたしはいくどもかんがえてみましたが、こんやのなおみは、あのけがらわしいいんぷのなおみ、)

私は幾度も考えて見ましたが、今夜のナオミは、あの汚らわしい淫婦のナオミ、

(おおくのおとこにひどいあだなをつけられているばいしゅんふにもひとしいなおみとは、まったく)

多くの男にヒドイ仇名を附けられている売春婦にも等しいナオミとは、全く

(りょうりつしがたいところの、たっといあこがれのまとでした。もしもかのじょの、あのまっしろなゆびのさきが)

両立し難いところの、貴い憧れの的でした。もしも彼女の、あの真白な指の先が

(ちょっとでもわたしにふれたとしたら、わたしはそれをよろこぶどころかむしろ)

ちょっとでも私に触れたとしたら、私はそれを喜ぶどころか寧ろ

(せんりつするでしょう。このこころもちはなににたとえたらどくしゃにりょうかいしてもらえるか、)

戦慄するでしょう。この心持は何に譬えたら読者に了解して貰えるか、

(まあいってみれば、いなかのおやじがとうきょうへでて、あるひぐうぜん、おさないおりにいえでをした)

まあ云って見れば、田舎の親父が東京へ出て、或る日偶然、幼い折に家出をした

(じぶんのむすめとおうらいであう。が、むすめはりっぱなとかいのふじんになってしまっていて、)

自分の娘と往来で遇う。が、娘は立派な都会の婦人になってしまっていて、

(きたないいなかのひゃくしょうをみてもじぶんのおやだとはきがつかず、おやじのほうでは)

穢い田舎の百姓を見ても自分の親だとは気が付かず、親父の方では

(それときがついても、いまではみぶんがちがうためにそばへもよれない、これがじぶんの)

それと気が付いても、今では身分が違うために傍へも寄れない、これが自分の

(むすめだったかとおどろきあきれて、はずかしさのあまりこそこそにげていってしまう。)

娘だったかと驚き呆れて、耻かしさの余りコソコソ逃げて行ってしまう。

(そのときのおやじの、さびしいような、ありがたいようなこころもち。それでなければ)

その時の親父の、淋しいような、有難いような心持。それでなければ

(いいなずけのおんなにすてられたおとこが、ごねんもじゅうねんもたってから、あるひよこはまのふとうに)

許嫁の女に捨てられた男が、五年も十年も立ってから、或る日横浜の埠頭に

(たつと、そこにいっそうのしょうせんがついて、きちょうしゃのむれがおりてくる。そしてはからずも)

立つと、そこに一艘の商船が着いて、帰朝者の群が降りて来る。そして図らずも

(そのむれのなかからかのじょをみいだす。さてはかのじょはようこうをしてかえってきたのかと)

その群の中から彼女を見出す。さては彼女は洋行をして帰って来たのかと

(そうおもっても、おとこはもはやかのじょにちかづくゆうきもない。じぶんはむかしにかわらない)

そう思っても、男は最早や彼女に近づく勇気もない。自分は昔に変らない

(いっかいのひんしょせい、おんなはとみればやぼくさいむすめじだいのおもかげはなく、ぱりのせいかつ、)

一介の貧書生、女はと見れば野暮臭い娘時代の俤はなく、巴里の生活、

(にゅーよーくのぜいたくになれたはいからなふじん、ふたりのあいだにはすでにせんりのさができている。)

紐育の贅沢に馴れたハイカラな婦人、二人の間には既に千里の差が出来ている。

(そのときのしょせいの、すてられたじぶんをわれとわがみでさげすむような、おもいのほかな)

その時の書生の、捨てられた自分を我と我が身で蔑むような、思いの外な

(かのじょのしゅっせをせめてもおのれのよろこびとするこころもち。)

彼女の出世をせめても己れの喜びとする心持。

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