中島敦 光と風と夢 9

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね0お気に入り登録
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中島敦の中編小説です

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問題文

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(「とうだいぎしのいえ」のざいりょうをいじっているなかに、いつかすてぃヴんすんは、)

七 「灯台技師の家」の材料をいじっている中に、何時かスティヴンスンは、

(いちまんまいるかなたのえでぃんばらのうつくしいまちをおもいだしていた。)

一万哩[マイル]彼方のエディンバラの美しい街を憶[おも]い出していた。

(あさゆうのきりのなかからうかびあがるおかおかや、そのうえにきつぜんとしてそびえる)

朝夕の霧の中から浮び上る丘々や、その上に屹然[きつぜん]として聳える

(こじょうかくから、はるかせいじゃいるすきょうかいのしょうろうへかけてのきくたる)

古城郭から、遥か聖ジャイルス教会の鐘楼へかけての崎嶇[きく]たる

(しるうぇっとが、ありありとめのまえにうかんできた。)

シルウェットが、ありありと眼の前に浮かんで来た。

(おさないころからひどくきかんのよわかったしょうねんすてぃヴんすんは、ふゆのあかつきごとに)

幼い頃からひどく気管の弱かった少年スティヴンスンは、冬の暁毎に

(いつもはげしいせきのほっさにおそわれて、ねていられなかった。おきあがり、)

何時も烈しい咳の発作に襲われて、寐ていられなかった。起上り、

(うばのかみいにたすけられ、もうふにくるまってまどぎわのいすにこしかける。)

乳母のカミイに扶[たす]けられ、毛布にくるまって窓際の椅子に腰掛ける。

(かみいもしょうねんとならんでかけ、せきのしずまるまで、たがいにだまって、じっとそとを)

カミイも少年と並んで掛け、咳の静まる迄、互いに黙って、じっと外を

(みている。がらすどごしにみるへりおっとろうはまだよるのままで、ところどころに)

見ている。硝子戸越に見るヘリオット通り[ロウ]はまだ夜のままで、所々に

(がいとうがぼうっとしんでみえる。やがてくるまのきしるおとがし、まどのまえを)

街灯がぼうっと滲んで見える。やがて車の軋[きし]る音がし、窓の前を

(すれすれに、いちばいきのやさいぐるまのうまが、しろいいきをはきはきとおっていく。)

すれすれに、市場行の野菜車の馬が、白い息を吐き吐き通って行く。

(・・・・・・・・・・・・これがすてぃヴんすんのきおくにのこるさいしょのこのみやこの)

・・・・・・・・・・・・之がスティヴンスンの記憶に残る最初の此の都の

(いんしょうだった。)

印象だった。

(えでぃんばらのすてぃヴんすんけは、だいだいとうだいぎしとしてきこえていた。しょうせつかの)

エディンバラのスティヴンスン家は、代々灯台技師として聞えていた。小説家の

(そうそふにあたるとます・すみす・すてぃヴんすんはほくえいとうだいきょくのさいしょの)

曾祖父に当るトマス・スミス・スティヴンスンは北英灯台局の最初の

(ぎしちょうであり、そのころばぁともまたそのしょくをついで、ゆうめいなべる・ろっくの)

技師長であり、その子ロバァトも亦其の職を継いで、有名なベル・ロックの

(とうだいをけんせつした。ろばぁとのさんにんのむすこ、あらん、でいヴぃっど、とます、も)

灯台を建設した。ロバァトの三人の息子、アラン、デイヴィッド、トマス、も

(それぞれつぎつぎにこのしょくをおそった。しょうせつかのちち、とますは、かいてんとう、)

それぞれ次々に此の職を襲った。小説家の父、トマスは、廻転灯、

(そうこうはんしゃきょうのかんせいしゃとして、とうじ、とうだいこうがくのたいとであった。かれはそのきょうだいと)

総光反射鏡の完成者として、当時、灯台光学の泰斗であった。彼は其の兄弟と

など

(きょうりょくして、すけりヴぉあ、ちっくんすをはじめ、いくつかのとうだいをきずき、おおくの)

協力して、スケリヴォア、チックンスを始め、幾つかの灯台を築き、多くの

(こうわんをしゅうりした。かれは、ゆうのうなじっさいてきかがくしゃで、ちゅうじつなだいえいこくの)

港湾を修理した。彼は、有能な実際的科学者で、忠実な大英国の

(ぎじゅつかんで、けいけんなすこっとらんどきょうかいのしんとで、)

技術官で、敬虔[けいけん]なスコットランド教会の信徒で、

(かのきりすとおしえのきけろといわれるらくたんてぃうすのあいどくしゃで、)

かの基督[キリスト]教のキケロといわれるラクタンティウスの愛読者で、

(また、こっとうとひまわりとのあいこうしゃだった。かれのむすこのしるすところによれば、)

又、骨董と向日葵との愛好者だった。彼の息子の記す所によれば、

(とます・すてぃヴんすんは、つねに、じこのかちについてはなはだしく)

トマス・スティヴンスンは、常に、自己の価値に就いて甚だしく

(ひていてきなかんがえをいだき、けるとてきなゆううつをもって、たえずしをおもいむじょうを)

否定的な考を抱き、ケルト的な憂鬱を以て、絶えず死を思い無常を

(かんじていたという。)

観じていたという。

(こうきなことと、そこにすむしゅうきょうてきなひとびと(かれのかぞくをもふくめて)とを、せいねんきの)

高貴な古都と、其処に住む宗教的な人々(彼の家族をも含めて)とを、青年期の

(ろばぁと・るぅいす・すてぃヴんすんははげしくけんおした。ぷれすびてりあんの)

ロバァト・ルゥイス・スティヴンスンは激しく嫌悪した。プレスビテリアンの

(ちゅうしんたるこのみやこが、かれにはことごとくぎぜんのふとみえたのである。じゅうはっせいきのこうはん、)

中心たる此の都が、彼には悉く偽善の府と見えたのである。十八世紀の後半、

(このみやこにでぃーこん・ぶろでぃなるおとこがいた。ひるまはさしものしをやりしかいぎいんを)

此の都にディーコン・ブロディなる男がいた。昼間は指物師をやり市会議員を

(つとめていたが、よるになるといっぺんしてとばくしゃとなり、きょうあくな)

勤めていたが、夜になると一変して賭博者となり、兇悪[きょうあく]な

(ごうとうとなってかつやくした。だいぶひさしいあとにようやくあらわれてしょけいされたが、)

強盗となって活躍した。大分久しい後に漸く顕[あらわ]れて処刑されたが、

(このおとここそえでぃんばらじょうりゅうじんしのしょうちょうだと、にじゅっさいのすてぃヴんすんは)

この男こそエディンバラ上流人士の象徴だと、二十歳のスティヴンスンは

(かんがえた。かれは、かよいなれたきょうかいのかわりに、したまちのさかばへかよいだした。むすこの)

考えた。彼は、通い慣れた教会の代りに、下町の酒場へ通い出した。息子の

(ぶんがくしゃしぼうせんげん(ちちははじめむすこをもえんじにーあにしたてようと)

文学者志望宣言(父は初め息子をもエンジニーアに仕立てようと

(かんがえていたのだが)は、どうにかこれをみとめえたちちおやも、そのはいきょうだけは)

考えていたのだが)は、どうにか之を認め得た父親も、その背教だけは

(ゆるせなかった。ちちおやのぜつぼうと、ははおやのなみだと、むすこのふんげきのなかに、おやこのしょうとつが)

許せなかった。父親の絶望と、母親の涙と、息子の憤激の中に、親子の衝突が

(しばしばくりかえされた。じぶんがはめつのふちにおちいっていることをさとれないほど、)

屡々[しばしば]繰返された。自分が破滅の淵に陥っていることを悟れない程、

(いまだこどもであり、しかもちちのすくいのことばをうけつけようとしないほど、)

未だ子供であり、しかも父の救の言葉を受付けようとしない程、

(おとなになっているむすこをみて、ちちおやはぜつぼうした。このぜつぼうは、)

成人[おとな]になっている息子を見て、父親は絶望した。此の絶望は、

(あまりにないせいてきなかれのうえにきみょうなかたちとなってあらわれた。いくかいかの)

余りに内省的な彼の上に奇妙な形となって顕[あらわ]れた。幾回かの

(あらそいのあと、かれはもはやむすこをせめようとせず、ひたすらにわがみをせめた。かれは)

争の後、彼は最早息子を責めようとせず、ひたすらに我が身を責めた。彼は

(ひとりひざまずき、ないていのり、おのれのいたらざるゆえにせがれをかみのざいにんとしたことを)

独り跪き、泣いて祈り、己の至らざる故に倅[せがれ]を神の罪人としたことを

(みずからはげしくせめ、かつかみにわびた。むすこのほうでは、かがくしゃたるちちが)

自ら激しく責め、且つ神に詫びた。息子の方では、科学者たる父が

(なぜこんなおろかしいしょぎょうをえんずるのか、どうしてもりかいできなかった。)

何故こんな愚かしい所行を演ずるのか、どうしても理解できなかった。

(それに、かれは、ちちとそうろんしたあとではいつも、「どうしておやのまえにでると)

それに、彼は、父と争論したあとでは何時も、「どうして親の前に出ると

(こんなこどもっぽいぎろんしかできなくなるのだろうか」と、じぶんで)

斯[こ]んな子供っぽい議論しか出来なくなるのだろうか」と、自分で

(いやになってしまうのである。ゆうじんとはなしあっているときならば、)

いやになって了うのである。友人と話合っている時ならば、

(さっそうとした(すくなくともおとなの)ぎろんのりっぱにできるじぶんなのに、これは)

颯爽とした(少くとも成人[おとな]の)議論の立派に出来る自分なのに、之は

(いったいどうしたわけだろう?もっともげんしてきなかてきずむ、ようちな)

一体どうした訳だろう?最も原始的なカテキズム、幼稚な

(きせきはんばくろん、もっともこどもだましのせつれつなれいをもって)

奇蹟反駁論[きせきはんばくろん]、最も子供欺しの拙劣な例を以て

(しょうめいされねばならないむしんろん。じぶんのしそうはこんなようちなものであるはずは)

証明されねばならない無神論。自分の思想は斯んな幼稚なものである筈は

(ないのに、とおもうのだが、ちちおやとむかいあうと、いつもけっきょくは、こんなことに)

ないのに、と思うのだが、父親と向い合うと、何時も結局は、こんな事に

(なってしまう。ちちおやのろんぽうがすぐれていてこちらがまける、というのではもうとうない。)

なって了う。父親の論法が優れていて此方が負ける、というのでは毛頭ない。

(きょうぎについてのさいちなしさくなどをしたことのないちちおやをろんぱするのは)

教義に就いての細緻[さいち]な思索などをした事のない父親を論破するのは

(きわめてよういだのに、そのよういなことをやっているうちに、いつのまにか、)

極めて容易だのに、その容易な事をやっている中に、何時の間にか、

(じぶんのたいどがわれながらいやになるほど、こどもっぽいひすてりっくな)

自分の態度が我ながら厭になる程、子供っぽいヒステリックな

(すねたものとなり、ぎろんのないようそのものまでが、りでぃきゅらすなものに)

拗ねたものとなり、議論の内容そのもの迄が、可嗤[リディキュラス]なものに

(なっているのだ。ちちにたいするあまえがいまだじぶんにのこっており、(ということは、)

なっているのだ。父に対する甘えが未だ自分に残っており、(ということは、

(じぶんがいまだほんとうにおとなでなく)それが、「ちちがじぶんをまだこどもと)

自分が未だ本当に成人[おとな]でなく)それが、「父が自分をまだ子供と

(みていること」とあいまって、こうしたけっかをもたらすのだろうか?)

視ていること」と相俟[あいま]って、こうした結果を齎すのだろうか?

(それとも、じぶんのしそうががんらいくだらないみじゅくなかりものであって、それが、)

それとも、自分の思想が元来くだらない未熟な借物であって、それが、

(ちちのそぼくなしんこうとたいちされてそのまっしょうてきなそうしょくぶぶんをはぎさられるとき、)

父の素朴な信仰と対置されて其の末梢的な装飾部分を剥去られる時、

(そのほんとうのすがたをあらわすのだろうか?そのころすてぃヴんすんは、)

その本当の姿を現すのだろうか?其の頃スティヴンスンは、

(ちちとしょうとつしたあとで、いつもきまって、このふかいなぎもんをもたねばならなかった。)

父と衝突したあとで、何時も決って、この不快な疑問を有たねばならなかった。

(すてぃヴんすんがふぁにいとけっこんするいしをあきらかにしたとき、ふしのあいだは)

スティヴンスンがファニイと結婚する意志を明かにした時、父子の間は

(ふたたびけわしいものとなった。とます・すてぃヴんすんしにとっては、)

再び嶮[けわ]しいものとなった。トマス・スティヴンスン氏にとっては、

(ふぁにいがべいこくじんであり、こもちであり、としうえであることよりも、じっさいは)

ファニイが米国人であり、子持であり、年上であることよりも、実際は

(どうあろうととにかくかのじょがこせきのうえでげんざいおすぼーんふじんであることが)

どうあろうと兎に角彼女が戸籍の上で現在オスボーン夫人であることが

(だいいちのなんてんだったのである。わがままなひとりむすこは、としさんじゅうにして)

第一の難点だったのである。我儘な一人息子は、年歯[とし]三十にして

(はじめてじかつそれもふぁにいとそのこどもまでやしなうけっしんをしてえいこくをとびだした。)

初めて自活それもファニイとその子供迄養う決心をして英国を飛出した。

(ふしのあいだはおんしんふつうとなった。いちねんのあと、なんぜんまいるへだてたうみとりくの)

父子の間は音信不通となった。一年の後、何千哩[マイル]隔てた海と陸の

(かなたで、むすこがごじゅっせんとのちゅうしょくにもことかきながらやまいとたたかっていることを)

彼方で、息子が五十仙[セント]の昼食にも事欠きながら病と闘っていることを

(ひとづてにきいたとます・すてぃヴんすんしは、さすがに)

人伝[ひとづて]に聞いたトマス・スティヴンスン氏は、流石に

(こたえられなくなって、すくいのてをさしのべた。ふぁにいはべいこくからみけんのしゅうとに)

堪えられなくなって、救の手を差しのべた。ファニイは米国から未見の舅に

(じぶんのしゃしんをおくり、かきそえていった。「じつぶつよりもずっとよく)

自分の写真を送り、書添えて言った。「実物よりもずっと良く

(とれておりますゆえ、けっしてこのとおりとおおもいくださいませぬよう。」)

撮れております故、決して此の通りとお思い下さいませぬよう。」

(すてぃヴんすんはつまとぎしとをつれてえいこくにかえってきた。いがいなことに、)

スティヴンスンは妻と義子とを連れて英国に帰って来た。意外なことに、

(とます・すてぃヴんすんしはせがれのつまにたいへんまんぞくした。がんらい、かれはせがれのさいのうは)

トマス・スティヴンスン氏は倅の妻に大変満足した。元来、彼は倅の才能は

(あきらかにみとめながらも、どこかせがれのなかに、つうぞくてきないみであんしんのできないところが)

明らかに認めながらも、何処か倅の中に、通俗的な意味で安心の出来ない所が

(あるのをかんじていた。このふあんは、せがれがいくらねんれいをくわえてもけっして)

あるのを感じていた。此の不安は、倅が幾ら年齢を加えても決して

(きえなかった。それが、いま、ふぁにいによって、(はじめははんたいしたけっこんでは)

消えなかった。それが、今、ファニイによって、(初めは反対した結婚では

(あったが)むすこのためにじつむてきなかくじつなしちゅうをえたようなきがした。うつくしく・)

あったが)息子の為に実務的な確実な支柱を得たような気がした。美しく・

(もろい・はなのようなせいしんをささえるべき、せいきにみちたきょうじんなしちゅうを。)

脆い・花のような精神を支えるべき、生気に充ちた強靭な支柱を。

(ながいふわのあと、いっかりょうしん、つま、ろいどとそろってぶれいまのさんそうにすごした)

長い不和の後、一家両親、妻、ロイドと揃ってブレイマの山荘に過した

(せんはっぴゃくはちじゅういちねんのなつを、すてぃヴんすんはいまでもこころよくおもいおこすことができる。)

一八八一年の夏を、スティヴンスンは今でも快く思い起すことが出来る。

(それは、あばでぃーんちほうとくゆうのとうほくふうがれんじつ、あめとひょうとをともなって)

それは、アバディーン地方特有の東北風が連日、雨と雹[ひょう]とを伴って

(ふきすさむちんうつなはちがつであった。すてぃヴんすんのからだは)

吹荒[ふきすさ]む沈鬱[ちんうつ]な八月であった。スティヴンスンの身体は

(れいによってわるかった。あるひえどもんど・ごすがたずねてきた。すてぃヴんすんより)

例によって悪かった。或日エドモンド・ゴスが訪ねて来た。スティヴンスンより

(ひとつとしうえの・このはくしきおんこうなせいねんは、ちちのすてぃヴんすんしとも)

一つ年上の・この博識温厚な青年は、父のスティヴンスン氏とも

(よくはなしがあった。まいあさごすはちょうしょくをすますと、にかいのびょうしつにあがっていく。)

良く話が合った。毎朝ゴスは朝食を済ますと、二階の病室に上って行く。

(すてぃヴんすんはねどこのうえにおきあがってまっている。ちぇすをするのだ。)

スティヴンスンは寝床の上に起上って待っている。将棋[チェス]をするのだ。

(「びょうにんはごぜんちゅうは、しゃべってはいけない」といしゃにきんじられているので、)

「病人は午前中は、しゃべってはいけない」と医者に禁じられているので、

(むごんのしょうぎである。そのうちにつかれてくると、すてぃヴんすんがばんのふちをたたいて)

無言の将棋である。その中に疲れて来ると、スティヴンスンが盤の縁を叩いて

(あいずする。すると、ごすなり、ふぁにいなりがかれをねかせ、そして、いつでも)

合図する。すると、ゴスなり、ファニイなりが彼を寐かせ、そして、何時でも

(かきたいときにねたなりでかけるように、ふとんのいちをうまく、しつらえる。)

書きたい時に寐たなりで書けるように、布団の位置を巧く、しつらえる。

(でぃなーのじかんまですてぃヴんすんはひとりでねたまま、やすんではかき、)

ディナーの時間迄スティヴンスンは独りで寐たまま、休んでは書き、

(かいてはやすみする。)

書いては休みする。

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