谷崎潤一郎 痴人の愛 63
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ばぼじま | 4914 | B | 5.0 | 96.5% | 813.5 | 4146 | 148 | 98 | 2024/09/28 |
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問題文
(あのときもちょうどいまのようにしゃぼんのあわをかきたてながら。)
あの時もちょうど今のようにシャボンの泡を掻き立てながら。
(・・・・・・・・・これはわたしのこいのこせきだ。わたしのてが、わたしのゆびが、このせいえんな)
・・・・・・・・・これは私の恋の古蹟だ。私の手が、私の指が、この凄艶な
(ゆきのうえにききとしてたわむれ、ここをじゆうに、たのしくふんだことがあるのだ。いまでも)
雪の上に嬉々として戯れ、此処を自由に、楽しく蹈んだことがあるのだ。今でも
(どこかにあとがのこっているかもしれない。・・・・・・・・・)
何処かに痕が残っているかも知れない。・・・・・・・・・
(「じょうじさん、てがふるえるわよ、もっとしっかり)
「譲治さん、手が顫えるわよ、もっとシッカリ
(やってちょうだい。・・・・・・・・・」)
やって頂戴。・・・・・・・・・」
(とつぜんなおみのいうこえがしました。わたしはあたまががんがんして、くちのなかが)
突然ナオミの云う声がしました。私は頭がガンガンして、口の中が
(ひからびて、きたいにからだがふるえるのがじぶんでもわかりました。はっとおもって、)
干涸らびて、奇態に体が顫えるのが自分でも分りました。はッと思って、
(「きがちがったな」とかんじました。それをいっしょうけんめいにこたえると、きゅうにかおが)
「気が違ったな」と感じました。それを一生懸命に堪えると、急に顔が
(あつくなったり、つめたくなったりしました。しかしなおみのいたずらは、まだ)
熱くなったり、冷たくなったりしました。しかしナオミのいたずらは、まだ
(これだけではやまないのでした。かたがすっかりそれてしまうと、たもとをまくって、)
これだけでは止まないのでした。肩がすっかり剃れてしまうと、袂をまくって、
(ひじをたかくさしあげて、)
肘を高くさし上げて、
(「さ、こんどはわきのした」)
「さ、今度は腋の下」
(というのでした。)
と云うのでした。
(「え、わきのした?」)
「え、腋の下?」
(「ええ、そう、ようふくをきるにはわきのしたもそるもんよ、ここがみえたら)
「ええ、そう、洋服を着るには腋の下も剃るもんよ、此処が見えたら
(しつれいじゃないの」)
失礼じゃないの」
(「いじわる!」)
「意地悪!」
(「どうしていじわるよ、おかしなひとね。あたしゆざめがしてきたから)
「どうして意地悪よ、可笑しな人ね。あたし湯冷めがして来たから
(はやくしてちょうだい」)
早くして頂戴」
(そのいっせつな、わたしはいきなりかみそりをすてて、かのじょのひじへとびつきました、)
その一刹那、私はいきなり剃刀を捨てて、彼女の肘へ飛び着きました、
(とびつくというよりはかみつきました。と、なおみはちゃんとそれを)
飛び着くと云うよりは噛み着きました。と、ナオミはちゃんとそれを
(よきしていたかのごとく、すぐそのひじでわたしをぐんとはねかえしましたが、わたしのゆびは)
予期していたかの如く、直ぐその肘で私をグンと撥ね返しましたが、私の指は
(それでもどこかにさわったとみえ、しゃぼんでつるりとすべりました。かのじょは)
それでも何処かに触ったと見え、シャボンでツルリと滑りました。彼女は
(もういちど、ちからいっぱいわたしをかべのほうへつきのけるやいなや、)
もう一度、力一杯私を壁の方へ突き除けるや否や、
(「なにをするのよ!」)
「何をするのよ!」
(と、するどくさけんでたちあがりました。みるとそのかおは、わたしのかおが)
と、鋭く叫んで立ち上りました。見るとその顔は、私の顔が
(まっさおだったからでしょうが、かのじょのかおもじょうだんではなく、まっさおでした。)
真っ青だったからでしょうが、彼女の顔も冗談ではなく、真っ青でした。
(「なおみ!なおみ!もうからかうのはいいかげんにしてくれ!よ!なんでもおまえの)
「ナオミ!ナオミ!もうからかうのは好い加減にしてくれ!よ!何でもお前の
(いうことはきく!」)
云うことは聴く!」
(なにをいったかまったくぜんごふかくでした、ただせっかちに、はやくちに、さながらねつに)
何を云ったか全く前後不覚でした、ただセッカチに、早口に、さながら熱に
(うかされたごとくしゃべりました。それをなおみは、だまって、まじまじと、)
浮かされた如くしゃべりました。それをナオミは、黙って、まじまじと、
(ぼうのようにつったったまま、あきれかえったというふうににらみつけているだけでした。)
棒のように突っ立ったまま、呆れ返ったと云う風に睨みつけているだけでした。
(わたしはかのじょのあしもとにみをなげ、ひざまずいていいました。)
私は彼女の足元に身を投げ、跪いて云いました。
(「よ、なぜだまっている!なんとかいってくれ!いやならおれをころしてくれ!」)
「よ、なぜ黙っている!何とか云ってくれ!否なら己を殺してくれ!」
(「きちがい!」)
「気違い!」
(「きちがいでわるいか」)
「気違いで悪いか」
(「だれがそんなきちがいを、あいてになんかしてやるもんか」)
「誰がそんな気違いを、相手になんかしてやるもんか」
(「じゃあおれをうまにしてくれ、いつかのようにおれのせなかへのっかってくれ、)
「じゃあ己を馬にしてくれ、いつかのように己の背中へ乗っかってくれ、
(どうしてもいやならそれだけでもいい!」)
どうしても否ならそれだけでもいい!」
(わたしはそういって、そこへよつんばいになりました。)
私はそう云って、そこへ四つン這いになりました。
(いちしゅんかん、なおみはわたしがじじつはっきょうしたかとおもったようでした。かのじょのかおはそのとき)
一瞬間、ナオミは私が事実発狂したかと思ったようでした。彼女の顔はその時
(いっそう、どすぐろいまでにまっさおになり、ひとみをすえてわたしをみているめのなかには、)
一層、どす黒いまでに真っ青になり、瞳を据えて私を見ている眼の中には、
(ほとんどきょうふにちかいものがありました。が、たちまちかのじょはもうぜんとして、ずぶとい、だいたんな)
殆ど恐怖に近いものがありました。が、忽ち彼女は猛然として、図太い、大胆な
(ひょうじょうをたたえ、どしんとわたしのせなかのうえへまたがりながら、)
表情を湛え、どしんと私の背中の上へ跨がりながら、
(「さ、これでいいか」)
「さ、これでいいか」
(と、おとこのようなくちょうでいいました。)
と、男のような口調で云いました。
(「うん、それでいい」)
「うん、それでいい」
(「これからなんでもいうことをきくか」)
「これから何でも云うことを聴くか」
(「うん、きく」)
「うん、聴く」
(「あたしがいるだけ、いくらでもおかねをだすか」)
「あたしが要るだけ、いくらでもお金を出すか」
(「だす」)
「出す」
(「あたしにすきなことをさせるか、いちいちかんしょうなんかしないか」)
「あたしに好きな事をさせるか、一々干渉なんかしないか」
(「しない」)
「しない」
(「あたしのことを「なおみ」なんてよびつけにしないで、)
「あたしのことを『ナオミ』なんて呼びつけにしないで、
(「なおみさん」とよぶか」)
『ナオミさん』と呼ぶか」
(「よぶ」)
「呼ぶ」
(「きっとか」)
「きっとか」
(「きっと」)
「きっと」
(「よし、じゃあうまでなく、にんげんあつかいにしてあげる、かわいそうだから。」)
「よし、じゃあ馬でなく、人間扱いにして上げる、可哀そうだから。」
(そしてわたしとなおみとは、しゃぼんだらけになりました。・・・・・・・・・)
そして私とナオミとは、シャボンだらけになりました。・・・・・・・・・
(「・・・・・・・・・これでようやくふうふになれた、もうこんどこそにがさないよ」)
「・・・・・・・・・これで漸く夫婦になれた、もう今度こそ逃さないよ」
(と、わたしはいいました。)
と、私は云いました。
(「あたしににげられてそんなにこまった?」)
「あたしに逃げられてそんなに困った?」
(「ああ、こまったよ、いちじはとてもかえってきてはくれないかとおもったよ」)
「ああ、困ったよ、一時はとても帰って来てはくれないかと思ったよ」
(「どう?あたしのおそろしいことがわかった?」)
「どう?あたしの恐ろしいことが分った?」
(「わかった、わかりすぎるほどわかったよ」)
「分った、分り過ぎるほど分ったよ」
(「じゃ、さっきいったことはわすれないわね、なんでもすきにさせてくれるわね。)
「じゃ、さっき云ったことは忘れないわね、何でも好きにさせてくれるわね。
(ふうふといっても、かたっくるしいふうふはいやよ、でないとあたし、)
夫婦と云っても、堅ッ苦しい夫婦はイヤよ、でないとあたし、
(またにげだすわよ」)
又逃げ出すわよ」
(「これからまた、「なおみさん」に「じょうじさん」でいくんだね」)
「これから又、『ナオミさん』に『譲治さん』で行くんだね」
(「ときどきだんすにいかしてくれる?」)
「ときどきダンスに行かしてくれる?」
(「うん」)
「うん」
(「いろいろなおともだちとつきあってもいい?もうせんのようにもんくをいわない?」)
「いろいろなお友達と附き合ってもいい?もう先のように文句を云わない?」
(「うん」)
「うん」
(「もっともあたし、まあちゃんとはぜっこうしたのよ。」)
「尤もあたし、まアちゃんとは絶好したのよ。」
(「へえ、くまがいとぜっこうした?」)
「へえ、熊谷と絶交した?」
(「ええ、した、あんないやなやつはありゃしないわ。これからなるべく)
「ええ、した、あんなイヤな奴はありゃしないわ。これから成るべく
(せいようじんとつきあうの、にほんじんよりおもしろいわ」)
西洋人と附き合うの、日本人より面白いわ」
(「そのよこはまの、まっかねるというおとこかね?」)
「その横浜の、マッカネルと云う男かね?」
(「せいようじんのおともだちならおおぜいあるわ。まっかねるだって、べつにあやしいわけじゃ)
「西洋人のお友達なら大勢あるわ。マッカネルだって、別に怪しい訳じゃ
(ないのよ」)
ないのよ」
(「ふん、どうだか、」)
「ふん、どうだか、」
(「それ、そうひとをうたぐるからいけないのよ、あたしがこうといったらば、ちゃんと)
「それ、そう人を疑るからいけないのよ、あたしがこうと云ったらば、ちゃんと
(それをおしんじなさい。よくって?さあ!しんじるか、しんじないか?」)
それをお信じなさい。よくって?さあ!信じるか、信じないか?」
(「しんじる!」)
「信じる!」
(「まだそのほかにもちゅうもんがあるわよ、じょうじさんはかいしゃをやめて)
「まだその外にも注文があるわよ、譲治さんは会社を罷めて
(どうするつもり?」)
どうする積り?」
(「おまえにすてられちまったら、いなかへひっこもうとおもったんだが、)
「お前に捨てられちまったら、田舎へ引っ込もうと思ったんだが、
(もうこうなればひっこまないよ。いなかのざいさんをせいりして、げんきんにして)
もうこうなれば引っ込まないよ。田舎の財産を整理して、現金にして
(もってくるよ」)
持ってくるよ」
(「げんきんにしたらどのくらいある?」)
「現金にしたらどのくらいある?」
(「さあ、こっちへもってこられるのは、にさんじゅうまんはあるだろう」)
「さあ、此方へ持って来られるのは、二三十万はあるだろう」
(「それっぽっち?」)
「それッぽっち?」
(「それだけあれば、おまえとおれとふたりっきりならたくさんじゃないか」)
「それだけあれば、お前と己と二人ッきりなら沢山じゃないか」
(「ぜいたくをしてあそんでいかれる?」)
「贅沢をして遊んで行かれる?」
(「そりゃ、あそんじゃあいかれないよ。おまえはあそんでもいいけれど、おれは)
「そりゃ、遊んじゃあ行かれないよ。お前は遊んでもいいけれど、己は
(なにかじむしょでもひらいて、どくりつしてしごとをやるつもりだ」)
何か事務所でも開いて、独立して仕事をやる積りだ」