古川緑波 ああ東京は食い倒れ
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問題文
(せんそうにまけてから、もうじゅうねんになる。せんぜんとせんごをひかくしてみると、)
戦争に負けてから、もう十年になる。戦前と戦後を比較してみると、
(せそういろいろとへんかのあとがあるが、くいものについてかんがえてみても、ずいぶんかわった。)
世相色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
(ちょいときがつかないようなことで、よくみるとかわっているのが、いろいろある。)
ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
(まず、せんごはじめて、とうきょうにできたみせに、ぎょーざやがある。)
先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。
(いか、はなしは、とうきょうちゅうしんであるから、そのつもりで、きいていただきたい。)
以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。
(ぎょーざやとは、ぎょうざ(ただしくは、なべはりぎょうざ)をくわせるみせ。)
ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。
(むろん、これもしなりょうり(はいせんご、ちゅうかりょうりといわなくちゃいけないと)
むろん、これも支那料理(敗戦後、中華料理と言わなくちゃいけないと
(いわれてきたが、もういいんだろうな、しなりょうりっていっても)のいっしゅだから、)
言われて来たが、もういいんだろうな、支那料理って言っても)の一種だから、
(せんぜんにだって、こうべのほんばしなりょうりやでもくわせていたし、また、あかさかの、)
戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、赤坂の、
(もみぢでは、しゅーまいというと、これをくわせていたものである。)
もみぢでは、焼売と言うと、これを食わせていたものである。
(もっとも、もみぢのは、ふかしぎょうざであったが。)
尤も、もみぢのは、蒸餃子であったが。
(しかし、それを、すなわち、ぎょーざをかんばんの、あんちょくなしなりょうりやってものは、)
然し、それを、すなわち、ギョーザを看板の、安直な支那料理屋ってものは、
(せんごはじめてとうきょうにみせをひらいたのだとおもう。)
戦後はじめて東京に店を開いたのだと思う。
(ぼくのしっているはんいでは、しぶやのゆうらくという、ばらっくだてのちいさなみせが、)
僕の知っている範囲では、渋谷の有楽という、バラック建の小さな店が、
(いちばんはやい。ぎょうざのほかにぶたのつめだの、にんにくたくさんのにものなどがでて、)
一番早い。餃子の他に豚の爪だの、ニンニク沢山の煮物などが出て、
(しなのさけをだす。このゆうらくにつづいて、)
支那の酒を出す。此の有楽につづいて、
(おなじしぶやに、みんみん(じをわすれた)というみせができ、しんじゅくへんにも、)
同じ渋谷に、ミンミン(字を忘れた)という店が出来、新宿辺にも、
(おなじようなみせがぞくぞくとできた。しんじゅくでは、いしのいえというみせへいったことがある。)
同じような店が続々と出来た。新宿では、石の家という店へ行ったことがある。
(ぎょうざのほかに、ちゃーめんや、やさいのあぶらいため、そのたなんでも、)
餃子の他に、炒麺や、野菜の油炒め、その他何でも、
(あぶらっこくいためたものがでる。きゃくのほうでも、にんにくや、)
油っ濃く炒めたものが出る。客の方でも、ニンニクや、
(あぶらっこいのがすきらしく、「うんと、ぎどぎどなのをくれ」)
油っ濃いのが好きらしく、「うんと、ギドギドなのを呉れ」
(とちゅうもんしている。ぎどぎどとは、どうにも、)
と註文している。ギドギドとは、如何にも、
(あぶらっこいかんじがでることばではないか。)
油っ濃い感じが出る言葉ではないか。
(これらのぎょうざやは、みな、あんちょくで、ぎどぎどなのを)
これらの餃子屋は、皆、安直で、ギドギドなのを
(くわせるので、はやっている。もともと、しなりょうりだから、)
食わせるので、流行っている。もともと、支那料理だから、
(とうきょうにもむかしからあったものであるが、これは、)
東京にも昔からあったものであるが、これは、
(こうきゅうしなりょうりとはちがうし、また、いわゆるらーめんかんばんのしなそばやともちがって、)
高級支那料理とは違うし、又、所謂ラーメン看板の支那そば屋とも違って、
(ぎょうざをうりものの、でもくらてぃっくなみせなのである。)
餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
(ぎょうざやにつづくものは、おこのみやき。)
餃子屋につづくものは、お好み焼。
(これとても、せんぜんからあったものにちがいないが、そのかずは、)
これとても、戦前からあったものに違いないが、その数は、
(せんぜんのなんばいにおよんでいるか。とにかく、やたらに、)
戦前の何倍に及んでいるか。兎に角、やたらに、
(おこのみやきやはふえた。はらにもたれるから、ぼくはあんまりあいようはしないが、)
お好み焼屋は殖えた。腹にもたれるから、僕はあんまり愛用はしないが、
(ふゆは、なにしろひがちかくにあるから、あたたかくていい。)
冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
(おこのみやきやのめにゅうは、まことにこどもっぽく、ようちだ。)
お好み焼屋のメニュウは、まことに子供っぽく、幼稚だ。
(そして、おこのみやきそのものも、いいおとなのくうものとはおもえない。)
そして、お好み焼そのものも、いい大人の食うものとは思えない。
(が、これがけっこうはやるのは、おねだんのあんちょくなことによる。)
が、これが結構流行るのは、お値段の安直なことによる。
(そうはいっても、おこのみやきにも、ぴんからきりまであって、)
そうは言っても、お好み焼にも、ピンからキリまであって、
(おなじてっぱんをもちいても、えびやにくをおもとした、こうきゅうなのもある。)
同じ鉄板を用いても、海老や肉を主とした、高級なのもある。
(むろん、そうなると、やすくはない。おこのみやきは、なんといっても、ざいりょうの、)
むろん、そうなると、安くはない。お好み焼は、何と言っても、材料の、
(めりけんこのいいところが、うまいし、はらにも、もたれないから、)
メリケン粉のいいところが、美味いし、腹にも、もたれないから、
(こなのいいところをえらぶべきである。それと、こんどは、)
粉のいいところを選ぶべきである。それと、今度は、
(あめりかしきりょうりのおおくなったことだ。)
アメリカ式料理の多くなったことだ。
(えいせいだいいち、しかしあじは、まことにひんじゃくな、あめりかしきのりょうり)
衛生第一、然し味は、まことに貧弱な、アメリカ式の料理
((りょうりというなもつけたくない)が、いたるところではばをきかしている。)
(料理という名も附けたくない)が、到る所で幅を利かしている。
(はんばーがーとしょうする、はんばーぐさんどういっちや、)
ハンバーガーと称する、ハンバーグ・サンドウイッチや、
(ちーずばーがーなんていうものが、すなっくばあでは、どんどんうれている。)
チーズバーガーなんていうものが、スナック・バアでは、どんどん売れている。
(はうざーしきというけんこうしょくも、あじは、まったくどうでもいいらしい。)
ハウザー式という健康食も、味は、全く何うでもいいらしい。
(みきさーが、やたらにほうぼうで、おとをたてているが、これとても、)
ミキサーが、やたらに方々で、音を立てているが、これとても、
(くだもののあじは、みきさーのかいてんとともに、ふっとんでしまっている。)
果物の味は、ミキサーの廻転と共に、ふっ飛んでしまっている。
(そのほか、かんづめのくにあめりかの、そのかんづめりょうりの、)
その他、カン詰の国アメリカの、そのカン詰料理の、
(はかないあじは、つねに、ぼくをして、うすいみそしるをあじわうような、)
はかない味は、常に、僕をして、薄い味噌汁を味わうような、
(なさけなさをかんぜしめる。そのくせ、おわりちょうのちかくにあった、)
情なさを感ぜしめる。そのくせ、尾張町の近くにあった、
(ふじあいすのような、じゅんあめりかしきらんちやはなくなってしまった。)
不二アイスのような、純アメリカ式ランチ屋は無くなってしまった。
(ふじあいすの、すちゅうどこーんや、ぱむぷきんぱいは、)
不二アイスの、スチュウド・コーンや、パムプキン・パイは、
(いまでもときどきはくいたいとおもうことがある。)
今でも時々は食いたいと思うことがある。
(ふじあいすばかりじゃなく、あすたーだの、おりむぴっくのような、)
不二アイスばかりじゃなく、アスターだの、オリムピックのような、
(らんちやも、いまはなくなった。ほしせいやくのきゃふぇてりあなども、)
ランチ屋も、今は無くなった。星製薬のキャフェテリアなども、
(だいひょうてきな、あめりかんらんちやだったが。)
代表的な、アメリカン・ランチ屋だったが。
(そして、それらのむかしのみせのほうが、いまのあめりかりょうりよりは、)
そして、それらの昔の店の方が、今のアメリカ料理よりは、
(はるかにうまかったのは、どういうものであろうか。)
遥かに美味かったのは、何ういうものであろうか。
(さてしかし、せんご、くいものやのなかで、いちばんかずがおおくなったのは)
さて然し、戦後、食いもの屋の中で、一番数が多くなったのは
(いいえ、くいものやぜんたいのかずが、)
いいえ、食いもの屋全体の数が、
(せんぜんのいったい、なんばいになっているか)
戦前の一体、何倍になっているか
(やっぱり、しなりょうりやであろう。それにつづいておかしいことには、)
やっぱり、支那料理屋であろう。それに続いて可笑しいことには、
(しゅしょくのはんばいが、うるさくなるにつれて、ごはんもののみせが、)
主食の販売が、うるさくなるにつれて、ゴハン物の店が、
(ぐっとおおくなっていることだ。すしやが、そうだ。)
ぐっと多くなっていることだ。すし屋が、そうだ。
(かまめしや、おちゃづけやだって、たとえば、せんぜんのぎんざには、)
釜めし屋、お茶漬屋だって、たとえば、戦前の銀座には、
(あすこはこことと、かぞえるくらいしかなかったのが、いまのぎんざは、)
あすこは此処とと、数える位しか無かったのが、今の銀座は、
(よこちょうへはいるごとにそういうごはんもののみせがあるようになった。)
横丁へ入る毎にそういうゴハン物の店があるようになった。
(やきとりやも、やたらにおおくなった。)
やきとり屋も、やたらに多くなった。
(これについてはまたのちにしょうせつするつもりであるが、ぎんざばかりではなく、)
これについては又後に詳説するつもりであるが、銀座ばかりではなく、
(とうきょうのさかりばには、やきとりやは、)
東京の盛り場には、やきとり屋は、
(これもせんぜんのなんばいかになっているであろう。もうひとつ。)
これも戦前の何倍かになっているであろう。もう一つ。
(それはかっこくりょうりやが、いろいろとみせをひろげたこと。)
それは各国料理屋が、色々と店を拡げたこと。
(せんぜんから、すこしずつはあったが、)
戦前から、少し宛はあったが、
(いまのようにろしありょうり、どいつりょうり、いたりーりょうり、)
今のようにロシア料理、ドイツ料理、イタリー料理、
(などのみせが、おのおのとうきょうとないだけでもすうけん、)
などの店が、各々東京都内だけでも数軒、
(あるものはすうじゅうけんもあるというようなことはなかった。)
或るものは数十軒もあるというようなことは無かった。
(ちょうせんりょうり、たいわんりょうりのみせもある。)
朝鮮料理、台湾料理の店もある。
(かっこくりょうりのみせ、そして、じんぎすかんなべから、)
各国料理の店、そして、成吉思汗鍋から、
(みるくわんたんというようなかわりだね、)
ミルクワンタンというような変り種、
(さてはほるもんりょうりのげてものやのかずかず。)
さてはホルモン料理のゲテもの屋の数々。
(かとおもうと、せんぜんからのふるい、ゆうめいなみせみせ)
かと思うと、戦前からの古い、有名な店々
(ぼうずしやも、ももんぢや、)
ぼうずしやも、ももんぢや、
(とうふりょうりのささのゆき、あいがものとりやす、)
豆腐料理の笹の雪、あい鴨のとり安、
(などなども、むかしのとおりはやっている。)
等々も、昔の通り流行っている。
(ちかくは、あげだしもふっかつしたとかきいた。)
近くは、揚げ出しも復活したとかきいた。
(かくて、いまや、ああとうきょうはくいだおれである。)
かくて、今や、ああ東京は食い倒れである。